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【862】不安と不満のくつろぎ会員証返納キャンペーン [ビジネス]

 あら?専門家会議とかいう怪しげな集会、解散したの?まあ良いんだけど。
 最初から最後まで、どこのどんな専門領域の人材を集めてきたのか、病気を治したかったのか感染拡大を止めたかったのか社会機能を守りたかったのか、さっぱり判らない意味不明の寄合だったことよ。
 元々から当人らの意志なんてものがあったのかなかったのか知らんが、せっかく黒縁ミイラが記者会見でしゃべってる真っ最中に、当人らのまるで与り知らない所からカマキリ人形がいきなりの一方的に解散を宣言したとかしなかったとか。
 まあ何かモノの役に立つようなマトモな専門家が混じっていたとも思えないんだけど、どっから誰々を呼び集めたにしても強権発動的の見せしめ的な終わらせ方だよねえ。まあいいや、とりあえずお疲れさまでした。

 『日本の職場は効率が悪い』という話にちょっと戻ろう【858】
 洋の東西を問わず、人々が社会の暮らしで行動するにあたっては、ナニガシかの目的があるのが普通だ。勉強するのは賢くなりたいからだし、商売するのは稼ぎたいからだし、いろいろと娯楽に興じるのは楽しみたいからだし、寝るのは眠って休みたいからである。

 だが日本人が自覚しない、日本人に特徴的な国民性として
 『社会で行動する目的を二の次にしてでも、だらだら調子を合わせて頷き合う』
という、日本人以外にはなかなか理解し得ない行動パターンのDNA特性が存在する。

 端的に、お宅ナニしたくてそこにいるの?と首をかしげたくなるような、非・生産的きわまる組織への自傷型帰属形態(?)が散見されるのだ。本人も思い遂げられずストレスが溜まるだろうし、明るい見通しもない根拠で絡まれて効率的な運営を邪魔される組織としても徒労の連続、たまったものではない。
 それこそ『人間として普通』なら、とっととソリの合わない連中とは決別して自前で組織構築を始めた方がよっぽど快適な近道だろうし、少なくとも北米社会の精神文化だと考える間もなく一瞬でそっちだろう。
 おのれの信念を賭けて独り立ちする行動力も精神力も固めないまま、憂さ晴らしやヒマ潰しのように嫌われポストなんぞ決め込もうものなら、誰からも会話もすっぱり切り上げられてオシマイだ。お互い情報交換し協力し、一人では叶わない良いコトを実現できる相手を心底大切に守ろうとする多様性バトルフィールド向け価値観の裏返しである。

 日本式組織の慣習ではキホン、何か組織の枠が設定され、一旦そこに帰属する手続きさえ済ませば、あとは少々の揉め事があっても『そうしとくもんだ』と許容され説得され諭旨されて、組織の一員として扱い続けてもらえる不文律がある。これは組織の懐が深く情に厚いという見方が確かに成立する反面、ヒト対ヒトの実効力ある協調が雑音に阻害されて組織力の純度が落ち、誤作動個体の不毛な内乱で組織が健康を害してしまい、組織全体として非効率に陥るリスクが避けられない。
 近年『日本の職場は効率が悪い』という指摘が、『日本人は、自組織のために採算性・生産性を自己管理する精神構造に乏しい』という意味として、目立ってきていると述べた【858】
 そう、散々苦労して気が付いてみたら、外部の誰も知らない自組織の中だけで『自分たちは決め事に沿って決めた仲間関係を守った』というニッポン伝統芸をただ積み重ねただけ…という切ないパターンだったりはしないか。

 これを細かく分析して論じると終わらなくなってしまうので端折るとして、一貫して問題の本質になっているのは『暮らすために仲間でいるのか、仲間でいるから暮らせているのか』の順番が、日本社会では根本的に前半の『暮らすために仲間でいる』優先になっていると思うのだ。仲間が協力して組織力で暮らしを実現しないと、組織も個人も収支が破綻し、組織が崩れてバラバラになり、結局は暮らせなくなるので、両者はよく言うニワトリと卵の関係でしかないのだけれど。
 よって前半vs後半のいずれが基準とすべき姿なのかは一概に答が出ないのだが、現状日本社会は前半基軸でありながら、自分たちがそのメンタリティを持っていることにも、そのメンタリティでここまで歴史を紡いできた経緯にも、関心を持てなくなってしまっているところに問題がある。

 何故そんなことになるかというと、今の日本社会の暮らしが十分に幸福でない…というか、言ってしまえば総じて不幸で不満だからだろう。他人任せで済む日本社会での時空間は、面白くも楽しくもないのなら、なりゆき任せで放置されてしまう。
 きっかけを捉えては、デモや暴動という実行動が社会組織の規模で起きる欧米文化とは、明らかに異なる社会のDNA特性ではないだろうか。

 もっとも個人レベルの行動の暴発には、やはり日本でもそれなりの傾向が顕れるもので、景気と放火件数の間には確かな相関があり、不景気になると間違いなく放火件数は増えるのだと聞いた。
 いま生業の日常稼働ペースを奪われ、そもそも職から失ってしまった人も多い中、政治家や役人ばかりが勝手な規則解釈を振り回し、散々不正を働きながら税金資本のいい加減な浪費をして咎められないという非合理性は、明らかに昨今の日本社会における『効率崩壊』の原因になっているはずである。
 いわゆる『身を切る改革』を指して、政治家や公務員の人件費の減分を単純計算し、『数字的には必要とされる財政改善代に対して微小過ぎるので意味は無い、だから人件費削減の必要は無い』という理屈を口走る詐欺師が後を絶たないが、騙されてはならない。
 『フェアネスの周知徹底』を布く政策は、人が社会生活に抱く満足感・幸福感となって普及し、広く多面的に組織力の効率向上を期待できるものなのである。

 元々この島国で仲良く小ぢんまりやっていくぶんには適した精神風土が、日本列島の自然に育まれ出来上がっていた。それが高度経済成長期を迎えて、日本人固有の組織観が、必要以上に他人任せで目前の直接業務だけやっていれば生活が完結するという、半人前どまりの人生モデルに化けてしまった。
 バブル崩壊は幼稚過ぎる失政だったが、あれを免れていてもグローバル・スケールの資本主義経済の失速には行き詰っていたはずであり、いずれにせよ空前絶後の超・好景気の経済環境でしか成り立たない人生モデルをアテにした大勢の日本人が未来の光を見失い、不安と不満に沈んで現状に到る。
 解りもしないひとんちのデモや暴動を指差して、のうのうと的外れの雑談をやっている場合ではない。

 …と、ここまで理解したら、現実にナニをどう直すかから考え始めましょうや。
 いずれ本当に直ったその時、みんなと一緒に『自分が直した』という記憶が持てていないと、満足して幸せには浸れませんぞ。
 では今週も諦めずに、引き続きグッドラック!
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【861】個人不在の大衆国家 [ビジネス]

 『お前バカか、夏にマスクなんかするかフツー?』
 『あたりを見てみろ、みんなマスクなんかやめ始めてるぞー!』
 …と、いかにも日本人向けに言ってみた。とりあえず日本国組織ならぬ日本人同好会で波風立てずその他大勢でいるために、あらぬ嫌がらせや爪弾きに遭わないために、無能と強欲でやっちまった汚職ダメノマスクなんぞにだらだら調子合わしてるとビョーキになるぞ、アタマもカラダも。

