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【1111】身も蓋もない純朴のビジネス通信効率 [ビジネス]

 お、四桁ゾロ目に到達したか。何のセレモニーもやらないんだけど。
 まずファンとしてはちゃんと(?)NHK朝ドラ前作のフォロー番組『ちむどんどん外伝』を視聴したので、その話題から。

 比嘉家四兄妹のトーク座談会と長男主演・末娘主演のドラマ2本で合計2時間もあったのでわざわざ録画して観てしまったのだが、若手の俳優・女優さんたちの好感度も、ドラマ作風の外宇宙感も健在。相変わらず次元のぶっ飛んだあの時空、作話能力の未熟や創作期間の不足なんかでこうなるとは思えないし、では正統派の王道から狙って崩してあれがやれるかというと、それも恐らく無理だ。凄い。
 これだけ好印象の若手役者陣を集めているのに、とにかく出てくる男という男はみんな優(やさ)オトコというにも骨が抜けていてすべからく気持ち悪いし、女は女でせっかく美人揃いなのに、これまた全員どんなに辛抱強い男でもギブアップ間違いなしの勢いで、始末に悪い面倒くさい我がままで要対応マターばかり次々こさえて回る。これじゃただの悪女の方がよっぽど心穏やかに見ていられるぞ…と懐かしい心象を反芻できて嬉しかった。
 皆さん入れ込みようのない役を作るため並々ならぬ努力を払っているはずで、それゆえ制作現場の結束はひときわ固まったものと思われる。やっぱり学習途上のAI作品というイメージが強いのだが、本当に誰かが通常の業態で取り組んだ成果だとすると、それはそれで何があったのか興味津々である。
 忘れた頃に種明かしの面白い後日談が出てくるとタイヘン面白いのだけれど。

 いっぽう現在放送中の『舞い上がれ!』は、東大阪のとある町工場にしては実は結構ドラスティックな出来事が繰り広げられているのだが、わかりやすく素直な展開が安心して観ていられる。私は所詮『おかえりモネ』がNHK朝ドラの見始めなので相場の勘が無いのだが【1019】、課題勃発から解決までを比較的コンパクトなエピソード単位にする構造が特徴的であり、ウィークデー朝15分の帯ドラマならではの配慮というのはあると思うけれど、とても観やすい。
 布石だ伏線だとやたら複雑な謎解きを仕掛けられると、そっちが億劫になってきて視聴の気力が続かなくなると思う。
 その昔キャスティングの顔ぶれを入れ換えた『ターミネーター』続編を米TVドラマがやっていたようで、日本でも深夜枠で放送されていた。コレ最新の映像技術なども盛り込まれていて興味深く視聴し始めたものの、とにかく人間関係や事実相関がややこし過ぎて、少なくとも私は早々に根気が尽きてしまい継続を諦めてしまった。
 視聴者はビールでも片手にメモも取らずに週イチで観るのだから、とても覚えきれない放送回跨ぎのエピソードを複数ひっぱられたり交錯されたりすると、あっさりと気力喪失が先に立ってしまう。

 さて今回は不定期重点企画のネイティブ大阪弁解説ではなく若者コトバ…というか、既に若くない年齢層にも広く普及していると思われる日本語表現についてのハナシだ。
 サラリーマンになったものの精神的な負担がきつくなっている雰囲気のお好み焼き屋さんちの貴司くんだが、自身の仕事向きを吐露する発言に『僕だけがうまく行かんくて…』みたいな台詞が出てきた。

 私自身は御覧の通り思いっきり日本語が乱れているタチである。コトバとは意思疎通の手段であり、受信者に効果的に響くことを最優先かつ不可欠要件と考えており、そこに形式のこだわりは全くない。正式な文書などで厳格な文法や様式が必要なら、そこさえハズさなければ良いのである。
 というか、薄らトンカチに既成概念への隷従として文体や様式にこだわるようなハンパなコミュニケーション意識しか持てないでいると、発信・受信の情報精度がナマぬるく落ちて物事の効率が下がるだけだ【812】
 そういえば五島のお祖母ちゃんが貴司くんに向けた『逃げてきた』『変わり者』の表現なんか、腹を割った親近感の誤魔化さない現状認識があって良かったよな。誰だってヘタ打ちゃ単刀直入に指摘されるもんだし、そんときゃ本当に自分は這いつくばっててみっともないんだよ。上っ面だけ慰めても良いコトは無い。そこからどうするかだろ?

