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【676】ニッポン能力開発コト始め、ワイドショー的検証の巻 [ビジネス]

 前回の続きから始める。
 ここで繰り返し話題に挙げてきたが、能力開発の『習得』というプロセスにおいては、習得する側の自我を封印した『従順』が重要な成功要件となる。早い話がイチもニもなく、師匠が絶対的な世界基準となるのだ。
 この『絶対』を本気の本気で徹底するため、時として師匠は世間常識から敢えて逸脱と映るような理不尽まで弟子に強いて、『必要な時には全てを封印して学ぶ』ための精神力を鍛えていたのではないだろうか。
 もちろん、いちいちこんな面倒な解釈を捏ねてようやく成立するような師弟関係ではうまく業界がまわるはずもなく、『この世界そんなもんだよ』の通念が世間一般の自然な認識なんだろうが。

 さて横須賀に現存する戦艦『三笠』に船としての機能は無く、実は昭和になる前に記念物としての保管が決まって着底しているのだが、終戦直後に上部構造物をとっぱらわれてダンスホールや水族館にされていた時期がある。戦艦の余生としては何とも可哀相なハナシであるが、こうなる前には、終戦直後の荒廃期のことゆえ金属も木材も盗まれ放題で、もっと酷い目に遭っていた。
 『三笠』は日露戦争の戦勝艦であるくらいだから古い艦であり、まだ日本に十分な軍艦建造の国力が揃う前の時代に、英ビッカース社に発注され建造された船である。大戦後こうしてダンスホールにされていた姿を深く嘆いた某イギリス人が復元を呼びかけ、紆余曲折を経て、かなりの部分がオリジナルではないにせよ現存最古の鋼製戦艦として、今日の貴重な雄姿が取り戻されたのだ。

 くだんのジャズ奏者氏には【672】、このあたりもちょくちょく仕事場になったものだと聞いた。
 この時代、まだまだ日本国では『社会の構築作業』がリアルタイムに進行中であった。やって良いコト悪いコトが社会規律として共有されておらず、つまり法整備されておらず、それこそ文字通り無法の荒野で、弱肉強食なんでもアリに近い世界観で、世の中がまわっていたようなものだ。
 進駐軍相手のエンタメ商売など、まるっきり価値基準の違う世界を相手にあぶく銭を掴んで、カネという流通媒体をこれから新規開拓するも同然の焼け野原に持ち込むのだから、まあどえらい価値換算レートではあったらしい。ひとつの完成した経済社会内での価値流通媒体でなかったのだから当然か。
 簡単に言えば、一晩でガチ何千万円という現金収入を手にして、金庫でもトランクでもないそこらへんのカバンに詰めて手荷物として持ち帰るという、頭がクラクラするような仕事向きである。

 では大金を稼ぎあげて豊かな生活を満喫できたかというと、全くもって違っていたらしい。
 恐らく日本社会の側が、まだ一介のバンドマンがまとまったカネをばら撒いて豪遊できるほどにまで充実していなかったのではなかろうか。まさに濡れ手に粟でつかんだアブク銭、そのまんまバンド仲間内での賭け麻雀に消え、誰がどこでどう振る舞ったのかも知れないまま、とにかく泡と消え去ったのだという。
 いくら消えても無限に稼げるので惜しいとも思わなかったそうだが、当時を振り返って御本人は『あの頃の俺はホントに思い上がっていて、人間として失格だった。いま思い出しても、あの自分は事実として認められない。本気でイヤだ』とおっしゃったものである。未整備の経済の中で、ボロくカネを稼いでは、有難味も感じず紙くず同然に使い捨ててしまう時間は、振り返って荒廃した記憶しか残さないのだと思う。

 バンド興業の現場も当時なりの苦労は多かったようだ。
 私と同世代以上の年齢の読者さま方なら御存知だろうが、昭和のある日、大規模なホテルが火事になり多数の死傷者を出したことがあった。調査を進めると万一の火災に対する安全装備があちこち劣悪だったことが判明、『事故ではなく人災ではないか』とする声も上がり始める事態となったのだが、これをものともせず『私は被害者です』と、後に流行語にまでなってしまう名台詞(?)で嘯いたオーナーがいた。
 まあ普通に検索するだけでもいろいろと似た系の逸話が引掛る御仁だけあって、このヒトのお仕事は事後のギャラの回収が凄まじくタイヘンだったと、実体験談で聞かせてもらったものである。やらされっ放しの取りっぱぐれで泣き寝入りした連中も数知れず、しかしこちとらバンマスの命を受けた身だから、手ぶらでは帰れない。いやあ~、ありゃ真剣に参ったよと。
 それでも当時の実業家の成功解のひとつではあるワケだが、当然カネまわりが悪いはずもなく、いつもシミひとつない高級スーツ姿で、確かにカッコ良かったはカッコ良かったらしい。
 もっともそんな世渡りをしていた手前、銃撃されたりもしてしまうのだが、こういうやり方で世を勝ち抜き生き残っている人間はそれなりの星のもとに生まれていると見え、弾が急所を外れる強運を味方に付けて命を繋いだという。

 随分と年月が経っているとはいえ、これ以上こんなところで細かい話に口を滑らせて良いコトは何もなさそうなので切り上げるが、法治国家としての構造が固まっておらず表稼業と裏稼業の境も不明瞭な日本社会で、時にチカラずく・時に泣き落としのガチンコ勝負で、みんな自分の生存空間となる業界を守っていたのだ。
 カタギの大企業だって総会屋を始めあちこち底面ウラ面から狙われ、治安システムの整備が追い付いていない局面ではあの手この手のグレーゾーン方策で切り抜けざるを得なかった。やはり大組織を社会空間の中で切り回すのは、一筋縄では行かないきっつい重労働だったのである。
 そんな当時、銀座の楽屋裏で偶然に出遭わせた丸山さん=現・ミワさんは、そこだけ空気の質を歪めて変えてしまうほどの、信じられない美青年だったという。バシッと正装に身を固めて、夜の銀座でひと息つく男たちを前に『ヨイトマケの唄』なんか一曲キメた日には、日本国の経済力が明日の元気をぐんと膨らませ、どえらい額のギャラが動いたに違いない。

 日本経済のあらゆるシーンで日本人たちが、ヒト対ヒトのぶつかり合いから安定した文明空間を創出しようとしていた過渡期のことである。こんな時代背景が、業界を引張り戦い抜いて守る『先人の絶対性』と、合理性を度外視してまで信じて服する『後進の従順性』に、少なからず効いていたのではないかと思うのだ。
 やがて社会が整備され安定するにつれ、自ら直接の手作業で暮らしやすい業界空間を守って、世代から世代にきっちり受け渡そうとする意識があやふやになってきたのかも知れない。

 おっと意外とボリュームがあったか。次回を書く頃には総裁選が終わってるんだよな。
 例によって『所詮は』の枕詞が付く政党のウチワ選挙に過ぎないワケだが、日本国民として、カネや地位なんかのトクだけに群れた現・犯罪者政権にこの先をやらせて、何の期待もできると思えない。度重なる儀式制独裁主義議会の議決詐称にしても、早く過去に遡って妥当性再検証と議決処置の撤回に取り組まねばならない時期に来ているのは、複数の日本人が実感していることと察するのだが。

 外野ギャラリーのイチ国民としてだが、私は茂ビシバッチに期待すると表明しておこう。
 とりあえず若い人たち、コイツらのこの騒ぎがどんな顛末になるか、よく見ておかれい。
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