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【1262】懐かしの喫茶喫食メモリーズ [ビジネス]

 NHK朝ドラ『虎に翼』が新展開して、舞台ががらりと変わらないうちに。

 ここによくおいでくださるお得意さまが喫茶店に詳しいお方で、コメント欄に面白い御知見を書き込んでくださった。
 『純喫茶』は文字通りマジガチのお茶でノンアルコール制の喫茶・喫食限定を謳った表記だそうで、つまりはそこを限定しない、ただのお茶でもない『喫茶』が他にあって、それらとの区別を明確に『純喫茶』と店頭表記したもの…ということらしい。
 喫茶以外の機能を持つ喫茶店かあ…と最初は実感がイマイチだったのだが。

 男役ちゃんが住み込みでウェイターをやっている『カフェー燈台』というお店、あれがそうだよな恐らく。
 いやバーとかキャバレーとかクラブなんかは、夜にアルコールを交えてスケベオヤジのお触り接客も普通にあったのだろうが、カフェーと銘打った店のボックス席フロアでああいう昼サロ昼キャバ業態というのは意外だったのだ。ああいう店でカネを落とすくらいの経済力があるオトコどもは昼間仕事しかしてないイメージだし、だとするとそういう社会層が白昼から酔っぱらう訳にもいくまいし。
 もっとも、格調ある服装と素行なんか限られた上層社会だけのものだったはずで、日本国内をすみずみ網羅するまともな経済構造もできていなかった時代、あぶく銭を手にしたロクデナシが昼間っから散財する場はあったとしておかしくはない。

 フツー歩き疲れてお茶飲むにしても、書類見ながら商談するにしても、誰だって天井から蛍光灯でオフィスみたいな明るさの店という訳にはいかないだろう。
 あ、喫茶店みーっけ!と入店して、腰を下ろしたところで実はそういう『純』でないお店だと気付くパターンも散発したことには容易に想像がつく。

 時代が違うんだけれど、それで思い出したよ。私が中高生だった頃のこと。
 父の知り合いが外回り営業中にちょっと手持ちの書類の内容を確かめたくなり、手近な喫茶店に飛び込んで、早速スーツケースを覗き込んで書類を取り出したのだそうだ。すぐ冷水グラスが出てきてオーダーを訊きに来る…のつもりでふと顔を上げると!
 当時社会現象として流行ワードにもなっていた『ノーパン喫茶』だったのだそうだ。

 『うわあスイマセン!間違えましたっ!』と叫んで慌てて荷物を畳み、2千円だか3千円だかテーブルに叩き置いて、転がるように逃げ出てきたとのこと。
 今ちょっと調べるとノーパン喫茶は1970年代後半から80年代にかけて流行ったというから、私自身の年齢の記憶と合致する。もう高度経済成長期も頭を打ってバブル期にかかろうとする時代にこれだから『純喫茶』業態の軽食・喫茶店が、十分な集客を得るための死活問題として『純喫茶』を見えやすく看板に謳う文化は長らくあったのだろう。
 私の高校生時代、普通に軽食や商談に使う喫茶店は数も多くてどこもよく客が入っていたし、私自身も下校途中に友人数人と喫茶店でダベるのが日常だったけれど、際どい接客をする紛らわしい店の記憶はひとつも無いなあ。

 社会人になってすぐの頃、当時は技術職でも営業所の現場に放り込まれて外回り営業を体験する研修があった。私の面倒を見てくれる営業マンは日によって違ったのだが、まあ人によっては朝からいきなり喫茶店にシケこんで、コーヒー頼んでタバコ吸いながら漫画読んで過ごしたりもしていたものだ。
 何しろ日常業務に忙殺される営業所に『はいコイツ新人、ふた月ほどお願い!』と押し付けるだけだったので、営業マンとしては世間知らずに無駄なトラブルも起こして欲しくなかったのだろう。私だけ何もせず座っているのも間が持たないし、ノート出して書き物するのもイヤミっぽいし、とりあえず一緒に、何時間も新聞や雑誌を読むしかなかったのである。
 退屈な上に『サボっている』という罪悪感もあったのだけれど、会社員なんて別に大好きな仕事に情熱を燃やす敏腕の優秀者ばかりじゃないし、だからってこんなタイプの社員に監視・管理と罰則でムチを入れたところで生産性が上がるとは到底思えない。
 身をもってそれを理解できた時間だったことを、のちに何度も思い返すことになる。貴重な体験だったなあ。

 携帯電話も無かった時代、チマタの喫茶店は少なからずこんな営業職の『外回り先』として固定客を迎えていたのだろう。
 何も考えず頭の中で十把ひと絡げになっていた『喫茶店』だけれど、恐らくはどこも瓶ビールぐらいなら置いてあって、酔っぱらって騒いだりクダを巻いたりしなければ、ただの客一人として普通に処理されるような気がする。
 達人マスターがきっちり手順を踏んで技を尽くして、上等のコーヒー紅茶を淹れてくれるようなお店でもないそこらへんの『非・純喫茶』は、なるほど『喫茶』というより『休み処』や『談話スペース』ってことなんだろうな。

