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【932】実務できない秀才表彰者の保護観察人探し [ビジネス]

 いい加減にしろ、違うワクチンなんだから、どこ製がいつ来るかの問題だろ?
 これに先立って、それぞれがどんな年齢層のどんな医療条件の対象者にとって何をもって有効なのか、まず一覧に整理して公開するところから始めないと、そもそも新型コロナ感染症対策にならない。
 逆に、そのあたりの確認もせず言われるままポンポン注射打ってる国民がいるというのなら、即刻でやめさせるのが社会の倫理道徳というものではないのか。
 今どき接待漬け連鎖の結果出力として、ワクチン焚き付けの世論操作目当てで全国一斉に流された、栄養剤お注射の三文芝居であることを疑うばかりなのだが…

 …っちゅうか、今どこ製がいくつ本当に日本に到着しているのか知らんが、だからこそ今のうちから『断られて余ったキャンセルぶんのワクチンを、物好きに片っ端から打つ』みたいな胡散臭いハナシまで出てくるんだよな。これ、あっという間に誰がどこ製をいつ打ったのかも混ぜっ返されて判らなくなるのは確実である。
 仮に口八丁手八丁で深く考えない国民をその気にさせて、とりあえず調達されてしまったワクチンをひと通り在庫一掃したとしよう。
 口先だけ『接種記録を完全に残す』と言い張るのは簡単だが、それこそ自宅療養や一部の入院療養での外出禁止さえ管理できなかった事実を見ても判る通り、社会規模でこんな個々人個別の行動を外力で管理するのは不可能なのだ。

 いずれ不幸にもただならぬ規模のコロナ感染拡大傾向がまた見え始めた時、どこ製のワクチンが効いて、どこ製のワクチンが効かなかったのか、確かめようが無い。
 例えばその時点の国際事情として、どこ製のワクチンが効きそうなのかが判明し始めていて、製造元も確信的に生産能力を上げて来ていたとしても、この無策手当たり次第の日本社会の方が、管理が悪すぎて現状把握がまるでパー、誰々からどう真打ちを接種していくべきか計画が立てられない。もう早まって打っちまった国民の二重接種ケース乱発を前提に、『また国民全員に、また税金資本で』馬鹿馬鹿しいワクチン接種の政策仕込み論争がぶり返すだけである。
 返すがえす立法も行政も司法も、この自爆テロ非国民犯罪者政権の国家破壊工作ぶりは、ただただ尋常ではない。もう終わりにしよう。早く終わりにしよう。

 さて元々が社会の動作モードを切り換える実効ルールとして定義があやふや過ぎる『緊急事態宣言』だが、その解除vs継続で各地の方針が分かれているようだ。
 これはこれで地域相応に自然なことだし構わないと思うが、何しろ国会議員どもが『実はもうコロナ感染なんぞ危険でも何でもない』の本音を先走らせて、緊急事態宣言由縁の時短営業下にある都心の夜を飲み歩いて遊んでいる事実が国民に知れわたってしまっているため、国民の認識=社会組織の自我が『ウソっぱち緊急事態宣言なんぞに取り合ってられるかよ』と、なし崩しに統治アナウンスをシカトする機運が立ち上がって来ないか心配である。

 別に新型コロナ感染騒動を『もう終了』と決めつけて、何もかもコロナ以前に戻して突っ走るのが正解だと言うつもりはない。もちろん現実の行方を見ながら状況次第で次の手を打つのであり、必要とあらば、その理由と拘束力を高めて、もちろん緊急事態宣言の三度目の発動もアリだ。
 病原体感染症なんぞ人間ごときの思惑通りにすんなり行くものでもなかろうし、だがこのままでは人間社会の文明が組んできた経済流通の仕組みが破綻する。
 ある意味、緊急事態であることを口実に『コロナ、コロナ』と思考停止でデタラメ自暴自棄に走ってしまっているので、まずそっちの方を緊急事態解除として一斉停止せねばならない。コロナ禍以前の長らく辻褄を合わせて稼働させてきた、社会文明システムの再整備が待ったなしの壊滅的状況になっているというのがコトの真相なのである。

 やれ専門家の分科会だか諮問委員会だか知らんが、このたびも緊急事態宣言の解除判断にぐじゅぐじゅ逡巡したとかしないとか、とにかくどうでもいい登場の仕方しかしないヤツらって何だよ?それこそ冒頭述べたワクチン種別特性の整理整頓も含めて、だいたいコイツらが、少なくともここで一介のドシロートの私が紹介している以上の専門的な情報を、一度でも公開したことがあるのか?
 まあ誰を筆頭研究者にするのか、実力よりも政治的なチカラ関係で決まってしまう文化が染み付いてしまっているポンコツ骨董品大学のハナシはよく聞くので驚かないが、かのノーベル賞ブランドにはほとほと幻滅した。何だこの無能スカ野郎?
 こんな国家のピンチで、学術領域内の事情を知り尽くし新たな一歩まで踏み出すような知見が、日本国民の信頼と納得のもと、損得勘定などこの世のあらゆる外乱価値を一蹴し日本社会を正しく引張れなくて、たかがどれだけの値打ちがあるというのだ?
 黒縁ミイラももういいよ、こんな無駄な会合、解散させよう。役立たずで目障りだ。

 まず首都圏以外で緊急事態宣言を解除し、段階的に市場の時短営業を緩めていく案には賛成する。街のお店はまだしんどいと思うけれど、敢えてここは一旦きちんと足並みを揃えるのが賢明だろう。
 そして1ステップ緩めては、それに呼応するコロナ感染状況の現実を確かめていく。『おっとヤバい』と見えたら、その時点で急停止し必要な手を打っていけば、それが全体的に見て最小の営業制限で元の稼働ペースまで刻んでいけるプロセスである。
 そう簡単に右肩下がりで収まってくれるものでもないんだろうが、我々は日本社会の医療機関の現場をオーバーフローさせずに重症・致死さえ避けられれば、言ってしまえば『大した病気ではない』のである。
 まず大騒ぎの花見は、まだちょっと我慢しときましょうか。その方が近道で早い。

 ところでの但しだが、『恐らく日本人にとっては』という条件を忘れてはならない。
 どうせ開催そのものから成立すると思えない五輪大会ではあるが、選手にしろ観客にしろ外国人をまとまった数で迎え入れてしまうと、日本の医療機関が五輪来訪の外国人ばかりで大わらわ…という理不尽な窮地に陥ってしまい、これまた世界中から非難と嘲笑の的にされてしまうのは間違いない。
 今そこらで話題になっているワクチンが有難くも全部十分に効いたとしても、東京で五輪やるなら日本国民よりも海外来訪者全員に優先して打つべきだろうし、だいたいドーピングできない出場選手は自己責任リスクで来日期間中ひきこもって身を守るのがせいぜいだ。こんなこと昨年から判っていた。

 ともあれ日本社会は、悪足掻きせずとも『やられ放題』に甘んじず、身ひとつで社会生活の建て直しを考えられる時期に来ていると思う。
 もう明日にも反転攻勢をかけたい方も多いだろうが、浮足立たずに着実に刻んでいくのが後戻りなく一番速い。今しばらく我慢に徹して、引き続きの御幸運を!
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【931】高額違法接待に媚びた国宝ふるさとマインドの更生計画 [ビジネス]

