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【1134】経済大航海前夜のインテリ港湾ツアー [ビジネス]

 あうち。NHK朝ドラの悠人お兄ちゃん、インサイダー取引に手を染めちまったか。
 ここまで少々ヒネリが感じられたが故に【1121】、ちょっとベタな印象かも。まあ小うるさいコト言わずに、大人しく観ようかね。

 例によって若い人向けに解説を入れておくとするか。
 カネさえ持っていれば自由に株式を売買できるのが自由競争市場であり、だから『儲かる会社』の株は大勢に買われ、その支払金はますます会社の資本金となって当該事業を増強していく。大航海時代に原産地特産物と近代文明の世界地図規模の流通・交換が始まり、その輸送経路において『遭難リスクをさばく物流ルート組織戦』として発生・進化した経済システム原理だ【589】

 うわ、いかん。五島で一太くんが船の修理を習得しているシーンを見ていて、船舶技術の話題にも触れておきたいと思っていたのに忘れてたよ。いま思い出した。
 普通に空を見上げていて太陽や星座は時刻の進みと共に動くのに、その規則性まで見抜いた基準を構築し、そんな天文航法で『たかが風』を動力源にして、北半球から赤道を越えアフリカ大陸南端の喜望峰を折り返していたのだから凄い。私が小学生時代の高度経済成長期、現代式の大型輸送船に巨大マストを3~4本立てて帆を張った挿絵があり、燃料代の大幅節約を謳うSDGs技術構想が理科雑誌に載っていたものだが、アレってあんまりメリットなくて廃れちゃったのかなあ。
 気紛れな風を最大限に活用する帆船の、その設計や操船にまつわる技術は原始的だと見下したものではなく、あの細長く浮いている船体から目一杯高く帆を上げて風を受け横転させずに速度を稼ぐための機能構造と、風向きの変化に遅れなく多数の帆を臨機応変に設定変更する人員チームワーク指示命令系の組織コンセプトは、非常に高度で興味が尽きない。語り始めたら分量も尽きない。

 そうだな、海風は強烈に寒いので、暖かくなったら横浜に行ってみることを勧める。
 遠景で映らないので知らない人は意外と知らないのだけれど、桜木町で降りて間近にランドマークタワーがあって、そのすぐ傍にまずドックヤードがあるのだ。大型船舶がまっすぐ入って底まで外面から整備ができるように組んだ石造りの作業場で、コロッセウムを思わせる巨大な産業遺構である。今も解放されていて、普通にヤード内のスペースに入って歩き回れるはずだ。
 その横に帆船『日本丸』が係留されていて、確か隣接する『日本丸メモリアルパーク』と入場料が一緒だったか別だったか、とにかくこれも公開されていて船内を存分に観察することができる。月イチだかで帆の展開ショーもやってたんじゃなかったっけ。

 『日本丸』は練習船なのだが、洋上の船という隔絶された小世界で『とにかく無駄のない統制でスムーズに操船して、いち早く無事に目的地に辿り着く』という船舶運航の根幹原理を船員たちの心身の芯から育成するため、動力船主流になった後も姉妹線『海王丸』と共に割と最近まで運用され続けていた…とか、そんなハナシだったはずだ。
 よって、わざわざにすっぴん素朴な帆船でもなくエンジン航行も可能である。船尾には完全な人力操船時に100メートル近い船体を操舵するための減速機構がもの凄い。
 船長室なんかは、指示命令系の徹底を絶対保証するための『組織統率機能の必然としての差別化』が図られているのを見ておこう。ありていに言えば『これ見よがしに差をつけて船長は上等・高級』になっており、同様の造り込みはお台場『船の科学館』の南極観測船『宗谷』にも見ることができる。
 こういうものを考えもせずに『差別』『人権侵害』の価値観スケールで論じることに人智の意味はなく、生物としての人類が『洋上の船という閉社会』で生き延びて、計画的に海を渡り切るため編み出した経験則なのだと理解しよう。判断が割れて誤っての遭難や、乗員統治を失っての暴動で幾多の外洋船が陸地に到達できなかったのだ。  
 裏返せば、この差別化をただの『優遇』や『支配権』としてしか理解できない未熟者は、絶対にこういう組織統率の機能職位に就けてはならない。憧れのまま我欲がその場の現実になる満足感に夢中になり、その幼稚な思い上がりが組織全体の信頼を遠ざけて、その空間まるごと崩壊していく流れで発散・終了である。

