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【1124】ニッポン最高峰の想い出学習ノート [ビジネス]

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合いくださいませ。

 今年『も』、今年『は』、今年『こそ』いい年になりますように…と各自それぞれに願いをかけたら、いよいよただのおまじないにも終わらせないよう、手元の現実を御自分の手でかっちり動かして参りましょうや。きっと今年はいい年になりますぜ。

 正月早々にガチゴチ尖った話題ってのもナンだし、おめでた系ってあったっけ?
 …と考えたら、そうそう富士山のハナシが長らく積み置きのままになっていたことを思い出した。ええ、私は一度だけだが、頂上までの富士登山をきっちりと経験している。
 実はこれも父が家族旅行で連れて行ってくれたものなのだ。たぶん私が小学校5年から中学1年あたりのどこかだと思う。姉と私の子供2人がよちよちと危ない小児年齢でもなくなって、なおかつ高校受験でサザエさん型の家族団欒と決別するまでの間ということだったんだろうな。いやいや悪くないセンスだよ。

 もちろんというか季節は今と真逆の8月前半とかそのくらいだったが、とにかく家族4人で前泊から入って、早朝の出発で五合目から頂上を目指した。雲はそこそこあったが天候としては悪くなくて、首尾よく登頂を果たせている。

 そもそも富士山自体は見て判るまんまのあのプロポーションなので、クリフハンガー系の厳しい地形と戦うための超絶凄い装備は必要ない。だが間違いなく3,776メートルもある高山なので、遠足ではない心掛けの備えは必須だと思う。
 五合目から登山道を登り始めるあたりは、とりあえずハイキングコースっぽい雰囲気が漂うのも事実であり、ついつい甘く見て軽装で踏み込んでしまう観光客が多いと当時からよく聞いた。登山道の入口付近には、軽装どころかハイヒールの踵が落ちているとさえ言われていたのだから驚く。登山道なんだから行く先にお洒落な飲食店も土産物店も無いことぐらい明白だろうに、何を目的にどこまで行くつもりだったのだろう?

 それこそ遠景で見たまんまの、あの斜面形状が登山道から見る視界に拡がるワケだが、我々家族一同が呆れたのは斜面一帯を覆うゴミの量の凄さであった。どこそこのグラウンド何面分だとかではなく、あの山の途中に立てばカタチ相応に見える地形は延々と見えるのだけれど、実にその遥か隅々にまでくだらないゴミが散らかっているのが見えてしまってどうしようもない。現地に立つまでつゆとも想像しなかった反面、その光景に圧倒されるショッキングな現実がそこにあった。
 まだ身近な都心部では空も河川も不透明に濁り切って悪臭を放つのが常識だった時代だから、その後に綺麗に清掃されていることを心から願いつつ思い出すのである。

 天候の悪化もなく順調に頂上を目指すことができた我々一家だが、七合目だか八合目だかで、まず姉が、次いで母が、高山病を発症して足が止まった。その遥か手前からヘビースモーカーだった父は『数歩進んで深呼吸』のペースにまで落ちており、たった一人元気だった私は家族の苦しみもロクに気遣わずに、ちょんちょん先へ進んでは苦しむ家族どもに言いたい放題文句をタレていたのである。
 いま思えば酷い話だが、父は呼吸を整えるペースの死守にひと苦労だったし、姉と母は吐き戻して何十分か座り込んでいたぐらいだから、言われる方も自分ら自身が大変過ぎて私に取り合うどころじゃなかったはずであり、そんな予想外の苦難に阻まれつつも登頂断念しなかったのは立派っちゃあ立派である。
 道中の右手だったと思うが、万年雪の雪面も見ることができて感動したことよ。

 頂上の気温は摂氏5度ぐらいで周囲は林立する雲に囲まれており、残念ながら眼下に拡がる山麓の大パノラマは見ることができなかったが、青空を背景に燦々と陽を浴びてもくもくとそそり立つ積雲の光景は今もはっきりと憶えている。さすがに空の青み深みが半端ではなかった。
 一方せいぜいフライパンか醤油皿ぐらいに想像していた噴火口が、あんなに明確な竪穴として窪んでいるとは思っていなかったので、そっちの巨大アース・ビューの印象が鮮烈である。ちょこちょこと底に降りて立てるのではないかと思っていたけれど、これでは落っこちたらほぼ絶対に死ぬし、死ななかったとしてもとても這い上がれない。富士山って、意外とマジのすんげえ火山なんだなあ…甘く見ててスイマセンでした。
 …などなど、いろいろ学んだところは多かったと思う。富士山の凄さ、侮れんよ。