 さて騒ぎも冷めた感があるところで、先日のSNS言論騒動に少し触れておきたい。
 なんでも若いお嬢さんが、ネット上で誹謗中傷の集中砲火に晒された末に御自身をあやめてしまったとかいう、例の一件である。
 私は詳しいことを知らないのだけれど、とにかく彼女が二十歳、いや今ならもう十八歳を過ぎた成年だったことはどうやら間違いないようだ。だとすると。

 いわゆるZ世代のデジタル・ネイティブで、一人前の社会人なんだろ?
 そんなつまんない理由でいちいち死んでたら、いくつ命があっても足りんぞ。
 もう一人前の年齢ゆえ誹謗中傷の受け取り方にも社会人相応の完成度を認める必要性があるというのなら、そもそもそんなとげとげしい言論を巻き起こした原因は自分でちゃんと突き止めて、そこに手を打たないと物事は解決しない。そこまでやる処理能力とセットで一人前であろう。

 私のような超のつく嫌な奴、どんな心清らかな聖人の純朴な施しも、裏の裏まで勘繰って悪意や邪心のありかを一方的に見出して、感謝どころか非難の罵詈雑言で返すような人間が、平然と暮らしているのがこの社会なのだ。悪知恵を駆使して法律さえ侵さなければ、これこの通り善良なイチ小市民の身分など朝飯前で手に入る。
 で、彼女の使っていたSNSも、そういった連中まで含めて一切ふるいにかけず投稿を受信してしまうやつだったんだろ、よく知らんけど。
 そんな荒んだ情報空間に、これまたよく知らんし知りたくもないが、マトモなお家の嫁入り前のお嬢さんなら、仮に実際その苦境に陥ったとして、大親友相手の鬱憤晴らしにも絶対しないような惨憺たるアバズレ全開のプライバシーひけらかし漫談、こんなものを一応でも実話仕立てで自ら投じたのだとしたら、そりゃあいろいろ世間じゅうのヒマ人が相応のツッコミを入れてくるんじゃねえの?つか、アンタ自身がそれ欲しかったから、そうしたワケでしょ?

 …とここまで、あれが実在した事件だったという前提のマジレスである。本当の事だったなら、まずは前途ある若者の命が絶たれたことにはその無念を酌んで、ここに御冥福をお祈りしておきたい。
 ついでに一応言及しておくと、彼女が未成年だったなら全ては保護者マターとなり、自身の精神的限界を超える世論の反応が返ってくる危険性を教えた上で、管理のもと機材を持たせる責任が、親御さんにある。
 どこからどうにでも繋がるのが高度情報化社会であり、自分に向けられた情報をどう受け取るのか、その情報をどう処理して行動を決めるのかは、ノーチョイスで本人個人の自己管理にしかなり得ない。

 問題は、本件をきっかけに、国家権力が『コトバ狩り』する法律の新設をを提起しようとする動きが見えたことである。
 『人が死ぬのはイケナイことだ、人が死んだら犯罪だ、加害者の責任追及が必要だ、発信元を特定するための法律を作らねばならない』という超絶デタラメ四段論法が強調され、本来ヒトが命を落とすかどうかのクリティカルな崖っぷちとなる、個人の自己管理ゾーンとは無関係なところ=情報の発信元に国家権力の監視をかける目的が明白であった。早いハナシが人命尊重をダシに使った言論統制の正当化である。
 一般世論ではなく、役人や政治家の間で聞えよがしの急速に流されて、烏合マスコミのおもらい雛壇がさもその重みありというテイで頷き合い、まあ当面は深入りもせず収まった。だがこんな時こそ、ここぞとばかりに『言論の自由の侵害だ、戦争できる国の足音が聞こえてきた』と絶叫するはずの左巻きどもが、異様に大人しかったのが少々気になっている。

 いずれにせよ、こんなとんでもない人権侵害談義が公共メディアのコンテンツになって平然と流れてしまうのは、民主主義の普及した所謂『先進国』としては、到底あり得ない事態なのではないかと思う。
 戦後昭和の冷戦時代、欧米つまり西洋諸国に対して、ソ連・中国など東洋には社会主義・共産主義の国家が主だっていて、『西側』vs『東側』という表現は『資本主義の自由経済国家』vs『社会主義の管理経済国家』という意味で使われていたものである。
 当時において日本国は、極東に位置しながら異例に『西側』の一国として語られていたが、そう言えば世界各国の安全保障の勢力枠を考えるにあたって『北米の属国』という意味で、日本国自身が内向きに自国を語るにあたって、自称で『西側』としていただけではなかったかと回顧している。

 何でもかんでも欧米式の合理的な社会参画意識が優れているというつもりはないが、個人と組織を階層的に区別して意識し、それら各々の自我が齟齬なく階層構造で噛み合うことを目的として社会に発生したルールを、ロジカルな実効策として明文化しそれを法律に持つという、クリアな構図が成立しているのは欧米式だ。
 とにかくこの世に人間という生物がばらつきながらいっぱいいて、そいつらの間で情報の交信や記録という相互作用が起こる。ならば法律という情報を共有の接点にして個々人の自我を交通整理すれば、組織という上位スケールの生命体が建設的な自我の展開をもって面白いコトを起こすし、それは個々人の自我にとっても各自が一人で得られない良いコトにもつながる。そのコンセプトが『社会組織のDNAレベル』で浸透しているとでもいうのだろうか。

 おっと早くも結構な分量になってしまった。
 多種多様な人間の集団が、全方位に均質なダイバーシティ志向で各自の得意分野を活かしながら全体的・多層的に繁栄を目指すという人類文明の難課題は、たかがおセンチ系の人類愛を万人に適用して一朝一夕に解答が出るものではなく、激しい競争や痛い衝突、辛い失敗を度重ねて対処法式に精神規律を作り込み、ようやく現時点の『先進国』と位置付けられる検討段階に到達できているに過ぎない。
 異質・異文化の脅威に晒されなかった島国ニッポンは、『個々人の相違』や『個人の責任』を人間個人の存在意義として意識し、意図的に社会組織に役立てるスキルが未熟なのだと思う。
 だからだが『最初に群れた小集団の馴れ合いを暴走させない』目的意識を、日本人の精神構造としてナニもないところから、改めて設定する必要があるのではないだろうか。

 あらら、もっと早く片付くトピックのはずだったのに、まあいっか。
 せっかく大阪が先陣切って治験に踏み切ろうとしているコロナ肺炎のワクチン開発を、嫌がらせの爪弾きで妨害にかかるような老人同好会の自爆テロ国政じゃ、国力も時間も無駄になるばかりだ。
 大阪発を日本国民みんなで育てて、変えましょうぜ。では引き続きグッドラック!
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【860】憧れの英雄のトラウマ [ビジネス]

 人種のハナシに戻ろう。北米のデモはその後どうなっているのだろうか。
 警察組織の解体ってのは、誰かが目立つ形で発言したのが、どっかのメディアに大袈裟に取り上げられただけなんじゃないかなあ。いろいろ問題もあるのだろうけど、例の一件を発端に北米警察組織の解体というのは、いくらなんでも現実的で無い気がする。

 特に海外にも出ず、生まれてこの方ずっと日本社会に身を預けっぱで暮らしてきた日本人は、『国という社会組織は、自分の暮らしに関わる全てについて良いコト悪いコトを判別し管理してくれている。だから悪いコトはしてはいけない、良いコトをたくさんしましょう、それで真面目、それで幸せ』という判定基準を何となく思い描きながら、大抵はそれ以上気にもせず一生を終える。
 この人生観は『法治国家』『法治社会』なる単語の響きとも折り合いが良いので、ナウその時点で法律という名の文面情報さえあれば、ああ日本って法治国家なんだなあ安心安心、ということにもなる。
 だが国民の過半数が、よく考えもせずさっさと安心にイチ抜けしようとして、法律の内容に意識を及ぼさなくなったなら、その法律に書き記された情報がどうであろうと、国家社会の現場はそんなものとは無関係のなりゆき任せにしかならない。
 今その法治国家でも何でもない『なりゆき』の姿に、日本人の国民性が顕れているのだ。不正、汚職、不健全財務。

