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【1133】『眠れる朦朧の美酒』の再生速度 [ビジネス]

 久し振りに脱ステ体調や意識系トピックに話が向いたので、もうちょっと続ける。
 ここ数年で私は本当に『寝るの大好き』の生活ペースが定着したと思う。

 一昨年あたりから『痛み痒みで辛くなりそうになったら寝てしまう』という手が必殺技として通用するようになり、もうこの世が破滅しない限り大概の別件は瞬殺シャットアウトして『いいから明日!今はギブアップ、起きて動けたらそこから考える!』とソッコー就寝するのが常套手段となった。
 とりあえず必要に駆られて『さっさと寝る』ようになり、今度はそれが『ゼロベースの自然な快眠とは何なのかの模索』に移行したのである。覚醒時の生活アイテムによる占有時間がまずあって、どうにかそれをこなした後の残りが睡眠時間になっていたのだが【965】、この人生長らくの優先順位が逆転した。

 まずこれで思い知ったのが、アルコール摂取による睡眠の質の低下である。年齢のせいもあるのかも知れないが、それにしても深酒を引張ると、翌朝の稼働力の土台が悪い影響を受ける。
 好調時に、いつも通りすうっと眠りに落ちて存分に熟睡して、朝ぱっと自然に目が開いて『ああー、よく寝たっ!』と爽やかに起き出す感覚は大好きだ。私の場合、今のところ7時間ジャストがこの適正睡眠時間らしいと感じられ、体調に恵まれた幸運な朝は狙ったようにアラームの5~15分早めに自動的に目が覚めて、この爽快感を楽しめる。

 だがアルコールを一定量を超えて飲んでいると、この睡眠時間の制御が狂うのだ。さすがに真夜中に目覚めてしまうことはあんまりないのだが、やはり途中で随分と眠りが浅くなっており、入眠から7時間経過時点で自然完遂できておらず、アラームに起こされるなり惰眠を引きずりたくなるなり不自然な違和感を強いられる。
 そんな状況でも一応は睡眠量相応に目覚めて起き出すまでは良いとして、今度は睡眠中に心身を上っ面しかメンテでき切れていない薄っぺらさというか、ここから更には眠れないのを知りつつもう一回眠りたいような、『心身が重い、動きたくない』モードが全感覚の背景に決まってしまう感じなのだ。
 遂に我慢できなくなって本当に横になってみても、時間だけは十分眠ってしまっているので『もう満タン、注ぎ足し不可』みたいな満杯感に塞がれてしまい、結局すぐ諦めてイヤイヤ起き出すしかない。いざ動き出してしまえば最初グズっていたよりはマシに動けてしまう気もするが、それにしても睡眠不足のもやもや不満足が鬱陶しく、その夜きちんと眠り直すまで一日過ぎるのが待ち遠しくて仕方ないのである。

 もともと泥酔するほど飲んでも悪酔い・二日酔いはしないタイプなのだが、泥酔どころかその遥か手前の飲酒量で、こんな睡眠の質の低下を呪うには十分にコト足りる。
 最近は本当に、夜に外で飲まなくなっているんだけど、その稀な一回についつい調子に乗って、一人では絶対にそこまで行かないプラス1~2杯を深入りしてしまうと、翌日には『まあ仕方ないな』の後悔と納得のペースダウンに甘んじなければならない。昔も今もこれからもアルコールは大好きだけれど、文字通り夢いっぱいの快眠の楽しさを追究し始めてからは、せっかくの美味い酒がヘタすると翌朝もったいないことになるので、睡眠の質の被害度とすぐ天秤にかけるクセがついてしまった。
 むしろこの寒い季節、水道水をちょっと手ですくって飲むと、そのキリリと透き通った喉越しが美味すぎて、もう一口あと一口…と飲み過ぎないよう反射動作を抑えるのに苦労する。脱ステ中には水分の摂り過ぎを控えるべきとする説があり、確かに肌荒れは乾燥させた方が解消が早いと感じるし、何とも健康的な葛藤だ。
 子供の頃『世界で一番おいしいモノってなあに?』という問いに、『水』という上級サイエンス式の模範解答(?)があったのを思い出すが、なるほど確かに~!

