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【1170】最先端ニッポン社会人の理解力CAD研修 [ビジネス]

 引き続き、現政権がやらかしている国民管理情報の破壊工作の件。
 いの一番に結論から述べておく。
 デジタルあほ役所は一刻も早く廃止・解体しないと、日本をまだまだ壊し続ける。
 便所タワシはデジタルどうたら以前に管理職層の適性も能力も無い。クビだ。

 ここまで失敗しておいて何をさておいての緊急業務停止もせずに、やれ便所タワシが口先三寸『自分を処分します』などとガキじみた自虐発言で媚びてみるとか、そもそも事業所の基本機能から成立してないデジタルあほ役所の『運営を見直します』だとか、仕事にもなってないのに『プロジェクトが多すぎて明け方まで残業してるんですう』とか、今さら何をゴタク並べて済ますつもりでおるのだ、脳みそあるのかコイツ?

 『氷山の一角』が既に13万件だろ?
 日本国民の10人に1人で1200万、100人に1人で120万、1000人に1人で12万。
 もう悠長に行って来いの会話なんかしている場合ではない。まず動くな、止めろ。
 こんな無能は日本社会にいるだけ迷惑、いない方がマシの災厄なんだよ、判らんか?

 知恵遅れの幼稚園児が車にいたずらして、大勢はねて取り返しのつかない傷を負わせました、あちゃちゃ反省、責任取ってこのボクちゃんが教習所に行きます、オツムの中はこの程度の認識だろう。
 ただの幼稚園児ならせめて年月経てば普通の社会人にはなるが、元が知恵遅れだから一人前の社会人の能力要件が揃うことは永遠にない。大損害はこれで終わらない。
 社会人になろうがなるまいが、初歩的な運転技能が身に付こうが付くまいが、はねられた被害者の被った損害が以前通りの無傷に修復される訳ではないのだ。
 はねられて死んだ人や手足を失った人が大勢いるのを前に、ほおら責任取ってちゃんとボクちゃんが教習所に通うとオオヤケの場でクチ約束する。だから見ててちょ。
 これが便所タワシのゴリッパな『責任感』だよ。まあ昨今の役所は全部そうだけど。

 そもそもがダメと無能の集団=デジタルあほ役所なんだから、どこで見覚えたのか『運営』などともっともらしいコトバを使って一般社会人のマネゴトを気取ってみても、所詮コドモの遊びはコドモの遊び、社会の事業アイテムの一単位として機能し得るものではない。ダメがダメなことをやるからには世間さまの迷惑にしかならない。
 最初からこんなあほ役所を作る方がどうかしてる…というか、作ることを思いつくような程度の低い邪心が、この日本列島で退治されずに放置されていること自体が、日本国運営の諸悪の根源なのだが。

 私が若かりし頃、ちょうど三次元CADが製造業大手の現場に普及して、仮想空間に製品3Dデータを作成すれば、上面図や側面図など自在にビューを切り替えて二次元図面の出力画像が得られるようになった。私はCAD作業部署の配属ではなかったが、時代が時代だけに当時の若手開発者はひと通り社内CAD研修で仕込まれたものだ。
 それまでの二次元CADはちょうど手書き文字からの標準フォントのテキスティング移行のように、製図板の手作業を機械作図にしたに過ぎなかった。製品立体イメージは作図者が脳内に組むしかなかったから、勘の悪いCADオペが描くと、上面図と側面図で辻褄が合わなかったりするミスも発生し得る。
 いっぽう三次元CADなら仮想空間内で立体として成立する形状をまず組まないといけなくて、だが一旦それが組めたら好きなビューで眺めながら、任意の寸法が自由自在に取れて印刷紙面にも出せるから辻褄の行き違いは起きない。便利で正確になった。

 例によって横道に迷い込むが、昨今の建築用ソフトには感心させられる。
 図面を引きながら各部位の部材データなども併せて入力していって、図面を引けばもう常識的な強度計算はできてしまうし、遠近法の効いた完成予想図の出力も朝飯前。おまけに天気や時刻に応じて光環境を切り換えながら、街路樹が風に揺れ小鳥も舞うオシャレ完成予想動画までもがラップトップPCで可能だ。簡素な図面に、あっという間にリアリティの生命感が吹き込まれる。

 あーCADの話題でもうひとつ思い出してしまった。いきなりNHK朝ドラ『らんまん』に話題をすっ飛ばそう。
 植物学者を志し、植物学会誌創刊の計画を打ち立てて即実行、自筆の植物画をそのまま石版印刷にするためワカが印刷所に弟子入りした訳だが、あの石版印刷の原理と工程は知らなかった。
 石の原版に反転像を彫り込んで凹部にインクを詰めて刷る『凹版印刷』だとは予想していたが、墨描き部分だけゴムが乗らないように化学処理して、表面にアラビアゴム層を張って固めて凹部を作るとは。
 固い石にスジ彫りは現実的でなく不思議だったのだけれど、こういうことだったか。