 とりあえず組織の1ピースになっておけばラク、あたりを見回して反感を持たれなければ勝ち、組織の機械的な仲間意識のしきたりが当面の衣食住を工面してくれる。それが集団自殺の神輿担ぎでも。
 沈没船のジョークで言われる『みんな飛び込んでいるから、とりあえず合わせて飛び込んでおけ』というのは、真理を突いているんだろうな。ただ調子を合わすだけのバカは、死んでも治らないというワケだ。
 …あ、沈没船のジョークは有名だけど、若い人たちには隅々いきわたってないか。

 まあ海で船が沈みかけたと思いなさい。少しでも重い積載物を減らさねばならず、海に捨てられるモノは全部捨てたが、まだ間に合わない。もう乗員乗客が海に飛び込むしかない。
 ここで自ら進んで飛び込む役を買って出させるため、どう声掛けすれば良いかを、お国柄に応じて台詞ひとことで列挙していくというものだ。例えば、
  イタリアなら『飛び込んだらオンナにもてるぞ!』
  ドイツなら『飛び込むのが規則だから飛び込め!』
  アメリカなら『飛び込んだら英雄になれるぞ!』
 そして我が日本は『みんな飛び込んでるから、とりあえず従え』とされている。
 そう、日本人は自分主体でこの世を生き抜くイメージを確立し、そのために物事を、自分や仲間や社会組織を、おのれの判断で決めていくメンタリティが弱々しく、何をするにも徒党を組んで『誰が決めたか判らない』の隠れ蓑をもって行動力のスイッチが入る傾向があると思う。

 “OK, that’s it!” 『よし、それで行こう!』と結論を出すや否や、私が背を向け
 “…Probably OK. Perhaps OK. maybe OK.…might be…say, if it was OK…”
 『まずはOKさ。多分OKだ。よく判らんが…もしかして…ま、OKだったとして…』
と指でうじうじ宙に渦を描きながら声をか細くしていく。すると現地スタッフがすかさず相方役に立って、
 “He-e-e-y, you! Don’t be a JAPANESE!!” 『おーい、日本人はやめてくれ~!』
と突込んでくれて、私が大袈裟にキョロキョロあたりを見回す芝居をしたところでカーット!、しばし笑い合ってオシマイ。北米のあっちこっちで仕事しながら、よくふざけたものである。あはは、わたしゃフツーの日本人とは違うのだ【313】

 情報処理フローチャートの中にあって、いま自分がどこのどんなステップにいるのかが自他ともに明確であり、そこで下した情報処理に自分のサインを入れて根拠を保証し、次工程にコトを進める。北米社会では、このスタンスが自然に共有されている感じがする。
 まあ未開の原野で出遭う『素の人間』など目的意識もへったくれも無いイチ生物に過ぎない訳だし【501】【502】、そこまで立ち戻らなくとも、自分たちが描く生産性の概念にぴたり噛み合って協力できる人間との遭遇は、あの広大な北米社会においてタイヘンに貴重なのだろう。
 個別に自我を完結する個々人が要素となり、社会組織を成して『組織の自我』を完結し、その上位スケールのパワーを得て、世を勝ち抜いて生きていくために、『個人の誰ひとりのためでもない合理性』という概念がわざわざ大切に意識されているのだと思う。
 沈没船のジョークでも、個人の判断でみんなの利を率先する行いが『英雄』として讃えられている所以である。せいぜいハリウッド映画やアクション・コミックを見憶えて、派手に判りやすい正義の活躍でもってアメリカン・ヒーローとする理解にしか及ばない日本人が多いのではなかろうか。

 かつて北米への移住を誘われるにあたって【280】、『キミがこっちへ移住してくるなら真っ先に連絡をくれ。家も仕事も、ひと通りの生活を心配ないとこまで用意するぜ』と何度か言われたのを思い出す。
 確か女優の工藤夕貴さんだったかなあ、ハリウッドで活動されていた頃、英語習得が必要となるや、そのための学校から通学用の車から、全てがお膳立てで揃ってしまって驚いたというエピソードを読んだ記憶がある。『コイツと一緒なら生き抜ける、成功できる』と判断したら、そのための必要条件は即刻の現実ベースで整え、その効果を得て生き残り、頭角を現わし、栄華を極める文化なのだ。
 だからこそ『成功者』の社会への寄付行為や無償ボランティア活動が、特別な善行のイメージも無く一介の出来事として起こるのだとも思う。北米を『世界の警察』ならしめた国力も国際意識も、こんなお国柄ゆえ成せる業だったのではなかろうか。

 そんな北米社会で『できる』『やれる』条件が全く同じなのに、何かと扱いに差がついてしまうのだ。社会の正式ルールとして平等が保障されているはずなのだが、日常生活のそこここで合理的な理由も無いのに差がついてしまう。
 合理性コンセプトのもと最適解を尽くす北米社会は、確かにその通りなのだが、人類の理知で組み上げてきた合理性の、その組み上げる前段階の地盤の深みに、よく解らない、どうしようもない軋轢が染み込んでいる感じだ。
 その軋轢が『壊れやすく危うい社会層』となって潜在しており、きっかけがあるたび今般のような暴発事故を起こしているように見受ける。

 これを外野の我々日本人があげつらって、したり顔で解説することに意味は無い。
 日本にもアイヌや琉球など民族問題は存在するのだが、それにしても奇跡の日本列島に育まれた平和な日本社会のはずなのに、そしてその平和な歴史の象徴が今も天皇陛下や皇室として完璧に維持されているのに、その傘下の日本人たちが、何故こんな卑しく醜いチカラ関係や悪意の階級差別意識で、不正や背徳ばかり繰り返すような下等生物にまで堕ちたのだろう?

 手の打てそうなところに焦点を合わせるなら、やはり合理性に向かう目的意識が生来ひ弱すぎるところに日本人の弱点がある。高度経済成長期、それを日本社会の現役大人世代は『政治文化の遅れ』として自覚できていたのだが【734】、追いつくどころか水をあけられてしまっている。
 だが前々回述べた通り、大阪府市政がウィルス対策にその弱点を打開するきっかけを見せ、遂にこの度、いよいよ合理性基軸の行政構造の実現=『大阪都構想』が住民投票に向けて動き始めた。
 個人都合に囚われない合理性は自分たちの手で組もう。ではグッドラック!
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【859】古ゴム長の引きに歓声がこだまする釣り堀にて [ビジネス]

 前回の話題を続けるつもりだったのだが、あまりに様子がおかしいので一回横道。
 日本のあちこちで新型コロナ・ウィルスの抗体検査をやったら、軒並0.1%あるいはそれプラス少々の測定値だった、つまり日本人のほぼ全数が『まだ耐性構築ができていないのでは』と吹聴する報道のことだ。

 結論から行こう、疑問文でスマンね。
 この抗体検査、とんでもないおバカ全開の的外れになってないか?