 たま~に日中『空調の効いたところで腰おろしたいな』と一瞬思っても、喫茶店が愛煙家のオアシスになっているパターンが怖くて、むしろ意図的に敬遠することが増えてしまっている。すっかり遠のいていた喫茶店にまつわる記憶だが、久し振りにいろいろ思い出したので書いてみました。

 さて朝ドラの『カフェー燈台』に話を戻そう。
 オッサンが女給さんに『あ~ん』してもらっている姿が一瞬映り込んだのだ。

 さらには崖から落ちて入院した明律大学のイケメン優等生くんが、見舞いに来たファンの女の子に『あ~ん』してもらっていた。
 いわゆるオトコ社会で、何かにつけ『オトコのくせに』と叱咤されながら、成人社会人としての体裁を保って一丁前に振舞うその同一人物が、乳幼児と同じモードで食事の世話の焼かれ方をするワケだが、果たしてこれはオトコが身を預けて喜べるオンナの親切行為なのだろうか。

 私が田舎町の工業団地で暮らしていた頃、中古車販売店か何かの居抜きと思われる格安簡易スナック?に飲みに行っていたハナシはした【1063】
 女の子たちは全員日本語が相当怪しい外人部隊の編制で、あるとき私の隣にロシア人の女の子が座ってくれたのだが、軽く180センチを越えそうな長身で、低いソファに浅く腰かけると真っ白に伸びた膝がふたつ私の真横にそびえ立つ。ブローカーにでも連れられて来日したデルモちゃんが崩れて片田舎に流れてきたのか?

 このロシア美女が上体をこっちに向けカットフルーツを『あ~ん』してくれたのだ。
 むかし実家にいた手乗り文鳥が人差し指にとまり、御飯粒を差し出してやると喜んでついばんでいたものだが、その姿が脳裏にフラッシュバックする。ヒトに餌付けされる愛玩用の小動物かオレは。

 思わず『あ、いいよ、自分で食うから』と制止したところ、彼女は精いっぱい悲しそうな表情で首を横に振り『ダメ、ダメ、おこられる』と懇願するかの口調で譲らない。小顔に大きなグレーの瞳が美しいこと。
 なるほど、店長が奥でちょくちょく監視していて、接客を怠ると叱られるのだろう。

 異国で頑張るXL寸の綺麗なお姉さんを泣かすような、みみっちい強情は許されない。
 腹くくって『ハイ、あ~ん』、嬉しいどころか屈辱感が凄い。オトコはつらいよ。

 『カフェー燈台』の薄暗いボックス席と違い、外気とは厚ビニールのテント一枚で仕切られ、テーブルを男女交互にソファーで囲んで、どこぞのフードフェス会場で国際友好の懇親会をやってるようなもんである。そりゃまあ格安だったのもうなずけるのだが『カフェー燈台』の料金設定って一体どのくらいなのだろうか。

 ま、飲食はみんな一緒に楽しくいただきましょう。では週明けもグッドラック!
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ぼんぼちぼちぼち

あ、純喫茶の定義についてもう少し詳しく説明させていただくと、純喫茶にも、ビールやフィス類や水割りはありやした。
違うのは、女性がホステスとして傍らについてお色気サービスをしない、ということでやす。
純喫茶の反意語は特殊喫茶でやす。
今でいう、ミニキャバクラみたいな店でやした。
1960年代、特殊喫茶は看板に「特殊」とは掲げていなく「喫茶」だけで紛らわしいので、
お色気サービスなしの喫茶店が、純を冠して解りやすくしたというわけでやす。
1970年代になると、特殊喫茶はスナックに替わられ消滅していったので、純喫茶も純を冠する必要がなくなり、単に「喫茶」の看板になりやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2024-04-30 14:00) 

にすけん

 ぼんぼちぼちぼちさま、いらっしゃいませ。
 再び詳細の解説をありがとうございます。

 『特殊喫茶』なるものがポピュラーでもなくなってきた頃に、本来の『純喫茶』明示の必要性はほぼ失われてたんですね。
 しかし喫茶店に『純』がつく由来なんか考えたこともなくて、今般初めて知りました。

 御存知でしょうが最近ではコーヒーの味だけなら、コンビニのカップコーヒーが侮れないレベルに到達しており、それであの値段!
 いやはや喫茶店も厳しい競争を強いられる時代になったものです。

 では、またのお越しをお待ち申し上げます。
 どうもありがとうございました。
by にすけん (2024-05-02 22:29) 

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