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【906】少年の瞳に映った楽園の未来像 [ビジネス]

 若い人たちにとって、お隣の大陸は『資本主義世界市場と二極で対峙する、不思議な独自性の巨大経済圏』としてのイメージしか無いかも知れないが、我々昭和世代にとっては、長いこと『当代最新の資本主義経済から隔絶された未開の大秘境』であった。

 乱暴なたとえではあるが、今でいう半島の北側みたいな孤立したミステリアスな経済圏が、もっともっと広大に大陸規模で拡がっていたのである。対岸なのに『違う世界の未知の土地』であり、まあ万里の長城とか定番の観光地になっているような場所でもない限り、おいそれと旅行で歩き回ったりもできそうにない。
 ただその地を包む経済も技術も、国力全体が前時代風に朴訥で控えめでもあったため、資本主義の国際自由市場からは『ものの勘定に入らない』と軽視あるいは無視されていたように思う。確か当時で人口は7億とか8億とか言われていた。

 小・中学校時代の私の記憶では、すぐお隣の大陸に日本列島がいくつも収まるような面積の田舎があって、一律に人民服を着た貧富差のない人たちが各々決まった農地や工場で働き、そこから更に大陸奥地の砂漠地帯や山岳地帯に踏み込むとなると、田舎どころか完全に探検隊ぐらいしか見に行こうとも思わない、手つかずの荒野が無限に拡がる…とそんな想像力を掻き立てられたものだ。
 実際その時代に揃えたウチの百科事典を見るに、極限の地の古い遠景写真一枚に『いついつどこそこの国の調査隊が測量に入りました』という解説ぐらいしかされてなくて、地域一帯の地形や山頂高など、今になってみればかなり不正確な地図表記になっていたりもするのである。GPSなんか無かったしねえ。
 崑崙山脈、最高峰はウルグ・ムズターグで7,723メートル。因みにワタクシ山岳の趣味はありません。こんな地形の場所って一体どんな景色なんだろうと、そっちの興味でいろいろ調べたものである。

 そんな訳で、NHKが初めて長期取材を許可されたという『シルクロード』なんかは毎回とても楽しみに視聴していた。そこまで地学・考古学や民俗学に入れ込むような少年ではなかったにせよ、乾燥した果てしない大地の先に信じられない高峰が霞んで連なる景色の中、もちろん『シルクロード=絹の道路』といっても自動車がまともに走れるよう整備する世界観など微塵も無くかけ離れた、ただの『人が通る定番の動線』を、四輪駆動ジープや牛馬で苦難と共になぞっていく紀行番組には、激しく心を揺さぶられた。
 そこに行く現実の大変さを理解できてしまったこの都会育ちで根性なしのもやしっ子は、のちに先進文明の利器たちに目一杯ぬくぬくとあやかりながら、オーストラリアや北米の各地でそれっぽい地球の素顔に触れ、そこそこ好奇心を満たして今に到る。

 さて、これが平成に入って大陸で経済の自由化政策が進み、恐らくは国民の就業・起業の管理などが緩和されると同時に、何より他国がそこに拠点を置いて経済活動を行うことまで制限が解かれたのである。
 独自の経済圏で純粋培養(?)されていた素朴な労働力は、栄華を競う自由市場において賃金が高騰していた製造業の労働力よりも、文字通り桁違いに安価でタフなものであったため『世界の工場』となり、全世界を席巻することとなる。そして経済成長の呼び声のもと、みるみる資本主義世界市場と遜色ない作動点にまで達してしまった。
 ふたケタ億人という莫大な人口を擁する大国ゆえ、まだ資本主義原理の経済市場を開拓する余地は残っているとする説もあるが、だとすると今もうちょっと見えやすい勢いの残り火があるはずではないかなあと、個人的には見受けているのだが。

 こんな回想に浸っていると、この日本国で資本主義の高度経済成長のまっただ中に身を置いて、そんなお隣の変遷を眺めてきた我々昭和世代は、現代の若年層に比べて『資本主義vs共産主義のリアルな対比で感じるメリットとデメリット』をよく知っているとして良かろう。そのアタマで、現状ニッポンの経済政策に目を向けてみる。

 コトここに到るまでの経緯はごそっと別の話にするとして、いま『国政に対して国民の側からブレーキをかけた』カタチになっているGo toナントカを、それ単独で仕組みとしてだけ考えてみよう。
 端的に『何の対価でもないカネが国から国民に渡される』という一点において、これは資本主義経済の自由市場原理に即していない。そう、共産主義の仕組みそのものなのである。

 再び小学生時代の会話を思い出す。
 『みんな均等に仕事して同額のお金をもらって暮らすって、不満も出ないし自然な国の治め方だと思うけど、どうしてみんなそうしないの?』なんて言ってたものだ。
 『それをやると決まった…というか決められた仕事をただこなすだけの人間ばかりになってしまい、国内としては平等で平和なのかも知れないけど、もっと良いコト凄いコトを誰も求めなくなってしまって、国全体が豊かになっていかないのですよ』
 こう解説され、確かにお隣の半島や大陸っていかにも時代遅れの第一次産業主体の後進国に見えたし、当時はソビエト連邦から東欧一帯が共産主義圏となっており、西側の資本主義圏と世界地図を二分するこのあたりも総じて、どお~も垢抜けない貧乏国家という雰囲気を強く感じたものだ。

 で、小学生の次の疑問としては『みんな平等で平和に暮らしているはずなのに、どうして軒並み一部少数の支配階級制みたいな国ばかりが目立つのかなあ』というところへ向くのである。

 これは後に『国家組織にただ均等に与えられた条件のもとで生かされて暮らす人民は、何もかも管理されることになる。何か不満を感じて現状打破で国に跳ね返そうとしても、都合が悪いとされて自在に封じられてしまうからだよ』、更には『人間は他人と均等に甘んじて満足な幸福感に落ち着く生物ではないため、手段を選ばず支配階級の立場に潜り込もうとするものなのだ』という、オトナ領域の知識に繋がっていく。

 『みんな等しく平和な理想郷』は、人間が成す組織の現実と戦いながら『あるべき姿』を発信し続ける。
 他国にも、国際世論にも耳を貸さず、ただ頑なな思い込みを、一方的に。
 かつて昭和世代が日本国の後ろに見たつもりの大陸や半島の北側って、このままなりゆきに任せた我等が日本国の未来の姿なのではないだろうか。

 だから、絶対にこのままなりゆきに任せてはならず、まず第一に国民主権の民主主義議会制を解って固守し、また日本経済市場の資本主義原理を、基礎に立ち戻って、その再構築の工程を考え直す必要がある。
 せっかくの年末年始に切実な思いをしているお商売の方も多いと思うが、好きに稼ぐ自由を失ってしまっては元も子もない。どうか生き抜いて、再び御一緒しましょう。引き続き、御幸運を!
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