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【918】生命の淘汰に学ぶ、組織と個人のフラクタル同調 [ビジネス]

 さて、いよいよ今年もセチガラ系の話題を始めるとしますか。
 去年一年かけて、ひとつ明確になったことを年頭に確かめておきたい。

 この新型コロナ・ウィルス、人類みんなが一生一回はひっかぶることになるだろう。
 地球上で過ごす限りは確実にどこかで遭遇して、体内に侵入してくることだろう。
 各自、一人ひとりの自由な未来はその先に拡がっているとして過言ではないと思う。

 ある感染力を持つウィルスが未感染者の大規模集団の中に現れたのだから、感染が拡がり感染者が増えていくのは当然だ。新規感染者の確認数が日々単純増加するのは当面のところ不可解でも何でもなく、これを必要以上に深刻視するような論調は厳に慎むべきである。
 そりゃこんな御時世でも正月を挟んだ以上、日常とは違う質のスクランブル対人接触があちこち発生するワケで、だとすると新規感染者の確認件数が段付きで増えるのも自然なことであろう。

 今はまだ医療機関の負荷が大変な時期であり、とにかく呼吸器系の機能不全に苦しみ命まで落としてしまう人を少しでも減らすため、他を合わせ込んで最前線に全力を投じていただくしかないとは思う。
 だが一旦ウィルス感染して陽性となり、あからさまな肺炎症状の有無はともかく、無事に済んでいる人たちの事後経緯はどうなっているのだろうか?可及的速やかで構わないので、現状の実態を把握したい。
 日本人の重症化率・致死率が世界的に見て桁違いに低い話は何度もしているが、それはつまり、軽症解決率・無自覚無症状率が極めて高いことを意味している。連日、新規感染者のヒストグラムが鰻登りになるのは道理だとして、大事に到らずどうにかなっている人のヒストグラムもほぼ同じ概形で伸びているはずなのだ。

 くれぐれも重篤化している罹患者への対応措置が最優先であることを繰り返しておくが、反面そんな重症例にしたって、たかが数年、嗅覚や味覚に異常をひきずる程度なら、それを本職とする鑑定士でもない限り大した後遺症ではない。ナニをおどろおどろしく不治の病みたいな言い方してんだよ?
 むしろ人体の系外に由来する敵性外乱としての症状をそのままストレートに喰らっておいた方が、中途半端に人体への親和性を持たせた薬品がもたらす副作用よりも、諸症状を単純キャンセルする形でよっぽど素直に解決する。年単位の回復期間がかかるんならかけろ、それが最適解であり一番ラクで早い。

 こんな状況だからこそ大切なのは、恐らく日本人の人種特性として高い感染症耐性の幸運がいま現にあるのだから、最大限に有難く利用する謙虚で素直な心である。海外の厳しい感染事情を脈絡もなく日本国内でたれ流して、税金資本によるワクチン総投与の必要性の話などしないこと、させないこと、そのいずれも相手にしないことだ。

 この度いよいよ自分がその当事者になる番を避けたいのなら、まず立ち止まって、社会をよく見て、御自身でよ~く考えて、自覚と責任のある行動選択をしよう。
 『B型肝炎もエイズも、過去の薬害問題はこうして起こったのではなかろうか』
 健康被害はやっちまったが最後、誰の胸倉を掴もうが、誰からおいくらふんだくろうが、この世のどこから何の飛び道具を持ってこようが、微塵の改善も期待できない。自分の身体が自分の味方でなくなるのである。つらいですぞ。

 昭和30年代後半=1960年代前半の『梅田熱』【823】なんかは、まず当時は通勤以外で電車に乗ることなどあんまり無かったはずだし、更にそんなモビリティ事情のもとで、大阪梅田のドヤ街に接点のある人種でふるいにかけるとなると相当に限られ、だから5年かかって感染者数が百人あまり・犠牲者2人に収まったのだと思う。
 こんな地域限定型の感染症なら『封じ込めて撲滅する』という対応コンセプトに現実味があり、発生都度の投薬対症治療も当事者個人めがけて施して事後を手厚く追いかければ良い。だが今般の新型コロナは、それでは到底収まり切らない。
 子供の頃を振り返って、遠方のモノがせいぜい2、3日のうち…というか、どうかすると翌日や当日のうちに、個人宅の玄関先にまで届いてしまうなんて考えもつかなかった。この人間以上のウィルス感染媒体となり得る超高速の物流も、今や社会全体のビジネスに不可欠なインフラとなっている。これを止めたら、その代替案が次の新たな感染経路となって…で問題が無駄に複雑化するばかりなのはすぐ判る。

 あちこちで『コロナ禍の出口』『アフター・コロナ』『ウィズ・コロナ』などなどと、もっともらしい標語ばかりが飛び交っているが、大事なのはまず『日本社会における病原性感染症の拡大現象』の現実を率直に把握することではないのか。
 日本人の元気で幸福な暮らしを、病原体の来襲ダメージをものともせず平常相当に保てるよう、有利なファクターをくまなく組み合わせて、弊害事象を解決していくことではないのか。

 医療体制のキャパシティを超えない制御を最優先しようとする自治体の行政コンセプトは正しい。
 その社会操作の判断をぐずぐず躊躇する国政が何より問題なのだが、どこからどう発せられたかはともかくとして、『自治体に言われて、ようやく国政が動くカタチに見せようとしていて、ずるい』という日本語が目耳に留まってしまったのには唖然茫然である。
 『ずるい』のだそうだ、この日本社会の、この現況を前にして。
 こういう日本語を放つヤツも、受け流すだけにしても平然と人目に晒すヤツも、こんなのが日本国の成人社会人として紛れ込んでいるから、現状こんなことになっている。
 議員は選挙で落とせるから良い。そうでない社会層の処置を考えねばならない。

 ともあれ全部これまで我々日本国民が『これで良い』としてきた社会運営の結果だ。
 このまま行くと、日本国民全員が各自の自分の身体の処置に困る危険があるのだが。

 言うにコト欠いてだが、新型コロナ・ウィルスはこの日本列島の生命の歴史において『老いさらばえて自滅しようとしていた日本人組織に、生き残るための社会組織性』を感染(?)させる進化の一面をもたらしているのかも知れないとさえ思えてしまう。
 ならば豊かなる我等が君が代の島の命ずるままに。引き続き、どうか御幸運を!
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