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【1193】感涙で測る猛暑フィーリング評点の訴求効果 [ビジネス]

 おお、とうとう8月最終日か。日が短くなってきているのがよく判る。
 朝夕の涼しさは本格的になってきた。軽装で快適に過ごせて嬉しいが寂しいなあ。

 その反面、今夏の暑さをひときわ強調する日本語をやたらと見かけるのは何故だ?
 これまでも決してその雰囲気を感じさせる夏が無かったワケではないと思うけれど、今年は結構はっきりした『暑さ軽やかな夏』のイメージが顕著で、これに対して今更そこらへんの官民ジャリ広報が『地球温暖化』の世論を追い焚きしたくてしょうがない…ってことなのだろうか。

 返すがえすになるが、私は『確実に地球温暖化の傾向にはある』と確信している。ほかっておけば地中に埋まって眠っていただけのものを片っ端から掘り出して火をつけているのだから、どう考えても地球大気は熱の蓄積を重ねる方向にしか行きようがない。
 世の中で『燃料』とされているブツは、恐らくのところ過去の長きにわたって植物が光合成により、太陽のエネルギーを原動力として炭素主体で組み上げてくれた、反応性の高い化合物であるとされる。植物たちが、あの活き活きとした緑が、生命活動として無機物質を材料にしてエネルギーを織り込みながら有機物質の化学式を組んでくれて、『燃料』『エネルギー源』を作り出してくれている。
 動物が食ったら美味くて活力源になるとか、枯れて土になったらその場の動植物の栄養源になるとか。さらにそんなのが地中に堆積し地質学的なプロセスを経て、原油など地下エネルギー資源になったのだと考えられているのは御存知の通りだ。
 それを見境なく根こそぎ掘り返して着火し、重力に引かれて留まる大気中に、熱力学第二法則に従ってさんざん排熱を撒き散らしながら力学的動力を得ているのだから、道理として大気は熱を含む一方になるだろうさ。

 裏返せば『人工光合成』の技術を開発しない限り、人類の計画的操作として産業革命以降の文明動力が発生させる大気への熱影響を巻き戻す手段は無い。
 生ごみやら焼却後の灰やら集めて、川が流れ込み日射をさんさんと浴びるだけの水道高熱費ゼロの処理プラントに放り込んでいけば、反対側から緑色のカロリーメイトみたいなのが出来上がってきて、そのまま食えば栄養になるし、火を付ければよく燃えてくれる。そんな感じである。
 そういう技術が青写真レベルだけでもできていない限り、人類はエネルギー資源の枯渇に向かって歩を止められない。

 だからそもそも地球大気は人為的に起こされる全ての燃焼現象のために温暖化しているはずで、とりあえず現状までの地球上の環境が快適で、そこからの変動代を良くないこととして警戒視するのであれば、人為的に起こされる燃焼現象を純減させる努力が必要なのは間違いない。
 この考え方には、気温も海面温度も何も測定しなくても、道理に則った信頼度の高い仮説として結構な数の人々が賛同してくれるのではないだろうか。
 言っとるだろうが、四六時中の無意味なスマホをまずやめんかいと。

 問題は、これだけ人為的な燃焼現象に頼る今日の文明エネルギーがまずあって、減らすに越したことは無いんだろうけど、現実解として『どんな方策でどのくらい減らせるか』という議論になっていないところにある。
 とにかく『地球温暖化の事実を測定値で語る』という、それこそ現実解なんぞどこにもあり得ない課題に読み換え、飽きず懲りずにそのストーリーで公共発信しようとするものだから、逆効果になって近年は『地球温暖化』という標語に対して世論が懐疑的あるいは無関心になってきているのではないか。

 『今年の夏の暑さは過去最高』だなんて、毎年言ってるじゃん。
 すかさず『いやそれは本当か?』などといちいち過去に日本社会に放たれた『今夏の記録更新』を再調査して、その是非を検証する…とかそういう問題では既になくなっていて、過半数の日本人が『もう毎年の常套句だよな』と直感して、それを意識にストレージしちゃったらオシマイなのだよ。
 こんなことになっちまうような勢いで、毎年毎年『地球温暖化だから、今夏は異常に暑い』と大衆に響く発信を繰り返してきたという、それだけのことでしかない。

 直近の数回で述べている通り、私にとって今夏の気候は明らかに暑さを凌ぎやすいイメージである。
 いつもいつも精密な測定装置を駆使して自分の快適性因子についてデータ取得し続けている私でもないのだけれど、自室に置いてある温度計も、愛車の外気温表示も、総じて例年より低めの値が目立っている気がしてならない。
 『今年は猛暑日が過去最多』という日本語が最初に用意されれば、その日その日の最高気温で裏付けられるのが普通だとは思うのだが、日中ピーク値が確かにその通りであったとして、それが『夏の暑さ』として人々の季節感や健康への影響を絶対的に支配するものでもない。そこを、ちょっと考えろと言いたい。

 ところで一般大衆市場向けの製品開発においては『人間が実際それに接してどう思うか、感じるか』の官能評価が欠かせない。
 例えば、最近街中でよく見かけるハンディ扇風機が進化したとして、あれが将来ただの送風だけでなく冷却機能まで備えることができたとしよう。試作品を手に取って、暑い温度環境で使ってみて『涼しいかどうか』がその仕様のGO/NO GO判断を決める。
 超優秀な開発エンジニアの一人が、ファンの直下流に取り付けた温度計の指示値10℃を必死で指差して『ほら、ほら、10℃だから涼しいんですよ』といくら涙目で主張してみても、そこらの誰かがちょっと使ってみて涼しくなければ『ダメじゃん、これ』の一言のもと当然不採用だ。
 とにかく『涼しくない』んなら仕方ない。製品化しても売れないのは明らかである。

 まあ本当に10℃は10℃なんだけど風速がか細すぎて1センチの距離しか届いてないとか、10℃なのは風軸の中心ボールペン一本ぶんしかないとか、調べれば詳細の原因はすぐ解るんだろうな。
 目的は『10℃』ではなくて『万人にとっての十分な涼感』の方なのであり、それを測定データなる数値で裏付けて、製品仕様の成立要件と対応させたりライバル商品との優劣比較をしたりするために、温度計の『測定データ10℃を手段として使う』のである。目的に応じた適切な測定方法でもって、そこで語るべき事実に対して、誰の目にも自然な納得がいき、建設的な合意・協力に物事が向かうように。

 こと気象現象に関しては、何しろ莫大すぎるために『誰がどう見ても』のレベルで広く平均的に現状を反映するデータの測定方法が無い。これは日本と言わず世界中の人類の相当数が直感的にそう認識するだろう。
 今どきどっかの国際サイエンス機関が、小市民の知り得ない超技術スーパー測定器で『真実』をとらえているとも思わないだろうし、IQ百万の名札ぶら下げたウルトラ秀才学者の判断だったらそれが『真実』だとも思わないだろう。
 みんな『測定方法が無い』『真実は知りようが無い』と判ってるんだから、どっかの測定値・公表値をそのまんま論拠にしたところで納得にも合意にも到達しない。結局は自分が接した現実の記憶が基準にならざるを得ないのなら、それを認めて公共発信の論調を組まないと、誰にも興味を持ってもらえなくなるのは当たり前である。

 まあまだまだ日中の暑さは続くし、ならば毎日その始まりと終わりに冷蔵コーヒーとビールが美味すぎて号泣できる季節が続くということだ。
 この切実な訴えに勝つハナシでないと世論は振り向かない。光る涙にグッドラック!
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