 2月にしては驚くほど暖かい日もあり、ラッキーなタイミングと表現してよかろう。過去1年強の新型コロナ・ウィルス新規感染者数の大雑把な増減パターンを見るに、暖かい季節には一気に鈍化する傾向が確認できる。
 今般、一番寒い時期の直近ここまでを抑え込んで来れて、一発あったかくなって、もうすぐ桜も咲き始める季節となると、『元の経済稼働への復帰を急ぐトライアル』に絶好の巡り合わせってことだ。

 我々日本社会が回復を目指すのは、自由競争原理に基づく国民主導の経済市場。
 英文法を間違えたGoナンタラ企画で遊興旅費を税金払いにする理由など無い。

 まあいいや、このあたりは実質地域別の判断主導を進め、各地で暮らす国民の生活志向最優先で物事を動かしていく実効力が、本来あるべきパワーで機能するようになって行けば良い。現状のあほ国政は要らない。
 今これほどまでに国家運営が、判断力から実行力からすべからくダメダメだと、近々大きな選挙があることも考えておく必要があるだろうから、そっちを話題にすることにしよう。

 『人生設計の意外な落とし穴』的に紹介されることが多いと思うのだけれど、『今なお現代に残るイナカ社会の閉鎖性ムラ事情』みたいなのを、そこらのマスメディアで見かけた方は多いと思う。
 具体的には、このコロナ禍だし思い切って憧れの田舎暮らしを始めてみました、ところが地元の既存コミュニティとの折り合いがうまく行かなくて、いわゆる『村八分』にされハジかれてしまい、決して思い描いた夢いっぱいの新生活にはなっていません…みたいなやつ。

 かく申す私自身はキホン世知辛い都会暮らし中心でここまで来ているのだが、お邪魔虫の傍観者式に歴史ある地域コミュニティの隅っこに紛れ込んだ経験が無い訳ではない。
 身を寄せ合って当該地域の特徴的な地理的条件に適応し、避けられない不便さえ補い合って『お陰さまお互いさま』の幸福アイテムに変換してしまう、あの独自のコミュニティの優しさ暖かさは魅力的なものだ。歓迎され、何くれとなく面倒を見てもらい、こちらからも精一杯の恩義を返して喜ばれる。
 時世に揉まれながら代々その地で手を結んで生活を守り合った人たちの協力体制の堅さが、その村落・部落のちょっとした年中行事や生活習慣に反映されており興味深い。もちろん私みたいな一見さんの余所者との関わりにも、この時代においては十分に気配りされるに到っており、少なくとも私はとても気楽かつ快適コンビニエントに仲間に入れてもらうことができた。
 では、こんな地元コミュニティの定住レギュラーメンバーの一員になるとしたら?

 いろんな生活フェーズのことが頭をよぎるが、結論から行く。
 その地元がドコソコ党の誰それさん支持だったとしたら、どうなるだろうか?

 だって日本国内の社会運営ルールとして、どんなに少人数でも、キホン村議会を設置して民主主義の運営方針を厳守せねばならないのである。
 解りやすく直球のケースを想定するなら、いち早くドコソコ党がお膳立てして、その集落を代表する議員を立候補させた場合だ。まあ信用の堅い御近所さん同士だし、何だかムツカシイ面倒ゴトを引き受けてくれるんなら、喜んでそこにお任せすることだろう。

 この瞬間、日本社会のその自治エリア単位は、丸ごとドコソコ党の傘下となる。
 例えばそのドコソコ党議員のお陰で年に何回か、イナカ生活の日常では到底あり得ないような豪華な振舞いの竜宮城イベント会合が、これまたちょいと税金を数千万ぽっち引張って来て建てた小綺麗な集会場でやれちゃったりでもしたら、もうそこ集落一帯の脈々テッパン支持は間違いない。実は、個人間の信頼の証であってはならないのだが…
 今どき山間部の過疎集落で選挙ともなると、投票者数はどうにか二桁に届くかどうかで、誰がどんな票を投じたかも筆跡で割れてしまい、当然あっという間に集落じゅうの知るところとなるケースも普通だろう。

 さてこんな自治単位に、田舎暮らしに憧れる都会モンが転がり込むとどうなるか。
 『あ、いや、ワタシそこの政党はイマイチ好きになれないもんで…』
 これは都会モンとしては自然な権利意識の主張だし、それこそ都会暮らしじゃ集合住宅のお隣さんにさえ気にされるとも思っていないのだ。そもそも御近所さんの顔も名前も知らなかったりするしな。
 だがこれは、その集落にとって『自分たちの生活空間のシアワセを支える恩人を裏切る態度』とカウントされてしまう行きがかりになる。
 せっかく都会から環境の良いところに移り住んで、自分も田畑をやってみたいと思っていても、山から引いた水路は開けてもらえないし、道の駅への出荷ルートにも混ぜてもらえないし、それどころかゴミ収集の対象区域からは外され、街燈設置の検討すら意図的にばっくれられたりもするだろう。

 因みに、私自身はがっつり駅前商店街まで備えたまずまずの駅から徒歩範囲のところまでしか住んだ経験が無いので、上記のような深刻なトラブルに見舞われたことは一度も無い。既に週末の地域活動に協力できない生活形態の住民には、参加免除の代わりに共益費を支払って済ます仕組みまで完成されており、なるほど逆にそこに到るまでにいろいろあったのだろうな、などと思い巡らした記憶が、このたび田舎暮らしの解け込み挫折事例を見ていて蘇ったのである。

 問題は、いま日本社会が共産主義・社会主義式システムの特質=国家の『財』が政権スタッフ層の欲と損得勘定と依怙贔屓で浪費されがち、というところに起因する重大な危機に陥っていることであり、我々日本国民は、そんな矮小に歪んだ不適格人材をスタッフ選出してしまった経緯を冷静に辿って、それを一例一例つぶさにキャンセルし断絶する確実な修正を加えていかねばならない。
 代々その地の自然と向き合いながら、力を合わせて懸命に暮らしてきた地域コミュニティの仲間意識は本当に頼り甲斐のある強力なもので、その絶対に裏切らないお陰さま・お互いさまチームワークでこそ、山あり谷ありの生活を切り回して今がある。
 だが、そのひとつにまとまった心=集落組織の自我が、悪い意味で巧くつけ込まれ、日本国運営のフェアネスとは無関係な価値観で手なずけられた結果、今これほど見るも惨憺たる国政崩壊につながっている事実を、1億2千万人日本社会の隅々までの全体で考え直さねばならない。

 都会から郊外地あるいはもっと僻地への移住と第一次産業への回帰は、時代の潮流として今後も盛んになっていくだろう。そこに『住人として根付いている政治勢力』をどうするか、飛び込む方も迎える方も、真面目に思い直さねばならない時代なのだ。
 飛び込む方は孤立しないよう数世帯で移住するとか、迎える方も自分たちの小孫世代を、日本国政の浄化をもって委ねるスケールに立ち返ってゼロベースで対応を起案するとか、双方から工夫しつつ折衷点を探すコンセプトで、慌てず無理せず模索する姿勢が重要だと思う。

 何より、他人様の生活空間に当て擦り侵略的に移住して来ようとする日本人など、どこにもいないのだ。大切なのは、日本国全体を仕切るルールから、まず面倒がらず暮らしやすく整備する意識なのだと思う。
 若い元気な社会層の農林水産業への興味は、自然で合理的な正解だと思う。ま、本件あながちイナカだけのハナシでもないんだけどさ。ではグッドラック!
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【930】再起不能な堕落人生プランの報酬単価 [ビジネス]

