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【1128】考える葦の足場マイルストーン [ビジネス]

 世を律する道理の巡り合わせには到底あり得ず、ほんの一瞬の偶然として過ぎ去った昭和夢物語は、当然のこととして今の若者世代の心に面影すら無い。では昭和世代に欠落している、その『夢物語でない道理に則った勝率』の直感・実感とはどんなものなのか?分析・考察するための具体例は無いのだろうか?
 今やっているNHK朝ドラ『舞い上がれ!』においては、創業者一家やベテラン従業員たちにとっての『自分が生きている意味』としての株式会社IWAKURAの価値と、日本社会の経済産業面にとっての『採算成立性=数値バランス充足』としての同社の価値の対比が見えやすく描かれていて面白い。

 柏木くんとの破局を報告する舞ちゃんのセリフは、重箱のスミ的厳密には『目指すもんが違ってしもた』ではなく『ちごてしもた』が正しいな…と今回もしつこく挟み込んで、そんなのはまあいいや。
 当座の会社のカネ採算成立のために、生産性パフォーマンスを秘めているはずの従業員を解雇して人件費を削減し、どうにか倒産を免れるというケースは実際少なくない。だが日本社会では被雇用者の法的保護が手厚く、つまりこういうケースにおいては、会社側の採算都合で一方的に解雇を決めるのが世界的に見て難しいと言われる。だからって不採算を不採算のまま処置しないことも叶わないワケで、どこかに何らかの現実解を断じて処置するしかない。

 この通りフトコロ事情がきつくなったらマイナス代ぶん限界を割り込んで『身を切る経営判断』を下すしかないのである。とりあえず破綻せずに生き延びることができたなら、残った体力でその先の自己延命と採算性の好転を目指すことになる。廃業する気が無いなら、何か現時点より収益性を向上させねばならない。
 『危ない時もあったが、コレコレで持ち直して乗り切った』という事業沿革の逸話はどこにでもあるものだ。

 その『どこにでもあるもの』が、日本社会を成す日本経済には冗談みたいに無い。
 最初は借金での埋め合わせに始まったが、日本の国家財務の借金はヒト対ヒトの直面で『ピンチなので助ける・助けられる』の要・決着の負担感を、ヒトの心に発生させる仕組みを持たなかった。故に財政関係者全員も全員が、揃いも揃って『踏み倒し確信犯の融資詐欺』を組織的にやってしまうことになったのである。
 同時に清算できないヤバい埋め方を目の当たりにして『こんな嘘っぱちの穴埋めでどうやって採算性稼働を取り戻すのか』を、これまた1億2千万人全員が他人事にして、ニッポン金融犯罪無法地帯を国民総ぐるみで見過ごすという異常事態に陥った。
 真面目に汗を流して働いて返済する心づもりを失くした日本国組織は、中央銀行で印刷機を回して日本円を好きなだけ刷り足して返済に充てる手段を容認し、生産事業の建て直しをたださぼって日本円の増刷・重刷ばかりを繰り返すようになったのである。無能クロちゃんが何度も口走った『異次元緩和』というやつだ。

 ちょっと横道になるが、こうして国内の生産の現場がしおれている状態こそ『景気が悪い』『不況』と呼ばれる状態であり、言ってしまえば物価や為替レートやGDPがどうたらとは無関係である。『物価や為替レートやGDPが不況で示す傾向』はある。OK?

 産業活性化の光が見えない不況下で日本円を無限にばら撒くと、給料を出して従業員を雇用している諸企業は『収益が上がっているうちに徹底的に貯蓄する』方針を固めざるを得ない。産業停滞の不況が続くからには将来の収益悪化が確実と予見され、その一方で従業員の解雇が難しいから人件費は延々と支出され続ける。倒産のリスクに急迫されたくなかったら、蓄えておくのが経営志向というものだろう。
 ひところ無責任な烏合マスコミの乞食ひな壇が『内輪の抱え込みだ!』とさも財政協力拒否の背徳行為であるかのように吹聴し、雇用・被雇用の双方一同が納得して甘んじるのも尻目に、役人ウケをチラチラ窺いながら聞こえよがしに非難していた『企業の内部留保』というのがコレである。

 数字のカウントの仕方や計算の仕方にもよるのだが、日本国財務の負債額が加速度的に積み上がり、そのカーブを見るだけで返済意思の放棄があからさまになってくるのは、実は21世紀に入ってからのことだ。
 ああ~こんなもん、もう返せない。もうダメ、あとは知~らないっと。いい大人が。
 一方ちょうどこの前後に、日本社会で正常な採算性回復を実現し『組織の自我がその気になれば債務依存症から離脱できる』と実証した事例がふたつだけ存在する。

 ひとつが某・舶来社長さんの『リバイバルプラン実行によるV字回復』だ。
 いま思えば烏合マスコミの乞食どもは『この人こそ日本国の次期財務大臣に!』みたいなことを、あっちこっちでぺろんぺろんやってたんだよな。この程度にでも政権批判できてた時代が懐かしいよ。
 あのV字回復の記憶を日本社会が思い出して真剣になると現政権…というか代々偉いつもりでふんぞり返って済んでいる国務ポスト全域の立場が危うくなると思ったのだろう、イチ民間企業に到底理解し難い財務処理の因縁をつけて、経営仕事の真っ最中だったかのヒトをある日いきなり逮捕し、兼ねてから国際的に悪名高い『人質司法』で見せしめともいうべき異例の長期拘束をもって拉致監禁した。お隣の半島といい勝負だ。

