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【1175】野生コース行きと文明コース行きの選別案内役 [ビジネス]

 数学的概念のトピックに触れたので、忘れないうちに『数』のネタを続ける。

 作画にしても作文にしても、驚異的な完成度で人間社会に通用する情報を出力してくる公開AIだが、いずれもアレレな不得意科目があるという。
 作画AIはヒトの手がなかなか上手く描けないのだ。指の数が多すぎたり、その関節の配置や曲がり方が妙だったり。
 作文AIは数学問題の認識が不安定で、小学生で習う鶴亀算や植木算レベルの計算さえ時としてぽかんと間違え、平然と答えてくる。オマエ計算機のバケモンじゃなかったのかよ、そこをハズしてどうする?とツッコミを入れられたりもしているようだ。

 その原因について私は核心に迫る考察を見た覚えがあんまりないのだが、『数』の概念というのはかなり演算規則的に厳格に閉じた特殊な世界であるのに対して、それを人間が目前の一般的現実に適用するにあたっては、人間なりの理屈抜きのフィーリング慣習でうなずき合って『数』と結び付け、それで初めて数を利用したコミュニケーションが成立しているのではないかと思っている。
 もう少し具体的に言い直すなら、ぱっと手を見て『ああ指が5本あるなあ』と認識するのは、普段から『そういう見方、数え方をするもんだ』という社会通念の刷り込みがあってのことではないか…と思っているのだと。
 いや人間が一人いたら指先まで隅々全部そいつじゃないすか。数えたらイチだよ。
 ここで指の付根に分割境界線も設定せずに『指5本』と数えられる判断フローを確立するには『指折り数えて幾千日』みたいな経験をしないとダメなのではなかろうか。
 それを言っちゃうと手足や目鼻口も同じことにはならないかという疑問が湧くのだが、確かに初期の作画AIは四肢の本数や描写がおかしかったり、顔もなんだかシュールに潰れたりしていた事例が多かったように記憶している。

 次に作文AIの算数不得意の件だが、設問の文中に出てきた数値が、単なる事実表現なのか『演算の素材』なのかを区別する判別トリガーが問題文には含まれていないので、こういうトンチンカンが起こってしまうのではないかと思う。
 …っちゅうか、AIくん的には全然間違えてなくて、問題文に含まれる数値文字を『演算の素材』として認識していない限りはむしろデタラメ回答が基本で、ちゃんと『この数字でこの演算をするといくつ?』と質問の真意について、AIくんがその記憶容量と情報処理能力を活かせるような言い回しに言い換えてやれば正解できる、そういうことなのだろう。

 人間社会においては、例えばスコアボードの無い広場で草野球の得点表を作るにあたって、地面に枠を描き1点入るたびに目立つ大きさの石ころを置いてスコアリングしていたものの、途中から手頃な石ころを使い尽くしたので枯れ枝に変更…のようなことは日常茶飯事に起こる。
 数値の概念は、世間一般の事実認識とかなり異質の『他から浮いた』情報体系で、石ころと枯れ枝のブツにまつわる様々な認識項目をきれいさっぱり御破算にして、ただ個体数だけをカウントして『数的な一連の処理』が単独成立するということだ。
 地面に点在する石ころ群と枯れ枝群の画像をAIくんが認識したとして『五回表でAチームが2点入れたのをきっかけに乱打戦となり、六回以降は逆転また逆転のシーソーゲームで、結局九回裏の満塁ホームラン4点でBチームが勝利して決着』と解説させるのは、かなりの難題ではないかと思われる。

 『鶴は足2本 vs 亀は足4本』の2本差を利用して、最初に判明している総個体数と足の総本数だけを頼りに、鶴と亀の各々の個体数を算出するのが鶴亀算なワケだけれど、改めて考え直すとこれって『鶴亀算の問題のためにわざわざ用意した』結構シュールなシチュエーションだったりする。
 今どきネットの海にはズバリ鶴亀算の関連情報も相当数あろうから、検索がそこに当たれば良いんだろうが、社会に溢れる通信事例における現実事象の描写としてはまず見つからないはずだ。
 複数種の動物のごちゃまぜ総個体数なんぞ、チマタの動物園のスペック規模とか、国立公園の野生生物の調査記録ぐらいしか探して出て来なさそう、いわんや足の総本数となると事例そのものが皆無なんじゃないだろうか。
 検索先に『使える記録ファイルが無い』ということは、つまり目前の現実事象との整合操作ができないということであり、これは『出された問題を鶴亀算として意識できない』という状態だ。
 だがAIくんは訊かれた以上は、『鶴』『亀』『総数』『足の本数』などのキーワードで釣れてきた文章情報の中から見繕って、ユーザー相手に愛想よく建設的な文章を仕立てて回答してくれる。この時AIくんは余計な自己矛盾を回避して、むしろ文中の数字を『演算の素材としない』スタンスで、ただの文字列の構成要素として扱うのだろう。

