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【1168】傲慢すぎるプライベートを覆うオフィシャルの笠サイズ [ビジネス]

 せっかく言及したので、もうちょっとだけソーリ官邸の忘年会について。
 やはりというかキッシーみつをも部屋着で加わって、しかも見事にアッパラ夫婦お揃いで、和気あいあいの一枚が追い討ちをかけて公開された。こいつらアタマ大丈夫か?

 北米では『国防総省ペンタゴンの直近で黒煙が上がる画像』が拡散され、即座に『AIに描かせたフェイク画像だ』と発表があり、北米社会もそれを受けて納得し早々に落ち着いたのに、かたや日本ではキッシー親子御一家のママゴト遊びの画像が拡散され、それをモノホンとして誰も疑わないし、後追いで本人らがうろたえまくっている。あまりにも対照的で、腹を抱えて笑っちまったよ。

 『私的スペースで親族と同席しただけ、公的スペースでの不適切行為は無い』とは、キッシーみつをの恒例のコミュ障コメントである。これで切り出して会話になると思えるのだから凄い。
 いや、行政の最重要ポストともなると、突発の最悪の状況下でも国家中枢機関と徒歩で行き来できるような所にいてくれないと困るから、特製の居住施設をあつらえてそこに住んでもらいましょ…ってことなんだよな。赤坂からちょっと歩いて溜池山王の日枝神社の裏のへんだっけ、確か。
 誰にも等しく人間個人の生活はあるんだけど、公人の中の公人ゆえオオヤケの都合が四六時中割り込んでくるため、そのオオヤケ対応生活の効率化のため税金資本で建てたものだ。もっとも幽霊が出没するとかのウワサもあるようで、ここを生活拠点にしなかった総理大臣も過去には散見されるのだそうな。もったいないハナシである。

 全部でないにしても個人の生活を官邸に持ち込むとなると、税金運営の官邸とはいいつつ他からの干渉を絶つべきプライベート確保の概念は必ず発生する。風呂上がりに全裸で缶ビールを空けようが、そのままベッドに倒れ込んで寝小便をたれようが、誰にも知らせず知られずで構わないし、その時空間を確保する権利は誰にだってある。
 まあそんな時空間だから、それをどう使おうが、そこで何をしようが『私的スペース=個人のプライベート生活領域』と言い張って許されると思ったんだろうなあ。

 こんなコトわざわざ結論から言わなきゃならんのか。絶対ダメだ、判らんか?

 何よりオオヤケ設備なんだから使用目的が特定されているはずなのだ。だから、例えば街の体育館や公民館がいつも空いてるからって、今晩は宿泊料取って観光客を呼び込もうとか、そういうことはできない。
 首相官邸は『総理大臣個人の居住に関わるプライバシー確保』は認められているが、誰相手にも『遊興施設としての利用』は認められていないはずである。

 本人の身体はひとつしかなくて、会いたければ本人のいる所へ出向くしかないのだから、友知人が挨拶にでも訪ねてきてくれて、いま重職の身なので赤坂の飲食街で今晩一杯ってワケにも行かないし、官邸の応接間でちょっとビールなりワインなり開けたら、体調イマイチだったこともあり酔いが思いのほか回っちゃって、普段やらないようなおふざけをやっちまいました…という展開なら咎める理由など無い。
 あったとして、国家の重職ともあろう者がとっさの意思決定に支障が出るような酔払い方をしてしまったところにあり、運よく緊急事態も起こらなかったのであれば『以後は気を付けてくださいね、気楽に酔っぱらえないお立場どうも御苦労様です』ぐらいで済ます出来事だと思う。総理大臣だって、人間なんだもの。

 オオヤケ設備に『プライバシー確保の時空間を確保する概念』は必要だし認められて当然だが『認められたプライバシーを家族・親族・友知人のレジャー用途に開放した』となると、これは言い逃れできない『私的流用』である。
 こんなバカバカしいもの物理的に官邸入居マニュアルに記載があるのかないのか、はたまた法律にいちいち文章化してあるのかないのかは知らない。だが日本列島に暮らす1億2千万人日本国民の判定として、明らかに『程度の低い目的外使用』として間違いはなかろうぜ。
 今ここで私はそう思うし、これを読んでいるあなたもそう思うなら、他の日本人たちも全員そう思うと拡大解釈してハズしてはいない。つくづくこのレベルの批判をせねばならない総理大臣が実在するとは、信じられない呆れた現実である。

