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【1209】ブラウン管と新聞紙が総天然色と引き換えた商品力 [ビジネス]

 高度経済成長期にあった昭和40年代において、社会面ニュースや政治経済などの時事問題に関わる解説・討論系番組と、歌謡やドラマにアニメなどの娯楽番組は、明確に異質の情報コンテンツとして意識され扱われていたというハナシはした【73】【149】
 ひとことで言えば『つまらない事務連絡』と『楽しい遊び』のジャンル区分である。

 例えば夜7時から1時間枠のいわゆる『ゴールデンタイム』などは、一般家庭で食卓を囲みながらテレビを観るシチュエーションを想定して、各局が家族団欒に相応しい『楽しい娯楽番組』で視聴率を競い合っていたのは明らかである。
 NHKだけは7時のニュースをやっていたと思うんだが、それでも5分なり10分なりの短い事務通達のようなもので、その後は娯楽系の内容を放映してたんじゃなかったっけ。

 そもそも『国営放送局NHKは国民への通達義務がある情報に徹するべきで、遊び気質の芸能やドラマなんぞは民放にやらせておけ』という認識だったから、社会の事務連絡=現場映像に続いて背広アナウンサーが原稿を読み上げるだけのニュースが早々に片付いたとして、どうせ民放の向こうを張るのは、ドキュメンタリーやサイエンス、あと生活課題のスタジオ討論みたいなものまでである。
 『楽しい芸能』と言えばせいぜい一番人気の毒の無い流行歌ぐらい、あとドラマは『連続テレビ小説』や『大河ドラマ』は昔からあった。いずれにせよその程度だったように思う。

 いっぽう紙面メディアに目を向けると、まず新聞がNHK的な『社会の事務連絡』をがっつり底支えしており、テレビだと数秒~十数秒の映像と音声で流してオシマイになる内容をしっかり文章に組んで、ほとんど誤字脱字の無い完成度で印刷紙面にして毎日各家庭に配達していたのだから凄い。あ、もちろんスポーツ新聞や競馬新聞は別なんだけどさ。
 平成ひとケタの頃、私は社員寮に暮らしていて出勤時にロビーの投函ボックスから配達された朝刊を取り出し、それをそのまま職場まで持って行って始業時間まで読むのが日課だった。携帯電話もインターネットも無かった当時、既に私と同世代の間では新聞を取らないヤツが多数派になっていて、年長組からは『社会人になって新聞を読もうと思わないとは…』と呆れられていたのを憶えている。

 そう言えば北米でいわゆるスイートホテルに滞在すると、たった一泊でも必ず朝にはドアの下から”USA TODAY”が滑り込まされていて、これを出がけにカバンに入れその日持ち歩いて、毎日すみずみまでしっかり…とは行かないが、スキマ時間に好きなところを好きなだけ拾い読みするのに重宝したものだ。部屋のテレビで見かけたニュースの記事をゆっくり再確認できたりもする。
 そんな利便の好印象もあって新聞というメディア形態の文化は嫌いではない。朝のドア下”USA TODAY”配達は盤石な固定市場だったはずだけれど、今の時代さすがに廃止されちゃったかなあ、どうなんだろうか?

 テレビ報道も新聞も、当時の公共情報文化を振り返るに『事務連絡として流れるつまらない情報に、わざわざのウソは介在しない』という暗黙の前提があったと思う。
 そもそも何故つまらないかというと、ありのまま現状を素っ気なく『ありました』と伝えるだけだから、よっぽど視聴者・読者自身が直接自分との関係を意識する対象でもないのなら、そこに誰の思惑も、誰の人格も見出すこともなく『ふう~ん、あっそ』で終わってしまうのだ。
 子供年代の私にとっては、まあ猟奇殺人やタダゴトでない長期立てこもり、あるいは大災害や大事故など心理インパクトのある大事件が発生したら、興味本位でその詳細を覗き見ようとするくらいが関の山であった。
 思惑も人格も絡まないからこそ味気なく質素な事務連絡なのであり、思惑も人格も絡まないからには意図的な歪曲も加わらないはずだし、そんなところに細工する意味なんか無いに決まってる。ごく普通に自分のことだけ気にして日々を送る庶民の立場としては、これが自然な感覚だろう。

 もっとも戦中に言論統制が布かれて、ラジオや新聞が戦況をまともに伝えなくなっていた話は有名である【736】
 人間の思惑も人格も絡まないはずの『事務連絡』に、大衆が構えなく視聴覚の入力ゲートを預けてしまうと、大衆は集団催眠術に操られるように事実誤認の方向性をもって動いてしまう。
 ここに誰個人の意図でもない『組織の思惑や人格』の検閲や歪曲操作が発生し始めると、組織力が個々人全員の思うところから外れて誤作動し、同時に誰個人の制止も修正も受け付けなくなり、組織が自滅の一途を辿るということなのではないだろうか。だからパール判事は『広告には気を付けなさい』と忠告した【307】

 NHKのテレビ放送開始が1953(昭和28)年だそうで、『もはや戦後ではない』の経済白書が1956(昭和31)年のことだから、終戦から僅か11年後である。
 改めて日本社会の戦後復興の活力とスピードに感心するとともに、スローガンとしての意味合いまで含めた日本経済の自己認識がこれだったということは、まだまだ日本社会が戦中の負の記憶を実感に留めていた時代だったのだろう。
 さらに十数年後の高度経済成長期にもまだ、みんなが暮らす社会の平和を守るため、新聞記者が正義のヒーローとして陰謀を暴き悪の組織と戦っていた。ちゃんと戦争体験で学習した情報原理に基づいた設定じゃないか。

 さて1985(昭和60)年の『ニュースステーション』放送開始で、『つまらない事務連絡』と『楽しい遊び』の区別が撤去され始めたのではないかと考えている【149】
 いま思えば、中立にして率直な内容を『社会の事務連絡』として不文律で管理する業界意識の終焉だったのかも知れない。戦後40年目にして、日本社会の公共情報システムの自我が『事務連絡が歪曲されて社会が現状認識を誤る心配はもうしなくていい』と心変わりしたということだろう。
 高度経済成長期のひとつの到達点・バブル景気がもたらした全国民的慢心により、これが社会考察や権力監視の無関心放棄という形で現実化してしまった。そして文明社会の作動原理に適った理性的な現実アイテムの操縦ができなくなった日本社会・日本経済は、底なし沼の不況に沈んでいく。

 カネ廻りが滞り公共情報業界が稼ぎを失い、かつて流通させていた主力商品=組織力による事務連絡情報の品質を落としたら、発信情報vs発信情報のバトル戦闘力は大組織も個人もキホン同じである。
 ここに『インターネットの普及という背景』が重なって、大衆相手の大規模発信が個人でも可能になったため、あっという間に既存マスコミは優位性を失ったのだと思う。『組織力による情報の品質管理』にポイントを置くなら、昔も今も個人は大組織に歯が立たないことを強調しておく。

 少なくとも現時点、個人も組織も似たようなものなら情報ソースは多いほど良い。
 SNSは『広告でない発信元』であるという、その一点の根拠で『広告に気を付けるための実効ツール』としての価値は十分にある。

 人間が関心を持って知覚し、内容を理解し、心を許すに到る要件とは何なのか。
 チャールズ・チャップリンはどこまで解ってコメディという手段を選択したのか。
 明日もよく考えながら、NHK朝ドラ『ブギウギ』視聴でグッドラック!
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