 さてワカの筆描きにせよ海外の印刷書物にせよ、見事な線図が劇中に頻出する。
 雑誌の漫画やアニメのセル画も線画だよな。そしてCADデータも。

 実は、超絶技巧で気の遠くなるほど精緻に描き込まれた線図でも『目に映る視覚としてとらえるブツの姿』とは、決定的に異なる質の画像情報なのだ。
 ワカの牡丹の絵を手に取って『目の前で咲いてるみたい!』と感嘆したおスエ嬢だが、彼女の脳内では、現実には存在しない黒一色の輪郭線から花弁や葉の形状にまつわる記憶画像が呼び出され、さらに風に揺れる構造強度のイメージや部位別の色彩などが再現されている。彼女の不完全な脳内記憶データが線図の入力を得て統合処理され、一気に具体的な仮想体験レベルの高度情報にまで達したのである。

 『白地に黒線』に記号化された初見の線図画像が入力され、脳内ストレージに保存されていた現ブツの牡丹の記憶情報たちが検索で呼び出された。
 この『入力記号を得て正しい選択でファイル出力する』情報処理こそ、しばしば議論される『理解している』という概念なのではないかと思う。『理解』とは、そんなに得体の知れない神秘的な演算処理プロセスではないのだろう。そして、ここで。

 『受信者が現実の体験記憶ファイルを、検索可能なスタンバイ状態で保存している』
 決定的なポイントはこれだと思う。印刷所の親方と岩下絵師の言う『本物を知る人間が、本物を伝える手段としての絵』が機能するのは、受発信者の双方の情報ストレージが充実した教養の環境があってこそなのだ。うむう、今クールの朝ドラも面白いねえ。

 あらら分量がヤバい、横道の強制終了で製造業の三次元CADの本筋に戻る。
 もちろん自社製品の三次元CADは社内で一元管理され、必要に応じて各担当部署の端末で呼び出されて、設計変更が入ればその都度データ修正される。他部署から見れば、今日と明日でネジ穴の位置が違っていたり軸が太くなっていたりするワケです。
 とある部署が支柱の断面形状を変更するため一元データを呼び出して修正を入れようとして、その部署のCADオペ担当が操作を間違えて、一元データを壊してしまう事故が起こり得るのだ。ちゃんとやったはずの仕事が同僚のミスで壊されムダ突発のやり直し、それを避けるために当時の若手はCAD研修で仕込まれた。
 イチ部署の未熟者のほんの手違いで、全社レベルの大損害にもなる。これが一元デジタル管理の怖いところであり、実際『お前ら一人でも失敗したら非難を浴びつつ全社に謝罪、自部署みんなが責任取って連日徹夜のタダ働きで復旧作業だからなっ』と厳重に脅されたものだ。そりゃ死活問題だもの。

 若いイラスト職が『AI作画が凄すぎて商売あがったりだ~』とSNSで泣きを入れ爆発的に拡散したのが、ほんの昨年夏。線画も写実画も、コントラストもグラデーションも、破綻せず指定された作風で速やかに出力してくるのには驚くばかりである。
 線図はただの線が成す『線vs線』としての相対位置関係、写実画は描写アイテム現物にまつわる学習記憶ファイルから、各々出力画像を起こしていると思われる。
 二次元画像情報の質としては大違いの線図と写実画だけれど、これらを『一致している』と結び付ける情報処理の学習記憶が新たに蓄積されれば解決するハナシであり、こうやってAIは『見たものを理解する』のではないかと私は考えている。

 漫画雑誌のドラえもん=著作線画は立体化できるし実際に立体化され商用化されている一方、私が勝手に油絵や水墨画で描き写したり、DIYでその形状を作って売ったりしたら違法行為だ。だが『著作権に抵触』の判定は、結局のところ大いに不安定な人間の『コレとコレは一致』の主観キブンでしかないのではないだろうか。
 『AIに判定させればいい』と回答する人がいそうだが、AIは常時もの凄い勢いでインターネットの情報世界から学習を重ねているので、その判定基準は瞬間瞬間に変動し続ける。やるたんびに違う結果を返してくるはずなのだ。
 いよいよ『あらゆる情報が無償で流通する社会』に近づいているのかも知れない。

 二次元・三次元の幾何学事物の視覚認識と判定だけで、これだけの課題意識が数十分で思いつくまま書き下ろせる日本社会の情報管理、標準化が進み整然と書面保管されている個人情報の整理し直しすらマトモにできない社会人未満の役立たずどもに居場所は無い。これ以上ナニかする前に消去が必要だ。
 我が身をもって賢くなっとかないと世に関われない。まあいいじゃん、御幸運を!
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