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【1125】思考変動による立往生SOSのUターン大渋滞 [ビジネス]

 さて正月三が日も過ぎて年明けのNHK朝ドラも始まった。悠人お兄ちゃんの斬り込みがなかなか切れ味鋭くて、ますます楽しみである。

 この年末年始に始まったことでもなく、ここ数年で一気に顕著になってきたと思うのだが、高速道路の交通事故の質がひと昔前と違ってきているのではないか。
 かつて私は高速道路をかなり頻繁に利用するタイプ、しかも一回あたりに結構な距離を乗るタイプだったのだが、今は正直まったく乗らなくなった。新規のSA・PA探索は元より、走り慣れた区間だと定番のピットストップで食事したりお土産買っていったりの、お気に入り休憩地点が幾つもあったのに。
 私自身の暮らし向きの変化によるところもあるけれど、それにしても『自家用車で高速道路vs新幹線含む公共交通の乗継ぎ』を条件トントンで二択できるなら、今の私は迷わず公共交通の方を選ぶ。とにかく高速道路が怖すぎて、正直やむ無しでもないのなら乗りたくない。乗ってる人には申し訳ないけれど。

 まず『追越車線上に停車しているヤツがいる可能性』という普通あり得ない危険に、この普通でないペースで怯えながら走るとなると、とても何時間レベルで集中力が持続しない。こっちからは危険回避のしようもなく、遭遇して回避操作の成否に賭けるとこから先はどうしようもないのだが、何故そこで止まる?止まろうと思う?
 高速道路と言わず路上で走れなくなるトラブルに遭遇したら、まず車速ゼロにならないうちにあらゆる手を尽くして路肩に逃げ出さないとほぼ確実に追突される。前方は乗って座って普通に見えてるからいいんだ、問題は後方であり、さっきまで自分が走っていた速度で背後からナニに突込まれるか直感で恐怖に縮み上がる、これが路上走行体の本能ともいうべき危機意識だろう。

 …ってのは昭和人種の視野狭窄的ただの思い込みであり、そもそも運転免許の保有が当たり前でもない平成世代には、そんな感覚はあって当然の本能でなくなってるのかも知れない。良い悪いはともかく今やそっちがスタンダード、いやスタンダードだからって了解して受け流せるハナシではなく、そのぶん事故が当たり前ペースで多発して、絡めばジブンがただでは済まないんだけどさ。

 では、ちゃんと路肩なり路側帯なりに脱出して停まればどんだけ安全なのか?
 昨今メチャクチャ怖いなと思うのは、故障やタイヤのパンクなどで緊急停止するにしても、ちゃんと左ぺたに十分寄せて走行車線外に退避していたと思われる車輌にも後ろから突込むパターンの事故が、珍しくないレベルで盛んに報じられることだ。
 こうなると高速道路上を周囲並の速度で走行し続けられないトラブルに見舞われた場合、逃げ場はガードレールの外にしか無い。高架だとそんなスペースの無い所も多い。昔から路肩や路側帯に退避しても追突される危険はあるから降りて離れていろとはされていたが【803】、今どきこれがガチの絶体絶命に格上げされ迫っている感じである。ドラレコ撮影とSNS公開が普及しただけの因果の認知件数増とはとても思えない。

 実は私がまだ高速道路のヘビーユーザーだった時代から、イヤでイヤでしょうがなかった社会現象の記憶があるので、そこから語っておこう。
 渋滞にハマると、後ろの車の運転者が例外なく携帯電話をいじり出すのだ。

 『ながら携帯』の事故が多発して交通違反の取り締まり対象になったのはいつだっけ、あれが施行されて、運転中に携帯通話しているのを見つかると違反切符を切られるようになった。だがそうなった後も、高速道路上で伸び始めた渋滞の列の中となると、即座にそこを検知して瞬時に取り締まりに舞い降りてくる者などいるはずもない。
 つまり渋滞が始まった途端に、どいつもこいつも安心して携帯にかまけ始めるのだ。後ろが大型トラックだったりすると、ひたすら『私相手の失敗だけはするなよ…』と天を仰ぐのみである。愛車をお釈迦にされないか気が気ではなかった。
 あれが今では、情報量が何倍か増しのスマホに代わったということではないだろうか。路肩退避中の故障車に突込むわ、車線規制の誘導員を跳ね飛ばすわ、今どきの高速道路は誰ひとり前を見ずスマホに熱中しながら走っていると考えて、あながち的外れではないとさえ思われるほどの惨状だ。とにかく怖すぎる。

