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【1190】終夏間近のほろ酔い頭脳インターセクション [ビジネス]

 8月も後半になり、最近の小学校なんかは8月のうちに二学期が始まるパターンが珍しくなくなっている反面、大学は7月いっぱいを試験までやり切って前期を終えておいて、9月の半ばあるいはそれ以上まで夏休みにしているところも多いと聞く。まあいずれにしても夏休みの終点を意識する時期ですかね。
 私の大学一般教養課程時代は7月上旬に前期講義が終了、2ヶ月休んだら9月半ばに始業してすぐ前期試験という、嬉しいんだかツラいんだかよく判らないスケジュールだったため、だいたい8月後半になると夏休み中ちょっと疎遠になっていた学友ネットワークが動き出し、課題レポートの対応措置に取り掛かるのが常であった。

 夏の高校野球が決勝戦を終えると『そろそろ感』が訪れる。
 おっとそうそう、さっそくの横道になるのだけれど、私は小さい頃インドア派の工作少年だったこともありプロ野球にはとんと興味が無かった。それでも甲子園の高校野球の方は、全試合とはいかないまでも他に観たいテレビ番組が見当たらなかった場合など、ちょくちょく観ていたものである。

 高度経済成長期から昭和末期の時代、プロ野球は日本社会における家庭の大黒柱=サラリーマンの代表的娯楽のトップアイテムであった。プロ野球中継さえ流しておけば文句なしに最高の視聴率が取れたし、逆に定刻通り試合中継を中断して次の番組を始めようものなら、日本全国に巣食う大多数勢力のプロ野球ファンから、放送局へ雨あられの抗議の電話が殺到したことと思われる。
 プロ野球の試合が長引くと、次に続くはずの番組はどんどん先送りにされ、更には放送開始の遅れ代がタダゴトでなくなると中止される場合もよくあったのだ。さんざん待たされた挙句に中止、というのは興味の無い向きにとって実に腹立たしく、このくだらない慣習が元で『興味が無い』では済まなくなって『プロ野球アンチ』にまで重篤化した自覚を持つのは、この私だけではあるまい。
 何しろ試合中継の終了時間はまさにオンゴーイングで進行する試合の展開次第だから、だいたい正時から15分刻みで何度も何度も、見たくもない試合中継をチェックして告知テロップを探さなければならないのだ。当時のことだから、放送されるはずだった番組をいつ放送するのかの情報収集は、その瞬間のテロップを逃さず直接目視確認する以外に方法が無かったのである。

 こんな時、もう押しも押されもしない日本社会の国民的エンタメの王座を決め込んでふんぞり返り、チェンジではロクでもないザコ野手がだらりんだらりん歩いてベンチに戻ってくるし、交代の投手がマウンドまでおまるみたいな幼稚なカートに鎮座して出て来るし、いい大人があほ丸出しの自意識過剰を集団狂気で祭り上げて喜ぶその異常な構図に我慢できなくなり、もうイライラも頂点に達し切って怒髪天を衝くもいいところの怒声で、画面に向かって一体何度『さっさと走れ、このドクズ!』と叫んだことやら。ホントに、あんなものを笑って観ていられるヤツが大勢いたとは今も信じられない。
 この一点だけで、速やかに走ってチェンジして、交代から何からちゃっちゃと進む高校野球を、格別の好印象で眺めるには十分な理由だったのだ。

 まあいいや、そんなこんなで高校野球が全日程を終えて閉幕する時期になると、俄かに電話で連絡を取り合って終夏の飲み屋で提出課題の交渉会議が始まるのである。
 まず書面レポートなんかは先に仕上げた優秀な連中に見せてもらい、必要ならその場から席を中座して近くのコンビニでコピーさせてもらう。代償はその場の支払いに反映させればよい。
 また工学部ならではの製図やプログラミングなどについては、自分が得意な課題を友達のぶん引き受ける代わりに、自分が苦手な課題を引き受けてもらうのだ。実際、不器用で烏口製図なんか死んでもやりたくないヤツはいて、そこが大得意だった私なのだが…

 当時の私は夏のライブ活動が大好きなロック漬けの音楽バカ、工具を手に油まみれでポンコツ中古車をいじって喜んでいた原始人、その自覚で超アナログ人間を自称して悦に入っていた人生年表期なので【733】、まず基本的にフォートラン・プログラミングなんかは食わず嫌いの心象も加わってキョーレツに苦手だった。
 個人ユースの、まさにパーソナル・コンピューターなんかこの世に存在せず、コンピューター・プログラミングの専門性がもっともっと狭く小規模だった頃、よく私が捏ねていた『嫌いな理屈』がある。