 もう、あれもこれもメッチャクチャなことになってきた。
 今さらになって新型コロナ・ウィルスが謎の百花繚乱で変異し放題!とでもいわんばかりに、何故か感染者数も犠牲者数も少ないこの日本で、変異種発見の報告数が加速度的に伸びており、ちゃんと突き合わせてダブルカウントが無いのなら、もう三桁件数いってる感じだ。

 『新型コロナのワクチンは、変異種であっても効きます』などという、あり得ないトンデモ誤情報もチラホラ耳にした記憶があるのだが、当然そんなことがあるはずもないのはすぐバレたと見えて、いくらもしないうちに静かになったようである。
 そう、よく言われる通りウィルスの自己複製精度は生物界の常識に比べて低く…というか、突然変異による新種・亜種の発生率がそもそも高く、宿主の生体機能を乗っ取ってこそ生物学的な世代交代が可能となるウィルス族にとっては、自ら変質することで宿主を乗り換えていくこのやり方が生き残りの基本戦略となっている。
 世の動植物は大概、体内に侵入してくる外敵に対して抵抗力を構築するだけでなく、更にその抵抗力を戦力ストックして、二度三度おなじ手を喰らわないようグレードアップできる能力まで備えているからなんだよな。

 だからって、これまた何も事実確認せずに『既存の医薬品は、あらゆる変異種に全く効かない』などとも言えない訳だけれど、インフルエンザなんかでもその年の流行型の読み外しによる予防接種の空振りとともに、それなりの件数でシーズン中に、ウィルスが変異してワクチン効力をすり抜けてしまうケースもある訳で、この場合まさに結果論として『変化球の弾道変化に空振りさせられた』形となる。

 いや、それで今般の新型コロナのハナシに戻るのだが、既に三桁に迫るほどの変異種が確認されているのなら、懐かしの野球漫画『侍ジャイアンツ』に出てくる分身魔球が、今もう分身しているところまで見えてるんだから、どれが実弾でどれが虚像かも見切らずに振りに行くなよというハナシである。
 日本なんかまだノーストライク・ノーボールなんだし、今は見逃せば良い。

 ところで目を疑う仰天のニュースが流れた。真実なのだろうか?
 『ワクチン接種の副作用で落命したら、国が4千万円強の補償金を支払う』だって?
 冗談じゃない、もう小学生でもヤバさが即断できるレベルではないか。
 『ワクチンを打つ人間』と『4千万円強を受け取る人間』が、絶対に別人になるのだ。

 あえて歯に衣着せず直言しよう。読み苦しいが、ちょっとゴメンあそばせ。
 そう、邪魔な老人にワクチン接種させて始末する格好のチャンスだ。
 ワクチンの副作用が原因だと証明が成立したら、臨時収入4千万円強が手に入る。
 証明が成立せずとも、類似ケースが多発するから調査を面倒にすれば逃げ切りOKだ。

 以上、悪辣な他殺動機による悪用パターンだが、もちろん子供や孫への介護負担を気にしながら身の修め方につらく悲しい思いを巡らす高齢者の方々だって少なくない。こちらの方が、むしろワクチン接種の当事者が副作用を原因とする因果関係の物証取りに積極的なぶん、外野の目による事後調査で指摘し真相を特定するのが困難になるはずである。
 悲しみに暮れ生活に困窮する遺族を前に、尊い人命が失われた経緯に疑いをかけて補償金の支払いを拒まなければならない。その決着がつくまで親族はじめ関係者一同は、不穏な揉め事をペンディングのまま持ち合うことにもなるから、相続の処置が仲良く穏便に落ち着くことも無かろう。

 極めてあやふやな確認で、またしてもの税金資本で補償金を次々と払い出すような破目に陥ることは許されない。それこそ『一人あたり4千数百万円入るから…』で計算を始める日本人が、あながち少なくない数で出て来てしまう流れにならざるを得ないからである。
 この世は、この経済空間は、この日本社会は、清く美しくあることだけを実存の崇高な目的に、神の与えたもうた聖者の修道院ではないのである。
 森羅万象、生命の歴史を育んできた日本列島の豊かな自然があるだけだ。
 人間も組織も、種の保存を賭けた生き残りのためなら、どんな道理も巻き起こす。

 今般、たかがワクチン接種の副作用リスクなどという個人事情の選択肢に対して、勝手に税金資本の高額補償をつけようとしているところに、社会主義の押し付けにしても、ちょっと空恐ろしくなる金欲取引の逸脱感を禁じ得ない。
 こんな発言が国家組織の運営議会で本当に飛び出したのなら、大陸や半島がどうたらなんぞ軽く飛び越して、もう一部の思想・宗教カルト集団に通ずる領域にまで、日本国の財務モラルが崩れ出していることを心配する必要がある。

 確かに新型の病原体感染症が流行し、苦しんだり落命したりする人が出た。
 だがそれは地球上で展開する生命の歴史の一幕として自然なことなのであり、殊に日本国においては、今ここに到って既存の医療技術の及ぶ範囲で、社会の通常作動に戻しても破綻しない程度には収まっている。新型の疾病なので被害は避けられないが、1億2千万人日本社会の組織生命を危ぶむには全く及ばず、むしろ初期被害からの再起と回復に軸足を移せる状況には十分なっていると見受ける。
 なぜ無理からに未完成のワクチンを、つらい他国を押しのけて税金資本で買い込み、国民個々人の本人を越えてまでのカネ目当てでそれを打たせるような焚き付けをせねばならないのか。

 『国民みんなが安心して経済活動に精出して幸福に暮らせる、平和な日本国』
という国家像は、それを『良いコト』として目指して努力を注ぎ込み、みんなで協力し維持して初めて叶う。
 平凡な日常生活を送る中で、普通に稼いで、普通に使って、そりゃナニ不自由なくというには全然足りないながらも、どうにか遣り繰って日々を生きていたのが一昨年のことでしょ?
 この1年ちょっとで、アレをやったら半額あるいは全額がタダになる、コレをやったらおいくらくれる、そんなハナシがやたら公然と語られるようになった。だが人命に及ぶのは、あまりに早過ぎやしないだろうか?

 ワクチン副作用の補償を認めた呼び水事例の数件が報じられるなり、ワクチン接種希望の件数が急増…なんてことにだけはなって欲しくない。
 人さまが、誰かを何物にも代えがたく大切に思う気持ちを、よりによってカネ勘定に引きずり込もうとするような悪意は断じて許せない。どこのどいつだまったく?
 気を確かに持って、元の、普通の生活で幸せに暮らしましょうよ。では御幸運を!
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【929】必修科目!おもしろ貯蓄の物理学 [ビジネス]

 日本が何万回、何億回分ワクチンを確保しました、だなんて、いま新規感染者が減ってくる傾向が見えてて下げ止まりがどうたら言ってんだろ?
 まず確保したってのは真っ赤なウソっぱちだろうし、少々の違約金払ってでも勝手にやらかしちゃったぶんは契約解除で他国に譲るのが賢いよ。そもそもから特段の危機対応なんぞ必要も無くなってるのは御存知の通り、バチあたって『また』深刻な薬害問題起こすぞ、この国は。

 さてさて、せっかく冷凍機設備の技術ネタをやったので、この際もう少し。
 あんまり一般的じゃないんだけど、『蓄熱』というコトバを聞いたことのある方はおられるだろうか。まずは魔法瓶の概念で大体当たっている。

