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【856】難燃性和風レガシー工法の補習講義 [ビジネス]

 ぱら、ぱら、だが無駄にマスクをしない人が、常に視界に入るようになってきた。
 念押ししておくが私は『唾液中にウィルスが含まれていて、それが飛沫となって他人の体内に侵入する』という感染モードを否定しているのではない。というか、感染者が無神経に飛沫対策ナシで日常生活を送れば、ほぼ確実に新たな感染者を発生させると考えている。
 だからまず自分の体調にはしっかり気を付けて、全く異常が無いようなら出掛けるとして、そこで飛沫感染モードを起こさないような工夫を、不衛生なマスク以外の手段でやりましょうと言っている。しゃべる時にオホホと口元を覆うもよし、手話など無言ジェスチャーで片付く場面ならそれにしとくもよし。

 振り返って、いざ感染拡大が現実となったその日本国に直面して、最初のタイトル付き国政実動企画が『マスクチーム』だったという愚かっぷりは、他国との比較において圧巻の無能という他ない。
 人並にややこしい物品や制度は初動段階のうちからいともあっさり諦めて投げ出しており、そのクセ田舎にプレハブ事務所しか持ってないような怪しいポンコツ会社が、何故か突然マスク扱い事業を申請していて、そこがダメノマスクの仕入れをやってたりとか、妙な噂も聞こえてくるワケだ。で、予算460億の実績270億だっけ?

 ようやく昨今になってちょくちょく言われるようになったが、恵まれ過ぎた日本人の協力的な民族性が裏目に出てしまい、日本国の国家組織運営層=国政は本来機能が完全に崩壊してしまっている。
 だがその恵みの日本社会は、せめて平成の時代なら、ドサクサ紛れに金目のモノを略奪して犯罪者になるより遥かに幸せな将来を期待してマジメに頑張れる空気が残っていたが、今はもうダメになっているような気がする。

 『壊れやすく危うい社会領域』とは何だろうか【850】
 ちょっとでも管理の油断があると、皆で守り合って暮らしを支えている社会の仕組みをないがしろにして、他人様の持ち物やみんなの公共物をくすねてがめようとするだとか、ここぞとばかりに特定の事物や人に気晴らしで危害を加えにかかるだとか、そんな傾向にある社会領域のことだ。

 そういうことをしたがるのが貧しいとか卑しいとか評するより前に、まず社会領域のくくりになってまで存在する以上は、そこに生きる生物としての人間に生来発現する特性なのだという捉え方が必要である。
 端的に、自分の満足するレベルにとどいていない不満があるから、金目のモノに手を付けてしまう訳だ。誰かの不当な制限に甘んじている窮屈感があるから、別の弱い他人を思うままに痛めつけて解放感に浸りたい訳だ。
 いわゆる貧困層に暮らす人間がこの傾向になりやすいのは理解できるだろう。実際にまで貧困層に身を置かなくても、あなたも私も同じ人間だからである。
 『一億総中流社会』なんて言ってた時代の日本国なら、略奪や暴行の違法行為で身を汚すより、むしろ治安維持=社会の仕組みに協力する方が楽しくて面白くて充実していて、何よりラクチンであった。だが既にそれどころではなくなっており、雨風しのいで食いつなぐのが精一杯の人数が日本社会に増え過ぎている。『出世払いってことで持ち直したら償うつもりだから、今は仕方なくゴメンナサイ』の俄か逸脱組まで含めて、他人様のモノに手を付けてしまうケースなど当たり前になりつつあるのは、地震や台風など自然災害の被災地域の様子を見ていても明らかだ。

 日本国財政の歴史年表の戦後大筋は言い訳の立たない『失敗』であり、かつてはなんだかんだでバラツキなく高い平均値を保っていた国民の経済とそこにまつわる情操の水準を、ただ劣化に任せて先進国として落第レベルにまで荒廃させてしまった。
 皮肉にもそれは、産業組織と経済組織の高度発展による目覚ましい成果の謳歌が人間の射幸性に命中しすぎて、組織管理の手間と努力の方を見て見ぬふりの押し付け合いにしたのが間違いの本質だったりするのだが。