 『日本丸メモリアルパーク』の方は海洋技術博物館になっていて、確かここでは簡単なゲーム式に、風向きに応じた効率的な針路の採り方を体験する展示物があったと思う。近くの小学校の見学隊なんぞとかち合うと落ち着いて観て回れないので、先に入口案内でその旨を確認して入った方がいいかも知れない。

 土産物や飲食が目当てなら赤レンガ倉庫も悪くないけれど、日差しも海風もきついと思うなら『日本郵船歴史博物館』の訪問の方をお勧めする。今ちょっと調べたら昭和11(1936)年製らしいが、格調ある旧社屋を改装した海運史博物館であり、少しコンパクトなサイズにリーズナブルな入館料がとても気に入っていて、何度もお邪魔したものだ。まだ順路ラストの自販機喫茶コーナーあるのかな。
 戦時中に日本列島を取り巻く大東亜共栄圏各地との物流手段として拠出され、非武装のまま出航して二度と戻らなかった船たちの写真の数に圧倒される。確か100隻余りあったと記憶している。
 人っけがどこにもない北方領土以北の極寒の原野や、不衛生かつ不快指数無限大の熱帯の密林で、敵軍どころか周囲の全てと死闘を続ける仲間たちのため、僅かな可能性に命を賭け武器も持たず、嫌だとも言えず言わずに漕ぎ出した船員たちが大勢いた。もちろん根拠もきっかけも無いところに奇跡は起こらず、軒並み海の藻屑と消え去った。
 戦後の平和になってから『丸腰で沈められに行った』『死ぬのを判って強要された』と好き放題に戦争ハンタイのダシに使われることが多かった物資供給の輸送船団の船影、よく見ておきたまえ。

 いま幸せなことに戦争の逼迫なんぞ心配する局面ではないが、1億2千万人日本国民に黙って勝手に、南西諸島に軍事設備を大量投入する気の狂った公共事業をやっている非国民がいるだろう。今どき利権商売目当ても見透かされていて『平和ボケ』ならぬ『戦争ボケ』と呼び捨てられており、実質社会機運を惑わす不安には及ばないにせよ、日本国民として穏やかに見過ごして良いコトとは到底思えない。
 戦争で悲しい後悔を経験した日本国は、戦争の心配をしないで済む今の間にこそ、こういうあまりにも質の悪い黄色いサルを、自分たち日本人の平和社会の真面目な安全管理として、きちんと間引いて根絶やしにしておく必要があると思う。

 あーここまで来たら大さん橋を過ぎて、もう山下公園の『氷川丸』まで行ってやれ。
 現存唯一の戦前製の貨客船だそうで、たびたび改修を繰り返しながら昭和35(1960)年まで運行されていたそうだ。立派な内装だがそっちは各自で御覧いただくとして、まだ船底近くまで降りて行って見れるのかな、ピストンの上下に燃焼室を持つ『往復ビンタ』式のディーゼルエンジンが面白い。
 大型舶用エンジンの専門領域に踏み込むと、もう完全にハナシが終わらなくなるのでばっさり端折るが、二輪・四輪の自動車などそこらのフツーのエンジンではまあ見ない構造なのだ。メカ好きな人には一見の価値アリ、横浜を訪れたら是非とも御覧あれ。
 桜木町も一度降りると丸一日飽きずに歩き回れるから、大好きな街なんだよな~

 あ~あ、インサイダー取引の解説から入って自由競争市場について語るはずだったのに、横浜ネタ船舶ネタでこんなにスペース割いちまってどうするんだよ。例によって今回はギブアップであっさり諦めるとして、次回は経済トピックの解説から入りますか。
 何事も、論点の核心にズバッと斬り込むため背景を省略する価値観も否定しないが、逆にここまで遡って理解が地固めできている人間は、先を発想するにも、その思考経緯を論じる発言をするにも、重量感の格が違ってくる。

 日本丸や氷川丸の機械構造に学ぶ船舶工学でも、あるいは組織原理から読み解く内装設計思想でも、更には海運史と戦禍に学ぶ国際情勢の変遷絵巻物イメージでも構わない。ヒトがこれまで『もっと良いコトがある』と思って積み上げてきたモノとは何なのか、それはどんな現実を迎えて過ごして、成功だったのか失敗だったのか。
 どんな局面でもヒトとして『今より良いコト』のために意思決定し行動選択するために、より多く学んで、より多く考えて、腹をくくって決断し現実を動かせる、理知的で素直で賢明な元気一杯の若さであって欲しい。

 もう受験シーズンなんだっけ、いま正念場の若者たち完全燃焼でどうか御幸運を!
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