 質も程度も粗悪きわまる付箋めくりの乞食漫談ばかり横行する昨今、大本営からお題が投げ与えられれば、烏合マスコミが腹をすかせた池の鯉のように群がり、散々な捏ねくりまわし方で話を拡げバシャバシャといつまでも騒ぎ散らす。池の鯉なら目を細めて眺めて済むが、本件そうはいかない。
 まず私は、この抗体検査そのものに関して詳細の事実情報を持っていないとお断りして、その上で。

 これも生体化学検査で一般的な、『同定検査』の方式でやっているはずだ。狙いの事象で起こった事実記録から『お手本』を起こしてそれを手元に置き、これを検体と比較観察して、その一致性をもって判定するものだ。
 まず被験者から、病理現象を起こしているあるいは起こすはずの部位の体組織サンプルを採取する。コッホの三原則【855】により、ここで対象部位を間違えて関係ないところを採取していたら、もういきなり検査にならない。
 めでたく対象部位が命中していたとして、そこに十分な感度で反応するだけの病理ターゲットがいてくれるかどうか判らないため、まずサンプルに培養操作を加えて待つところからスタートである。細菌やウィルスの繁殖・複製の材料を与え、温湿度や光環境などを最適化してやるのだ。うまく釣れていたら、十分な数量の細菌なりウィルスなりに増えたそのサンプルは、お手本に一致する事象を見せるはずだと。

 さて試験管内の検体サンプルにガラス棒の先を浸し、プレパラートにちょいと乗せてカバーグラスをかけて顕微鏡で覗くとする。『おーい、新型コロナの抗体さんっている~?』と呼び掛けたら、次々視野の中に入ってきて手を振ってくれるだろうか。
 細菌やウィルスの体構造に含まれる特有の物質、あるいは細菌やウィルスの生体活動で生成される特有な物質をまず見つけて、それらの物質に判りやすく反応してくれる試薬の確立まで叶って、初めて『これって、お手本と一致してるだろうか?』という同定検査が成立するのだ。
 これでオシマイではない。そんなに一目瞭然の『あり』『なし』で、白黒はっきり反応してくれるのが普通とでもお思いか?酸vsアルカリのpH試験紙の画像でも御覧の上で、酸性・中性・アルカリ性の線引きについて考え巡らせていただきたい。

 で、どんな試薬なり、あるいは光学反応その他なりで、どんな判定を出してようがまあいいや。ゆめゆめ事態を侮るような油断はしないにしても…である。
 どあほの自爆テロ非国民犯罪者政権が年明けに初期対応をあれだけ失敗し、その後どこまで感染状況を正確に把握できていたかはともかく確かにウィルス感染が拡大し、犠牲者も出た。
 その徹底度はあやふやだったが国民の行動規制も布かれ、それなりの効果はあったか無かったか判らんが、いま幸運にも感染拡大は収まりつつある。北海道や東京など新規感染者の再増加の傾向がチラつく地域もあるけれど、ピーク時ほどの勢いは無いと見るのが妥当であろう。

 製造業の量産ラインで市場不具合が発生した場合、手当たり次第に対策アイテムを突っ込んで様子を見るという話はした【822】
 『とりあえずそれらをやって製品=結果出力で、不具合発生が減じるかどうか』の様子を見るのだ。それがそもそもの至上目的なのだから。
 対策アイテムの緊急導入は、工数もコストも相応にかかるのが一般的であり、もちろん後に原因究明が進んで恒久対策の確定にまで到達すれば、結果的に不要だったアイテムたちは可及的速やかに廃止して元に戻すのが普通である。そりゃそうでしょ。

 なぜ今ごろになって『殆どの日本人は全員、これから初めて感染する状態にある』みたいな情報が流されるのだろうか?
 かっちり真面目に検査して本当にそんなデータが取れてしまったとして、それこそ専門家たちが『おかしい、どこか間違えている』と判断し、そのまんま公開するのは何としても食い止めたはずなのである。
 だって日本社会の大半=組織の自我は、現実の肌感覚というダイレクトな確信に照らして検査精度の方を疑うだけだし、いったん疑われたらその信用を取り戻すための原因究明の急務をわざわざ背負い込むことになってしまう。『検査結果を隠さず正直に公表した』と正当性を主張するハナシではない。

 国政の現状を見るに、生活支援金の給付は今年のうちに終わりそうにないし、ダメノマスクの押し売りも今夏いっぱいは軽くかかるとしか見えない。まあ今後もスピードアップは無いんだろうな。
 これら税金資本の事業が『トロ過ぎて間に合わなかったので、もう不要』という流れになっては困る、それはまず確実だろうが、まだまだ驚天動地の手遅れムダ事業の新ネタが続々発掘されて来そうな予感がする。『コロナを引張りたい動機』だ。
 『一生懸命やってるのは理解して欲しい』みたいなナメた泣き言を、世襲のガキが国会の場で堂々とうそぶきおったのには耳を疑った。小学校の通信簿よろしく『がんばりましょう』で済むつもりか、心底アッタマ来んなあこのガキー!

 生活を失い命を絶った人までいて、今なお崖っぷちで苦労している人々は大勢いる。だからまず消費税率を5%に引き下げるべきだと言っとろうが。
 あーでも先に人種問題の派生トピックを片付けないとダメだな。
 この自爆テロ非国民犯罪者政権、一刻も早く日本社会から削除して先を立て直す。ぜひ御一緒しましょうぜ。ではグッドラック!
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【858】チップ社会メニューの0円スマイル [ビジネス]

 前回に続いて、少し北米社会で私が感じた『空気』のハナシを。
 ロスで長く寿司屋をやっているという大将の言葉を思い出したのだ。

 『こっちの方がダンゼン人情に厚い。こっちの方が絶対イイっすよ。
  路肩に停車して故障車を一緒に押してやっていたりするのは、こっちだけだ』

 う~ん、一概に脊椎反射で賛成はできないが、解る気はするんだよな。確かに北米社会では『協力して問題解決する』『できることは進んで手を貸す』という社会通念が、『人として備えるべきメンタリティ』として普及している気がする。
 何しろ小学校の教科書で習った通り、世界中から人が集まる『人種のるつぼ』であり、それこそ着の身着のまま無一文のナウここから今後の全てが始まるヤツだって大勢いる。まず本人の意識にある出生地の社会性概念の完成度からしてバラッバラだし、仮にどんなに高尚な社会の出身で不自由なく育っていても、いま衣食住が足りなければ積極的な協力や申し出の動機が起こるはずもない。
 そんなのが社会のどこにでも大勢いる中で、生活がある一定水準に達している社会層の間では、その幸運をしっかり分かち合って『社会性』なるものをお互い正常に保っていこう…とする気遣いが『空気』となって普及している感じがするのだ。

 オフィスやホテル、ショッピングモールなんかで押し引きのドアに両方から近づいた時、特に向こうが引き側になると、確実に少し歩を速めて一足先にドアを引き開け『さあ、どうぞ』と手で軽く道を開くジェスチャーで待ってくれるのが北米流だ。
 そうなったらドタバタせず、しかし相手を無駄に扉を開けたままにさせない迅速さで“Wow, thank you!!”なんて愛想を振りまきながら通過するのだが、向こうもその時ほっぺを持ち上げてにっこりと返してくれる。
 何気な定型作法に判りやすくマジの感情を籠める文化が定着しているのだと思う。