 恐らく囚われの御本人は日本社会の特性をよく理解していたと思われ、元は事業沿革に宿る思い入れ由来の絶対的価値が強みだった日本経済だが、それが裏目に出て、近代経済がドライに設定した採算ルールと今もって折り合い切れていないだけだと割り切っていたのだろう。だから日本文化を恨まず嫌わずで静穏に応じた一方、脅しや嫌がらせの類には一切応じずで、自らの身柄を預けて事態が硬直していたのだと思う。

 黄色いサルはそんな文明的で理知的な思考を理解できず調子に乗るばかり、放っておくと法治制度も何もあったものではなく、世界が顔をしかめる醜いサル山リンチを強行していたことと思われる。サル山帝国の強制統治体制を誇示する吠え声がうるさいだけだったろうことは間違いない。
 だが多くの日本人が『このヒトをサル山から救出して人間の世にお返ししないとバチが当たる』と理解していたはずで、心ある日本人たちのチームワークにより無事に御帰宅いただいたのは、以前にここでも解説した通りである。
 あれは日本国の正気と良心であったと共に、世界人類の一国一員として、国際社会への社会人意識が確認できた一件であった【813】

 ともあれ的確な統治で、辛く厳しい禁断症状を誤魔化さず受け止めて解決する覚悟を決め、依存症から抜け出す腹が括れれば、日本の社会組織はV字回復できるのだ。
 この頃サル山で誰かの吐き捨てたエサを頬張りボス猿のケツの穴を舐めて暮らす経済学者や何たらエコノミストみたいなのが『彼にできたのはコストカットだけだった』という言い回しを大好きだったのだが、現代人類文明のカネ流通経済においては、そのコストカットでまず採算を合わせないと生き残れないことを理解しておこう。

 公開リンチまで誰とも面会させず痛めつけるだけの拘束で悦に入っていたつもりの黄色いサルだが、いともあっさり虚構の網が破れてしまい、その支配力に大穴が開いているのを隠そうとでも思ったのか、やたら手の込んだスパイ組織の大作戦に『してやられたテイ』の演出に執心して笑いを誘ったのが記憶に新しい。もうすっかりサル山政権のゲロ舐めクソ舐めに商売替えした烏合マスコミどもが『GONEがナンタラ』だとか、手のひらを反して調子を合わせたものである。
 この『GONEがナンタラ』を軽々しくやったヤツ、やった局、やった紙の一切合切、私はガチでその時その瞬間から二度と見聞きしていない。
 まだ真実を伝えるだの、自分らは言論のプロだの言ってたら呆れるな、知らんけど。

 採算性回復ふたつめの実証事例が、次の選挙が近くなる前の今のうちにしっかり解説しておきたい橋下大阪府市政改革である。後に続く今日までの大阪維新政権も、この基本行政マインドを崩さず維持できていると思う。
 それまで無意味な府市競争意識を理由に、グダグダ日本国政に輪をかけた『異次元緩和府市財政』を慢性化させ、奇妙すぎる公務員優遇制度といい【360】ムダなハコモノ乱造といい【704】もう誰にも止められない惨憺たる状態だったのだが、これに明確な折り目がついて、少なくとも制御不能の放蕩財務からは体質改善した感じである。
 日本社会の根深い異種価値混同の依存症がまず地盤にあって、これが『理屈より馴れ合い』の大阪気質で底抜けに悪化し、ここに年功序列・永久身分保障という前時代的な公務員特権がつけ込んで、これに群がる寄生虫ともども手が付けられなくなっていた惨状に【1022】、橋下さんが最初単独で斬り込んでここまでに漕ぎ着けた。

 これも当初は旧・大阪府市政サル山にひれ伏す烏合マスコミの、なりふり構わずの嫌がらせで集中砲火を浴びていたものだが、これを正攻法の言論で全弾跳ね返したところが橋下さんの凄いところだと思う。
 普通どんなに優れた人間でも高負荷、特に馬鹿馬鹿しく幼稚で理不尽な妨害工作や嫌がらせが続くと疲労が嵩み『電池切れ』で思考判断や言論の質が落ちてくるのだけれど、そんな情報処理容量の危なっかしさが一度も見えなかったのは驚異的である。冗談抜きに、あんなヒト初めて見たよ。
 その後も決してさっぱりと心を入れ換えた大阪府市でもなさそうなんだが、なかなかどうして大阪維新の会も足場の固めを緩めず、地道に真面目によく頑張っている。
 日本史を荒らす黄色いサルが2025年大阪万博も『莫大な浪費の末の失敗』に終わった構図を仕込んで誇張して、『ほおら結局は万博も、大阪維新もみんなおんなじ』と喧伝しサル山滅亡の道連れにしたがるんだろうが、浮足立たずの臨機応変で未来をよく狙って建設的な現実解を固めて欲しい。妙案ひらめいたら、その都度公開で協力しよう。

 おっと変な切れ方だが今回はここまで。日本社会は重篤な依存症を患っているが、決して不治の病ではない。
 まず『人にとって掛け替えのない思い入れ価値』と『採算を合わすカネ価値』との経済的・社会的な交通整理をし、カネ価値については、数値の流動と足し引きだけで確実に片付く『カジノ』という現実解がある。

 昨日今日は昔でいう共通一次の日だったんだっけ。まあ結果は寝て待て、御幸運を!
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