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【1200】電源切れない画像とフォントの精神安定効能 [ビジネス]

 いよいよ今季NHK朝ドラ『らんまん』が最終週を迎えるので、駆け込み回を。
 なし崩しに賃貸住宅・十徳長屋なんだか槇野製版印刷所なんだかよく判らなくなっていた長屋跡地も被災し、どうやら猛火にも巻かれたと見受ける。

 気にする人が普段からどのくらいいるのか知らないが、関東一円にはあちこち関東大震災の被災記録を後世に残す記念碑が建てられているのだ。
 暴れ川の河岸段丘や海に面した傾斜地なんかには、よく水害の到達水位の備忘録=その後の地域開発への申し送りとしての石碑が建てられていて、その実用に即した連絡事項ゆえ比較的ポピュラーに気にされていると思う。
 いっぽう地震の被害となると、少なくとも私は『地震が来たら避けようがない』とする直感から、ただ被災事実の記録を残し犠牲者の無念を鎮めるための目的意識を連想してしまう。特段の歴史探訪や祈禱文化の研究でもなければ、普通なかなか関心が向かないのではなかろうか。
 まあ家屋倒壊の被害度分布の記録から地盤の堅牢vs軟弱を気にする意識はあったにしても、次の大震災を想定して居住可能区画を限定するような地域復興には繋がらなかったんじゃないすかね。

 だとすると、自治体がわざわざに地元密着型の公共事業として震災の記念碑を建てたとは思えず、時代からして石造りの商売で暮らしてた連中はどこの町村にも一定数いたろうから、そいつらが地域住民の支援を受けて建てた可能性が考えられる。地元の民間事業であるところがポイントだ。
 実際、綺麗な形に切り出して丁寧に仕上げ、立派な台座の上に威風堂々建てた石碑…ではなく、ほとんど原材料のままの岩片や石板に、最小限に加工して文字が彫られているタイプが目立つような気がする。

 『関東大震災』というとまず東京都心部、あと思い出せば鎌倉とかの辺りも被災のエピソードはよく聞く気がするなあといった感じなのだが、鎌倉から西へ20キロほど行くと相模川河口の茅ヶ崎や平塚がまずあって、そこから相模川を北に20キロほど遡上したあたり、厚木の川沿いにも『ここが関東で最も被害が深刻だった』とする石碑が複数建っているのだ。
 私が時折訪れていたのは、もう現在は新東名の厚木インターチェンジができている間際の子易神社だが、地図で確認する限り近くのどの石碑も撤去されたりせず、昔のまま保存されているようだ。まあ現代の国策級の交通網整備工事だとはいえ、ゆめゆめ手を付けちゃいけないと思うね。

 週な週な単車で関東じゅう気紛れに走り回っては缶コーヒー片手の休憩で寺社散策していて最初みつけた時、こんな場所でMAX被害を語る記念碑が建っていることに驚いた。だが震度や被害の程度について測定技術も評価尺度も無かった時代、当該地域の住民の共通認識をありのまま記した結果なんだろうな、とも考え直した。

 いやしかし、もう大正だよ? 爺さん婆さんの現役時代だよ…?

 そう短絡的に自分らの心象を貴重な石碑に彫り込むような、原始感情的な精神文化だったとも思えないし、現代の技術で推定する関東大震災の震度分布図と見比べて喰い違うものでもない。やはり石碑というメディアで記録を残すからには、日本社会のサイエンス知見として正確な内容になっている。と、言うことは。

 恐らくは生身の人間たちが徒歩で移動し行き交い、出先各地の現況を互いに目視確認し、被災者の言葉を確かめ合い、その情報ネットワークの拡がりが接点接点で表現の妥当性の調整を取り合って、関東全域で一大情報体系が形成されていたのではないか。
 情報伝達速度も容量も素朴なものだが、当時のどぶ板マスコミュニケーションの情報信頼性は、社会をあげての高い志を動機とした優秀なものだったのだ。
 現物の前を過ぎる人だけの目に触れ、立ち止まって読み込む人だけに理解され記憶されるものだけれど、後の世の最新交通インフラを支える巨大建造物をどかしてまで、長期間にわたってその場から、その通信モードで発信し続けられる理由は何なのか。
 人間社会の『情報伝達』に絡む関係者は、真剣に考えてみるべきではなかろうか。