 『分割インターバルと植木をイチ対イチにすると端っこ1本が足りなくなる』という事実を突いた植木算はシチュエーションとして随分と現実的だが、AIくんにとっては『1本足りなくてナニが悪いんだ?』というOK vs NG判定のところがムツカシそうである。
 反面、広い事務所や店舗の照明配置で『フロア全面でいくつルクスの明るさ基準を守れ』と指示すれば、植木算云々と関係ない演算を走らせて正解するのではなかろうか。
 これを『同じ植木算なのに、植木で間違えて、照明で正解する。ふっしぎだなあ~』などと言っているうちは、迂闊にAIくんに真剣な数値根拠の判断を預けるのは控えておいた方がよろしかろう。高速情報処理と回答作成の視点においていずれもAIくんは『正しい回答』を返してきているだけなのだから。

 生体情報処理のかなり上流にあるシステム選択において、数値情報 or 非・数値情報の系統区分がなされていると考えられる。そのどちらの系統で処理を走らせるかの決定フローは、人間の社会生活を通して蓄積する記憶が判別基準として効いていることになり、だとすると、いずれ学習を重ねてAIくんもキャッチアップしてくるだろう。
 但しAIくんが膨大な記録ファイルから情報を呼び出して高速で演算処理をしているのは間違いないが、少なくとも現時点で、その工程を人間ユーザーが知る術はない。その工程がオーダーした目的に沿っているかどうかを検証できないなら、AI回答を現実の課題解決に適用する決心に、人間が踏み切れない。

 この事実関係を理解して観念できないような知能程度の低い人間が『AIを活用する』『AIをうまく利用する』などと上から口調で虚勢を張ったところで、せっかくのAI回答を片っ端から気に喰わないとしてお蔵入りにするばかりの無駄遣い、そのうち場当たりで自分のトクになりそうなところだけ『AIによる人智を越えた崇高な回答だ』などと摘まみ食いしにかかるのは目に見えている。
 もちろんAIくんは広大な情報の海で膨大なユーザーたちにブロックチェーン管理されて走り続けるから、低能人間の摘まみ食いなどお構いなしに連続性のある論理の展開で回答を次々と返してくる。あっという間に断片的なAI礼賛は破綻し、情報の海の潮流に押し流されて消滅するだけだ。
 AIくんがどんなに賢くなり、ヒト相当に感情の共鳴まで覚えたとしても、人間の方が低能だと『情報』を基軸に肩を組んで協力体制が作れず、社会活動の充実や進化発展に活かせないのである。

 能力不足による明らかな出遅れでAI、AIとメクラ滅法に口走り出した現政権には、つまるところ『今まで通りに我欲を押し通す』という目的しか目に付かない。つまり全ては実を結ばない時間の無駄をぐじゅぐじゅやって発散する以上の結末にはならないので、本気でAIの開発や利活用に取り組みたい人は関わらないのが賢明である。
 低能人種がジブンを優先しようとする論拠の最後の砦が『ヒト尊厳』なる原理不明の金科玉条なんだろうな。AIという記憶容量も演算速度も圧倒的な情報体とコミュニケーションするにあたって、知識量も頭の回転も絶対に勝てない相手なのに、無駄な支配欲や自己顕示欲の満足度追求ROMでしか対応できない劣悪な情報体はいずれ淘汰される。

 記憶容量と演算速度で勝ち目ナシ、一向に構わんじゃないか。仲良くしてもらおう。
 新時代を生き抜く高IQ友好意識の自己開発、その知恵と友情にグッドラック!
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