 『文明社会を求めて世界中から集まった人間たち』の膨大なバラツキが新天地で異種交錯する社会空間で、『自分への本気度』に対する米人の感度は非常に高いと感じる。恐らく北米に限ったことではなく、私が外国語習得のコツの第一番目に『相手への好意を維持し、言いたいことを諦めず誠意を持って正直に伝えること』と断言する所以だ【82】
 世渡りのテクニックとしてではなく、手を抜かずしっかりガチの親身にまでなるところがポイントで、これが通じれば、少々大袈裟だがお伽噺でくるくると何でも魔法の如く片付けてくれる妖精たち召使いたちでもいるのかのような出来事にしょっちゅう遭遇する。寿司屋の大将の言う通り、日本社会では一瞬ぎょっとするくらいに腹を割って、何かにつけ心揺さぶるような手を焼いてくれるのだ。
 こんな文化背景があるから、特に飲食店やホテルなどのサービス業では末端の個々人にまで随分と裁量が与えられていて、本人が認めた客には自由に待遇ランク?を上げられるんじゃないかなあ。
 『欧米は個人主義』という決まり文句はあながち外れてはおらず、個人の客商売としてのビジネス完結度は、底辺層までなるほど高いと感じる。組織のフロントリーディング度が高いのだ【188】【380】

 もっともソリの合わない相手とは当然そんな関係にはならない訳で、つまり『相手と信頼を構築して協力的に暮らす』という幸運な共生形態が、明確にそれと目的意識をもって維持される精神風土なのだろう。
 いっぽう日本社会は、相手との信頼の証が『社会の常識』という定型作業パッケージになっていて、まず『社会の決まり事だから、信頼している相手に施すものとされるルーチンワークを機械的に実行する』という行動原理が上位にあるように感じる。それはとても優れた社会規範なのだけれど【403】、時として相手に照準を合わせた好意と信頼が欠け落ちる『疑いの余地』ともなる。
 『社会の常識だからそうしておく』『決まり事だからそうしておく』という社会空間相手の慣習と、『お陰さま、お互いさま』『ギブ・アンド・テイク』で相手の人格を認め共生する概念が、境目なく等価に流通するとでも言うのだろうか。その場の都合として受け手側で適宜に解釈を選んで、受け手側で納得して納めておきましょうや…みたいなのは、他所者がいない前提が通用したが故の、日本特有の文化だ。

 御存知の通り『日本の職場は効率が悪い』とちょくちょく言われる。だが少なくとも私の記憶では、昔はそれほどでもなかった。
 まだ日本が世界第二の経済大国と言われていた時代、見境なしの限度知らずで職場の時間を過ごし、家族の事情も自分の健康もないがしろになってしまっている結果から、『もうちょっと仕事を早く終わらせられないのかよ』という理屈で、日本式は非効率だと語られることはあったかも知れない。
 だが今日語られるそれは、『日本人は、自組織のために採算性・生産性を自己管理する精神構造に乏しい』という意味に変わってきているように思う。さらに困ったことに、この批判フレーズをしかめっ面で取り上げる自称識者の日本人が、すべからくこのスタンスで真意を理解できていない。

 元々は豊かな日本列島の思い思いの地に根差し、変化に富んだ日本固有の自然を相手に、第一次産業の小集団的な運営を基軸にして育まれてきた組織観DNA特性なのだと思われ、個々人いろんなヤツがいるにしても、『社会の常識』の規格に合わせた生産性の高い出力作動が得られるのは大きなメリットであった。平和な組織の土壌は、コンパクトで豊かな島国の恵みだったのである。
 だが困ったことに、かつての農村・漁村集落の御近所付き合いで守られていた『社会の常識』は、超速進化を続ける現代社会にアップデートが追い付いていない。当代の高速社会システムがきちんとまわるだけの合理性志向に先立って、慣習や気分など全く実質機能として効かないムダな価値基準で、物事が意味不明の損害方向に進んでしまうのを見兼ねて、『日本の職場は効率が悪い』と言われているのだ。
 欧米式では、異質の人間同士がどんなに情操領域をたがえていても、それは別として、正しく生産的な組織稼働がドライに実行されるための申し合わせとして『契約』が存在する。これが『契約社会』の真理であると思われ、何でもかんでも書面化で物証を残すだけの幼稚な意義などではないのだろう。

 もしかすると、カネという情報媒体、通信技術の進化のままに無限の高速大容量化を遂げるこの人工文明アイテムを、大企業組織という形態をもって健康な生命体として切り回すのは、二十世紀日本人の民族性では無理だったのではないかという気もしている。
 かつてのホリエモン氏も【264】舶来の社長さんも【813】、当時の日本人が成し得なかった経済的な大成果を実現したにも関わらず、日本社会は彼等に学ぶどころか嫌がらせと爪弾きでしか反応できなかった。これを『出る杭は打たれる』程度の理屈でしか理解できないうちは、日本経済の強化など口走ったところで所詮は寝言の域を出ない。

 おっと良い分量になってしまった。このハナシはまだもうちょっと続く。
 効率の悪い日本社会は、早々にウィルス流行を検知できていたのにみすみす感染を拡大させ、誰も要らないごみ屑ダメノマスクをばら撒く一方で困窮者への支援金はさっぱり届けられず、あれからこれから無駄な論争だらけでひとつも物事が片付かない。
 効率の悪さが、遂に国家組織の死活問題にまで達している。このまま放っておくと、端っこから死に始めるんだろうな。

 ちょっと先走ると、今般日本じゅうから羨望の眼差しを浴びた大阪府市政は、このポイントに命中した改善が進んでいるのだ。橋下大阪維新改革に始まり、相当の荒療治を経てここまで変わったと気付こう。
 ニッポンお先真っ暗ではないので、今を生き抜きましょうや。引き続き御幸運を!
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【857】人生いろいろ、サイエンスいろいろ [ビジネス]

 ぼちぼち日本社会の自我が『マスクをどう外すか』に向き始めたかな。毎年普通に暮らしていて熱中症の死亡例が後を絶たないのに、放っておいたら大変なことになるぞ。
 熱源は人間の体内にあるのだから、ただでさえウィルス濾過にはまるで無意味な繊維の目をもっと拡げて、吐気を抵抗なく体外に排出するしかない。夏マスクだと?ど真ん中にφ50mmの穴でも開けれ、どあほ。
 第一に、暑い中マスクで不衛生きわまる我慢大会をやる科学的・医学的理由などどこにも無い。
 第二に、避けるべきは感染して重症化するケースであり、むしろ軽症に終わって感染・罹患の経験済として抗体形成できたりする可能性まで考えると、このさき永遠に未感染者を未感染のまま保護し続けるというのは現実的な方策ではない。十分な医療体制さえ成立するなら、感染して検知される方が良いかもね。

 世襲のガキ以下、ダメノマスク汚職であぶく銭を掴んだ自爆テロ非国民犯罪者政権だが、こいつらが盲目マスク推奨のデマ宣伝と『マスク熱中症』の因果関係を認めて態度を改める訳なんかないから、今度はそのくっだらないバレバレ大嘘の言い逃れを巡って、日本のそこここで国力カラ回りの空論合戦が始まる。
 そんなコトになる前に、ただの意識低下に終わらないような『盲目マスク信奉との決別』を国民全員で工夫した方が、日本国としても生産的だし、汚らしい老人が屁理屈に粘着する不愉快な光景を現実にしなくて済む。朽ち木トーテムポールもマスク外そうっぽい布石を口走り始めたし、ちょうどいいじゃん。