 ありていに言えば日本人たちが、深く考えずに義務としての仕事らしき時間を過ごしたら、大繁盛の娯楽文化にカネ播いて遊んで、それで一生ぶんの将来まで人任せの安心が社会保障されていないと気が済まなくなったのだ。貧困国の成金が、カネや贅沢品や地位や名声を貪るように欲しがるのとは質の違う、組織生命体の生存原理をぐらつかせるまでの致命的な堕落モードである。
 今思えば、これこそ日本国組織が組織認知症を発症する予兆だったのかも知れない。日本国の日本人たちが一斉に加齢して認知症を発症、産業や経済がガタガタ…の順番ではなく、産業や経済などひとくくりのシステム概念が成長して行き詰まり、まず文化意識の時空間に定義された組織生命体が老化し、老化した生命体ゆえ新陳代謝も世代交代もリアルに衰えた結果、少子化が進んで高齢化した…この順番ではないか。

 高齢化して日本社会の自我を成す我々みたいな昭和世代は、過去の安全な日本社会の楽しさ面白さを知っている。うまくしてアレに戻りたいという厚かましい願望が、どうにかこの旧式の安心安全を繋ぎとめているような気がする。
 だが貧困ネイティブとして生まれ、親御さんの愛情も知らずに、ただ生き延びるために行動を選択しながら年齢を重ねる子供たちは年々増えている。単純な予測として、いずれそこに組織の自我が生まれ、その自我なりに生き残りのための手段を既存の社会組織に向けてくるのは間違いない。
 その時になって高齢者たちが慌てふためいたとして、ありとあらゆる社会の仕組みの改善に走ったとして、貧困ネイティブに始まりその年齢まで過ごした彼らの成長期の時間を巻き戻すのは不可能だ。

 北米の連中と話していると、彼らは『いや~政治家や役人に社会性がなく、総じて利己的でバカなのはこっちも一緒だよ』なんて言うのだが、なかなかどうして新大陸開拓の命懸け抗争の歴史の軋轢が生活空間の支配要因のひとつとしてまで染み付いている北米社会で、その膨大な人員構成の拡がりを手なずけてきた政治体力のしぶとさ力強さはやはり世界最強だと感じる。
 ゆめゆめ知った風は装えないが、いま各地で点々とああいうことになる北米社会の自我の発散動機は、ひとしきり政権や景気の行方を揺さぶったら、また北米社会の空気になって収まっていくことだろう。
 恵まれた島国固有の歴史的背景としての素性に甘ったれて、贅沢に呆け自律心を荒らしただけの高齢化ニッポンは、イイ歳こいて人類標準としての『壊れやすく危うい社会領域』を意識できないでいる。

 『過ちに気づいた大人が、失政の財源だった消費税を5%に戻したんだって』
 子供から学生から、あらゆる社会層の心理に判りやすく響き、無駄な間違いやトラブルも起こさず全方位・全経済域に迅速に効く経済支援策である。というか、そもそもリーマンがどうたらのリーマンなんぞ軽く超える経済ダメージが確定的なんだから、それを受けて以前に戻すのが道理に適っている。
 道理に適っているからには、社会の大多数=組織の自我がなびきやすいということであり、そこを起点に発展的な政策を派生させれば勝率は上がるということだ。組織マネジメントの基本である。

 この期に及んで『国際的に見ても公務員の定年は引き上げられているのがトレンドだ』とか、とんでもない非学術的狂言で煽動工作を始めるおもらい雛壇の乞食学者も見かけるが、老後特待プランの決まっている上級国民なんだろうかねえ。公務員人件費どころか、そもそも単年の収支から今般の災害対応から、これだけ特異な財政の日本国をもって、他国の政情とこの一点の整合性を量る論拠がどこにある?
 数年前に財務破綻で大騒ぎを起こしたギリシャは、国政操作のための優遇ツールとしてカネ漬け公務員職を安売り乱発した結果、全国就業人口の4人に一人が公務員になってしまっていたというし、同じEUでもこんな放蕩国家と対比されがちなカタブツの国ドイツは、この大規模な経済失速を受け消費税の減税を決めている。

 『還暦から5年遊んで4千万円ボロ儲けの上級国民層』の新設のために、この日本に『壊れやすく危うい社会領域』が定着・拡大するなんぞ、まっぴら御免なのだ。
 賭け雀ケンジの違法定年延長のみならず、他の役所でも組織的・習慣的に公務員の違法定年延長が隠して実施されていたらしいし、これは秋までと言わず対・自爆テロ非国民犯罪者政権で緊急警戒態勢の日本全国アラート赤信号である。
 引き続き野党たちには頑張ってもらうとして、いちばん大事なのは1億2千万人組織の正義=世論を明確な空気になるまで、みんながあらゆる手段で継続的に抗議することだと思う。では引き続き、御幸運を!
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