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【1234】幻の男の人生想い出ファイル [ビジネス]

 お、NHK朝ドラ『ブギウギ』のタナケン御大が、オオモノらしさを覗かせ始めたな。
 ステージで観客に披露する印象とステージ裏のプライベート印象が全く違うという例は多々あるようで、大の仲良し喜劇コンビがステージから戻るなりお互いクチも聞かない不愛想同士に豹変するケースもあったと聞く。
 徹底した職業としてのステージ・パフォーマンス運営における、客席向け商品=『夢の一幕』の、重保管理の現場実情といったところか。

 すべからく『華やかで楽しさ満載のオモテ舞台vs暗く陰惨なウラ実態』ばかりだとは言わないんだけれど、とにかくショービジネスなるものは『能力と適性を兼ね備えた人たちが、そこに目標設定した共同作業で実現する成果だ』ってことですな。

 タナケン御大は『喜劇王』の実力に即した懐の深い人格者であり、共演者や制作スタッフに見せる気難しく口数少ない人当たりも『わかって』やっている、職人気質の理想像を王道で行くタイプのようだ。
 『答は自分で探し出すものです』と整理した丁寧な日本語で鈴子に種明かしするあたり、昭和世代にしてみれば到底あり得ない解りやすさである。
 これでも今どき『無駄に怖い、わざわざこんなネガティブポーズから入る面倒にはついていけない』なんて声がちらほら聞こえてきたとしても不思議は無いんだろうな。最初から、そない言うてくれはったらええのにね。

 かつては『ごちゃごちゃ言わずに持ち場に放り込んでシゴくのが一番上達が早い』という無策の叩き上げが、むしろ業種を飛び越えて金科玉条の教育理念だったとして過言ではない。
 そりゃあもう、昭和時代の徒弟制度なんぞ怒鳴られ殴られ放っぽり出され、いつまで経っても何にもかまってもらえず、それでも師匠の憧れの技巧がど~おしても欲しい弟子だけが逃げ出さずに持ち堪えて、どうにかモノになりかけた頃にせいぜい『ワザは自分で盗め』あたりでオシマイ…が多かったような。
 傍目にも誰にでも一見で理解され納得されるような、技巧も人徳も上位の師匠から、その習得に狙いを定め一目散に励む下位の弟子へ…というロジカル整流がスムーズに流れる教育現場は、全くなかったワケではないのだろうが、あんまり聞いた記憶が無い。

 この『自分で盗め』式の放置プレイ・虐待プレイの伝承スタイル、私はあながち否定的にも見ていないのだ。どんな業界であっても避けられず必ず遭遇する理不尽や筋違いに対して、ビビってなびいて大人しく収まるようなハンパ同調に終わらない判断力を育成するには、むしろ効果的だと大いに認めている。
 好きで身を置いた場所でガチに険悪な障壁マターに次々さらされ、その逆境を単独で戦い抜かねば先は無い。好きなことに取り組みたいなら、被弾するに任せて耐えるも、正面から組み合って解決策・緩和策を探るも、自分自身たった一人がナニかしないと現実が動かないのだ。この対戦モードで場数を踏んでおくことは、実用性の高い能力開発として確実に効く。
 『好きなことを好きなように頑張る』は一見効率よく伸びやかで理想的に映るが、実はちっぽけなジブン世界の中だけで思い上がった未熟な自意識が、手付かずのままその先の現実と衝突する運命にある。
 『人材育成』『能力開発』の目的に照らして、十分な成果は期待できるだろうか?

 だが、私自身がこのツンデレならぬツンツン育成スタイルでやれるかというとメチャクチャ難しい…というか、私には絶対に無理なのである。
 もう威厳も恰幅もオーラも皆無のため、厳格めかした態度を決め込んでも貧相なコントにしかならず、その居心地悪い空気に耐えられず自分から笑いで崩してしまうに違いない。その方がよっぽど真剣かつ効率的に、シビアな内容のスキル習得を叩き込める。
 ツンツン育成スタイルがサマになって効果を上げられるのは、天性の才能だよ。

 今の時代、書面なり動画なりの記録ファイルを閲覧して伝承完了、そこから先は本人の内的な情報処理体系へのインストール成否で決まるような能力習得は、完全にインターネットで片付いてしまう。
 ユーザー問わず等しく効果の上がる教材コンテンツなども不要で、壁を感じたユーザーがその訴えを発信していけば、賢いAIにより社会全体規模でその傾向が集約され、発信者に向いてそうな対策案が提示される。
 だいたい記録ファイルの内容になって流通するようなスキル単位なら、そこらで入力して出力を受け取れば良いだけのネット代行ツールがすぐ実現するような気もする。何故そのスキル単位をわざわざ自分の内的情報処理に組み入れようと思うのか?…まで立ち戻って習得目的を固めないと、イミフの自己啓発で時間の無駄をやってしまう。

 再び朝ドラ前作『らんまん』のイツマ教授の台詞が思い出される。
 『演劇とは、演じる者と見る者、人間の間にしか存在しない幻なの』【1202】

 彼の言う『幻』とは、文明や技術が実現する記録メディアにも、あるいはただの人間の記憶にさえも、記録ファイル形式として物理的に残らない『その時空に発信され受信されるまでの間だけに進行する、制作で仕組まれた通信』を意味しているのではないかと思っている。ああ~、伝わりにくそうな日本語だなあ。
 そう、ポイントは『情報』が記録ビットの『書き込み前vs書き込み後の状態変化』という物理的現象に落ち着く前の動的な段階、その一時性の浮動過程に『演劇の目的や成果の本質が存在する』とするところにあるのだ。

 『あらゆる情報は無償で流通するようになるだろう』【432】【590】とする社会予測があり、私は上記のような理解の仕方で、その予測は的中すると考えている。
 知財の創出や管理で情報化社会を生き抜いていくつもりの人たちは、至高不滅の最終目標を見つけ出せとは言わないまでも、将来何年後あたりで何の情報単位の価値を商品にしながら食いつなぐのか、戦略を立てておかねばならない。
 コロナ騒ぎで生気を抜かれるままに弱らされちまった対面コミュ業界は、新価値ぶちあげて再構築に打って出るチャンスかも知れませんぜ。

 何を隠そう、文字フォントだけで済むような薄っぺらい内容の記録情報で繋いでいるのは、このサイトだったりするんだよなあ。やれやれ、おあとがよろしいようで。
 ま、どうにかなるさ!と根拠なき楽観ビジョンの幻を放って、皆さまグッドラック!
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