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【1205】究極スピリチュアル職工たちの廃工房 [ビジネス]

 前回に続けてもう少しインド関連の話題を。
 最大の理由が『見ための印象』なのが恐縮だが、インド北部からネパールやチベットに拡がる山間部の精神文化は、国境を越えてひとつのくくりで扱えるものではないかと思っている。
 主に寺院などの壁画や仏具、装飾衣装や絨毯などの繊維製品など、我々他民族の精神世界の限界を遥かに超えて精緻が尽くされており、それが単に精巧だけに終わっておらず、あたかも今日最新の電子回路のような規則性を意識背景に造り込まれたものであるところが共通している。

 西暦2千ひとケタ年の後半だったと思うが、日本国内でチベットを中心とした地域の伝統的精神文化に関連する事物の展示会が開かれ、興味を引かれて見に行ったものだ。
 だがちょうどこの前後、それまで山間部奥地の秘境として中央政権支配の対象には事実上されていなかったチベット自治区が、いきなり政府軍に踏み込まれて制圧されるという災厄に見舞われた。踏み込まれる方はたまったものではなかったはずで抵抗もしたらしいが、何しろ武装した軍隊に抗い切れるはずもなく大勢が犠牲になり、付近一帯は政府軍による略奪の憂き目に遭ったのだという。
 こんな形で武力制圧された山間部の歴史的施設から持ち出された文化財が展示物になっている…との疑いの世論が日本国内で湧き起こり、あっという間にこの手の展示企画は姿を消してしまった。

 私はそうなる前に深く考えもせず喜んで見ていたことになるのだが、像や仏具など大小の銅製品が、今の時代にIT機器の集積回路に見るような絵柄サイズの文字・模様でびっしり埋め尽くされているのには度肝を抜かれた。食器レベルのお手頃サイズから等身大を超える神仏像まで、ルーペでも読むのに苦労するような刻印や、ミリ単位の鱗・細枝の工作が微塵の手抜きも無く完遂されているのである。
 まだ子供の年齢の僧侶がキホンそれだけを日々の勤めにして取り掛かったにしても、果たして一人の一生を費やして間に合うものなのか、現物を前にほとほと考え込まされて結論が出ない。初見で驚嘆し、そのまま何時間も思い巡らし、再び足を運んでまた改めて驚嘆したものだ。

 そもそも機械加工では実現できないほど複雑な三次曲面に沿わせる下書きやガイド枠なんか無いだろうし、あったらあったでその下書きやガイド枠の作り方からして気が遠くなるような手間になりそうだ。そんな下準備のサポートに頼れたとして、完璧に均一な筆跡・画調で隅から隅まで、隙なくびっしり行けるものだろうか。
 私なんか、ラーメン鉢の縁にあのカクカクのS字みたいな反復模様を描き並べるだけで即アウト、みすぼらしい失敗作だけ残して力尽きてしまう。最初のひとつめで描いた模様と回数を重ねた後に描いた模様は、ぱっと見いで子供でもすぐ気付くくらい違ってしまうんじゃなかろうか。
 ついでに言うと、正確に等間隔を守り切れず一周の終わり近くに帳尻合わせのゴマカシが入って、始点・終点の周上の位置も一発で見破られるような出来にしかならない。

 さすがに商品として対峙し、採寸した上で治具など駆使して描画すれば綺麗にできるはできるんだろうが、それはヒトが心に描く精神世界の因果律イメージを、手元の作品に乗り移らせ反映させる丹精こめた刻印ライフワークではない。ただの正確な複数図形の整列配置とは根本的に異なる、『数』の規律観に根差したヒト精神の思考展開の描画出力でなければ、あの荘厳な正確さと緻密さは顕れない。

 我々そこらへんの他民族・そこらへんの庶民小市民は、こういう高尚な精神文化活動を真似ようにも、まずハナっからタマシイが虚弱でスタミナ不足でタルんでてどうしようもないのだろうけれど、ならば鍛えて相応のレベルに到達できるかというと、そうとも思えない。
 インド北部やチベット一帯の山間部には、タマシイから肉体からそもそもの造りが根本的に異なる血統が根付いていて、そんな奴等が強靭な心身を元手に本気で修業と作業を重ねた成果こそが、あれら目前の現実を信じられないほどの超絶技巧を凝らした文化財の数々なのであろう。

 国境を越えて拡がる文化圏スケールでその作風が一般的だということは、例えば複数の職工で手分けしたり世代を跨いで完成させたりといった事例も少なくないはずで、そこに個人的なクセの尻尾も出さず、電子フォント的な一律の品質が保証されているというのは、本当に凄い。
 大袈裟でなく現代のナノテクノロジーを超える勢いで、時間や世界の果てのその先まで感じさせる文化遺産である。これを延々と育んできた寺院文化が武力制圧の犠牲になったのだとすると、地球上の人類にとって実に残念な損失だと言わざるを得ない。

 こういう時に『大変遺憾である』という日本語を使うのだ。よく覚えておくように。

 …で、ナニが言いたかったかというと、この手の展示会を見ていて前回紹介したインド系アメリカ女性の記憶が蘇り『ああ、あの精神構造を持つ一族なら、あながちあり得ないコトでもないかも知れんなあ』と回想していたのである。
 そんじょそこらの日本の職場だと、いわゆる『クセの強いタイプ』みたいな言われ方で、周囲からついつい距離を置かれちゃう心配はありそうだ。

 ちょっと余談だが、私は人さまを指してこの『クセが強い』という言葉を使ったことがないし、使わないようにしている。
 『クセ』とはナニを指しているのか、それが希薄だったり無かったりするのは良いコトなのか悪いコトなのか明らかにしないまま、当人のコミュニケーション流儀を漠然と否定的に言いたいだけの用法しか聞いたことが無いからだ。品の無い、アタマの悪いコトバだと思う。

 まあいいや、とにかく私がビジネス界におけるインド人材の特徴的な心象を『優秀だが迎合のハードルが高い』とまとめた理由を少々掘り下げてみました。
 この生来にして強靭なタマシイを御社の強みとして活かせそうでしょうか?

 わざわざに手間とコストをかけて海外から優秀とされる人材を調達したのに、調達した方もされた方も折り合いの悪さに戸惑うばかり、こんなはずじゃなかった…みたいな結末になるともったいないだけなので、どうか慎重に御検討を。

 そうそう最後に、かのインド系アメリカ女性は中背だったが全身のプロポーションは見事に引き締まっており、オフィス業務の対面で物静かな光景しか見なかったが、インド映画でよく出て来るビキバキにばね定数の高いダンスを連想させる、ハガネの肉体美であった。
 やっぱユーラシア大陸の真ん中で研鑽された、そこらとは設計思想の違うハードウェアに乗っかって、これまた別格独自の高精度ソフトウェアが動作してんだろうかねえ。この個人能力が束になって、何か人類文明に効く社会活動で大きな潮流を作り始めたら、将来の世界史が動くような気はするなあ。

 もしそうなったら東洋の島国ニッポンは身の振りをどうすべきなのだろうか。
 将来を狙う新進気鋭の御社の明日に、グッドラック!
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