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【1192】昭和カントリーの猛暑完走ライセンス [ビジネス]

 8月も最終週末かあ。暑さがぼちぼち残暑として名残惜しくなってくる季節だ。
 暗くなってくると明らかに涼しさが感じられて、どこかで『…ドンッ!…ッッドンッ!』と花火の上がる音が聞こえたりするんだよな。おかずの香りだけで白飯を食う、ではないけれど、花火の音だけ聞きながら夕暮れのビールを飲む時間は優雅で好きだ。

 前回、この夏は蒸し暑さで丸一日を圧迫され続けることがなく、全体的にカラッとした軽めの印象だと述べたけれど、これに呼応するかのように空の青さが例年になく深く濃く見える。
 太陽を肉眼で直視するのは良くないので、まあちらっと見る限りにはなるのだが、空が青く深いぶん太陽のぎらつきが強烈というか凶暴で、外出時には某タクシー配車アプリの宣伝よろしく日陰伝いに歩き続ける毎日だ。壁のない広い駐車場とか、建屋のツラを道路から大きく退くとか、日陰が途切れる区間が恨めしいことと言ったら。

 けど、昔も夏は日陰伝いに歩いてたもんだよなあ。親世代も普通にやってたし。
 遠くまで見通せる道路には、昔も今もぎらぎらと逃げ水が輝く。

 私は大学生協の夏休み合宿プランで二輪・四輪の運転免許を一気に取得したのだが【951】、その場所は福島県北部の内陸地であった。その時の主たる印象として、だ。
 いっやあ~、とにかく暑かった。間違いなく今でいう猛暑日の連続であった。
 タオルも服も挟まずに直接アイロンを肌に押し付けるかのような、輪郭の明確な遠慮のない暑さ・熱さが二週間ほどの教習期間中の一貫した気候イメージである。空冷エンジンの教習車ホンダCBXもホーク2も『車速風を当てて冷却する』という目的意識をはっきり持って走ることを覚えるにはおあつらえ向きの教材だった。

 いっぽう四輪の教習車はマツダのルーチェとカペラ、塗色はすべからく白一色だったのを憶えている。まだどっちも昔懐かしマニュアル変速の後輪駆動で、私は教習所でAT車に乗ったことが無い。
 …というか、教習所にAT車は一台も無かったと思う。素朴な時代であったことよ。

 私に限らず当時の男子大学生は結構な割合で、事前に大学構内なんかで自動車・単車の動かし方ぐらいは身に付けており、大概はそれほど苦労せず短期間で路上教習にまで進めていたように思う。運転技能の基礎が割と出来上がっていたので、東北弁のコトバの壁もきちんと乗り越えないまま、先に路上教習の及第点到達の方が実現し、無事に卒業していった。
 何かを習って体得したというより、ほとんど運転免許というブツを取得するための手続き処理のような教習課程の想い出だが、私はひとつ珍しい大事件?に遭遇している。

 確か卒業検定の日だったと思う。この日も雨の可能性すらない猛暑日であった。
 卒検なので、ちゃんと乗車前にボンネットを開けてオイル量やウォッシャー液量、ホース類の傷みなども、わざとらにデモるテイで指差し確認する。タイヤも丁寧に見て触って、更に車輌周辺に余計な障害物や危険物など無いかもしっかり確かめる。
 運転席に私が座り、助手席に教官が座り、後席に次の番廻りの女子大生ちゃんが座った。ミラーやシートを調整していざ出発進行、教習所を出て順調に市街地をクリアして、広い幹線道路から青々とした田んぼが一面に広がる中を一直線に延びる農道に入った。ここまでは良かったのだが。

 …あれ?何だか徐々にチカラが抜けていくようで、車速が落ち始めたのである。どうしたのかなと思いつつアクセルペダルを踏み足してみた。
 だが私の操作に全く応じず、じわじわ車速を落とし続けるマイ・マシン。困ったなあと思いつつも、検定中に指定も指示もない場所で停車するワケには行かない。

 遂に『おいどしたー、アクセル!もっとスピード出せ!』と、フツー教官が検定中の教習生に向かって放つとは到底思えないような台詞が飛んできて、私が正面を睨みながら『踏んでます!床まで踏んでますっ!』と応答するという、ギャグ漫画かコントのような会話になってしまった。
 『ナニ?ちょ、ちょっと停まれ!』と教官の指示が出たので、言われた通りに左に寄せて停車する。

 車を降りてボンネットを開けてみると、どうやらラジエーターホースが劣化して冷却水が漏れてのオーバーヒートだ。携帯電話の無い時代に、東北の広大な田んぼのド真ん中で自走能力が危うい車輌故障。さてどうする…?
 さっき走った市街地のように他に車が走っている場所なら良かったのだが、残念ながらもう視界に他車の姿は無い。どこを探しても僅かな日陰も見当たらず、くっきりと突き抜けるような青空に見上げる太陽は、澄んだ空気を貫いてこの世の全てを容赦なく焼き続ける。
 『お前ら、ここで待ってろ!』と腹を括った教官どのが、エアコンを切り全ての窓を全開にし、教習車を駆って青々と波打つ平面の彼方に消えていった。

 確か1時間以上を我々男女ふたり、日陰の無い世界で過ごしたと思う。
 自販機もなければ水道の蛇口一本もなく、土地勘なんかあるワケないし、マジでどっちにどれだけ歩けば水、せめて日陰があるとも判らない。その場から少々歩いて見つけてもらえなくなるとも思わなかったが、歩こうと思う距離の範囲は直接目視できていて、そこに日陰も水も無いんだからどうしようもない。いや、砂漠じゃないんだから。

 年齢も近かったしずっと黙ってもいなかったと思うのだが、彼女と何の話をしたのかも、彼女がどこの出身なのかも、どこの学生なのかも、好みのタイプだったのかどうかさえも、微塵の記憶も残っていない。それでも二人して脱水や熱中症の危険は気にしなかったはずだから、当時ってやはり一般常識的に『ヒトが暑さで倒れる』という事象がまだまだ身近ではなかったのだろう。
 とにかくこの間、他車が一台も通らなかったのだから教官どのの判断は正しかった。

 さて恐らく教官どのはできるだけ高いギアでエンジンを低回転に維持し、止まるな止まるなと念じつつ公衆電話を探して見つけて辿り着いて、そこから電話で別の車と人員の助けを頼むことに成功した。その場で救援部隊を待ち、一行に拾ってもらってその足で我々の待つ故障停止地点のところに戻ったものと推察する。
 私と女子大生ちゃんは新たに用意されてきた検定車に乗り込み、その時その場から卒検の残りを再開し走り切ったのである。コトの運びがシンプルで手っ取り早い時代であったことよ。
 ええ、私もちろんこの一発を命中させて、卒検は無事クリアしましたとも。

 本当は、教官同伴で乗車前整備を実施して、よりにもよって教習所から発進した検定車が路上故障なんかしてしまっては何かとマズそうな気もするが、こんなハプニングも起こる時にゃ起こる。誰ひとり死にもしなければ怪我もしなかったのであればそれが幸運、真夏の笑い話伝説で済んでしまう…ってことでお開きにしましょうか。
 思えば、この教習所に御世話になった初日のうちに『ここの夏はとんっでもなく暑くってよお~』と聞かされたものだ。そして滞在期間中の記憶はまさにその通りの勢いとなった。

 たまたま今年の夏の特徴を回想していて、この卒検ネタを思い出しました。
 まだまだ続く残暑の季節の行楽は、是非ともの無事故安全でグッドラック!
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