SSブログ

【1188】日独ダブルイメージの青春官能小説 [ビジネス]

 さて、盆休みだ。なんとも嫌なタイミングで台風が来てるんだけど。

 次回は時節からして不謹慎な話題は避けたいし、真夏のこの一回は肩の力を抜いてアホな学生時代の思い出話にでもしておこうか。
 NHK朝ドラ『らんまん』でマンタローは、東大植物学研究室のハタノくんをして『語学の天才』と呼んでおり、なるほど彼はドイツ語の本をすらすらと読んでいた。うお。

 いや、ドイツに生まれて育って住んで暮らしてのドイツ人なら、子供でも普通にドイツ語をしゃべるんだろうけれど、それすら『ホントかよ?』と疑いたくなるほどドイツ語はムツカシイ。
 私の大学時代、工学部の一般教養単位の第一外国語は英語、第二外国語はドイツ語orフランス語の二択となっていた。むむむ、どっちもあんまり気が乗らないぞ…
 それでもやはり世界的工業技術帝国のイメージが効くのか、大半がドイツ語を選択しておりフランス語は2,3人しかいなかったと思う。時にこういう場合、仲間の多い講義の方がノートが手に入りやすいとか、レポートを見せてもらいやすいとか、うまく手を抜くのに便利だ。

 しかし気の向かない勉強なんか放り出したいだけの大学生に、ゼロからドイツ語を教えようというのだから過酷な試みである。だいたいドイツ語ってなんであんなに無駄に複雑なんだ?
 一応、スペリングに見えている文字を規則通りに発音しておけば、音読は可能だ。だがそこまでだ。
 『読めるけど意味が解らん』、まずこれが我々のドイツ語の定番イメージである。

 次に嫌なのが数字で、アタマから読んできて何故か最後にイチの桁と十の桁の順番が逆転する。『1234=せんにひゃく、よんとさんじゅう』である。
 しかも普通にアラビア数字で書かずにアルファベット書きに開いた場合、空白を入れず一気につなげて書くもんだから、ぱっと見た瞬間に何の単語だか見当がつかない。
 なんでまたこんな非効率な規律世界が組み上がったのだろうか。もしかして暗号が起源だったりするのではないか…と勘繰りたくなるほど、ドイツ語の数え方は凡人の感性を寄せ付けない。

 だがこんなもの序の口であり、完全にお手上げなのが文法である。
 英語なら少々の例外はあるものの、原形が”play”で過去形が”played”で過去分詞形も”played”、あと現在分詞が”playing”と、キホン原形の後ろに活用語尾が足し算される法則があるではないですか。
 これがドイツ語となると、もう意味も何もすっかり忘れたが、原形が”gangen”(ガンゲン)はいいとして、活用すると”gegangen”(ゲガンゲン)だとかアタマの方に余計な接頭辞”ge-”が付いてきたりする。もちろん後ろの"-en"も妙なことになる。
 こういうのがそこここにあるため、ドイツ語には『意味を知りたくても辞書が引けない』という強烈なハードルがあるのだ。発音だけできたところで、そこから一歩も前に進めないのが鉄壁のドイツ語である。

 これでまあ大概の論文は英語で済んでしまうとなると、大学生が習得の目的意識を持つはずもなく、ドイツ語は完全に単位履修の手段としてだけ処理されるのであった。
 恐らく教壇に立つ側もこの事情はよく理解していたはずで、試験そのものをすっぽかすとか、勉強しようとした姿勢の痕跡もない駄回答だとか、よっぽどのことが無い限りは単位をやることとして、それならそれで自分もユルくリキまず学生相手に好きなドイツ語漫談ができれば良し、ぐらいの意識だったのではないかと思われる。
 そこでというか、当時の我々のドイツ語読解の講義において教科書として指定されたのは、短編のサブカル系小説であった。