 ところで有名な話だが、富士山の頂上で飯盒炊爨(はんごうすいさん)はできない。
 若い人は飯盒なんて初耳で、見たこともないかもな。お米と水を入れて蓋してアウトドアで御飯を炊くための、調理具兼お櫃だ。基本的には底から蓋まで高さ20センチぐらいの楕円柱形状で、ただの楕円ではなく腎臓マークのように途中で屈曲している。腰に吊り下げて携行するので、体に沿わせるためだ。

 下から火を焚いて、水が摂氏100度で沸騰するのは御存知だろう。H2O分子たちは火力で底から熱エネルギーをくべられて、いずれ液体の水としてじっと収まっていられないほど活発になり、遂にH2O分子ひとつひとつが個別にバラけながら空中に飛び出す。とりあえずこれが『沸騰』だと思ってよろしい。
 ここでH2O分子が空中に飛び出す時、ナニも無い大気にふわりと泳ぎ出るのではなく、てめえら液相の水として大人しくしてろやと外から押し返してくる大気圧に打ち勝って、大気側に強引に割り込んで飛び出していくというイメージが正しい。
 つまり抑圧してくる大気圧が低くなればなるほど、100度まで熱さなくとも低い温度で早々に水は沸騰できる。そして沸騰して大気側に飛び出したH2O分子は、キホンお米を炊く液体の『お湯』でなくなってしまう。富士山頂では確か70度台で水が沸騰してしまうため、お米が生煮えでちゃんと熱の通った御飯になってくれないのだ。

 下界で普通に買ってきたポテチなどの袋スナックが、大気圧による抑え込みが緩むためパンパンに膨れるというのは本当だが、興味深いのは缶ビールの挙動である。実は実験した知り合いがいるのだ。
 ついついシェイクした炭酸飲料の大噴出を想像してしまうのだが、意外にも平和に普通に開くらしい。まあビールのような溶媒から気相に飛び出してくる二酸化炭素CO2の蒸発圧イコール内圧ってことなんだから、冷えててもぬるんでも所詮はあのパワー、むしろ低温環境で鎮静化されていて、ちょっと大気圧が下がったくらいじゃ俗世間と有意差なしってことか。なるほどなあ。
 でもそんなトリビア実験、実際にやったハナシでも聞かないと、とても結果に確信は持てない。深く感謝する限りだが、やはりというか最初に試した時、その姿を認めた周囲の人々は後ずさりして身構えたという。

 再び思い出話に戻って、明るくなるやならずの早朝に登り始めて登頂時点で15時くらい。天候は悪くなかったが暗くなると冷え込むのは間違いなく、山小屋以外に夜を明かせそうな場所も無い。
 父は下調べをして下山にかかる時間が意外に短いことを知っていたようなのだが、とにかく四人全員が無事登頂を達成した我々家族は『須走(すばしり)』と呼ばれる砂斜面を急いで下ることになった。まあ人里に到達するまで道に迷うような景色でもないのだけれど、もちろん富士山の斜面に気の利いた街燈なんかひとつも無いから、暗くなったら漆黒の闇に包まれるのは間違いない。
 なかなかどうして結構なギリだったと思われるものの我々は無事に山を下り切り、バスに乗って宿屋に転がり込むことができた。深刻な天候の急変で足止めされるだとか、家族の誰かが持ち直せずに動けなくなるだとか、致命的な行程消化のトラブルがあったらヤバかったような気もする。まあとにかく。

 私が富士山に登ったのは、後にも先にもこの一回きりだ。チャンスがあればもう一回行きたいと常々思うのだが、特段の山好き山男でもない私にとっては、真面目にプラン立案する手前の段階で面倒や労力の億劫が先に立ってしまい、結局新幹線の車窓から眺めてはあの頃を思い出すに留まっている。

 自然も文明も社会活動も、あの位置から俯瞰する小さな諸現象のひとつに過ぎない。
 日本最高点を踏破しておくなら、やはり若いうちがやりやすいよ。ただ死人も出る山なので、決してナメずの侮らずで、くれぐれも慎重に。
 今年の目標としていかがでしょうか。では本年も、皆さま是非ともの御幸運を!
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