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【1122】ココロ新旧、歴史と伝説のヒストリア探訪 [ビジネス]

 さてイブ明けのクリスマス当日である。そろそろその一日が終わるけど。
 知ってる範囲のカタチだけでも、精一杯の想像だけの真似事でも、キリスト教という精神文化に敬意を表し感謝しよう。そもそも誰がナニして、なんでイエス・キリストが信仰の対象になっているのか。その世界観を共有すると、どんな理屈で人生に良いコトあって、ココロ充実して幸せになれるのか。
 私も詳しくないんだけど、そこに真剣な興味を持って学び、ただ自分ら勝手放題に遊んで騒ぐだけでないクリスマスを過ごせるようになり、キリスト教が説く慈愛の概念を習得して満足感の高い精神生活を送れるようになったなら、それこそが『宗教』という人類文明の本来意義というものだろう。

 同じ観点でナントカ学会やナントカ教会を対比させてみると良いのかもしれない。
 これまた詳しくなくて申し訳ないんだが、ナントカ学会って確か戦後の発祥だと聞いた記憶がある。『北日本出身の生活困窮者にとっての心の拠り所』とするべく、その目的を掲げて開発された寄合集団が原点だというハナシであった。
 わざわざ突込んでその真偽を確かめるほど私は暇ではない。悪しからず。

 今世紀に入ってこそ東北新幹線からナニから首都東京に直接アクセスして、日本中どっちからどっちへでも縦横無尽が叶っているが、1990年代ではまだ北関東以北からの鉄道アクセスは上野で一回、明確に切れていたのを思い出す。
 上野で一回降りて、もうそこは東京のど真ん中のはずなのに、妙に未整備のせせこましい階段やら舗装の荒れたそこらへんの歩道やら、薄汚れた垢抜けない鉄橋のたもとみたいなところも段差を喰らいまくりながら歩いて、改めて山手線の構内から都心一円の交通フェーズにようやっと乗っかるとか、そんな感じだったのだ。荷物の多い出張の時なんか、サムソナイトのキャスターが普通に転がらないし、上野を通過する旅程があると忌々しい心象に苛まれたものである。
 なお昭和の演歌なんかで妙に上野駅がドラマチックな扱いになっている理由がこれであり、当時の中高年層の脳内では東海道とは全く別区画の、哀愁漂う日本の上半分がそこから先に拡がっていた。

 終戦直後の昭和20年すぐ、総国力の落ちた日本社会で更に困窮した北日本から、大勢の国民が生きていくため殆ど身ひとつ同然で上京してきた。どうにか転がり込んだ先で雨風を凌ぎ食いつなぎながら、焼け野原からの経済復興の片隅に住み着いたのである。社会構造としての規律が瓦解しチカラずくの実力主義も横行する中、労働基準も何もあったものではない厳しい条件のもと、上京組は貧しく心もとない日常生活を余儀なくされていたという。
 こんな所縁の人々がなけなしの生活力を共有し、身元を固定しながら少しでも豊かに暮らすため、身を寄せ合って協力するコミュニティを形成した。
 もとはこれがナントカ学会の原点なのだというハナシだったのだ。それが真実だとして、ここまでなら戦後日本の経済構造が作り出した地方出身者の生活保障の歴史の産物ってことで、決して日本社会にいきなり歪みをもたらすものでもない。

 この寄合組織、成り立ちからして精神的な結束力は固かったはずである反面、運営資本の方は貧弱で質素だったのは間違いない。
 『だから』、優遇税制などを利用するため『宗教法人』の組織枠を狙って後付けした意図があったのだとすると、ここからハナシは捻じれてくる。私が無知なだけならば申し訳ないのだが、それにしてもナントカ学会に関して、その宗教ブランドが語る定番の精神世界ストーリーがあまりに見えなさ過ぎるのだ。
 ナントカ学会の宗教性を量る私の知識はここまで。有名なんだし、誰かオオヤケ面前で軽くでも布教してみてくれよ。

 いわんやナントカ教会となるとその結成の謂れさえ聞いたことが無く、ナントカ学会にしてもナントカ教会にしても、行政上の宗教法人枠を適用する必然性が全く見えない。毎月100万円の税金を使途も明かさず使い捨てる無能役立たずの国会議員どもが、こんなものを『とにかくイチ宗教である』ことを前提にした挙句、政教分離の原則の再確認も再徹底も結論を出さずに時間切れにしてしまった。
 もっともこういうのは『ナントカ学会やナントカ教会の集金マシン・集票マシンとしての機能』にも『現職国会議員の次期以降の支持率』にも跳ね返るだろうことはみんな判ってるんだろうな。
 だからこそ将来の安定した実益作動は諦めて今だけでも、宗教法人枠を隠れ蓑にしたままで政治団体の組織合法性を維持すべく、これらに群がっていた連中にとっては背水の陣で走り切ったことが窺える。かつての素朴な弱者寄合は、いま政権寄生虫のカネと票の生命線を牛耳る巨大宿主になっているワケだ。