 いわゆる単行本サイズだったが、タイトルは完全に忘れた。
 孤独な少年がいつも一人時間を過ごす秘密の場所があり、それが以前にも話題にした『やな』である【1082】
 日本だと『観光やな』のような、川の途中に竹組みの物干し台みたいなのを作って魚を打ち上げさせるタイプが連想されるが、この小説の作中ではもっと地味で、水打ち際のアシ原のなか仕掛けた漁師がたまに覗きに来て獲物を引き上げる…というスタイルのものだと想像された。
 だいたい日本の『やな』も知らない年齢だったのに、あれからこれから完全お手上げのドイツ語で、ドイツの『やな』のハナシなんぞされて何を理解できるというのだ。テキトーでいい。

 まあいいや、とにかく少年は日課として『やな』で孤独な時間を過ごしていた。すると珍しく一人の若い男が一艘の小舟を漕ぎ、アシをかきわけながら現れたのである。
 少年がふと見ると、小舟からは女の足が伸びており、ぴくりとも動かない。

 この手の小説なので当然と言うか、少年は騒ぎもとり乱しもせず、社会から浮いた者同士の孤独な秘密時間の偶然の接触として、余計なことを詮索しない淡々とした会話が交わされる。
 お察しの通り、若い男は何らかの事情で女性を殺害し、恐らくは遺体の処分のためにその場を訪れたのだろう。そしたら少年がいた。そういうことである。
 ラストはこれまた忘却の彼方なのだが、確かそのまま男は小舟を漕ぎ去り、少年はいつも通り帰宅したんじゃなかったっけ。なるほどこのトシで振り返って、ドイツ語読解の講師が何とか男子大学生に興味を持たせようとした工夫が察せられる。

 さて本題はここからである。
 せいぜい類人猿程度の知能しか持っていない大学の1、2年生でも、50人だか70人だか集めると、数人ぐらいは人間の素性として真面目にドイツ語に対峙しようとする人材がいるものだ。因みにこれだけいて女子は2人しかおらず『機械技術はオトコの学域』という常識がまかり通っていた時代が窺われる。
 さてある日、とある一人が講義の途中を我慢できず寝てしまい、ずっと起きて聞いていたマジメ人種に先生の講義した対訳文について教えてもらっていた時のこと。このマジメ男はちゃんと聞いていたはずなのに、対訳ストーリーがえらく歪曲されていて、ところどころ聞いていただけのスカ野郎ども含めて周囲の全員に大笑いされたのである。

 まず『オンナが舟に横たわっていた』という論点は正しかったのだが、死体という認識がすっぽり抜け落ちたとらえ方をしていたので、何とも裏含みのない間抜けなハナシにしか聞こえず全然小説っぽくない。
 しかも『小舟から突き出した足は、踵の無い靴を履いていた』という描写を『オンナが処女であることを意味する』として話すもんだから、聞いている方は雲をつかむように意味が解らない。そこへ。

 『違うだろ、それオンナが妊婦であることを意味してる、だろーが!』と、大してマジメではないが面白がってちゃんと解説を聞いてた他のヤツが横からツッコんできて、『ああー!なるほどー!』と全員が腑に落ちた。

 いやあ、そりゃもう『オマエ、一体ナニ考えて誰のハナシ聞いてたんだ!』と全員が腹を抱えて涙流して激笑したワケだが、たぶん『人目の無いアシ原に紛れて男女仲良くそういう時間を過ごしていました』とする微笑ましい解釈が、先に彼の頭の中にできあがってしまい、耳から入ってくる先生の言語情報が全てその前提に辻褄を合わす方向で論理構築されていったものと思われる。
 ええ、間違いなく元気で性格の明るい、とてもいいヤツでしたよ。

 『都会プールのうんこするとこしかない便所』【1070】と併せて、ヒトとは決して五感で得た現状認知データを元に、誰もが直感する素直な情報処理で状況理解しているのではないと私が考えるに到った、貴重な体験事実の記憶である。
 若い男というのは本当にバカであり、つくづくアタマの中がそういう方向にしか行かない造りになっている。『思考』なんて呼ぶ情報処理の姿は、ただの後付けの幻影じゃないのか。

 天候不順の盆休みなら、アタマの柔軟体操でインドア娯楽。お気楽にグッドラック!
nice!(12)  コメント(0)