 技術屋としては、どお~も全国統一仕様の『眉唾サイエンス』『意味なしテクノロジー』が定点発信され、あちこち横並びのお約束で一斉展開されているかのような世風が気になる。
 あのオフィスのパーティション・ボードにかかる咳の噴流や、あと満員電車内の換気流れだっけ?精度の素性もさっぱり判らん…というか、割とそこらのテキトーな汎用CFDソフトで特に手も掛けず描かしたような拡散粒子や流線の数値計算アニメを持ってきて、その動画のナニをどんな基準に照らして見るのかも説明せずに、『飛沫が到達する』とか『飛沫が充満する』とか言うのはどうかと思うぞ。ちゃんと判って扱わない以上、ビジュアルが美しいだけの技術の毒キノコだと言っとろうが【8】

 まあいいや…って良くないんだが、これにも増して大ぼらイイ加減なのが、北米の人種問題にまつわる烏合マスコミの知ったかインチキ解説だ。真剣に癇に障るので見ないようにしているのだが、それにしても北米現地でコレ流してみろ、殺されるぞマジで。
 …と偉そうに言いつつ、私だって解った顔なんぞ到底できないので核心に触れるハナシは置いとくとして、人種別の人間としての特性の相違はあまりにセンシティブな問題につき、少しでも差別にかすりそうな接点がある話題は長らく意識して避けてきた。今のうちなら少々できそうと見て、そこをやっておこう。

 もちろん私自身に肌の色にまつわる差別意識は全くなく、白人黒人はもちろんのこと、あと南米に多い赤銅色の肌=”red people”にも等しく関わってきた。長文読解で『赤人』と訳したバカがいたなあ。
 皆さま御覧の通り、私は音楽やスポーツを通して人間が『身体構造を効率良く活かして動作する』というのはどういうことなのか長年考えているのだが、別格で特徴的なのが黒人だと思う。
 実は黒人なら全員が全員という訳ではなく残念なまでにフツーのヤツもいるのだが、特に優れたパフォーマンスで有名になっている連中は、ひと目見て誰にでもわかる特有の『柔軟さと強靭さを両立したスピーディな力強さ』がある。音楽家もスポーツ選手も、黒人の動きに憧れたことのある人は多いはずだ。

 いかん、ここでくだらない横道を思いついてしまったので、思わずそっちへ。
 『性能』『演奏』『演技』などの意味を持つ”performance”という英単語があるが、『見せかけ目的のカラッポ芝居』という虚しいネガティブ概念を含むのは『パフォーマンス』というカタカナ日本語に限ってのことである。この下衆なカタカナ語、確か私が大人の年齢になってからの最近の普及だ。

 “performance”は、そこに秘められた能力およびそれが表現を通して発揮されている事象を指し、受け手がそれに触れるあるいは触れられる状態であることまでを含んだ言語情報なのだ…と思う。
 だがこれとは別に、まず日本国政の場で組織ぐるみの世論操作キャンペーンめいたお祭りごとでもあって、それを非難しようとした政敵が、個人がつい場を取り繕うだけで見せる『演技』とは違う、やたら計画的で手の込んだ大層なイメージを乗せる目的で、この英単語を誤って流用したものと思われる。
 ともあれ原義の語感に逆行する違和感が甚だ気色悪いカタカナ語なので、私は人生でただの一度も使ったことがない。

 まあいいや、黒人の身体能力の話題に戻ろう。
 骨の強度や筋肉の出力原理なんぞロクな違いは無いんだろうに、だとすると黒人のみ、『制御系・信号伝達系の何か』が違っているのではないかと思うのだ。衝撃を受け止めるダンパーの硬さ調節の分解能ピッチや、筋力の制御カーブの組み合わせ自由度が桁違いに細かくて滑らかというか、いやもしかしてもっと上位の、ソフトの根本的な技術体系?から、全身の動きを一体として協調させるプログラム構築から、学習や熟練では永久に乗り越えようのない特別なものの気配すら感じてしまう。
 世界中で今もってマイケル・ジャクソンのフォロワーが絶えないのも、この果てしない未知への探求心が作用してたりするんじゃないでしょうかね。いずれAI制御で彼を再現しようとすると、一般人共通式の制御パラメーターの打ち換えだけでは行き詰まるとか。その時、ナニとナニをどこまでスペシャルにするのだろう?
 若者たち子供たち、そこらのトイ・ロボットでどこまで真似られる?

 おっと、これ御覧の通り微塵も人種差別的な雰囲気は漂っていない訳だが、特に黒人には迂闊に話さないように。かなりの高確率で、人種の違いについて言及した瞬間にあなたの人格は修復不可能なまでに否定され、その時点で先に何の話がぶら下がろうが相手の聞く耳は断絶されるだろう。
 そのくらいセンシティブな問題なのだ、悲しくもったいないコトに。ああ、人種混交でワイワイ騒ぎながら、いろんなことを調べて試したいもんだなあ。AIの研究が、上記みたいな問題提起からエンタメ性の突破口になれば面白いのに。

 おっと不見識の日本社会に辛辣な愚痴をたれるつもりが、意外とトゲの無いサイエンス系の内容に落ち着いてしまった。たまにはこんな回もあっても良ろしかろう。
 まだまだ解き明かしたいモノ、作り出したいモノはいっぱいある。国際的に見て日本国は、それに取り組むに相応しい技術力の原資が揃っている国だと思う。
 だから老いぼれた欲深な邪心は、みんなで協力して炙り出し削除すべきなのだ。
 あ、最後にいつものパターンに戻っちまった。では引き続き、御幸運を!
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【856】難燃性和風レガシー工法の補習講義 [ビジネス]

 ぱら、ぱら、だが無駄にマスクをしない人が、常に視界に入るようになってきた。
 念押ししておくが私は『唾液中にウィルスが含まれていて、それが飛沫となって他人の体内に侵入する』という感染モードを否定しているのではない。というか、感染者が無神経に飛沫対策ナシで日常生活を送れば、ほぼ確実に新たな感染者を発生させると考えている。
 だからまず自分の体調にはしっかり気を付けて、全く異常が無いようなら出掛けるとして、そこで飛沫感染モードを起こさないような工夫を、不衛生なマスク以外の手段でやりましょうと言っている。しゃべる時にオホホと口元を覆うもよし、手話など無言ジェスチャーで片付く場面ならそれにしとくもよし。

 振り返って、いざ感染拡大が現実となったその日本国に直面して、最初のタイトル付き国政実動企画が『マスクチーム』だったという愚かっぷりは、他国との比較において圧巻の無能という他ない。
 人並にややこしい物品や制度は初動段階のうちからいともあっさり諦めて投げ出しており、そのクセ田舎にプレハブ事務所しか持ってないような怪しいポンコツ会社が、何故か突然マスク扱い事業を申請していて、そこがダメノマスクの仕入れをやってたりとか、妙な噂も聞こえてくるワケだ。で、予算460億の実績270億だっけ?

