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【1121】諸人こぞりて、若人来たりて泣き笑いの夜 [ビジネス]

 次回はイブの夜も明けたクリスマス当日か。気付くとちょっとびっくりする。
 ちょっと前まで師走になるやならずで、もう街じゅうクリスマス一色だったのに。
 つまり日本社会が貧乏で『もうクリスマスどころじゃなくなってる』ってことさ。

 改めて、冒頭で繰り返しておこう。
 可及的速やかに消費税率を一律5%にするのが日本経済改善の急務である。

 市場の不況というのは、文字通り経済市場の現場における通貨の動きが額も件数も少なくなって、活気が失われた状態のことだ。『経済市場におけるカネ廻り』を強化するためには、少々無理をしてでも徴税を減らして、なけなしの支払い能力を総力戦で一般市場のカネ廻り駆動力に振り向けるしかない。
 市場経済操作の原理原則、基本中の基本であり、故に今すっかりその話をとぼけて『増税せねばならない理由』『増税のもと暮らしはどうなる』みたいな言論をしているヤツは、経済学者でもエコノミストでもない。見聞きする必要もないし、偶然見聞きしてしまったなら、金輪際二度と見聞きしないことだ。

 早々に消費税率を一律5%にするべきだったし、そうしていれば買い物をする人たちの人出で今ごろ街にはあの賑わいが戻ってきていた。ガソリン税課税の停止をルール無視の不履行ですっとぼける違法行為もかれこれ一年以上を迎えているが、過去に根拠をもって決めたのなら実行しないと、当初の思考根拠に基づいて物事がこじれるのは当然である。現状ガソリン税制は『ユーザーたる国民に金銭面の損害を発生させている』という観点で犯罪性のある違法行為であり、社会的に損害が出るのも必然なのだ。

 さて日銀のクロちゃんがいきなり事実上の利上げを発表、どうせ来春までの任期だし『クロちゃんも経済原理に基づく正攻法をひとつぐらいはやった』という事実を作っておきたかったのだろうか。『日銀、ナニやってたんだー!』の批判に対して『ナニもやらなかったワケじゃない』と言い返す根拠がひとつできた、それだけのことである。

 『利上げ』というのは、日銀が市中銀行に貸し付けた運転資金の利子が上がることなので、つまり市中銀行は一般経済市場から多額の日本円を召し上げて、日銀に返済せねばならない債務を負う。つまり『市場に出回り過ぎたカネを減らす操作=インフレ抑制策』ということになる。よろしいかな?
 まあ確かに、すっかり価値創出パワーを失くした日本円経済圏で、権力めかして日本円を欲しがるヤツに欲しいだけばら撒くため、将来世代の借金だってことにして無制限に日本円を刷って市場流出させたんだから、何か合法的な処理プロセスをもって市場から剝ぎ取らないと元の釣り合いには戻らない。
 『近年の経済停滞は、国政に言われるままに日本円を市場にタレ流した無能で愚かな素人クロちゃんのせい』とする物証を隠滅するための、何だかムツカシくて一般人にはよく理解できない財政工作として、この利上げは有効策に思えたのかね。

 ただこの金利は、中央と市中の銀行間で交わされるだけの何だかムツカシイ雲上の契約ゴトには終わらない。わかりやすくは一般庶民にとって人生で最高額の買い物である住宅の分割払い、つまり住宅ローンの金利となって日常生活に課金される。
 利上げされると、その利率でマイホーム購入した人はローン返済期間にわたって、日銀の日本円回収処置に率先して高額支払で応える立場となる。せっかくのその経済力があるからこそマイホーム購入を思い立つんだろうが、けれどそのお支払いが失政の後始末たる中央銀行のカネ回収に消えていくなんてまっぴら御免!ってのも無理ない心情で、これは市場に潜在する経済駆動力に水を差すことになるのが解るだろう。
 それでもまだ個人のマイホーム購入は嫌気が差して諦めれば済むけれど、市銀から融資を受け資金繰りして事業を回し、売上を得て返済しながらやり繰っている事業者は、そうは行かない。収入増と支出減の両面で、死んでも埋め合わせないと行き詰まる。

 年明けからの春闘を控えた今、国政が日本じゅうの企業に『賃上げしろ=市場に多額のカネを払え』と呼び掛けているのに、こんな矛盾するカネ剥奪の金利操作をやったら日本経済が混乱して無駄な工数が浪費されるばかり、ますます不況に拍車がかかるだけじゃん…とする当然の猛批判を恐れて、クロちゃんは『これは利上げではない』とか何とか意味不明の言い訳してんだよな。片手落ちというにも辻褄破綻のレベルが低すぎて、国家の政策のあっち側とこっち側として、こんな実現性の無い矛盾を、右も左も判らないような老人が読み上げて済んでいる光景が信じられない。
 利上げそのものも、この出来の悪い言い訳も、今さらクロちゃんの知能の産物だとは誰も思ってない訳だが、つくづくどうしようもない組織ぐるみの無能っぷりである。

 ここまで解れば、まず『無限増殖する日本円に対して、ようやくインフレ抑制策が採られた』とする査定意識を反映したぶん為替は円高方向には動くんだろうけど、だからって1ドル130円台は明らかに不自然だと見定めるのが常識的な感覚というものだろう。
 またしても裏で覆面ナンタラをやらかしているのは確実だし、その程度どうせみんな見抜いているから、本来価値としての日本社会の潜在経済力はシビアに買い叩かれて、平均株価が大幅に下がったりもしてるんだろうな。
 簡単なハナシで『消費税の一律5%引き下げ』『既定のガソリン税撤廃の順法施行』、この二項目だけでも国民景気マインド刷新効果は十分大きく、水面下のむっつりインチキ介入なんかやらなくても円高・株高への有効変化点は作れるはずなのだ。

