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【1230】『AIレ可愛や人工知能』のWEB目線 [ビジネス]

 震災の犠牲者が120名を越えてきた。ただ正月を過ごすつもりだったはずだろうに。
 御遺族にしても、この寒空のもと自分が住むところからしてただでは済んでいないだろうし、同じ日本列島のあっちとこっちで起こっている現実の差に唖然とする。

 もっとも地学的視点において日本列島は『変動帯』に位置するのであり、いま目の当たりにする現実は決して理不尽なものでもなく、こんな時空間に育まれて日本人は今の日本人になった【276】【436】
 いま日本社会のそこらで飛び交っている言論は、そんな日本人の生い立ちに照らして、過去をよく理解した賢いものだろうか。未来の可能性を最善の方向に押し向ける健康で元気なものだろうか。

 私自身まだまだ油断できない体調なので、深い掘り下げはやめるにして、脳内既存のテキトーな関心事にざっくばらんな漫談を展開させて切り抜けることにしよう。
 前回に続けて少し補足しておくと、例えば熱いモノに触れて『アチっ!』と身を退くのは、高温を感知した触感のアナログ信号が発信され、恐らくそれは未加工のまんま当該部位のローカル神経に受信されての反応であり、アタマだの脳だの意識だのは介在していないのではないか…というハナシである。

 触ってアチチだけで済まない『情報処理』を含めた動作、例えば『あれ何だ?』に始まり『危険なモノだ』の判定を下し、目をつぶるなり避ける姿勢を取るなりするパターンにおいては、その情報処理を軽く速くしてROM(Read Only Memory=読み出し専用)装備するために『情報のデジタルデータ化』がなされたはずだ。そうでないと反射動作が間に合わず、その種は道理として、過去のどこかで絶滅していることだろう。

 こうして生体内を流通するようになった高速軽量のデジタルデータに対応して、生物は改めてRAM(Random Access Memory=書き込み・読み出し自在)機能を構築することに成功した。
 恐らく元々は生存確率を上げるために、反射反応ROMの入出力フローに一定の可塑性が残されたのだ。まだ見ぬ新規性の危険に遭遇すると、その対応プロセスの成功例を記録し定型化して入出力フローに加味していく…という流れでやっていたら、それが進化発展的に働いたのだろう。
 新規性の環境に新たな対応プロセスを構築して未来を生きていけるRAMストレージ生物は、みるみる生存確率を上げて地球上に種の繁栄空間を築き上げた。

 順番としては、先に体内情報のデジタルデータ化があって、そのデジタル原理を背景にして『記憶』したり『検索』したりする意識の機能が加わったと思うのである。
 …で、ここまでは生物の個体身ひとつという枠内に限っての進化論なのだが、ここから一歩踏み出し、人間は自分ウチウチだけに流通する『秘めゴト』だったはずの個人情報まで、言語その他の通信手段に乗せて対外発信するようになった。これが人間の情報的特異性ということができるのではないかと思う。

 例えば私が『ううう、痒いよ~痛いよ~』と日本語で愚痴れば、せっかくまだ正月気分から続く三連休で優雅に過ごせているアナタにも、陰鬱でイヤ~なこの精神状態が『文字通り』的確に伝わる。

 さて今回の本題は、実はここからなのだ。
 いま私は、ここにおいでいただいているアナタに不快な思いをさせようとして、上記の言語情報を発信した。もちろん快適に過ごせているアナタのことが妬ましく、自分一人だけしんどい思いをするのが悔しいため、巻き添えにして苦しめたいという目的意識が湧いたのである。受信者に特定の情報操作を加えようとして発信した。

 これがまあ、社会組織の情報空間に飛び交うコミュニケーションの標準形態だよな。楽しそうだったアナタの表情が曇るのを確認して目的達成、私は満足して気が収まる。
 そして後にこの事実情報を根拠に、私はアナタから『イヤなヤツ』の評価を下されることになり、いずれ私は公認の嫌われ者になっていく。
 発信者と受信者が、情報体としてはイチ対イチ同格等価の位置付けで、それなりの意味のある受発信を行い、それを関知する組織の中でお互いの相対的な立ち位置が決まっていく。これが社会生活における言語コミュニケーションだ。では。

 NHK朝ドラ『ブギウギ』の特設テーマ、ステージ・パフォーマンスはどうだろう?
 『目前の個人相手に、自分ウチの事情を具体的に発信する』という形態ではない。
 受信者にしても、自分個人を特定した発信でもないため体内情報通信に響かない。

 『実力あって当たり前、社員への観せ方こそ仕事術』という業務分析【1034】
 『我が事として避難行動に腰を上げない一般市民』への危機管理課題【1187】
なんかは、この領域の『相手を狙い撃ちしないが、天の声として浸透して響く』コミュニケーションが機能要件になっていると思われる。ナニが受信者の内部情報流通に到達し接する決定的因子なのだろう?

 朝ドラ劇中ではまだ戦中にあり、時代が時代だけに、いわゆるマスコミュニケーション・ツールを介さないステージ発信になっていて、至近距離で観客との個人的な以心伝心が交わされるシーンも目立つ。もうちょっと解りやすく非・個人vs個人の社会組織的なステージ影響力の描写があってもいいかも…とは思うのだが、今まだ難しいコトを考えられないので、今回このくらいにしときましょうか。

 忘れないうち書き残しておくと、風呂屋の玄関や汽車の中など『そこらへん』的なシチュエーションにせよ、設備の整った専用舞台での大掛かりな歌劇・歌唱ステージにせよ、本作は明らかに意図的に、ワンコーラスだけにしても頑張って劇中曲のノーカット版を放映し切っているところが見上げた心意気だ。
 毎朝一話15分枠は負からないから、その日は殆どストーリーの進展が無い放送回になっちゃったりもするのだが、朝ドラとしてこの果敢な内容構成のチャレンジはアツく応援したい。こんな機会でもないと、今どき対面ステージ・パフォーマンスを改めて見聞きすることって本当に無くなっていると思う。

 便利な配信メディアが次々と開発され、時間とカネを消費してライブの現場に出向かずとも、パフォーマンス観客として満足度の高いコンテンツが容易に手に入るようになった。これはこれで社会の利便性の一面であり、否定的に論ずることに意味は無い。
 だが結果的に現場以外の情報領域が重たくなって、現場以外の情報世界だけで自然と満腹になり、何よりそれだけで時間やカネを使い果たしてしまい、現場コミュニケーションが『意識の外側、知らない世界のコト』になってしまうなら、それは問題だろう。
 自分個人ウチの情報処理に響いてくる受信回路が開いておらず、そんな回路の存在を生まれつき知らない人間たちが大勢いたところで『社会組織』にはならない。

 デジタルデータ形式は軽くて速くて、現状ありもんの機械文明の適用だけで、人間を含む地球上のあらゆる生物を天文学的な勢いで圧倒する情報処理が可能である。というか、既にそういう現実になっている。
 同時に、たかが人間ごときに『響く』かどうかなんぞ、情報のロジカル演算処理とはまるで無縁の独りよがりな価値体系に過ぎないのだと理解しておかねばならない。

 必要に応じてなのだが、『ヒトに響く』理知性は特別に造り込まねばならないのだ。
 『響くステージ・パフォーマンス』周知普及のため朝ドラ後半戦もグッドラック!
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