 我々50代が小学生だった時代、日常生活で熱いお茶や冷たいジュースを持ち歩くという概念は存在しなかった。
 遠足で持つ水筒は、水密と壊れにくさの機能を第一に造られており、割れにくいプラスチック外殻ケースに金属筒状の容器部分が内蔵されていて、開け口はねじ構造でもって環状ゴムのリングシールを圧縮し密閉する。当然、熱いお茶を入れればその直後から外面を触れて暖かいし、冷えたジュースを入れれば冷たいし、中身はいくらもしないうちに常温となる。

 この当時の常識を変えたのが『魔法瓶』だ。いかにものネーミングがそれを物語る。
 飲み物の容器部分がガラス製の二重構造になっていて、この二重の隙間の空気が抜いてある。真空層を挟むことにより、熱伝導を遮断するのである。
 当時、鏡と言えばガラス板に裏側から銀を蒸着して作られていたのだが、つまり容器壁面を鏡にすることにより、中身は中身に向け、外面は外面に向け熱反射特性を持たせるという原理であった。
 ところがこの時代のガラスの脆さはタダゴトではなく、魔法瓶の水筒はちょっと落としたりぶつけたりすると一瞬で中で粉々に割れてしまい、軽く水筒を振って『シャラン、チャラン』と破片の音を聞いては『あーダメ、やっぱ割れちゃったわ…』なんて確かめたりもしていたものだ。高価な貴重品だったのだが…

 さて『蓄熱』だが、物理的・技術的に少々大袈裟なイメージにも響くのだが、要は熱い飲み物の保温と同じである。具体的には、飲み物になっている液体分子が持つエネルギーを放散させないこと、ミクロ・ナノ振動まであらゆる動きを全てビリヤードのように、できるだけ完全な弾性衝突でエネルギー損失なく跳ね返し、容器から系外への伝播経路を絶つことが本質的な目標要件となる。よろしいかな?
 では、少々マニアックな『蓄冷』の方に話を移そう。

 『蓄冷』にしても、熱の移動方向が逆になるだけだから、まずは『蓄熱』と目標要件はカブるのだが、実用方策として、もうちょっと違う事情が絡んでくるのだ。

 ペットボトルなんかこの世に存在しなかった魔法瓶礼賛の時代、水筒はもちろんドリンク瓶の買ったままを製氷室に入れて破裂させる事故も珍しくなく、故に日常べからずトラブルとしても有名で、よって一般教養として大概の人が心得ていた気もする。
 まあ『凍らせておけば冷たさの持ちが良い』というのは誰でも考えるんだよな。これは、水H2Oが個体の氷から解けて液体に状態変化するにあたり、随分と熱を喰う必要があるからしてのコトなのだ。この個体が液体に変化するために喰う熱量を、融解熱と呼ぶ。
 凍らせた飲み物はミクロあるいはナノ振動の動きまで鈍く静粛でおとなしいため、外から相当吸熱してもそれを解きほどいて起動するための融解熱として状態変化に喰われるばかりで、自由運動できるような動きのある液体にまではナッカナカなりにくい…と、そういう理解で構わない。

 逆に、液体の水から熱を奪っていったとして摂氏ゼロ度にまで下がった途端、いくら熱を奪ったところで、温度はゼロ度で止まったまま、ゼロ度の水がゼロ度の氷に状態変化するためだけに熱が喰われるばかりで、ゼロ度一定から下がらない時間が続く。全てのゼロ度水が残らず氷になり切ったところから初めて、再び氷として氷点下領域にてどんどん温度が下がっていくのである。
 この液体から個体への状態変化のために奪うべき熱を『凝固熱』と呼び、その値は融解熱に等しい。

 つまり、上記の例から解る通り『冷やしたモノの摂氏ゼロ度を常温化で維持する』という目的において、水から氷を作る過程の持ち出し凝固熱ぶんが、どこか系外の他から流れ込んできてしまう『もらい熱』の吸収バッファーとして機能できることになり、『氷は摂氏ゼロ度の蓄冷剤として使える』という言い方ができるのだ。
 『負熱の貯蓄』による摂氏ゼロ度の維持は、氷により動力不要で可能である。さらに熱を吸わせて出てくるH2Oは正真正銘の水でしかないから、もちろん飲めるし、そこらにボタボタ落としたところで、後にも一切を残さず全て乾いて飛ぶ。

 う~ん、とっても当たり前のことをいちいち難しく解説した感が凄いぞ。
 ではマイナス20度・マイナス50度・マイナス70度では、どんな蓄冷剤を使えば良いのだろうか?

 …そんな物質は無い。適材が無いのでできない。不可能なのだ。
 いや、目を吊り上げて、この大気中の一般環境下で凝固点がマイナス20度の物質を探せば、何かしら見つかるのかも知れない。だが水ほど常識的に安全で、安価で、扱いやすく、実用温度域に融点=凝固点を持つ物質は他にない。
 せいぜい水に食塩を溶かして塩水にして、凝固点降下でマイナス10度レベルにするのが限界だ。これとて漏れた場合の塩害が怖くて、台所でアイスクリーム以外を目当てに使う気はあんまり起こらない。よく半透明のプラスチック密閉容器に薄いブルーで着色された液体保冷剤が入っているのを見かけるが、あれもキホン水H2Oである。漏れたのが判るように着色されているだけなのだ。
 如何に水が我々にとって都合の良い特性を持ち合わせてくれているかの奇跡的な偶然に感動するとともに、それ以外の冷却、特に継続的な冷却は、とにかく動力仕掛けの手間・高コストから逃れられない。優秀な無駄ハンターのSDGsさんたち、よろしく。

 どこそこのワクチンがマイナス何度で何回打たなきゃいけなくて…って、そんなややこしい場合分けを管理するのはハナっから無理だし、だいたい絶対どれもヨリ取りミ取りで人体への影響は変わりません…なんてワケもないのに、誰に何が適・不適なのかもロクに調べずナウ手あたり次第ありもん打つって、正気の沙汰か?
 医療処置の作業プロセスとして完全に破綻・崩壊し切ってるじゃねえかよ。

 …あら意外と分量いっちまったなあ。コトほどかように冷凍というのは大変なのだ。
 まあ今般のワクチンとやらが一斉一律の税金事業でやるようなものでは到底ないことだけ御理解いただければ十分である。
 もっともワクチンは『接種して感染症を予防する』ことが目的なのは間違いなく、新型コロナ感染症に対してそれが開発されるのは自然な流れであり、その効力の可能性を頭ごなしの理屈抜きに否定するつもりは無い。然るべき段階を経て進展するだろう。

 医療技術という人類の英知が、正確な情報伝達のもと国民の健康管理に普通のこととして活用できなくなっているような、こんな現状に陥らせている人間の邪心が問題であり、それを真面目に摘発して残らず消去すべきだと言っている。
 何か突込んで身体を壊したら、自分の中でそれを解決するしかない。では御幸運を!
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【928】仕立てられた赤い大惨事の経費リスト [ビジネス]

 うわあ、また東北で地震かよー!何よりもまず、現地の方々お大事に。

 このところ、どうせ現実にならず水泡に帰すような架空企画を言いふらした途端、他との整合性も何もなく、税金資本でメチャクチャな散財事業ばかり強行する傾向がタダゴトでなくなってきた気がする。
 来週半ばに打つとか抜かすワクチン、何が原料でどんな薬効でどこの国のナニ社製かも、もう半分以上どうでも良くなっている感じだが、なんと40万回ぶんだっけ?
 こんないい加減なハナシ、さも決定合意済みたいにタレ流す方も気を確かに持てよと言いたい。放っときゃ税収引充にツケられて、この先あなたが楽しみに買うはずの好きなモノたちに支払うお小遣いまで、生活必需品の消費税率増分に化けて手元から消えていくんじゃなかったっけ?

