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【853】変える変えない、組織のチョイス [ビジネス]

 エマージング・ウィルスの感染経緯はまずまず常識的に進展しているが、ひと通り終わってみるまで現象の全貌および今がどの段階にあるのかは判らない【815】
 勝手にあれこれ空想を拡げて大騒ぎして、解釈をどうにでも動かして、ふと何か物事が転換期を迎えたような気分にまでなる。全て人間の一方的な思い込みと、その思い込みを自分の立場に反映して自分自身で浸る心理状態での出来事である。ウィルスが人間に感染する自然現象としては何の転換が起こった確証も無く、このウィルスの感染特性・病理特性は初期段階まで遡って今も明らかになっていない。
 何となくの何だかしら節目がついたかのような雰囲気、これは丸々人間の気分の問題だと気付いておこう。人間の気分なんてそんなものなのであり、だから客観的な測定値と算出によるロジカル判断が必要なのであり、『総合的に判断する』みたいないい加減な台詞は禁句なのだ。
 良いも悪いもそんな人間の気分が生じ、多数が集まってその共通要素が過半数を成すと、それが『組織の自我』となって巨大な意志の単位が発現する。

 ちょうど今夕に報じられたような数十人グループの集団感染が引き続き複数ヶ所で再発したとして、仮にその重症化率がすべからく9割以上となれば人出が急停止するだろうし、逆に全員がせいぜい麻疹のような通過儀礼式の一過性軽症で終わったとなれば一転、邪魔で不便な感染対策グッズなどかなぐり捨てて、社会は元の生活ペースに戻っていく。
 いずれのケースも社会組織の自我が、『これは死ぬ、怖い』と思い込むか『なあんだ、平気じゃん』と思い込むかだけで決まるものであり、いずれにしても現実となって走り出したら最後、いかなる実力者個人がどこからどんな真実を発信しようが『社会組織の自我』が気分を変えるまで止まらない。
 こればかりはどうしようもなく、組織の自我には個人の誰ひとり逆らえないのだ。組織の自我が心を決めたらそれが『組織の正義』となり、真実を完膚なきまでに凌駕して組織内にまかり通る。

 もっとも真実は真実だから、ウィルス感染現象を減衰させるようななりゆきが事実として存在しない限りは、人間どもは思惑通りに運ばない現実を呪いながらやられ続ける運命から逃れられない。
 組織マネジメントの本質は、組織の本心のありか=『組織の正義』を、真実の成功や真実の幸福に一致させるような操作とは何か?それを見抜いて実行するところにあるのだと思う。

 いま重要なのは、ウィルス流行の現状を客観的かつ定量的にリアルタイム把握し、出たとこ勝負にせよ素早い対応で破綻なく処置する構えを保って、みんなで気を抜かないことだろう。
 大勢いるとまず事態の変化点が検出しづらいし、検出できても既に次の進展フェーズが始まってしまっているケースが多い。だから迅速な組織内周知の手段を用意し、赤信号で一斉フリーズ+全方位先手めくら撃ち式のスクランブル迎撃体制まで整えて、目を光らせながら進むのが現実解となる。

 『大阪モデル』の試行錯誤がよく考えられていて興味深く、面白い。
 想定よりも随分と早く『新規感染者の総数』が片手で数えられる数人レベルにまで減ったため、『そのうちの感染経路不明者』が何人であっても、50%(=2人中1人が経路不明)や100%(=1人いて本人が経路不明)などどえらいパーセンテージになってしまうという不測の事態にぶつかったのだ。ごく少数の感染経路不明例だけで危険度判定指数がハネ上がり、通天閣などのイルミネーションが黄信号になってしまっては、『社会組織の自我』が抱く第一印象が、計算手順の問題で誤差含みになってしまう。
 これを解消するため、とりあえずイルミネーションの緑信号を維持しながら、即座に『大阪モデル』の指数計算式の方を実態に見合うスケール感となるよう修正に動いている。正解である。

 一応解説を入れておくと、『すぐ変えるのは無節操、一度決めてしまった以上は黄信号』でこだわる意味は無い。誰もが無理なく納得する経緯と根拠に基づく変更検討だし、何よりも『社会組織の自我』に現状の妥当な認識がシンプル一途に伝わることが最優先だからだ。
 組織の自我を意識して、スピーディに行政プロセスの想定洩れを見直して合わせ込みにかかるコンセプトであり、少なくとも私の記憶史上では有数の『洗練されたロジカルな行政センス』を感じさせる好例となろう。

 国政も烏合マスコミも、『新しい日常』とかボケた単語ばかり連呼するのはやめておいた方が後々困らないと思うがねえ。ダメノマスクのクビが先だっての。
 ぼちぼちクソ暑いなか窓あけて冷房効かなくしたままマスクしてて運転を間違えるヤツは出てくるんだろうし、飲食店なんかただでさえマスクを外さないと飲み食いもできない訳で、そうするとマスクの置き忘れや廃棄目的の放置が各店で続出し、知識の無い店員さんがそれを処理するんだろうし、それが収まりかけた感染を一気に拡大させる恐れだってある。
 私は結構な都会に住んでいるのだが、今もって親類縁者にただの知り合いまで含めてダメノマスクは見たことも聞いたこともない。
 何度も繰り返す通り、そもそもマスクには『感染者が非感染者に対して飛沫感染させるのを予防する』以上の効果は無いのだし、高温多湿の季節になって布製マスクを使い捨てずにヘビロテ使用するなんぞ、厄介な新モードの社会的被害を呼び起こしてバイオハザードの産廃になる以外の結末は無かろう。
 つくづく税金資本で押し売りされて済むシロモノじゃねえぞ、こんなもの。

 ちょっと気になるのは、どこぞの公立ガッコで『ダメノマスク着用のこと』『忘れた者は別室に隔離』みたいな指示書が配布された事件である。
 当然の如くネットで拡散され、ガッコとしては『我が校で配ったマスクを装着して欲しいという意味だった』『忘れた生徒には新たに配布する目的だった』みたいな、見え透いた虚偽の弁明で開き直っているようだ。ここまでは今どき小学生でも事前に予想できるはずだが、それをやめとけるのにやめなかった。何故か?
 つまり親御さんたちに『学校関係者の目に触れる場所で国政を非難すると、良いコト無いぞ』という暗黙の強迫観念を広める目的の可能性が見えてくるのである。ある意味子供を人質に取る立場の教育機関で、保護者向けに与党権力への服従を示唆するステマが流されていたなんてことないだろうな?

 自粛警察なんぞやるヒマと血の気と余計な実行力のある人たちに、もうちょっと真面目に悪人を特定し、世論に効くところでガンガン取り締まるよう自覚させる手引き方策ってないもんでしょうかね。
 自分の社会は自分で守る。持ち堪えて、まず日常を取り戻さないと。御幸運を!
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