SSブログ

【1206】セピア色LED照明の大喝采歌謡ステージ [ビジネス]

 NHK朝ドラ『ブギウギ』が第二週を終え、早や来週から大人エイジになるらしい。
 私もすっかり朝ドラ視聴者の固定層になったものだが、突発用件に見舞われる前の朝のうちなので、一日の定番ルーチンとして日常スケジュールに収まりやすかったんだろうな。
 もちろん民放3ヶ月1クールの夜1時間枠とは内容の配分やストーリーの緩急構成が大きく違っていて、配役の登場・去就や伏線の刈り取りなども特徴的であり、いざ見始めるとNHK朝ドラはタイヘン面白い。

 コトの始まりは、いつも鈴子が銭湯の玄関先で大好きな歌を披露して町内の人気者…という設定だが、私の記憶にある限り昭和40年代の高度経済成長期に到っても、ああいう街角パフォーマンスはキホン庶民の日常空間には極めて珍しく、正直のところ作り話の世界の出来事であった。
 その最大の理由は『人前で注目を浴びて何かやるのは恥ずかしい』とする一般通念だったと思う。目を見張るようなイケメンや美女でも、うっとりするような美声の持ち主でも、とにかく理屈抜きに『大衆の関心の的になるのは負担であり、そんな立ち位置は避けたい』という心象に直結していたのだ。

 今よりは遥かに珍しかったテレビ番組の街頭ロケに遭遇したとして、カメラを向けられながらインタビューに応えるなどとんでもない話で、遠目にロケ隊の存在を認識するや人々はわざと距離を置き、安全地帯から遠巻きにその様子を眺めていたものである。
 対象者を見繕ってカメラとマイクを向けにかかろうものなら、みんな両手のひらで透明バリアーを張り、遠慮の愛想笑いを振りまきながら後ずさりするのが普通であった。
 そのクセ誰かがつかまって応対している間、特に子供は背景に写り込む位置を争ってVサインなんか出していたのだから、小市民のケチな自己顕示欲は潜在的に旺盛ではあったのだろう。街ロケで収録するのタイヘンだったろうなあ。

 逆に正月に実家で親戚一同が会食するような場では、学校で合唱を習ったという子供がアカペラで歌声を披露する…というか披露させられる場面は見られたはずである。何しろ当時はロクな娯楽がなく居間にテレビが一台しかないというのが常識で、大勢集まると邪魔にされ消されてしまうのだ。
 まあこんな行きがかりにしても、歌わされる当の子供は決して得意満面という心持ちでもなく、むしろ大人相手が面倒くさいだけの苦手な場というのが正直なところだったのだが。
 この時代、社会において『大衆娯楽としての芸能パフォーマンス』というものは、ある種の緊張をもって舞台から放たれ、受け止める方も姿勢を正して吟味するという共通認識で成り立っていたように思う。
 某・職業歌手が風邪をひいてしまい、それに配慮した司会者が『今日はお風邪を召されたそうで、歌の方はちょっと…』と庇いかけたところ、当の歌手が『私はプロの歌い手としてここに来ています。お気遣いは無用!』と言葉をさえぎって、見事な歌唱を披露した…というスポ魂エピソードも聞いた。

 日本社会の組織の自我がまだ文化的に貧相で朴訥だった時代、日夜自然と格闘する第一次産業主体の生活維持負担や、戦後の焼け野原から歯を食いしばって復興中の過負荷労働が、組織の意識の大半を埋め尽くしていた時代である。
 日本社会という組織生命体がまだ『楽しむこと』を特別視していて、芸能という娯楽に対して安心して気を許せず、漠然と抵抗感を覚えていたのであろう。よく考えたら、今の私よりも若い年齢の大人たちが、常識的な日本の暮らしの娯楽アイテムとして貴重な自由時間に盆栽に入れ込んだり、和室で正座して茶道・華道や詠いなんかもやってたんだから、その現実に少々不思議さえ感じてしまう。
 朝ドラ『ブギウギ』の花田家みたく娘の芸能界入りに好意的な家なんか、高度経済成長期でも見たことがない。人並はずれた特殊能力が必要な職域であることは認めつつ、浮草商売・人気商売の稼ぎなんか水モノだから見て憧れるまででやめておけというのがギョーカイ外の一般常識だったと思う。