 部品・完成品や書籍、あと常識的な食品でもいいけど40万単位って凄い数だぜ?
 古電球の知能レベルで意味が解っていたとは到底思えないのだが、ちょっと前だと3億いくつがどうたらとか口走ってた時期もあったくらいで、まあつくづく物事の数量規模に対して知覚も認識もできねえバカ丸出しもいいところだと呆れたものである。
 各国で争奪戦!みたいなことになるほどの大層なモノが、こんなにも行き当たりばったり式に転がり込んでくるのを、右から左へ素通しする勢いで吹聴して回って大丈夫かニッポンの医療業界?

 薬剤の『特例承認』かあ。まあどこのどいつがナニを根拠に承認してくれるのか、打つ人はよく確認しておくのがよろしかろう。もしもの時には涙目で『アンタのせいだ!アンタが悪い!責任取れよ!』って言いに行かなきゃいけないんだからな。言いに行ってどうなるかは知らんけど。
 効いたと思えたらイイね。副作用を疑う健康被害がずっとなければイイね。
 自分の健康は、自分内々での決着以外あり得ない。まさにグッドラック!

 ま、『打ちたいです』と口だけ答えて絶対打たない自由が保証されてるし、いいか。

 結局リスク負担は自己責任にしかなりようのないこんな個人帰属のモノが、みんなで持ち合う社会保障のひとつだと勝手に言い張って、日本社会に受け入れられるとでも思っているのか。特にこの日本国においては、新型コロナの被害度は他国比で明らかに軽微であり、いま私は社会組織を切り回す役職にもいないし、医療にも一切関与していないので、敢えて無責任な態度を決め込んで断言する。

 我々もう社会活動の通常巡行ペースを変えてまで対応する時期ではなくなっている。
 いずれみんな新型コロナにかかって、確かにゼロでない重症化率・致死率相応の犠牲者は出るんだろうが、それって未感染のまま無菌室で生きていってもらう訳にも行かないはずの人たちなんだし、個別ケースなりの医療措置は頑張れるところまで頑張るとして、そこまでだ。これが基本モデルだろう。
 冷たくてすまん。『不幸にもそうなってしまったら、苦しめ、死ね』と言っている。

 聞く相手を選び、一般的には響きも悪いのは承知で宣言してやろうじゃないか。
 一人前の社会人たるもの『人の命が何よりも大切』という原則は、こんな社会組織生命体の大ピンチには、捨て去る思い切りを持つべきである。
 社会が『そこにいて、嬉しくて楽しい空間であること』を死守するための冷静な行動判断を惑わせてはならない。人が苦しんで死ぬのは避けたいが、社会組織が苦しんで死ぬのも避けねばならない。

 具体的には、他でどんな不都合があろうが二次被害が出ようが、『人の命を守るため』と言った瞬間にそれが金科玉条と化し、そこに関わる人々の思考が停止して知恵が使えなくなるというのなら、そんな狂った人命尊重は、人類文明としての社会組織にとって『悪』であり『害』であり『間違い』である。
 プチ余談だが、莫大な電気代を喰って泣きたいほどの歩留まりが確実明白なワクチン接種、二酸化炭素排出や再生できない産業廃棄物による環境問題を声高に訴えるSDGsさんたちは、『人命と地球環境の天秤掛け』についてきちんと答を決めて発信しないと、所詮は承認欲起源の幼稚なディベート遊び以上に気にしてはもらえないぜ。

 地道で真面目なお商売にて生計を立ててきたのに、今般このコロナ禍に遭って生活に行き詰っている人はたくさんいる。そこで。
 言ってしまえば、欧米諸国のような酷い事態にもならない日本社会においては、特別な対応措置を一切取らずに日常稼働をそのまま走らせたところで、大ゴトにならないっちゃならない。考えてみよう。

 右も左もはっきりしないうちに感染してしまうと、未完成の医療対応で重症化あるいは致死の恐れもあるから、いちいち頼まなくても大衆はまず外出を控えて身を守ろうとする。本来、これを自粛という。
 この時点で市場経済は客を失い相応のダメージは喰らう。ただこれは、商売やってりゃ天から降ってくる自然淘汰の節目みたいなもんで、それこそ出不精になったユーザーめがけて思い思いに業態を進化させ、強者が生き残っていくだけだ。ある意味、日本経済の生命力に展開を預けた『なりゆき任せ』だと割り切ればこうなる。

 御覧の通り、過去1年強の日本人の新型コロナ感染率および重症化・致死数の状況を見るに、現時点まで『なりゆき任せ』にしていたとしても、そんなに酷い『死病の日本史』にはならなかったろう。割と早々に日本人の耐コロナ体質は顕著に見えていたから、あとは重症化ケースの発生推移が医療機関のキャパシティを越えないよう工夫すれば良かった。あらかじめ釘を刺しておくが、これは結果論ではない。
 期間限定で厳格な経済活動の一斉ブレーキをかけ、入口制御で新規感染者数から抑えにかかるもよし、いくつか指定医療機関を決めてコロナ対応専門のハード&ソフト機能を集中させ、発生した重症者を迎える受け皿拡大の体制整備もよし。
 いま新規感染者数や重症者・死亡者数も減ってきてはいるから、いっそ明日から『なりゆき任せ』を基本戦略にする判断は十分に可能だろう。

 いや、まさか1億2千万人日本国民が
 『ワクチン=死の新型コロナへの最終兵器=誰もが願う日本国の急務』
みたいな等式をアタマの中に持っているなどとは全く思っていない。
 むしろ、あれからこれからコロナ禍にかこつけて税金資本の空振り政策ばかりを、空振り確信犯でやり散らかす傾向がどんどん底抜けて極端になっており、社会統治という元来的な目的意識が国政から消滅しているのが気になっている。少なくとも現政権のままだと日本円経済は全ての辻褄をたがえて発散し、空中分解するだろう。
 国民の求めない空振り政策つまり『社会主義政策の押し売り』が目立ちすぎる。

 政治家も役人も、どんなに中立な立場から誠実を尽くす人でも、社会組織の運営=行政に関わる職務ポストから、人命の最優先を放棄する内容の言論はできない。自分自身が直接のガチに、その社会組織を成す人命、それらが納めてくる税によって生かされている立場だからだ。反面、不特定相手の人命尊重は社会組織スケールで見た自由な自力の活動体力の足枷にもなり得る。
 そこを特に主権者たる国民個々人の側が正確に理解して、成熟した道徳概念のもと、社会組織生命体の健全な運営による総観的な自己保存の生き残りを目指す。こんな日本社会の自我の意識構造で、必要な日本語情報が発信され、的確に受信され、人が動いて皆が幸福になるような流れを作らねばならないと思う。

 この現状『コロナ慣れ』ではなく、他国ほどタイヘンでもないのに、いつまで経っても全然カンケー無い税金資本の『赤い旗ごっこ』をやめないから、国民がつきあうのも馬鹿馬鹿しくなって見捨てにかかってるんだよ。
 自由市場を戦後の活力で謳歌していた日本社会の最大のネックポイントは、議会制にしても役所組織にしても、『みんな一律、みんな同じ』の共産主義・社会主義式の組織構造を採ったことにあった。国家全体の暮らしの規模に対して有価物のパイの大きさが足りなくなってくると、人間の汚い欲望が強調され自滅に向かうシステムなのだということを、いま日本人は現実を見て学んでおくべきだと思う。

