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【871】文化財ポリシー条文の語学体系 [ビジネス]

 今度は批判噴出に押されて追加ダメノマスク処置の逡巡か。東京じゃとうとう医者たちがキレたようだし、もうどうしようもねえな。
 組織同士の本気実力勝負になると、一人あたりの精神力+体力=個人パワーに人数を掛け算して決まる組織力の強弱で勝敗が決まるから、つまり少数派の支配階級に勝ち目は無い。独裁主義や階級制度というのは、周りの被支配側がノリを合わせてくれないと成立しないものなのだ。
 こういうのは圧倒的多数の大衆がその気を出した途端もう止まらないから、その気を出さないよう『いったん下民に向けて発令した支配階級の強制力には何者も抗えない』という絶対主従関係の空気を死に物狂いで強調しようとした結果の、このなりゆきなのだろう。

 さて民主主義は独裁主義や共産主義よりも高度に優れていて、逆に独裁主義・共産主義は未熟で劣っている社会統治形態なのだろうか?
 世界人類は民主主義一色の完成予想図を目指しながらも、現状そこにまで到達できていない出来の悪い連中が、まだ過渡的に独裁主義・共産主義の段階にいるということなのだろうか?

 民主主義とは『社会組織を成すヒトとヒトとの関係をどうさばくか』の基本コンセプトである。よって目前にある事物をオモテから観察し指差して、『おお、これは民主主義だ』と判別できるものではないのだと思う。

 例えばある共同作業を複数人で分担するにしても、一番得意なヤツが采配を振るってコトが進むのが最も効率よく成功率が高いことぐらい誰でも判るだろうし、それを望むんだろうし、日常生活では実際そうなっている。実にあからさまに、特定の個人ひとりの意思決定に、全員の行動が従っている構図があるのだが…これは独断で進む独裁主義なのだろうか?

 誰かが一番得意で上手くやれるからと言って、そいつが他者の意見を封じて好き放題にさばいてしまうと、これは確かに独裁主義的な振舞いだしそう意識される。どんなに上手くコトが運んでも、だ。
 そうじゃなくて、得意なヤツがみんなにとっての良案をまず起案・提案する形で始まり、程度はともかくそこに全員の意見が十分に加味され、総合的な意見集約と意識されながら、ひと声過半数が賛同した事実を経て、それを受け共同作業が実行される。
 この過程で生ずる『全員周知で、合意納得の成立』がポイントなのだ。

 『あーアレはそのへんあいつが得意でさ、どんどん引張ってくれて万事が順調、みんな大喜びで大成功だよ』なんていうケースをもって、誰かが独裁主義でつまらんけしからんと指摘された事例を見たことが無いでしょうよ。
 これって内情を与り知らない第三者の目には、個人勝手の独善独走で組織の方針が決まってしまい、仕方なく全員がその通りにして口裏だけ合わせるケースと、眼前の光景では見分けがつかないのである。
 この観点において、民主主義も独裁主義も『組織が意思決定して行動するにあたっての、個々人の内面的な気分の問題』であると言える。民主主義とは、『合意納得が行き届く精神風土のイチ形態』なのだ。

 民主主義国家も独裁主義国家も、それぞれに国土の資源や国民の生産力を駆使し、自国の市場で経済を切り回して、皆で衣食住を維持し文化生活をやり繰っている。そんなくくりで国家ひとつとして完結し、対外的に入出力するにあたっては、その国内が民主主義であろうが独裁主義であろうが関係ないのだ。実際、国際社会ではイチ対イチの国家組織間のお付き合いが普通に成立してるワケで。

 こんな真理をまず再確認して、では民主主義の現実というものを考えてみよう。
 全体の意思決定のきっかけとなるような起案の機会が、組織の個々人に高低なく均等に保証され、それを元に自由平等で率直な意見交換がなされて、最終的にみんなの合意が形成されるまでの、この一連の『プロセス』を、具体的な作業要件としてルール化すること。
 あるいは、みんなでやっちまった結果事実に対しては良くも悪くも内外から反応があるので、それを受け止めるための『責任者』を、特定の具備要件や選出の基準・手順により規定すること。

 これら組織の意思決定の現場における具体的な行動規範を日本語に書き落とした文書情報、これこそ我々が見て聞いて手にする『民主主義の現物、実体』である。モノとしては、日本語の文法に則って書面作成された記録情報でしかない。だから。
 これは『みんな等しく十分に意見を酌まれて満足できる風土』の保証=民主主義の本質とは、全くの独立事象であるということに気づいておかねばならない。
 そこに関わる人間が、おのれの意志で、民主主義の記録情報の真意を理解して、自分の行動に積極的かつ正確に反映させて、ようやく目的通りに機能する。ここは人間が自己管理するしかない。

 何かがヒトの文明ツールとして足りていないのではなく、『いかに凝った語彙と文法で表現精度を追求しても、情報は人さまや組織に対峙する心の在り方そのものを確定する手段にはならない』という、もう避けられない世の真理の領域のハナシである。
 どんなに民主主義の優位性を認めてゴリッパな文章を列挙したところで、それを前にして行動する人間の精神の品性が整っていなければ、実態はどうにでも歪められ崩されてオシマイということだ。そして、かの如く『人治式法治国家』という出来損ないモードに迷い込んで弱っていく【713】【720】
 ちゃんと皆でやる気にならなければ、絵に描いた餅だってことさ。

