SSブログ

【1203】湯気と自由とリラックスの無限深夜会議 [ビジネス]

 今週から新たにNHK朝ドラ『ブギウギ』が始まっている。
 いきなり小学生の女の子の第一人称『わて』に先制ジャブを喰らったが、まあ黙って観ることにしよう。
 私が小学生だった昭和40年代、明治生まれの父方の祖母の第一人称が『わて』だったなあ。でも子供のうちからその習慣で通してきたとも、あんまり考えられなさそうな気がするのだが。

 相変わらずセット全体や衣装が清潔感行き届いており、妙に洗練された光景が気になるっちゃ気になる。昭和40年代でさえ都会のド真ん中でも道路はあんなに平らで清掃は行き届いていなかったし、家屋内も風呂屋の番台も、もっと暗く年季入ってシケていて、使用感たっぷりにボロかった。
 だいたいだな、小学生時代まで我々子供は近所の道路で遊んでいて、側溝でコンクリにスリットを切ったようなフタをされた排水支管の位置、あそこで普通に小用を足していたのだ。誰がいちいち家に帰ってまで便所行くかっての。
 もちろん手なんか洗うはずもなく、そのまま未舗装の地面で穴や溝を掘っては全身土埃だらけになっていた。それが帰宅して手ぐらいは洗うにせよ、着替えもせず食卓でメシ食ってたんだから恐れ入る。
 昔の生活はきったなかったのだ。裏返せば、それで健康を害さないくらいには皆タフだったということである。確かに今あの衛生環境をマトモにドラマの中で再現してしまうと、不潔・不愉快のクレームが殺到することには容易に想像がつく。

 当時の私の家の風呂は木製で、正方形の手前一辺側がベンチ風の板一枚の腰掛になっており、その下の足元にボイラーが内蔵されていた。夕方になると、玄関の扉を開けて外に出て、玄関扉の横の腰ぐらいの高さの風呂ボイラー扉をどっこいしょと開け、ブリキ製の煙突を燃焼室に届くまでぐさりと深く差し入れて、剥き出しで走っている都市ガス管の途中の開閉弁のツマミを開けながらマッチで点火すると『ボッ』と火が灯るワケです。
 もちろんこの時点で先に風呂桶には水を張ってあることを確認しておかないと、空焚きになってしまうし、空焚きに気付くのが遅れるとタダゴトでは済まない。

 もう風呂屋も長いこと行ってないけれど、昔はどこの銭湯も標準装備していた水風呂や電気風呂は、今も健在なのだろうか。
 水風呂は文字通りの水道水ママの温度の浴槽であり、サウナでもない普通の銭湯でも出口近くの一角に必ず配置されていたものである。まあ一般浴槽が明らかに家庭用の常識的な温度よりも高め設定で、いきなりざぶんと行こうとは思わないくらいの熱さだったので、水風呂にも一定の需要はあったと思われる。
 ヤバいのが電気風呂の方で、詳細の原理メカニズムは知らないのだが、とにかく浴槽に身体を浸けると、浸けた部位からビリビリと思いっきり感電風に痺れるのだ。これがまた誰でも笑って飛び込める優しい設定になっている銭湯を見たことがなく『入れるもんなら入ってみろ』と入浴客にケンカを売る勢いの電気風呂しか見た記憶がない。

 手先足先からちょんと浸けて、ばびびどびばび!と痛いほど痺れながら、まだ大丈夫、もうちょっと大丈夫…と身体を沈めていくのだ。ほとんど我慢大会のようなもので、我慢できるだけ我慢して限界に達し、慌てて転がり出るように上がる入浴形態にしかならず、それが子供心に風呂屋ならではの定番アトラクションという印象に映り、確かに楽しみにはなっていたなあ。
 後に工員としての労働を経験して、ああいうキョーレツ過ぎる暴力的マッサージ効果も、社会を生きる大人として・プロとしての負荷作業を一日終えた身体には、あながちキツいだけのものでもないんだろうなと理解できるようになったのである。あ~、思い出して今ちょっと銭湯に入りに行きたくなっちまったよ。