 何より再度のダメージでタイヘンな東北の仲間たち、どうか御幸運を!
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【927】献身激務の御褒美は1億2千万人のツケで [ビジネス]

 さすがに不思議を感じるのだが、サメ脳って何がそんなに役に立ってんの?
 かのガイキチ鳩ポッポみたく大金持ちで党の生命線スポンサーになっちまってるなら、資金源確保のため背に腹は代えられぬというのも解るんだが。
 まあシンプルで見えやすい論点でいろんなところからツッコミも入るんだろうし、ほかっておくとするか。

 一方どれだけ求められているかもあやふやなまま、ますます相互に噛み合わない断片的な怪情報ばかり飛び交うのが、ワクチンに関するトピックである。
 先に技術モノの内容を少し追加しておきましょう。極低温冷凍機械の話だ。

 今こうして我々が吸っている空気の中にも、かなりの水つまりH2Oが含まれている。これを水蒸気という。
 水分子同士がガッチガチにスクラムを組んで個体構造を形成しているのが氷、このスクラムが解けて分子同士が引き合いまとまりながらもお互い自由に動くのが液体の水、さらにこれが分子ひとつの単位として空中に飛び出している状態が水蒸気である。
 よってH2Oが水分子単体にまでバラけている水蒸気は目視できない。梅雨時の死ぬほど蒸し暑い日でも遠景が見通せなくなることはないし、お部屋で加湿器焚いてモヤったこともないでしょ?遠景が白く霞んで見通せなくなったなら、それは水蒸気が液化して水となり水滴になって空中に浮遊している『霧』『もや』であることを意味する。

 まあいいや、そんなワケで湿度0%にでもしない限り、空気中にはH2Oが存在するのだ。ちょっと補足しておくと『大概すっからかんになっているトコからもっと掻い出すのは超タイヘン』の原理により、湿度0%も厳密にやろうとすると、ちょっとやそっとの手間では済まない。結構カラッとした日でも湿度50%は普通にあるし、30%となるとかなり珍しい。あ、この割と一般的な『相対湿度』だけではなく『絶対湿度』ってのもあるのだが、そのへんはまたいつか。

 さて氷水を入れたグラスを置いておくと、表面に水滴がついてきて流れ落ちる。
 目に見えないが空気中に含まれているH2O=水蒸気が、グラス表面で露点温度まで冷却されて状態変化し、液体の水になってほおらこの通り…と凝結現象を説明するのによく使われる定番の事例ですな。
 これ、別に氷水を入れたグラスでなくとも、その場の湿り空気の露点温度以下の物体があれば、当然同じことになる。露点温度を通り越して氷点下の冷たさだったりすると、真夏であろうがその表面は凍り付く。

 冷凍設備の機械装置は、もちろん動力を使ってマイナス何度という低温を作り出しているワケだが、冷やしたい庫内がめでたく目標温度まで下がったとして、メチャクチャ大変なのがその周辺機器まで含めた、常温部位との境目の断熱なのだ。
 御存知の通り、水は氷になると密度が下がって体積が増える。思わぬ配慮漏れの設計ミスをしてしまい、凝結水が出て始終びしょびしょならまだ良いが、これが氷点下で凍り付く部位だったりすると、もう水が入り込むあらゆる隙間を押し拡げていくため、故障し、壊れて、時として使い物にならなくなる。その機械本体はもちろんのこと、設置場所にあって大気中の湿度にさらされながら低温が及ぶ範囲の全てのモノが、湿って、濡れて、凍って、割り拡げられていく。高額の電気代を喰いながら。

 こんなもんいきなり病院に持ちこんで、そこらへんにスペースだけ見つけて俄か工事で設置する訳にも行かんし、どこに設置するにしても既存設備・既存業務への無駄な追加負担が凄いことになるはずである。マイナス70度なんて、結構な専門職でもそうそう管理しないようなスペックの超・低温機器だと思うぞ。
 今もってのナウ、医療機関の病床キャパシティに対して重症者数が多くて対応が逼迫しているというのなら、それこそどんなにガチで効く夢のワクチンであっても、この維持保管に手がかかり過ぎる一点だけをもって不採用を決心するのが当然だろう。打ちたいヤツは特化機関の専用窓口まで打ちに行くんだよ。一般流通で運べないんだもん。

 本件、知識の無いシロートどもが空論を弄ぶにも程がある、医薬品の関連情報だぞ。
 来週半ばだと?現地で封切って接種に辿り着けるのは、半数にも遠く及ばねえよ。

 で、付け焼刃の作業標準で運ばれてきた、こんなにも事故確率の高い薬剤を、見ても判らない事故履歴を見た感じで判定して直接自分らの血管に注射しようってワケだが、ここでまた『釣り堀のサカナ』理論を考えねばならない。
 どうせ『ワクチン打ったよー!何ともなかったよー!コロナの心配ふっとんだよー!』みたいな怪しいフェイク宣伝が横行し始めるはずなのだが、しかしそこで『わかったわかった良かったな、それで?…はて?』となるはずなのだ。
 先取りで解説を済ませておこう。所詮はウソっぱち、取り合うのは時間の無駄だ。

 端的に、せっかくワクチンを打ったのに、新型コロナ感染してしまった…という事実をもって『ああ、失敗だったんだなあ』とFAIL判明するケース。
 おサカナ釣れました、確かにいたよの事実関係で、ワクチン接種の確実な結果刈り取りが成立するのは、実はこのパターンのみに限られる。

 ではパターン1:新型コロナに感染しないパターンから…って、いつまでの間だよ?
 まあいいや、とりあえず話を進めるため向こう1年としてみるが、1年間感染しなかった理由は永久に判らない。わあいワクチン打ったお陰だー!と自分に言い聞かせて満足感に浸るのみである。

 ではパターン2:新型コロナに感染しちゃったパターン。それが何年後であったにせよ、結局『ワクチン打った甲斐が無かったなあ』という事実だけが残る。
 だが問題はむしろここからで、そもそも自分の体質にとってワクチンが効かないモノだったのか、接種作業の管理を失敗してワクチンが効力品質を失くしていたのか、これまた永久に判らない。
 いや、薬剤成分とその効力メカニズム次第であることを固く断った上でのハナシとして、既存の無毒化・弱毒化ワクチンでの事故例なんかがそうだが、打ったがゆえに感染・発症する可能性も無い訳ではなかろう。低温管理がユルんで弱毒化ウィルスが活性化したりはしないのかねえ。危険すぎると思うんだが。

 要は、感染しようがしまいが、ワクチン接種との因果ははっきりしないのである。
 副作用なんかは現実として起きてみて、その症例をいくつか集めて共通点を分析するまで見つけようがないから、これに関しては『当たったらドカンのロシアン・ルーレット』の原理から逃れようが無い。
 インフルエンザなど、病原体と感染メカニズムについてかなり解明が進んでおり、大衆への投与が例年繰り返されて、その効果と安全性に関して統計的なデータも蓄積され、さらに製造・流通・保管・接種まで日本じゅうの医療現場で使える作業標準が完成して、予防接種普及の今があるのだ。
 『後遺症』ってのはな、つらい薬効の副作用が長引くパターンだってあるんだぜ。

