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【898】手の届く不信と手の届かない信用の遠近差 [ビジネス]

 私の言う通りっちゃ言う通りだったワケだが、あらまホントかよ?という感じだ。
 大阪市がコロッと大阪都構想の追加コスト218億円を撤回してしまった。

 今ここで、大阪都構想の賛成か反対かに関連付けてどうたらという議論をするつもりなんぞないのだけれど、そんな『財務にとって全く関係のない周辺事情』に揺さぶられることなく、社会のルール=カネ経済の真理として、かかる費用はかかるんだし、だからそのぶんをどこからどう調達するか、数字の辻褄を正確に見極めて合わせるのが財務屋の仕事だろ?
 不採算を知りながらグズグズ言い出せずに組織全体が動いてしまった場合、ノーチョイスで組織力を浪費した末に、みんな巻き添え一蓮托生での財務破綻にしか行きつかないワケで。

 だから財務屋というのは、カネ経済の真理にのみ忠実に従い、カネ経済の神さまにのみ導かれる者として、そこらの一部都合の利害なんかとは完全に縁の切れた世界に生きる、ある意味人間としての心を持たない人種なのだ。誰の手も届かない、本人らの自由も利かない意思決定を担っていて、こいつらに逆らうと皆で集団自殺の末路が待っている。これが『財務屋の信用』というものであろう。

 プレッシャーがどうの、公務員としてあるべき姿がどうの、一体何の話をしている?
 とにもかくにも、今晩には大阪都構想・住民投票の賛否が出るワケだが、それとは別扱いで、大阪市財政局の底ざらえ再編を検討する必要があると思う。

 問題を違うハナシにすり替えてはいけないのだが、詰まるところ今日の大阪府市政は『OK、GO』なのか『NG、NO GO』なのか判定を決める、それが大阪都構想の住民投票だと思って的外れではない。
 『OK、GO』なら、今の大阪府市政を実現している吉村大阪府知事・松井大阪市長が、その今の大阪府市政をまだ暫定仕様だとし、それを発展させた恒久仕様として推す大阪都構想に『賛成』して間違いはなかろう。
 『NG、NO GO』なら、単純にこの逆で大阪都構想に『反対』で良いと思う。その場合は、どんな政治勢力がどんな大阪府市政を作り込むつもりなのか、これから具体案を創出する覚悟が必要であろう。
 さすがに最近あんまり聞かなくなってきたが、『大阪都構想は説明不足』という漠然とした不満足感の抵抗世論があるのなら、まずその不明点が何かを特定して、そこに関する成功イメージとはどんな様相なのかを語らせ、その方向で現実がどこまで到達すれば満足するのかという論理的な詳細内容まで解説されなければ、大阪都構想推進派も対処しようにも対処できない【883】
 みんなが納得する社会を運用するために『住民一人が必ず一票の意思表示をする』と決めてあるのだから、大阪市に生きる社会人の皆さんは現状理解度にて、権利と責任をもって一票を投じましょう。

 まあ『政治に興味が無い』『自分一人が棄権しても何も変わらない』みたいなコトを言う人も、もしこれが『いま勢いのあるナニナニ党が、社会の代表としてもうやると決めたんだから、やるってことで決まりました』と一方的に宣言されたとしたら、『おいおい待てよ、それってアブナい社会風潮なんじゃないの?』ってことになるのではないだろうか。
 だから『大阪都構想という、みんなが関わる重大な社会変革』をやるにあたって、その対象となる大阪市の有権者220万人余のみんなに、ちゃんと課題を明らかにして、ちゃんと直接諮って、ちゃんと賛成票・反対票を集計して、その事実結果で判定する。
 これが先行して立法された『大阪市地域特別区設置法』の定めるところであり、民主主義法治国家・日本国に生きる日本人がみんなで社会の事を決める筋道に則って、誰もが納得するための段階を丁寧に守りながら執り行われていることを確認しておこう。

 そもそも日本じゃどんなに激しく政治勢力が衝突しても、この手の投票で票数の合計あるいはどっちか一方が有権者数より多いとか、絶対ないじゃん。たま~に文明社会からこぼれ落ちたような片田舎で、少数の票がどっかいっちゃったとかいう前時代的な泣き言がある程度。それも本当に結果を見誤るとなったら、イチからやり直しも辞さないのが日本社会の規律意識だ。
 何というか、財務屋の信用と似たような不文律感覚の空気とでもいうのか、『さすがに投票事務はインチキ操作の手出しをやるとヤバいよな』という理屈抜きの自律志向が働いているように思う。
 これって実はなかなかに有難い幸運であり、縁もゆかりも無いよそ者同士が巡り合わせて主張を競う社会なんかだと、こうはすんなり行っていない。世界中を見渡せば、役所が率先して住民の多数決投票にインチキ工作をやる事例も珍しくなく、もうどこまで信頼して良い誰々が集計するのかもよく判らなかったりする。
 こうなると出てきたはずの意思決定も、ひとつの人格としての『自分が暮らす社会組織の自我』を成さないから、住民が直情的に納得し切れない結論にしかなり得ない。何ひとつマトモに決まらず、社会の仕組みが構築できず、いつまで経っても本能が体力勝負でぶつかり合う原始人のような社会構造の本質から抜け出せないのである。
 まず身を寄せ合って千変万化する豊かな自然を相手に組織力で暮らしていく、日本列島に育まれた『組織の民』の君が代DNAは、望んで手に入るラッキーではないと自覚しておきたい【404】

 だからこそ自爆テロ非国民犯罪者政権みたいな出来損ないどもが、きちんと日本社会に諮る投票のプロセスを履行せずに誤魔化して『議決の儀式』だとか閣議決定だとかやりたがるワケだけれど、それはそれで日本国民にとっては『こんなもの、我々認めた覚えは無いぞ』と記憶されるから、日本社会組織の自我が究極の最終判断を誤ることはない。条件が整えば、1億2千万人社会組織の圧倒的パワーが私欲の小細工を押し流してコトは収まる。
 その条件に一歩近づく…というか、圧倒的パワーが無関心を決め込んでこれ以上離れてしまわないよう、今ちょうど注目が集まっている具体的案件に焦点を合わせ、我々日本国民の代表者として、野党たちにはしっかりと態度の表明を代行してもらいたいのだ。

 古電球は、学術会議の任命業務において内閣総理大臣という行政ポストを悪用し、日本国組織の心に背いてウチワ都合の勝手を仕込もうとした。
 叩いて叩いて叩きのめして、血反吐と一緒にでも悪事の経緯の全貌を吐かせて欲しい。手加減の必要は全く無いし、手加減してはならない。

 そろそろ分量も埋まったし、今日は大阪の行方を追いかけるとしましょうか。
 みんなで決める大阪市政と、古電球が決めたと言い張る国政、どっちの運営コンセプトが暮らしやすいと日本社会が考えるか、大阪市からその社会動向が見えてくる。
 大阪の皆さん、グッドラック!
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