 ようやく昨今になってちょくちょく言われるようになったが、恵まれ過ぎた日本人の協力的な民族性が裏目に出てしまい、日本国の国家組織運営層=国政は本来機能が完全に崩壊してしまっている。
 だがその恵みの日本社会は、せめて平成の時代なら、ドサクサ紛れに金目のモノを略奪して犯罪者になるより遥かに幸せな将来を期待してマジメに頑張れる空気が残っていたが、今はもうダメになっているような気がする。

 『壊れやすく危うい社会領域』とは何だろうか【850】
 ちょっとでも管理の油断があると、皆で守り合って暮らしを支えている社会の仕組みをないがしろにして、他人様の持ち物やみんなの公共物をくすねてがめようとするだとか、ここぞとばかりに特定の事物や人に気晴らしで危害を加えにかかるだとか、そんな傾向にある社会領域のことだ。

 そういうことをしたがるのが貧しいとか卑しいとか評するより前に、まず社会領域のくくりになってまで存在する以上は、そこに生きる生物としての人間に生来発現する特性なのだという捉え方が必要である。
 端的に、自分の満足するレベルにとどいていない不満があるから、金目のモノに手を付けてしまう訳だ。誰かの不当な制限に甘んじている窮屈感があるから、別の弱い他人を思うままに痛めつけて解放感に浸りたい訳だ。
 いわゆる貧困層に暮らす人間がこの傾向になりやすいのは理解できるだろう。実際にまで貧困層に身を置かなくても、あなたも私も同じ人間だからである。
 『一億総中流社会』なんて言ってた時代の日本国なら、略奪や暴行の違法行為で身を汚すより、むしろ治安維持=社会の仕組みに協力する方が楽しくて面白くて充実していて、何よりラクチンであった。だが既にそれどころではなくなっており、雨風しのいで食いつなぐのが精一杯の人数が日本社会に増え過ぎている。『出世払いってことで持ち直したら償うつもりだから、今は仕方なくゴメンナサイ』の俄か逸脱組まで含めて、他人様のモノに手を付けてしまうケースなど当たり前になりつつあるのは、地震や台風など自然災害の被災地域の様子を見ていても明らかだ。

 日本国財政の歴史年表の戦後大筋は言い訳の立たない『失敗』であり、かつてはなんだかんだでバラツキなく高い平均値を保っていた国民の経済とそこにまつわる情操の水準を、ただ劣化に任せて先進国として落第レベルにまで荒廃させてしまった。
 皮肉にもそれは、産業組織と経済組織の高度発展による目覚ましい成果の謳歌が人間の射幸性に命中しすぎて、組織管理の手間と努力の方を見て見ぬふりの押し付け合いにしたのが間違いの本質だったりするのだが。

 ありていに言えば日本人たちが、深く考えずに義務としての仕事らしき時間を過ごしたら、大繁盛の娯楽文化にカネ播いて遊んで、それで一生ぶんの将来まで人任せの安心が社会保障されていないと気が済まなくなったのだ。貧困国の成金が、カネや贅沢品や地位や名声を貪るように欲しがるのとは質の違う、組織生命体の生存原理をぐらつかせるまでの致命的な堕落モードである。
 今思えば、これこそ日本国組織が組織認知症を発症する予兆だったのかも知れない。日本国の日本人たちが一斉に加齢して認知症を発症、産業や経済がガタガタ…の順番ではなく、産業や経済などひとくくりのシステム概念が成長して行き詰まり、まず文化意識の時空間に定義された組織生命体が老化し、老化した生命体ゆえ新陳代謝も世代交代もリアルに衰えた結果、少子化が進んで高齢化した…この順番ではないか。

 高齢化して日本社会の自我を成す我々みたいな昭和世代は、過去の安全な日本社会の楽しさ面白さを知っている。うまくしてアレに戻りたいという厚かましい願望が、どうにかこの旧式の安心安全を繋ぎとめているような気がする。
 だが貧困ネイティブとして生まれ、親御さんの愛情も知らずに、ただ生き延びるために行動を選択しながら年齢を重ねる子供たちは年々増えている。単純な予測として、いずれそこに組織の自我が生まれ、その自我なりに生き残りのための手段を既存の社会組織に向けてくるのは間違いない。
 その時になって高齢者たちが慌てふためいたとして、ありとあらゆる社会の仕組みの改善に走ったとして、貧困ネイティブに始まりその年齢まで過ごした彼らの成長期の時間を巻き戻すのは不可能だ。

 北米の連中と話していると、彼らは『いや~政治家や役人に社会性がなく、総じて利己的でバカなのはこっちも一緒だよ』なんて言うのだが、なかなかどうして新大陸開拓の命懸け抗争の歴史の軋轢が生活空間の支配要因のひとつとしてまで染み付いている北米社会で、その膨大な人員構成の拡がりを手なずけてきた政治体力のしぶとさ力強さはやはり世界最強だと感じる。
 ゆめゆめ知った風は装えないが、いま各地で点々とああいうことになる北米社会の自我の発散動機は、ひとしきり政権や景気の行方を揺さぶったら、また北米社会の空気になって収まっていくことだろう。
 恵まれた島国固有の歴史的背景としての素性に甘ったれて、贅沢に呆け自律心を荒らしただけの高齢化ニッポンは、イイ歳こいて人類標準としての『壊れやすく危うい社会領域』を意識できないでいる。

 『過ちに気づいた大人が、失政の財源だった消費税を5%に戻したんだって』
 子供から学生から、あらゆる社会層の心理に判りやすく響き、無駄な間違いやトラブルも起こさず全方位・全経済域に迅速に効く経済支援策である。というか、そもそもリーマンがどうたらのリーマンなんぞ軽く超える経済ダメージが確定的なんだから、それを受けて以前に戻すのが道理に適っている。
 道理に適っているからには、社会の大多数=組織の自我がなびきやすいということであり、そこを起点に発展的な政策を派生させれば勝率は上がるということだ。組織マネジメントの基本である。

 この期に及んで『国際的に見ても公務員の定年は引き上げられているのがトレンドだ』とか、とんでもない非学術的狂言で煽動工作を始めるおもらい雛壇の乞食学者も見かけるが、老後特待プランの決まっている上級国民なんだろうかねえ。公務員人件費どころか、そもそも単年の収支から今般の災害対応から、これだけ特異な財政の日本国をもって、他国の政情とこの一点の整合性を量る論拠がどこにある?
 数年前に財務破綻で大騒ぎを起こしたギリシャは、国政操作のための優遇ツールとしてカネ漬け公務員職を安売り乱発した結果、全国就業人口の4人に一人が公務員になってしまっていたというし、同じEUでもこんな放蕩国家と対比されがちなカタブツの国ドイツは、この大規模な経済失速を受け消費税の減税を決めている。

 『還暦から5年遊んで4千万円ボロ儲けの上級国民層』の新設のために、この日本に『壊れやすく危うい社会領域』が定着・拡大するなんぞ、まっぴら御免なのだ。
 賭け雀ケンジの違法定年延長のみならず、他の役所でも組織的・習慣的に公務員の違法定年延長が隠して実施されていたらしいし、これは秋までと言わず対・自爆テロ非国民犯罪者政権で緊急警戒態勢の日本全国アラート赤信号である。
 引き続き野党たちには頑張ってもらうとして、いちばん大事なのは1億2千万人組織の正義=世論を明確な空気になるまで、みんながあらゆる手段で継続的に抗議することだと思う。では引き続き、御幸運を!
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【855】ざる式検査と不幸の手紙の未来合流点 [ビジネス]

 とうとう顔にマスクの日焼け跡を付けるヤツが出てきたか。処置ナシだな。
 これから食品食材を1時間そこらに常温放置していれば食中毒も起こり得る梅雨の季節だというのに、皮膚常在細菌を含んだ汗や口内細菌を含んだ唾液をどんどん吸わせて、吹きこもった吐気の温湿度で培養する超・不衛生な培地を、顔に、よもや口元に貼り付けて過ごすというのか。ふとはずしたら点々とカビたりしてんじゃねえの?
 まあ間違い起こして、真剣に日本社会の過半数=組織の自我が『うわ~こんなもの、もうやめよう!』と現実の行動に移すまで、この危険で愚かな自虐習慣は続く。しょうがないさ。