 余談を少し挟んでおくと、就業人生の早期に深刻な挫折感を体験した人材に限って、後々組織を深く理解した貴重な戦力になる気がする。絶望に打たれまくりながら打たれ強さを蓄え『うまく行かない自分』の対局として『うまく行っているとされている職場』を真剣に観察し洞察し、そこに迎合するための要件とその方法論までゼロ構築しているからだと思うのだが、その話はまたいつか。貴司くんの苦悩と葛藤、いい感じだ。

 まあいいや、いま私が気にしているのは平成世代の音便のことである。
 まず『うまく行かなくて』ならば、我々関西ネイティブ昭和世代は『うまいこと行けへんかって』あるいはせいぜい『うまく行かんで』あたりが普通だ。『うまく行かん』の後に『く』が入り込む理由が解らない。
 今世紀に入って早々の頃、私はあれ?と気付いて、最初は自分の聞き間違いか、さもなくば発言者の口のもつれかと思ったものの、どうやらそうではない遭遇頻度を感じて、5年あるいはもうちょい下だっけかの後輩に確認したことがあるのだ。
 そこで彼は『ああ、違うくて・違くて、言いますね』と明言してくれた。

 ええ~?クチがカクカクして回りにくいだろうに、わざわざの一体どういう起源の新潮流なのだろうか…と不思議に思って以来いまも追いかけているのだが、若い人に絶大な人気者の口癖だったり、テキスティング変換のなりゆき発現だったりといった、それっぽい原因らしきものは見つけられていない。
 標準語なら『ちがって』、関西コトバなら『ちごて』『ちごうて』であり、実際私と同世代以上に『違うくて・違くて』は全く聞かれない言い回しである。劇中の貴司くん世代の言語環境なら、当時もう関東から関西まで『行かんくて』が普及していた可能性は十分あるだろうが、この点について私には時代考証する能力が無い。

 ところで私は子供の頃から飛行機が大好きで、小学生のうちに飛行機に乗せてもらってすっかりココロ奪われたのだが【399】、パイロットになろうとは思わなかった。
 後に大人になった私は乗客として『ゲー吐くほど』飛行機に乗る行きがかりとなる。

 特に北米国内線はアメリカン航空やU.S.エアラインなどが、航空路線に各々応じた大小さまざまな機種を飛ばしており、空港でこれから乗る機種を確かめては『お、ニューヨークまで長いからコイツの乗り心地は嬉しいね』とか『あああ、気圧制御イマイチで着陸前の降下のとき耳の痛くなるやつだ~』などと一喜一憂したものだ。

 昭和の時代『手に余るくらい』『十分以上』『辟易するほど』を表現したいシチュエーションで日常的に飛び交っていたのが、この『ゲー吐くほど』という比喩である。
 お察しの通り『ゲー』というのは標準語でいう『ゲロ』つまり吐瀉物のことであり、恐らくは社会の高度情報化と共に、主に標準語圏で清潔感を損なう品の悪さとして避けられるようになって、しみじみ吟味してしまうと確かにその通りなので、関西でも流通しなくなっていったのではないだろうか。
 だがネガティブな局面で『クソッ!』と吐き捨てるにあたり、うんこの具体的なイメージをいちいち思い起こす人はいないはずで、関西の『ゲー吐く』も全く同じ感覚であり、まさに老若男女が大した差もなく使いまくっていた思い出が強い。舞ちゃんがクルミちゃんとお茶しながら『ネジやったらウチにゲー吐くほどあんでー』と特段の意図もなく朝飯前に語る感じである。
 個人的には状況・心境が的確に伝わるし、あのコミカルな響きには愛着を忘れられず、どこかで流行らせてやりたいと密かに企んでいるのだが。

 コトほどかように、コトバというのは意思伝達のための情報文化なのだし、意思伝達というのは複数の人間がコミュニケーションを通して運命の方向を定めていくための『社会的人生の本質』なのだ。
 あらゆる公共言論が全滅状態の中、NHK朝ドラで『率直な会話で交わす正確な相互理解に基づくコミュニケーション』がテーマ性をもって語られているのは救いである。

 どんなコトバよりも判りやすく一義的とされ『数字でハナシをしようじゃないか!』とまで言われる数値情報だが、いま日本円が一義的に語る日本国の運命はどうなっているのか、直視して、観念して、よく考えるべきだ。
 まずヒトとして率直に数字を読んで理解して、失意に這いつくばる素直な情操を習得できなければ進化の枝は先へ伸びない。
 大遅刻でも日本国に成長期が遅れて来てくれることを願って、明日もグッドラック!
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