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【1100】業務負荷は遊休資産ファイル棚 [ビジネス]

 暗いジャマが割り込んじまったが、実はNHK朝ドラのハナシをしたかった。
 東大阪のネジ工場かあ。私は尼崎のトランス工場で夜勤バイトやってたぞ【105】

 電王堂・特命係長の作業着姿がよく似合っていてカッコいい。主人公の舞はお隣のお好み焼き屋さんに『ほな!』とお別れしており、本作の大阪弁会話の完成度は一段と高くなっているが、さてネイティブ大阪弁講座【1022】の第二弾である。
 『そないなこと言うても…』というフレーズが何度か、お好み焼き屋さんとのお商売切り盛りの世間話の中などに聞こえた。

 まず、このシチュエーションでこの用法は正しい。言わなくはない。
 ただ『そないな』が通常ペースの会話で出るのは、明治・大正生まれ、つまり高度経済成長期育ちの私から見て祖父母世代のイメージが強い気がする。
 私の父はまさに東大阪の町工場に勤める昭和2(1927)年生まれだったが、もうこの世代になると『そんなこと言うても』『ほんなこと言うても』が普通であり、さらに日常会話では最初の発音が呑み込まれて『ンなこと言うても』あたりがスタンダードだったと思う。
 もともと日本語として正しくあろうとするNHKのはずなので、アタマの一音を呑み込むフレージングは、ついつい日常口語の『崩れ』として直されてしまったか。

 あと夫婦間で『黙っとった、堪忍やで』も、日常会話での流れ的には『黙っとった、ごめんな』の方が発生確率が高いっちゃ高いかな。まあ当時の旋盤工や溶接工など、戦中戦後を貧困・低学歴で育って腕っぷし一本で生き抜く古風な職人気質がまだ世間には色濃く漂っていたし、決して不自然な響きではないのだけれど。

 …で、高度経済成長期のこの時代、関西弁は…というか、恐らく他の地域の方言でも似た例はあったはずだが、他地域とお互い共有されない独自のニュアンスで流通する単語は幾つかあった。
 大阪の下町では『アホー、そっちやない』などと、親密に砕けたライトな否定として相手を咎めたり修正したりするのだが、東京モンに同じノリで気軽に声を掛けたところ、『あほとは何ですかっ!』と本気モードで対抗されてしまったというケースが実際あったという。
 一方『バカ』は、テレビアニメ=標準語の流通空間で出遭った記憶しかない。当時としては標準語のけなしコトバとして位置づけられていたはずである。

 もうひとつは女性、特に主婦間で世間話をしていて『もお~お、ちょっとお~』『やだ、カンベンしてよ』ぐらいの感覚で『アンタ、いやらしいこと言いな』あるいは『やん、もう、やっらしい~!』などとケラケラ笑っていたところ、やはり東京モンが『いやらしいとはどういう意味ですかっ!!』と真顔になってしまった話を聞いた。標準語的には『いやらしい=淫猥』という意味でしか流通してなかったんだろうなあ。
 ともあれ、恐らくは平成初期あたりに、たぶん漫才ブームか何かをきっかけに関西弁をしゃべる連中が全国ネットに頻出するようになり、一気に精度高い関西弁の普及が進んだような記憶がある。

 ところで大学時代に私が東北地方で自動車教習所に通った話はしたが【951】、一緒に申し込んだ学友ともども最初にぶつかって途方に暮れたのが『コトバの壁』だ。
 当時のことなので男子大学生ともなると運転操作の基本ぐらいは既に心得ているワケだが、隣で教官がナニかぐじゃぐじゃぐじゃっ…としゃべって、しかしその言語が理解できない。
 え?あれ?何か言った?…と戸惑ったところへ、いきなり助手席から教官ブレーキをガツン!と踏まれて『バガァー!おめ、なあにやってんだばはー!』と怒鳴られるところから始まるのだ。
 だがそこから続く次の言語がまた理解できないため、何を間違えて指摘され、どうしろと指導されているのか解らない。同じ失敗を繰り返していいとも思わないのだが、運転教習の真最中に『ええと、もう一回ゆっくり言ってください』とも返せないし、訊き返したところで意味が解る気もしない。あれには真剣に困り果てた。
 申し訳ないが、我々たかが二週間ほどの教習期間では最後まで原住民の言語を100%理解することができずに終わっている。のちに原発事故で大変になったあたりの地域であり、関東にまだまだ近いと映るあのへんでも東北弁は手ごわい。

 『言語』という情報体系には、日本国内だけでもこれだけ多様性があって、意外なところで共通認識の空白地帯的な行き違いもあるのだが、何だかんだで生まれて初めて遭遇する方言でもある程度の意思疎通はキホン不自由しない。言語というのは、案外と発信vs受信の間で幅をもって流通するファイル形式だということに改めて気付く。
 裏返せば、これを社会組織の中で持ち合うため一義性で機能するように作り込もうとすると、ただならぬ特殊な熟慮が必要だということだ。言語情報の作成と流通は非常に高負荷の作業であることを理解して、よく考えて費用対効果の出る運用を心掛けよう。
 『書面に残しとけば間違いない』程度では、所詮オトナ職場の『仕事らしきもの』にしかならない【971】

 最近のニッポン製造業の現場事情がどうなっているのか詳しくないが、かつてISO認証の9千番台【34】が標準書を基軸にした言語情報の業務整備を管理しようとする試みであったと思う。
 『あなたの仕事は何ですか?』と抜き打ち質問されてコレコレこういう回答が返ってこないといけないだとか、全ての業務に標準書が揃っていて、それらが陳腐化しないように毎年アップデートしましょうだとか、そのアップデートもまたいついつに誰が何をやるのか、標準書はどこにどう整理整頓され保管されていて、それをメンテする人員の業務スキル具備要件は…だとか、軒並どこもかしこも技術開発の本業そっちのけで、この無限曼荼羅ライブラリーごっこをネタに何をヒマなコトやっとるんだ状態であった。

 企業も役所も社会組織は『自我』『主観』『意識』を持つ生命体であり、遭遇する現実に対して『主観』でとらえて『記憶』と対比整合の上でGO/NO GO判定して対処行動を選択する=『意識』を持つ。
 この『記憶』を言語情報化して文書ファイルにし、組織内で活用の最頻化・最適化が図れる仕組みが作れていることこそ組織の優秀性の尺度となる…という理屈は解らんでもない。
 だがヒトのコミュニケーションにおける言語情報の不確定性の認識と、その実地運用にかかる工数の現場現実の負担感の想定が欠落しているのだ。アタマでっかち事務方の脳内理論をデスクワーク領域だけで一面的に構築してしまった『机上の空論的ハリボテ認証システム』の印象というのが正直なところである。

 製造現場はこんなもの二十世紀のうちに失敗を体験学習してダメ出し済なのに、2020年代にまだまだ事務屋の背広人種はその欠陥の肌感覚さえ考え及ばず『作文してオワリ』が大好きなのである。
 何とかしてよ特命係長。島のお祖母ちゃんもカッコいいぜ!では明朝グッドラック!
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