 いわゆるオオヤケ系の社会機関が『お国には逆らえませんから』とバカみたいにマスク信奉の推奨表示を出し続け、民間の客商売が『とにかく気にするお客様がいらっしゃるので』と必要にかられて追随してしまい、その総数に社会組織の自我が『いや、おかしいとは思ってるんだけど…』とだらだら引きずられて判断を翻せないでいる限りは、もう仕方ない。どこから何を言っても無駄だ。
 誰かに何かを言われて、その言葉に乗せて語られた情報を『なるほどその通りなので、そうします』と自分自身の行動に反映させるのって案外と難しい。かなり以前にこのテーマはやっていて、人間の精神の基本特性のひとつとも言える『現状自我プロテクト』なるものがあって、それを素直に解除する動機が自分の内々に必要なのだというハナシであった【262】
 ここで今一度ムツカシイ議論は繰り返さないけれど、ぐじゅぐじゅだらしなく逡巡しているうち、道理に則って冷徹に現実の物事が起こるだけである。御自身の自己責任で賢明と思われる御判断をどうぞ。

 残念ながら現時点で、まだウィルスの素性として確定的な分析結果は共有されておらず、我々は今もなおウィルス流行現象の実態を把握する途上にある。いわゆる検査ゴトに関しては、現状把握のためカタいことは抜きにして、積極的に後押ししたいところではあるのだが。
 『唾液でPCR検査が可能』というハナシが、どうも腑に落ちないでいる。

 細菌学には『コッホの三条件』という、病原体感染症の原則的な概念がある。
  1.その病変部から、常に同じ細菌が検出されること
  2.その細菌は、対象となる病症に限ってのみ検出されること
  3.細菌を採取して累代培養し、健康体に接種すると発症が起こること

 生物の身体はそれ自体で一体を成して完結するものであり、循環器系などにより体内輸送も常時行われているのだが、もちろん部位別に組織の構造や特性は違っていて、病原体が巣食って病理現象を引き起こすところが、どこか一部に限られている場合も少なくないということだ。
 全身性の発症例も報告されているものの基本は肺炎だし、原則論としては、まず医師の診察を経て肺および適宜の追加で必要部位の体組織サンプルを採取し、それを検査しない限り感染の判定はできないはずである。唾液は確かに呼吸気通路と連通している口腔内の分泌物だが、不特定多数の被験者を流れ作業でさばくようなウィルス性肺炎の感染検出には、ちょっと遠すぎて精度が不十分と考えるのが専門家の知見ではないかという気がするのだが。
 申し訳ない、これは今般の新型肺炎の実例を一目たりとも見たことのない、私の個人的な感覚に過ぎないことを白状しておく。

 このテの検査には、宿命的に『釣り堀のサカナ』の理屈が当てはまってしまう。
 釣れれば『いる』と判るのだが、釣れないから『いない』とは確定できない。つまり『検出されたから陽性判定』はできるのだが、『検出されなかったから陰性判定』は元来できない。
 新型コロナ・ウィルス感染検査の実用一般普及解の完成は急ぎたいところだが、真実を十分に反映した検査結果が得られなければ、そもそもから検査として実施する意味など無い。
 このあたり、わざわざ『専門家会議』なる看板まで揚げてオオヤケ機関を設置したクセに、冒頭トピックのマスク信奉に始まって、『あほ富士山』に『あほ999離陸線路』の非科学的な概念図などなど【840】、どうも不確定の…というか誤った情報ばかりが公式にタレ流しになるばかりで、信頼に値する専門的な情報発信がさっぱり感じられないのだ。唾液PCR検査の妥当性について見解はどうなんだよ?
 この唾液検査、もしかして第二のダメノマスク状態になっていて、まあ気が向いたら勝手に信用して調子を合わせてくれや、みたいな程度のシロモノになっているのではなかろうな。

 いいから専門家会議とやらの議事録を遅滞なく全面開示しろ、税金資本だろうが。
 日本社会の自我は、このウィルス騒ぎをガチで早期解決したいと願っている。悪い気を起こした人間がフェイク誘導のデマ流布で事態の攪乱を狙ったとしても、どうせ社会のあちこちから修正の声が上がって、社会組織は正しい真実の理解のもと流行を抑え込む方向をもって動き出す。
 『早く元気を取り戻したい』という組織の自我には、誰も逆らえないのである。

 今回もいい分量まで来たので、ついでに少々気になった話題で埋めておこう。
 『支援金給付申請の郵送用封筒に印刷されている宛先住所が他県など遠方で怪しい、詐欺ではないのか』という問い合わせが、全国で続出しているのは御存知の通り。もちろん詐欺などではなく、『事務処理に関わる諸作業を外注していて、その外注先の住所がそこだから』というのがその答だ。
 あれえ?でも、例えば申請が殺到しそうな逼迫地域の役所が、手すきの僻地の役所に依頼する流れの住所にしちゃ不自然だぞ?

 どうやら特定の民間企業に、随意契約でこの事務作業を外注しているらしい。
 ま、事務作業をただ外注するところまでは、フェア管理の条件さえ満たせば特段の事情が無い限り問題ないのは認める。
 だが可能性として、このところの突発的かつまるで先の見えない絶望的な市場景況にあって、一時性のバッチワークとは言いつつ税金予算の確実な公務代行がまわされるとなれば、受注企業にとって九死に一生の命綱となることは想像に難くない。
 『この仕事をまわす条件として、御社には定年延長をお願いする』
  =定年延長した民間企業として、公務員の定年延長に賛同するんじゃないの?
みたいなコトになってなきゃいいけどな…と懸念するのは、何でもかんでも疑って悪い方向に想像力を膨らませ、せっかく困窮する民間企業を支援する素晴らしい国政企画が人知れず行われていたのに、そこに下世話な疑念を呼び起こして平気な、私のような性格の捻じ曲がった迷惑野郎の反社会的な思い込みなんだろうな。

 いわゆるナニナニ連みたいな通称の経済団体にその社名を連ねて、おんなじ穴のムジナたちとクチを揃えれば服従の証を兼ねた実効世論にはなるし、それこそ今どき、選挙票の記載机の様子を自前のスマホで撮らせて証拠画像を刈り取るぐらいの悪知恵だって誰でも簡単に思いつくから、選挙票の直接操作も可能だ。今や記載机の背後には洩れなく置き台を用意してスマホを置かせ、それでも胸や腹から記録機器を取り出せないよう、記載机の側方からも選挙管理委員の監視が必要な時代になっている。

 野党たちには頑張ってもらって公務員定年延長の法案を今ここで葬り去って欲しいところだが、秋まで時間稼ぎをされてしまった場合、それまでの間にまだまだ想像を絶する執拗な政治圧力がありとあらゆる業界にかけられることになるだろう。
 とりあえず経済市場の困窮層には手段を選ばず今を生き延びてもらうとして、秋には将来の自分たちの生存空間を賭けて、悪い役人どもを公然堂々と裏切る計画を練っていただきたい。日本経済社会の組織の自我は必ずその味方に付き、展開が面白ければ大いに盛り上がること請け合いである。大事なトコだぜ、ビビんなよ!

 ぜひ憶えておいていただきたい。申請書類の郵送先が、まあ確かに違法でも何でもないんだが、皆が『あれ?なんか変だぞ?』と引掛かるようなことになっていた。
 そう、ぱっと見のざっくり印象ででも、人が『おかしい』と勘付くからには、何か普通でないヤバいネガティブ事象がそこに潜んでいると考えた方が良いのだ【77】、組織風土しかり、自分の健康しかり【241】
 したたかに生き抜いて、その先に拡がる未来は自分で作る。引き続き、御幸運を!
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