 さて、これが昭和50年代に突入するころ歌謡曲が華やかに急発達した。
 小学校の中~高学年の子供たちが毎日テレビを観ては、休み時間に流行りの歌と振り付けを真似て遊ぶようになった。この時点で私はまだインドア派の工作少年であり、着飾った歌手が列席した聴衆の前で歌うだけの流行歌謡ステージは、どお~も学芸会に通ずるお遊戯的な幼児っぽさを感じてしまい、まるで興味を示さなかったのだけれど。
 偉そうかつ手前勝手な解釈で申し訳ないのだが、アウトドア系スポーツにしてもインドア系趣味にしても夢中になって打ち込むものがない連中が、ゴールデンタイム番組の流行りモノを見覚えては自分が本気で憧れ目指すつもりもないまま、きゃっきゃと群れ合ってだらだら無駄な時間を潰しているだけにしか見えなかったのである。ああ憎たらしいガキだこと。

 そんな私が中学から高校生ぐらいにかけて超ウザい音楽小僧に変貌した話はいま関係ないとして、確か高校時代の後半ぐらいから日本じゅうでカラオケが一気に普及したんではなかったっけ。

 時はバブル景気と呼ばれる飲めや歌えやのドンチャン騒ぎが途絶えなかった頃であり、大衆の注目を浴びて自分の個人能力レベルが露見するようなシチュエーションを恥として避けて逃げて、大衆に紛れて安心して雑音に加わるという従来日本式のメンタリティが、かなりはっきりと節目をつけて大転換した印象の記憶がある。
 上手にしても下手にしても『一度マイクを握ったら離さない』という自己陶酔モードが『あるある』で語られるようになったし、実際カラオケボックスになだれ込むや誰もが争って選曲入力し、歌詞があるところまで終わった途端、エンディングを待たずに次の曲を強制開始する野蛮な進行も珍しくなかった。一曲でも多く歌いたいのだ。
 もちろん歌が不得手でカラオケも好きじゃないという人は一定数いたはずだけれど、やっぱり総観的には、日本古来の精神文化として『大衆からひとり躍り出て目立つ役回り』を避けがちだった国民的平均値が、かなり根底から裏返った象徴的な時代ではないだろうか。

 私個人としては、思いっきり自分自身が率先してそっち方向に転がった当事者で、それでこそ楽しい人生を謳歌できているという現実もあるし、決して日本社会として悪い転換ではなかったと考えている。それまでの日本社会の気質は、そりゃ華美に走らず地道でつつましやかだったとも言えるが、同時に暗く消極的で貧相で無責任でもあった。

 そうそう、私が言おうとしているのは、今でこそネオ時代劇としてNHKの朝ドラで流されているこのストーリー、衣装や物品が清潔で洗練されているだけでなく、劇中の人々の感覚が現代人相当として場の空気がまわっているところが『ネオ時代劇』の『ネオ』たるアレンジの特質だということである。こう書いて、うまく伝わるだろうか。
 因みに『おしん』はビフォー・カラオケ時代のニッポン情操世界なんじゃないすかね、観てないんで知らんけど。ええ加減でスマン!

 そしてカラオケ・ビフォーアフターの国民メンタリティ大転換を実現させた最大の原動力は、達人でも有名人でもない平凡な個々人でも『完成度の高い伴奏で気分よく歌いたい』という潜在的願望があり、それをお手軽に実現したが故の自己束縛の解放だったのではないかと私は考えている。
 社会組織で『意識改革』が目的事象に据えられる例は多いが、掲げたスローガンは形骸化して空振りするばかりだし、行動規範のキャンペーンも思うような意欲向上に効いてくれなくて困ったりはしていないだろうか。『意識改革』のための狙いどころは的確かどうか御一考ください。

 そして今スマホなど通信機器や動画作成ソフトの普及により、国民メンタリティはどんな転換の局面にあるのだろうか。
 ああしろこうしろのスローガンやスマホ使用規制の類は有効なのだろうか?
 では朝ドラ第三週の展開を楽しみにしつつ、週明けからグッドラック!
nice!(11)  コメント(0) 

nice! 11

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。