 いま公共の交通機関で行くには不便だけでは済まなかったり、車を使うにしても駐車場がない場所も多いので、実はこんな時こそ単車の利便性の出番だったりするんだよな。もちろん御近所の迷惑にならないよう重々気を付けて、私ごときがサボってマジメにやらなかった歴史探訪を試みる、秋の少人数ツーリング企画などいかがでしょうか。
 複数目的地の間を短く刻めばインカムで無駄グチも叩かず運転に集中できるし、動画撮影やナレーションがしたければ目的地で地に足を着けて存分にやればよい。
 予想外の視聴者層が関心持つかも知れないぜ。バカ高のガソリン使うんなら、コスパ高いSNS娯楽チャレンジにでもしないともったいない。

 完成目前まで来ていた『全日本植物大図鑑(仮題)』の到達点をほぼ御破算にされたマンちゃん、そこからまた地道にやり直し始める理由として『伝えたいから』とおスエ夫人に答えている。
 標本採集に始まり、観察・分析を経て精緻な植物画と掲載文を書き上げ、印刷と製本の量産作業に乗せて、社会に暮らす全ての人々に情報提供する…という膨大な工程の全ての現場・現実にみっちり関わり、自分の納得いく品質を保証し、図鑑として社会に発信する紙面情報の質を確保している。
 なるほど一言にまとめれば『伝えたいから』ってことになるんだろうな。結局は全部やりたかったんだろうし、全部好きだからだったんだろうけど。

 会心の成果が崩壊して二度目の道を進む時には、初回の模索に費やした時間が節約されると共に、二回目ならではの改善点が意のままに折り込めるため、良質の成果が思わぬ高効率で達成できる。実は製品開発の過程ではしょっちゅう…というか基本コレで物事が進んでいく。
 夢に見る最終目標が以前も今も変わらないなら、失われた初回の成果に落胆して暗い時間に浸るよりは、ゼロ起動するより遥かに信頼性高い土台を得て省力・省工数で、初回には考えつかなかったグレードアップまで加味して先を目指す『再チャレンジ』が賢くて楽しくて勝率高い選択だと思う。
 後々になって『いや~あそこで一回リセットしてなかったら…』などと回想するケースは案外と多いのだ。私なんぞそのベタな見本もいいところであり、危うく故障したヤク中基準の健康意識で勘違いしたまま、あれからこれから将来構想に向けて突っ走ってしまっていたところであった。命拾いである。

 もっとも諦めて済むものなら、こだわらずに諦められない次の目標に移行する選択肢があるのも事実だ。かのホリエモン氏は『結局はやりたいことのあるヤツが強い』と言っているがその通りで【1016】、マンちゃんの場合はそれが一生を賭けた植物学・植物図鑑の一本鎗だったということだろう。いずれにせよ、やりたいんだからしょうがない、立ち止まっている暇は無い。まだ還暦なんだし。

 前々回、脱ステ期間が人生年表を灰色で塗り潰すと表現したが、それは心身両面を完膚なきまでに叩き壊され続けて、あらゆる『やりたいこと』ができなくなってしまう、いつまで待てばできるようになるのかが見えなくなってしまうところが、その異次元級の苦難の本質だと思う。
 これから頑張る方はしっかり腹くくって絶望することのないように、現実の処置を判断していただきたい。どうか御幸運を。

 あ~いよいよ最終週かー、面白くて現代流の時代劇すっかり見慣れちゃったよ。
 古典的情報メディアを軸に、圧巻の安定を見せる人間の心理描写が秀逸だった。
 では名残惜しくも楽しみな週明け、明朝からグッドラック!
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