 では質問。
 現時点で、仮に強制的に国民総数接種までしたとして、何が良いコトあるのだろう?
 止めるに止められない必須業務として、緊急事態宣言下の街を飲み歩いて、桁違いの感染率にさらされているタイヘンなタイヘンな国会議員の皆さんが最優先で、是非とも全数接種と行こうじゃないか。
 拒否ったヤツが感染源で居残ると困るし、当然強制である。…ま、グッドラック!
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【926】本土決戦用インチキ白モノ家電の軍事パレード [ビジネス]

 ええ~っと、話を持っていき損ねる前に、割と核心的なところから入るかな。
 気楽にイチ国民として暮らすのか、派手めに社会を仕切り目立つ立場で暮らすのかは別として、である。

 何だか浮かない気分で鬱々と暮らす人々がいっぱいいる、そんな空間がある。
 アナタひとり何の心配も無くエヘラエヘラ楽しみにも興じて暮らせるような、そんな平衡点が手に入ればそれでOK、それが安穏平和の到達点であり、ずっとそこにいて幸せな時間だと思えるかどうか、考えてみていただきたい。
 それって自他共々の自然な認識として、アナタが物凄くヤな奴の役回りになっているはずで、同じ空間を生きている大勢の人々には決して腹を割ってもらえないし、モノ言わずただ佇んで自分の言いなりに機能してくれる贅沢品と娯楽メディアだけが友達…みたいな、孤独と寂しさの消化試合の日々にしかならないのが容易に想像できると思う。

 大陸や半島で歴史を刻んできた連中も、我々日本人とおんなじ人間なのだ。
 彼等は、強権支配で統治する社会が生来的に大好きだったり、社会性生物としてのメンタル原理が根本的に違っていて、理屈抜きに主従体制の人間関係を生命の原則とするような精神構造を遺伝的に持っていたりするのではない。
 個々人みんな等しく、嬉しく楽しく満足して暮らす共存形態を求めている。
 その基本メンタリティをみんな同じの原動力に、ナニがどこまでうまく行ったのか行かなかったのか、うまく行っているのか行っていないのかは知らない。だがこの現状到達点の現実があるワケだ。

 『大陸や半島は、強欲でしゃばりの原始的有力者が強権体制を主張し、非・文明的なザコ群衆がやむなく流されて社会が形成されるのであり、和を重んずる我々日本人とは人間の質・社会の質が違うのだ』などという失礼にも甚だ的外れな自惚れ人類社会学を、何の根拠も無いまま妄信している日本人は驚くほど多い。認めたくないが、もしかすると1億2千万人の過半数いるのかも知れない。

 これを『愚か者が愚かゆえに自覚できない、自滅への入口たる差別意識』という。

 日本国内で穏やかならぬバイオレンス系の組織的活動をそそのかすつもりはないけれど、大陸でも半島でも、強権体制にはっきり自前で『NO!』の返答を突き付けて、自由を謳歌しようとする集団パワーは必ず存在する。だからこそ、とにもかくにも現存してしまっている強権体制が、武装勢力でもってこれを制圧にかかり、それがニュースとなって国際世論に反映されているという展開に気付いておこう。
 もちろん北米のトランプ式経済の支持層が今もって大人しく収まっていないのも、国家が布こうとするひとつの統治形態=バイデン爺の将来性不透明な経済指針の政権に反発する自立意思が、それなりの規模まとまって声を上げているという構図としては同じである。

 そんな他国のことを指差して批判めいた場当たり作文を宙に放つばかり、それなら我々日本人ってのは、優れた統治体制の的確な判断のもと、国難を排し繁栄を目指し、どれだけ他国に誇れるほど崇高に、立派にやれているというのだ?

 ちょいと技術ネタに話題を移そう。キホン日本列島で暮らすからには、皆さん冷房と暖房の両方に御世話になっていることと思う。
 ざっくり言って、冷房と暖房だと、冷房の方が機械としての効率は悪いのだ。人間がそこそこ快適を得るために投じるエネルギーが、冷房の方が随分と喰うのである。

 以前、この世のモノは全て熱=エネルギーを内包していると解説した【425】
 エネルギーを残らずさらえ切ったゼロ状態が絶対零度=マイナス273.15度であり、ここまで行くとブツが何であれ、ミクロからナノから一切の動きという動きが止まると思っていただきたい。エネルギーありませんから。
 例えば絶対零度の氷枕に顔を埋めると、人間の身体が持っている熱エネルギーは、エネルギー的にすっからかんのカラッポである氷枕に向け一気に移動する。人間の身体を構成しながら、ぬくぬくと元気に動いていた全ての物理アクションは、接触した先の氷枕の構造の方を揺さぶりにかかる。
 これが『熱伝導』だ。私の顔は『冷え冷え~』では済まない勢いで凍り付いていく。

 このハナシのポイントは、
 『冷やす=熱を奪う=低エネルギーの受け皿を用意して、そっちに熱を移す』
というプロセスで、冷却という現象が成り立っているという事実である。
 厳密には『輻射』という概念があり、例えば真空の宇宙空間で真っ赤に焼けた溶岩小惑星の温度は下がっていくのだが、ハナシが違い過ぎるので今は考えなくてよろしい。

 ミクロ振動・ナノ振動している物体の構造を、ガチっと抑え込む操作では冷やせない。もっと冷たいのを横に持って行って、熱を移し取るという操作しかできないのである。漫画に出てくる冷凍光線のように、狙った一点に照射して温度を下げられるなら、世界中の環境試験従事者が泣いて喜ぶことだろう。
 だから、特に設備機器に関わる仕事を知っている方なら直感できると思うが、マイナス20度台までの冷却と、マイナス30度から下の冷却には、大きな違いがあるのだ。マイナス20度台なら、まあ日用品ではないにしても割と常識的な汎用恒温槽で、その日のうちにこなせる実験検討も普通にあるんだろうが、マイナス30度から下の熱の掻い出しはそうは行かない。大概すっからかんの熱源から、もっとすっからかんを頑張らせて延々待ち受けるしかないのだから。
 大抵は電源動作の設備機械になるんだろうが、まず電気代はタダゴトではなくなるし、そこらの人が関われるとして、ブツ入れて一回閉じたら周囲の十分な放熱環境を死守しつつ、少なくとも常温環境下で決して開けてはならない。キホン迂闊に開けたら低温維持がパー、中のモノの品質保証は全滅である。

 マイナス70度だっけ、あんな大層なスペックのポータブル冷蔵庫を、熱環境要件守って一般空間を物流させるなんて、まあ失敗しかしないと考えた方が賢いんだろうな。大体おいくらするんだアレ?
 新型コロナの急造ワクチンみたいなものが本当に必要かどうかの論議からわざと切り離して、何台要るのかも怪しいこんなバカお高い特殊冷蔵庫の調達やら使用トライアルやら、なんでこれまた税金資本で勝手にやられちゃってる光景ばかりが、あっちでもこっちでも出回ってんのかねえ?