 プログラミング言語って、やたら『日本円マーク』や『米ドルマーク』などが、本来の意味と無関係に使われており、それがプログラミング文法の規則体系の基礎となっているではないですか。もともと違う意味の表記に開発された文字を、他意のプログラミング専用文字に転用するセンスがどうにも気色悪い。あの暗号めいた謎の文字列を普通に受容する思考世界に組み合う気がどうしても起こらない、解るでしょ…と。
 手元の関数電卓レベルのポケットコンピューターで扱うベーシック・プログラムの方が、まだ”PRINT”=『画面表示させる』だとか、”BEEP”=『通知音を鳴らす』だとか、”END”=『一連の動作プログラム、ここまで』だとか、一般人の人間的言語感覚に馴染むと思うぞ【442】

 今の私なら、プログラミング専用の新・表記文字体系なんぞゼロ起案しなくとも、既存の軽い文字コードの流用で作業や判断のミスが起こらないのならそっちが得策だろうな…と考えも及んだのだろうし、だったらだったで興味も持てたのかも知れない。だが当時の私にそこまでの知能は無かった。
 そんなワケで、もう何をやらせる目的機能の課題だったのか一切忘れたが、フォートラン・プログラミングは完全に他人任せとなり、ナニがどうなったんだか知らんが課題は提出できて、単位も無事にもらった。めでたしめでたし。

 因みに、確かこの友人と何度か引き換えで請け負った製図の課題の中に『個人住宅』のテーマがあり、私は当時そろそろ個人用に出回り始めた2Dプリンターの店頭展示をよく見に行って、たまたまデモ描画されていた二階建て木造住宅の図面を手に入れていたので題材として提案、それを提出物相応にダウングレードする形で手を打ってもらって引き受けた記憶がある。
 いっぽう自分名義のぶんは得意分野でもあるし実力を奮って取り組む訳だが、今日のキャンプ場では珍しくなくなった曲線ピラミッド型テントのような形状の住宅を描いたことを憶えている。弾力性の骨を十文字に交差させ、よっつの端部をびよんと下向きに湾曲させて交差点を頂点天井にして支えるやつあるでしょ、あんな感じだ。
 詳細を語り出すと分量がえらいことになりそうなので今回は端折るが、ちょうどアントニオ・ガウディがサグラダ・ファミリアの建設で開発および実地適用したとされる『さかさ吊り』設計手法とコンセプトは同じであった。

 紐を一本用意して天井の2点に両端を結び付けると真ん中が垂れ下がるが、この紐を細かく区切って当該部位の建築部材の重量に相当するおもりをぶら下げていく。紐は多角形っぽい放物線みたいな形になるが、これは紐をまっすぐ引張る張力の釣り合いが自然に描いた形状だ。
 ならば上下を逆転した時、この多角形っぽい放物線の概形通りに強度構造部材を組めば、各部は自重を全て支柱形状の軸方向の圧縮荷重として受けることになるはずで、だからガウディは19世紀のうちにあの恐るべきスケールの石造りの教会を現実のモノとして起工するGO決心ができたのである。

 もちろん現代では重力の作用線に沿って素直に鉛直方向に支柱を立てていくのが効率的な一般解だが、その常識をひっくり返して度肝を抜いてやろうと新・設計思想を思いついたつもりの、得意気なサル知能の愚かな私であった。
 偶然その直後、私は某百貨店で開催された『ガウディ展』にて、当時にして100年以上前に軽く100倍級のサグラダ・ファミリアを着工していた先人を知ることになる。逆に芯から度肝を抜かれ、まさにぐうの音も出ない圧倒的完敗を認めざるを得なかった。
 …あ、もとより戦いになってないっすね、ごめんあそばせ♪

 私はその後、機械屋にしては結構な深さまで建築・土木にも踏み込むことになる。

 イケナイ反則は論外だが、ただのだらしないサボりで後悔するような自分の弱点にもならないと腹が括れるなら、こういう共同体制で楽しみながら課題を片付けるというのもアリだろう。
 何に限らずだが『面白くして実のある刈り取りを喰う』ところに手を抜かないよう。
 その宿題、面白くなくはない、嫌なものでもない。楽しんで頑張れ、グッドラック!
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