 NHK朝ドラの悠人お兄ちゃん、映画”THE BIG SHORT”『マネー・ショート』のアウトサイダー側の役回りになったか、こいつは面白そうだ。若い子は少々粗削りでも尖ってても全然構わないし、同調気質の日本人でなくとも『みんなそうしてるから』の市場動向に引張られやすい原理が働く投資バトルフィールドで、リーマン・ショックを見抜けるくらいモノになってるって設定は、イ~イ線でヒネリが効いてると思う。
 ちょっと鼻につくヤなヤツだからって失脚する訳でもないし、失脚したからって人好きのする好人物にスイッチするものでもない。大事なのは、自分のスキルを正々堂々通用する価値に換え生存手段にして、世間や対人関係と組み合って生き抜いていく居場所を確立することである。
 サル山でボスの名札がついているヤツを探して、サル山マップの中で周囲との相対位置ばっかり椅子取り競争して無難に収まり、こぼれてくる齧り痕のあるエサやうんこ付きのおさがりボロ毛布をトクにして喜ぶようなサル生涯を過ごすようなことになっちまったら、それこそ人間オシマイだ。

 昨今テレビをつけた瞬間に偶然見てしまう画像だとか、売店や飲食店で見かける新聞の一面だとか、チラチラ目に飛び込んでくる公共情報が、意外なほど戦争や戦意の喧伝ばかりになっていて驚く。こんなもん誰が見るんだ?いや誰も見てないのが前提か。
 九段下の昭和館に行ってみな。戦時中の新聞・雑誌に大本営ポスターなどなど、どれもこれも戦争一色なのがよくわかる。今こそ1億団結、贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは。
 昭和ひとケタから10年代の頃、例えば『カムカムエブリバディ』の安子ちゃんが旦那と出会って死別するあたりの時代、そもそも雑誌というメディア自体が一般庶民にとっては手の届かない貴重品だったのだが、そんな当時から『婦人公論』だっけか『婦人百科』だっけかは存在していた。婦人雑誌の歴史は古いのである。

 その個人蔵の取り置きを何冊か見せてもらったことがあるのだが、対象読者層はもちろん高所得の家柄の専業主婦、しかも男の子が必ずいるという家族構成まで特定されていた。『この嫁は男の子を生まない』という理由で家系にとって存在価値なしとされ、三くだり半を叩きつけて離縁するような仕打ちがまかり通っていた時代だ。
 そしてその誌面の多くが大東亜戦争の男の子向け解説となっており、2ページ見開きで満州国や南洋まで拡がる大東亜共栄圏の図説がなされ、さらに敵対国との紛争境界線がそのあちこちを縁取っている。
 勇敢な大和男児を鼓舞するコラムの執筆者がまた戦史の超有名どころたる大御所揃いで、しかも厚紙の綴じ込み付録は軍艦のペーパークラフト…とまあ完全に少年雑誌化されていて、当時の世風を切々と窺い知れて非常に興味深かった。つまり全メディアが隅々まで戦争一色になっていたのである。

 再びナウ日常生活現場に視線を戻して、ああファッション雑誌も芸能雑誌も音楽雑誌もいつも通りの平和ニッポン、アジア一帯を恐怖と萎縮に陥れた侵略の軍事帝国は遠い時空の遥か向こう…ってことで安心して良いのだろうか。
 すっかり死滅した左巻き平和狂信人種の後を引き継いで、この私が現状を指差し『軍国ニッポン、戦争ニッポンへの大転換』なる緊急警告を叫ぶつもりなどない。
 だが、もしかして文明以前の野生的な原始欲をヒトの理性で自制できない黄色いサルが、民主主義議会制法治社会に自由競争経済市場などのシステム法則作動を実地運用できず、カネに困り、成果の実感に困り、思考停止で隷従する手下どもとしくじり組織御破算の自爆テロを目論んだ時の発現モードが、昔も今もこういうパターンになるのではないかと、少し気になっている。
 キホン自己防衛には、他者に施して他者を幸福にする成果物の概念=生産性が無い。労力をかけて強がり、相手を壊す機能にしかならないのだ。必要最低限以上にこんなものの盲目的な増強を叫ぶからには、よっぽど手が尽きて進むべき道を見出せずに、自分の平静を取り繕う見栄の余裕が干上がっているのではないかと見受けるのである。

 『歴史は繰り返す』の通説のもと、世界大恐慌の国際情勢から大東亜戦争に向かった昭和ニッポンの姿を脳内再生する必要は無い。だが生命の進化には時間がかかるものであり、人類文明の拮抗と衝突で生じた世界大戦の影響をいくらか受けたにせよ、豊かな日本列島に恵まれて能天気に育った黄色いサルは、人類文明の理知性の時空間に同化するまでには今なお到達できていないのではないだろうか。

 悠人お兄ちゃんなんかは人類フェーズへ斬り込む果敢な開拓者に見えるし、子供たち若者たち、しっかり心身鍛えて真面目に物事考えて、いつかサル山のバカ騒ぎでない高度なクリスマスを創り上げるがよろしい。
 人類の心中でイエス・キリストを唸らせ、腹抱えて笑わせてみな。聖夜も御幸運を!
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