 そんな銭湯…というか風呂屋だけれど、劇中のような庶民のコミュニティスペースとしての機能を意識され始めたのは、皮肉にも風呂屋が絶滅の危機に瀕してからのことだと思う。やっぱり家にユニットバスひとつでもあれば、毎日わざわざ数百円払って外風呂に入ろうとまでは思わないものだ。
 富士山の壁絵を見ながら大きな浴槽で手足を伸ばして、水風呂や電気風呂のエンタメ性も、脱衣所のあの空間の雰囲気も、冷蔵庫から出して飲むファンタやパレードなんかの瓶飲料も、みんな非・日常感というか非・家庭感があって大好きなんだけど、日常レベルの頻度で行こうとは思わないから軒並み廃れてしまった。
 いま振り返って歴史的にタイヘン興味深い建築形式が多かったことも思い出され、もうちょっと狙ってあちこち訪れておくべきだったかなあと、今ごろになって少し残念だったりもする。

 平成ひとケタの頃、当時の職場から車で小一時間走ったところに温泉郷があった。
 実際には摂氏20度台の冷泉で、加熱して温泉にしていたようだが、毎日夜10時でも普通にみんな職場にいたこの時代、金曜の夜など仲良しの同僚同士で誘い合って車を飛ばし、仕事の後にひと風呂浴びに行ったものだ。
 恐らくは近隣一帯の企業だの町会だの、泊りの宴会の定番宿になっていたはずで、山間の平屋の『いかにも』的温泉宿屋という風情であった。これが宿泊しなくても千円払えば入浴だけ可能だったのだが、夜も11時を過ぎると宿泊客は宴会を終えて寝静まっており、故に従業員もすっかり退いており、電気を切られた自動ドアを手で開けて入る玄関は真っ暗で、もちろんカウンターには誰もおらず非常口表示だけが煌々と光る。
 無人のカウンターに現金を置いておくのもナンなので『やむなく』そのまま侵入し、スリッパに履き替え廊下を通って屋外の日本庭園を抜け、東屋式の脱衣所で服を脱ぎ捨てれば、その先は子供が泳げるほど大きな露天風呂だ。既に宿泊客が誰もいなくなった未明の岩風呂で湯気を通して夜空の月や星を見上げながら、会社のこと仕事のことプライベートのこと、いろんな話題で夜明け近くまで語り明かしたものである。

 おっと、風呂に入るんだから当然脱衣所で全部脱ぐのだが、五百円玉・百円玉はいくつか握りしめて行かないといけない。
 今では考えられないが、当時は露天風呂の洗い場に缶ビールの自動販売機が設置されており、全裸で自販機に硬貨を投入し、よく冷えた500ml缶を取り出しお釣りも取って、丸出しの股間をぶらんぶらん揺らしながらプルアップをぷしゅっと開けて口をつけ、そのまま湯船に浸かれたのである。
 これはもう酒好きビール好きの温泉好きには天国以外のナニモノでもなく、殊に紅葉も美しい涼しい季節に行くと、上がって岩に腰掛けたり再び浸かったりして透き通った夜気で身体を冷ましつつ、いくらでも何時間でも飲めた。
 実際フロントに従業員が戻ってきそうな時間を見計らって3時半か4時前頃に切り上げていたから、自宅に帰る頃にはすっかり完全な朝である。

 でもいい時間だったな~。真剣に人生に効いたし、もういっぺんやりてえよ~。
 やれ転倒すると危険だとかアルコールの飲み方としてどうだとかいう前に、正確な考察も理解もせず労務管理や医学めかしたウンチクをネタに陳腐な言論遊びをやる前に、ああいう心底腹割って仲良しと満足いくまで語り合うサイコーの場が手近にあることの方が、遥かに労働者のメンタルケアとして大事なのではないだろうか。
 こんな安上がりで美味くて愉快で心地よく信頼できるコミュニケーション空間があってもなお、今の若い人たちはスマホを持ち込んで、各自が夢中で画面に喰い付いて指先を動かすんだろうかね。

 風呂で何かイイこと思いつけ!と言われたら、真っ先にこの記憶が呼び出される。
 こういうの、安全に運営する手段を考える方向でビジネス化できないもんかねえ。
 ともあれ若者たちよ、健康あってのアルコール娯楽だ、節度守ってグッドラック!
nice!(14)  コメント(0)