 そもそもから行政機関トップ秘書官に家族を、ましてや実子を就かせるなど、どんな優秀な適任者だったとしても避けなければならないと考えるのが常人の感覚だ。1億2千万人もいる国民なら、少なからずの大勢に身内びいきとして映ってしまい、この手の感情は根深いので、行政を動かすにあたり非常にタチの悪い障害となり続けるからだ。
 『ヘンに見られて誤解で嫌われるのを避けるため』ではなく『組織の制御性をムダに悪化させないため』に、気分の問題ではなくドライな業務判断として避ける。
 実際、身内びいきの印象をどんでん返す業績のひとつも上げずに不祥事だけ重ねておいて、今更ようやくの交代人事に『けじめをつける』という日本語表現を使おうと思いつく感性が理解できない。日本人として、社会人として、人間として壊れている。

 『文系的キブンの問題』と『理系的ゲンジツの問題』を区別して意識し、各々目的別・段階的に処置するという思考世界が無いんだろうな。
 重保現場の安全管理の場合、理系ゲンジツの『死なない怪我しない』が至上命題だから、『油断だ、危ない!』を見つけたら、昨日来た新人が20年ベテランの管理職でも怒鳴ってぶん殴って蹴飛ばすのが躊躇なし一択の選択肢である。
 普段から礼儀正しく面倒見よく仕事もできるその管理職氏がそんな目に遭った現実は、もちろん職場の人間関係のイメージと大きく食い違う。だがそれは『事故を起こさずに済んだし、今後にも歯止めがかかる』という理系ゲンジツの達成要件なんだから必須のプロセスだったとして全員が納得、あとは文系キブンの問題となる。

 新人くんは『あの時は失礼しました。申し訳ありませんでした』と頭を下げに行き、管理職氏は『いやいや油断してたよ。助かった、本当にありがとう』と笑って礼を言えばよろしい。次の瞬間から、職場の全員が『危機一髪で事故回避の事実』の記憶をひとつ刻んで、人間関係はぴたりそのままキープである。プロの職場だ。
 因みにこんな場面で、決して人間関係を悪化させるような悪意があるワケでもないのに、つい『新人のくせによく上司にケリ入れるよなあ』みたいなこというヤツを指して、険悪な悪口ではなく天然系の意外性を指して『ひとこと多い』と言うのだ【1161】

 昭和の時代はまだゲンジツ問題とキブンの問題にかなり深い線引きがあって、『大人の解決をしようや』というとカネや法的措置のことであり、成人社会人が『コレコレ言われて傷ついた』などという根拠で相手を非難すると、子供のケンカじゃあるまいし、そんなもんクチ喧嘩やじっと我慢で済むハナシだろうが、こっぱずかしくなるようなクサいセリフ使うな!ぐらいの否定的な受け止め方しかされなかった。しばしばニュースで耳にする『精神的苦痛』という日本語は、ぶっちゃけキブンをゲンジツに換算したいがための言いがかりに近い語感として響いたものである。
 高度経済成長期、言葉でなく態度で示し、業績で順位が決まってカネがさあナンボ、の時代だ。

 平成以降、ヒトに優しいココロに優しいで個人的な心境への対応がどんどんこだわられるようになって『大人の解決』に割り込んでくるようになり、21世紀になってからは個人的な心境がインターネットで大衆社会に拡散されるようになり、つまり『大人の解決』で当事者同士が割り切ろうにも、外野や野次馬のキブンの問題が巻き起こす組織の反応の影響が無視できないほど大きくなった。
 これには良いコト悪いコト両方あると思うのだけれど、理系ゲンジツ問題の普遍性・絶対性があやふやになり、昔ならゲンジツに徹するのみで考え及ばなかったはずの『強権風を吹かせば一方的に終わらせられる』『損害額を発表して謝ればゴメンで済む』といった、『子供のケンカ式のキモチの解決』だけの中途半端がまかり通るかのような勘違いが拡がってしまったのは、間違いなく悪いコトだと思う。

 民間企業なら大人の話が通じないガキは商売が干上がるので、結局は自由競争市場で人さまと関わり生きていくために、大人にならざるを得ない。
 反面、役所など公的機関は税金資本で維持され市場原理が働かないから、クチだけキブンのガキ対応だけやっておいて『大人の責任、一丁あがり』のテイを決め込み、怠け心や逃げ隠れによるゲンジツ問題の未処理放置が増える方向にしか行かなかったんだろうな。どんなテイだろうが、誰も許しちゃいないんだけどさ。

 再度、イチ日本国民として問い質す。
 いったい何の業務目的で、何の現場作業をやらせて熟練人材を10人も死なせた?
 おかしな『閣議決定』をやらなければ、10人は今も無事に勤務していた。
 10人死なせた『閣議決定』をやらかしたヤツらはどいつらだ、と訊いている。

 国民目線で相当な精度の答は出ており、黙って引張れば引張るほどそれが国民の記憶に残って、いずれの大局に効いてくるだけなんだけど。
 次の選挙は投票率上がるといいな。『こうしたい』が見えたアナタにグッドラック!
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