 これでオシマイでもなく、もう早々から周囲背景の交通気質それ自体に『何かあったらただでは済まない』という重保管理の常識意識の共有が期待できないんだろ?
 昔なら『人生終わる勢いで危ないから、運転中は何があってもそこは大人になって』自分の精神状態を静穏に保つくらいの情操スキルは、成人社会人ともなると洩れなく備わっていたものである。
 交通事故の損害額と行政処分の面倒くささこそ『後悔先に立たず』を地で行くキホンを誰もが理解していたからだが、それが今や『モノ知らぬコドモが犯す未熟な過ち』とごちゃ混ぜになっている。現実としての事故を恐れる『本気』が無いとでも言うか。

 実は今回話題にしたかった本命の焦点はこのハナシの方だったりする。
 間違えてヒトやモノに損害を与えてしまった場合、イチ社会人として経済生活と国民管理情報の両方に事後処置が発生する。ではその損害度と処置判断は、ナニを基準に誰が下すのか?道路交通法の文章を手にオマワリくんが機械式にマルバツつけるのか?

 あんまり対象を拡げると議論が発散するので、今ここでは私自身が気になっている交通規則を巡るケースに限定させていただこう。
 以前『単車のすり抜けを違法化したがる痴呆交通安全』については解説した【951】
 これに加えて雲行きが不穏なのは『盲目的・暴力的な歩行者優先』の風潮である。

 信号の無い横断歩道や、右左折時に車輌が横切る青信号の歩行者ゼブラにおいて、とにかく歩行者を先に行かせないと即刻違反だと断ずる痴呆判定がどんどん増殖している感じなのだ。業績の優れない警察署がそんなものを好都合にお手軽検挙を稼ごうとでもするのか、違反切符を切られたハナシも実際あるようだし、昨今ありとあらゆる交差点でそれを警戒して、右左折車がゼブラ手前でつっかえるシーンが激増している。

 前走車に続いて右左折しようとして、ちょっとでも視界に歩行者が入った途端に前走車が慌てて急停止してしまい、まず追突しない・されない調整を強いられた後に、交差点の真ん中で邪魔な待ち方をしないといけない危険がどれだけ増えたことか。
 自分がのんびりと歩行者の立場にいて、車がつっかえそうなので『どうぞ、どうぞ』とジェスチャー交えて誘導しても、車内から返されてかち合ってしまい、こちらが急遽予定変更して駆け出さざるを得ないことも多い。

 お前ら運転免許を取得する時に、いや幼稚園や小学校で道路を歩く年齢になった時に、ちゃんと習わなかったのか?
 安全で円滑な交通は『ゆずりあい』が基本だ。よく覚えておけ。

 信号機に代表される進行可否の交通表示だが、まず赤が『止まれ』、そして青は『進め』ではなく『進んでもよい』だとされている。
 その場にいる路上関係者たちの調整に委ねる、という意味である。その調整の基本コンセプトは『ゆずりあい』だ。歩行者を立ち止まらせたら違法、なんてあり得ない。
 適宜お互い目を合わせて身振り手振りまで交えて意思疎通し、相互の安全を確保しながら行きたい方向に進行し、和やかに会釈を交わして友好的速やかに通過しましょう。その愉快な出来事は全員の心情を安定させ、次もその次も、いつでも余裕の気持ちの判断を、行き交う交通全体に連鎖させ普及させるから。
 この交通安全の原理を見失うぐらいなら、『歩行者優先』の漢語スローガンなんか撤廃した方がよっぽど社会のためである。『ゆずりあい』の平仮名5文字で必要十分だ。

 まだ今週末いっぱい休暇の人も多いのかな。交通事故は『注意一秒、怪我一生』、少々まわりくどくても無事に目的地に到着してこその車の利便性であることを是非お忘れなく。流れるスピードは爽快・痛快で楽しいが、のんびり平和に楽しもう。
 大雪が大変な帰省先なんかは、死ぬのでなければ公共交通機関でUターンして、カネと時間かけて後日渋滞知らずで愛車を回収するのも一手ですぜ。
 せっかくゆっくりできた正月Uターンの交通安全、無事の日常再開まで御幸運を!
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