 大東亜戦争の歴史を闇雲にネガティブ視し、日本が『戦争ができる国になる』とか何とか抜かす左巻き言論には心底虫唾が走るのだが、他ならぬその私が言おう。
 この得体の知れない専用冷蔵庫が、いわゆる大量殺戮兵器や核ミサイルに入れ替わっても、日本社会は乞食サラリーマンどものデタラメ解説を添えながら平然と看過するだけなのだろうか。
 我々は致命的なまでの『自信と安心』の民族かも知れない。では今週も御幸運を!
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【925】お茶の間向け台本のチャンネル選択肢 [ビジネス]

 『特別定額給付金を求める世論が高まっている』との指摘に対し、古電球が『給付金は考えていない、最終的には生活保護がある』と抜かしおった。自分の抜かしてる意味わかってんのかコイツ?
 こんなものに総理大臣の名札がついてしまっている原因について日本国民がちゃんと気にして、実効力のある対策措置を実行にかかるには、良いきっかけのひとつになるのかも知れない。

 『特別定額給付金』という聞き慣れない呼び名がついているが、要は日本国民が『カネくれよー』と役所窓口に言えば、何の対価でもなく『ハイ10万円!』とか現ナマを渡されるんだよな。
 少なくとも昭和世代としてはあり得ないハナシで、『え?このおカネ何と換えてきたの?』だとか『いつまでに返さなきゃいけないの?』だとか、いずれにしても経済の流通媒体の入口・出口が見えて、世間さまとの決着が確信できなければ落ち着けない。
 これこそが自由経済市場をこの世に成立させている、資本主義マインドである。自分が好きなことやりたいこと、自分に何とかできること、自分がやらないとしょうがないこと等々、社会にプラス稼働を提供することでカネ経済の一員として生きていくのだ。
 世間さまに役立って、お付き合いいただいて、居場所があるということですな。

 例えばコロナ感染対策がまだまだ必要だとする状況が続いてしまったとして、緊急事態宣言が継続しっぱなしになれば、日本国民はまたいくらも経たないうちに『カネくれよー』というしかない。前述のマインド規範には激しく抵触するのだが、背に腹は代えられぬとばかり通常営業の自律稼働に戻そうものなら、そっちが違法行為として咎められるようなことにしてしまったし。
 まあ役所の窓口でポンと渡されただけのカネであっても、消費の現場では何らの不都合なく物品・サービスと交換されるから、日常生活を送るのに当面の障害はない。

 ここに到った経緯や、どんな理屈でこのやりとりに解説を付けるのかはともかく。
 『国が決めた金額のカネを、国からもらって、国民が生活費にする』という一点において、これは事実上の共産主義あるいは社会主義のカネ流通パターンであることに着目しよう。

 軽く確認しておくと、国内の産業を国営化しその経済効果を国内に均等分配するコンセプトのことを共産主義、さらにこれを労働vs賃金といったベタ経済領域・産業領域だけのハナシから拡張して、国営事業で得た人類価値としての成果や文化的な充実度全般を国内社会保障に還元する形で、国家運営全体を切り盛りしていくコンセプトのことを社会主義と呼ぶ。
 いま現在、この日本国が国際社会において稼ぎ頭の得意分野とするような産業は見当たらないから、後ろ向きの理由で共産主義というより社会主義性が濃厚だということができるのかも知れない。

 ともあれカネが『自由意思に取引メリット有と判断してもらって、手持ちの財・サービスと交換するモノ』でなくなり、『国家の中央事務局から何物とも引き換えず、一方的に配られるモノ』に変わった時、国民が暮らす社会空間の質はどうなるのだろうか。
 いろいろ考えるポイントはあり、また他のファクターがどう効いてくるか次第で予想される行先もひとつには決まらないのだが、ここでは兼ねてから話題にしている『そこにいるだけで、嬉しくて楽しい』という精神状態の実現度を軸にして考えてみる。
 判り易くは、向こう三軒両隣はもちろん、メディア情報回線を通して見る自国民みんなが『ああ、似たような生活をしながら、国民そのイチ同士に収まっているんだなあ』と直感できる事実をもって、『誰もが嬉しい楽しい』の正解あるいは完成としよう。

 先にちょっと余談を挟んでおくと、この正解がもし実現したならば、他国の暮らしが金銀財宝に溢れて毎日豪勢な食事が絶えない…と海外メディアが報じ続けているのが垣間見えたとしても、恐らくは大した騒乱は起こらないはずなのだ。むしろ誰にも羨まれない日々を自分たちは存分に楽しみながら、失って悲しい贅沢が当然になってしまっている他国の将来を心配するくらいが普通ではないかなあ。

 ではハナシを元に戻して、そんな穏やかに幸福な正解が実現した例は、あんまり見当たらない。攻め込まれもせず濡れ手に粟の外貨収入を得ている、お手頃サイズの石油産出国ぐらいだろうか【518】【754】
 大概は国民個々人が現状の自らの生活水準に満足できず、自分ちの国家統治の在り方に疑問を抱いてしまうためであろうが、インターネットの普及によりグローバル情報化時代が到来する以前は、社会主義国は総じて周囲から隔絶された情報空間という共通した国風に落ち着いていたと記憶している。

 つい不満を抱いてしまうような生活水準にある人間は、ラクをしてトクにあやかりたくなるものだ。だらしない怠け者でなくとも、自分の能力と立場の組み合わせ到達点にどうしようもない限界を感じたら、人の心が自然と向くのはこの方向となる。非難してどうなるものでもない、そうならないようにするのが正しい現実解だ。
 いっぽう社会の仕組みとしてカネが国家の中央事務局から一方的に配られるモノなのだとすると、よっぽど機械的の画一的に定額を守らないと、『現状国政に賛同する者はラクしてトク、反対する者はハブられてソン』の差が付いてくるのは簡単に想像がつくと思う。中央事務局なる機能体を成すのも所詮は人間だから、自分の立場を脅かさず都合よく調子を合わせてくる者ばかり優遇する傾向は避けられない。

 結果、多くの国民が満足いかない生活水準を強いられながら、統治体制のスタッフ層に忠誠を見せてトクするための振舞いに甘んじて生活し、そんな構成の国力だからますます経済的に衰弱して、国民は僅かなカネという紙切れの優待給付権を争う…という破滅一直線の無限ループに突入する。
 自力で有価物を創出あるいは量産する訳でもなく、大衆からは労働の対価でもない生活費を要求する世論だけが強まり、国力が見るも無残に衰退しているのに、なお税金資本で期間限定的なボロ儲け目当てのデタラメな公共事業ばかりが強行される。

 例えばお隣の半島なんかだと、こういった内情を国内向け公共電波で伝えるにしても、あの背広のオッチャンと民族衣装のオバチャンが精一杯の仰々しい声色を使って『偉大なる祖国の善政の大成功』ってことになるんだろうな。
 それに引き換え我等がニッポンは、フリーランスの隠れ蓑かぶったのもポロポロ紛れ込んではいるが、結局のところ『どうせ俺たちゃ』でどんな不道徳でも気にせずにやれてしまう組織モラル崩壊の無気力奴隷サラリーマン【127】が、視聴率競争用にタイコ持ち人形の女の子つけられて、コロナ凶悪コロナ死ぬ、だからマスク命でワクチン神!…って、やってること同じじゃねえのか、もしかして?
 無駄に数が多いぶん、御多聞に漏れず日本の方が効率は悪いかも【858】【862】

 かつて後ろに見たつもりの、半島や大陸の『全てに貧しい』あのイメージが、日本国政の未来像ではないかと述べたのはイヤミでも例え話でもない【906】
 明日を生き抜くために今日10万円を要求するのは仕方ないが、二度とこんな苦境に陥らないよう考えてきっちり実行に移さなければ、我々は見て知って笑い飛ばしていたはずの歴史を逆行する。
 おっと最後に、今回の内容は、このあまりに意味不明で破滅的な失政がもたらした経営苦の災難のもと、給付金を受け取ることに抵抗を感じさせる目的ではないと念押ししておく。みんな頑張ってください。
 腹が減っては戦が出来ぬ。まず食って気を取り直し御一考あれ。ではグッドラック!
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