 さて酒のハナシはこのくらいにしておくとして、やっぱり睡眠時間というのはやむなし生体メンテの時間などではなく、もっと積極的アクティブに過ごすべき贅沢な人生裏画面だと思うのだ【966】
 映画を観るのと比較すると、あの長大な『ガンジー』でさえ3時間強だから、私ならあれを2回連続で観ても一晩の睡眠時間に余裕で収まってしまう計算になる。

 因みにこの”Gandhi”『ガンジー』(英・印共同、1982年)は私が観た映画の中では上映時間最長の一本だ。学生時代に試写会のチケットが二枚転がり込んだという友達が誘ってくれて御相伴に預かったのだけれど、昼下がりすぐ入館したのに、終わって出たら随分と夕方になっていて驚いた。
 一度だけでは理解し切れた気がせず、いつかリベンジ鑑賞したいと思っているのだが、あの長い長い上映時間の心象が先に立ってしまい今もって二度目を観れていない。大画面いっぱいに展開する壮大な世界史ドキュメンタリー作品ゆえ、スマホ画面での視聴はイマイチお勧めしない。

 おっと余計なことを連想したので、横道で消化しておこう。
 その同一人物には別の回にも誘ってもらって、”Koyaanisqatsi”『コヤニスカッティ』(米、1982年)という前衛芸術の映画作品を観たのだ。いかにも見慣れないこのタイトルは『バランスを失い混乱した世界』を意味する民族言語と解説されていたが、今日の表記は『コヤニスカッツィ』の方が目立つようだ。
 大事なとこのネタバレ気味になっちゃって申し訳ないのだけれど、劇中ナレーションも無く様々な地球上の出来事ありのままの映像が淡々と流れていく…という造りなので、現代風のファスト視聴をやるとすっかり無意味になる映画であろう。
 個人的には、こういう『観る者に積極的な集中力と思考を要求するコンセプト』は嫌いではない。ここで、視聴者側に情報処理の質や速度の個人差はあるものの、制作筋が意図して作品に造り込んだ『時間の進行速度』は、そこに籠めた内容を訴えかけ伝達する大切なコミュニケーション要件のひとつであるはずだ。
 ただこういうのって、好きじゃない人にとっては我慢できない作風だとも思われ、特に本作品は『途中でやめて出た』『カネ返せ』みたいなことになるリスクは甚大で、なかなかチャレンジャーな一本である。

 私自身はファスト肯定派でも否定派でもなく、必要に応じて使い分けている【1042】
 さすがの私にも、受信した情報を処理して有価物ならぬ有価情報としてファイル保存するにあたって、脳神経系システムの物理的な作動速度の限界はあるのだ。再生機器任せのファスト視聴でこっちのシステム認知速度がついて回らず、改めて標準再生で見直すくらいなら、最初から標準再生の一回で済ませた方がよっぽど効率的である。
 ファスト視聴にするかどうかは割と真面目に考えて事前判断するし、ファスト視聴中に予想外に内容が濃ければ標準再生に切り換えたりするのもしょっちゅうだ。巧く使えばファスト視聴は便利だと思っている。
 だいたいさあ、もう若者とは到底呼べない我々オッサン世代も、VHS裏ビデオを最初ファストで始めて核心部は標準再生で視聴、なんてのは普通だったじゃないすか。
 合法範囲内の『表』は正規流通ルートに乗り製作費も潤沢、よって映像美やストーリー展開の商品性も一応考慮されたと思われるが、『裏』にそんな贅沢なものは無い。目的機能シーン以外はまさに場繋ぎであり、キホン誰もが早送りしていたはずである。

 おっといかん、横道の分量も映画のトピックも過ぎたぞ。まあいいか。
 何年も前まだまだ苦しい離脱症状に苦しんでいた頃、ほんの少しまどろむ間にびっくりするような長尺の夢を次々と見ていたものだ【615】
 当時に比べれば、平和に安眠できている時間は圧倒的に長くなっているはずで、反面しっかり夢を見た実感はそのままに、遥かに整理された時空間を通り過ぎてきた自覚がまとまっている。ある意味、最初から腰を据えた標準再生モードで安定してきているとでもいうか。

 前回ちょっとした健康トラブルを検知したら、いっそ横暴キャラの安静を決め込んでしまってはどうかと述べた。それはおのれという情報生命体が、十分な稼働環境の整備を経てスペック通りの作動をした時にナニが起こるかのジブン品質検査につながる。この認識を確かめてその後を過ごせるんなら、ムチャだけの悪い取引ではなかろうよ。

 まずは『いっぺんやってみる』で始めてはいかがでしょうか。結果を見て次に進む。
 大事なのは、自覚する『健康』の質に興味を持つことだ。お大事に、グッドラック!
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