 こうして見ると日本社会の政治も経済も、そんなに確固とした完成度で組み上がっていた理想形が崩れてきてこの現状、という流れでもないのかも知れない。
 もともと日本列島には農林水産業を主体にした地元各々の自然環境なりの生活があり、草木や海に囲まれて、農村も漁村も人々は集落単位で共同生活していたので、そんなに経済市場やカネが必要になる場面も無かったのではないだろうか。このとってもSDGsなネイチャー生活形態がずっとそれで続くのなら、集落のサル山単位で『生物としての人間の生存方策』はひと通り完結できそうに思う。

 だがいち早く近代経済や産業革命に目覚めた欧米列強が世界地図上で植民地支配圏の塗り分け競争を始めてしまい、日本はその一色にされないうちに一気に開国して、国際勢力と同じ土俵に上がらなければならなくなった。欧米相当にカネも要るし、工業も土木建築も要る。首都圏およびその近隣の有力者を中心に国家体制を整え、近代文明アイテムを急造せねばならなくなったのだ。一夜漬けで受験戦争への飛込み参加である。

 古式ニッポンのサル山構造だとはいえ一応その有力ポストにいるということは、前人類的ながらも、いや前人類的であるからこそ、ガチに優秀で賢く強い個体が血統を紡いでその座についていた確率は高かったと思われ、日本国はその総力を結集して海外先進国に必死に学び、近代文明パワーとしての国際級の国力構築に励んだ。大慌てで習得した先進技術は、日本列島の豊かな自然に鍛えられた理解力と創造力にみるみる吸収され『日本に洩らすとあっという間に模倣され、お株を奪われて自国産業を脅かされるぞ』と警戒の示し合わせを呼ぶまでになる。
 この過程で『衝突し滅ぼし合ってきた国際標準』に対して『共助協力し共栄してきた君が代メンタリティ』が極東各国の仲間たちを集め、独自の『大東亜共栄圏』という一大自治エリアとして名乗りを上げたのである。

 ここにこそ日本国が『大東亜戦争』と銘打って連合国軍に敵対宣言した根拠があると思う。かつて日本国は『世界地図のサル山で、ボス役の国の言いなりに従わない、手下にならない独自チーム結成を主張した』のである。これを『リーダーシップ』という。

 『思考と複雑高度化を繰り返す先進文明 vs 豊かな自然環境との協調共生』
 本来これが大東亜戦争の総観スケール的な対峙の構図だったと思われるが、いかんせん先進文明の手にかかると自然環境派はひとたまりもなく破壊され滅ぼされてしまうため、千変万化の日本列島に恵まれ知恵と思考判断に長けた日本国は『負けて支配されないための先進文明への同化』の道を選んだ。
 日本国にとって先進文明は、支配されないために必要なものだったし、戦後に先進文明の国際ステージで成功する主な手段にもなった。だが先進文明は、生物学DNAレベルで決して『適性として手放しで日本人に向いているワケでもない』と理解しておかねばならないのではないか。

 大慌てで構築した近代社会システムが日本列島の隅々まで徹底されなかったから、終戦時点でなお未完成だった北日本の社会情勢が、先進文明の社会構造の成立要件=『政教分離』の英知ルールをすり抜けるような、『宗教法人仕立ての政治団体』を作り出す致命的な失敗の発端を作ってしまったのではないかと思うのである。失敗しつけ込まれた事実を認められない国政は、今もその核心を検証する議論を避け続ける。
 『自然の摂理の一面』といえばあながち悪い響きだけでもないのだが、所詮はヒトの知恵の無いサル畜生の動物本能の方が戦後ニッポンに蔓延してしまい、とにかくいつまで経っても文明根拠の正常作動に直せない。

 そうか、年末年始も近いし、東京に行ける若い人たちは靖國神社に遊就館、昭和館、皇居などなどちょこっとだけでも行っときな。真面目にそれ目当てで行き始めたらどうせ一回で済まないし、今回は時間が空いたらの行けるとこだけで十分だ。
 決して思い通りに国家組織を切り回してきた日本国じゃないけれど、どんな時も諦めたり投げ出したりせずに、1億2千万人日本人が幸せになることを願って頑張ってきた。我らが祖国の姿をよく見ておきたまえ。

 ありゃ、年内あと一回かよ。明るく年越す話題を考えつつ、今週もグッドラック!
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