 もっとも文書情報は、勝手都合のデタラメ解釈で人治式統治の根拠に悪用され得るが故に、いったん組織の自我が拒絶の気を起こしてしまったら、今度はそれを手なずける手綱にもなり得ない。元が善政であろうが悪政であろうが、組織運営の統治力として通用していた・通用させられていた文章はあっさり蹂躙され、最強の組織生命体=『組織全体の自我』は気の済むまで何もかもやり尽くす。良くも悪くも『社会規律の崩壊』である。
 いま常識とされている『平和で平等で暮らしやすい民主主義社会』の空気は、所詮この程度のものなのだ。日本人は、日本社会の規律を守る目的意識が甘く、不真面目に過ぎると思う。

 地下資源もあるし、人間もいっぱいいるし、組織内の何割がどんな非民主主義的なフラストレーションを抱えているのか知らないが、お隣の大陸の方がいっそ少数支配の共産主義で割り切ってその通りにやれているぶんだけ、国力アウトプットの維持管理がしっかりできてるんじゃないのか?
 そりゃ瀕死の獲物を狙うべく、噛み付きやすい離島の様子を窺いにも来るだろうよ。

 そんなことにならないよう、我等が国家社会組織にチカラが残っているかも知れないうちに、ダメな組織運営層は総交換するんでしょうな。日本社会の自我は、自爆テロの自殺行為を思い直す正気に早く戻らねばならない。
 まだ手はかかるが、生き抜いてみんな一緒に直しましょうぜ。ではグッドラック!
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【870】忘れられた表彰台の自己評価ランキング [ビジネス]

 そうか、言われてようやく思い出す、元々の東京五輪開催予定日が過ぎた。
 …ってことは、もう誰もが認める五輪大会としての成立は可能性ゼロとして、善後策をどうするかのスタンスに切り換えるしかないじゃん。幸か不幸か日本社会の自我はちっとも惜しがってないんだし。
 他国が一斉に出場を控えるなか日本勢だけで競い合ってメダルラッシュだなんて、日本社会が盛り上がるどころか、世界に恥を晒した後悔の自覚に揉み消され、下手すると第何波めかのコロナ感染者の日報の方が注目の的になってるんじゃねえの?

 まだどのくらい続くのかはともかく、この感染症騒ぎもゆくゆくは減衰して、キホン昨年までの生活様式にみんな戻ることになるだろう。ただ、景気悪化ぶんスポーツ業界はビフォー・アフター比較で格段にしんどくなるはずである。
 スポーツは生産活動ではないからだ。それをやって農水畜産物や工業製品が手に入る訳ではなく、よって選手も観客も衣食住を満たされる訳ではない。それどころか人間は、むしろメシ喰ってスポーツやって観て腹が減り、終わったあとは疲れてぐっすり眠らなければならない。
 身体能力の限界への挑戦が人間の永遠の関心事なのは間違いないが、それをやって大衆の興味を引いて応えるという一連の活動に対して、宣伝効果など商用性を持たせないと経済社会において存在意義が成立しないのだ。早い話がエンタメ企画や賭博ネタに仕立てた上で、そこから広告価値などを通して利益を刈り取る、だからそれ目的に出資する…そんなスポンサーがいるってことですな。

 だが来年の今頃、果たして収益性を見込んだ開催など可能なのだろうか?
 そもそも遥か昔の体感ながら、実はほんの昨秋に『都心じゃ暑すぎてマラソンの選手が揃わないから札幌』とかケチつけて騒いでたんだし、アレがちょいときつくなった程度なんだけどさ。
 コロナなんぞあろうがなかろうが最初からダメなものはダメ、物事やるんなら真面目にやらないと、五輪どころかスポーツ興行そのものの経済的価値が国民マインドの中で崩れ落ちて、次の展開は『食っていけないスポーツは、アマチュア趣味にしとくのが常識』なる日本社会の到来である。
 観客やスポンサーの立場ならともかく選手本人は、現役時代に全てを注いでおのれの可能性を使い切らねばならない反面、その選手生命からの引退後の生活を賄うため、どうにかして社会空間に自分自身の居場所を確保せねばならないという難課題も上乗せされる。

 昔ちょっとスケートが速かっただけのスカート履いた昭和ダメオヤジ、この死活問題というにも厳し過ぎる選手たちの経済事情は今やすっかり他人事で二の次三の次、もう自爆テロ非国民犯罪者政権の五輪ネタ内輪囲いにどこまで混ぜてもらい続けるかで頭がいっぱいだと見受ける。何しろ毎月毎月、選手たちの年収さえ遥かに上回るカネがウッハウッハと濡れ手にアワ状態なんだから、そりゃやめられないオイシイ商売なんだろうよ。
 コロナに打ち勝つだの何だの、仰々しく仕立ててもらった無意味なセリフだけ吐き捨てて、コイツ何の目的機能に立って何を実行するつもりなのか、ひとっことも無いんだよな。賞味期限切れのスポーツ選手をボロい餌付けで政治に再利用すると、こんな馬鹿馬鹿しい腐り方で、業界の将来のためにならないということか。

 インターネット環境に続きパソコンさらにスマホなどモバイル機器の急速な普及により、『いつでもどこでも自由自在の選択肢』が大量供給された時点で、あるひとつのコンテンツがまとまった人数の視聴を社会現象級に集めるのは、ひと昔前から桁違いに困難になっている。野球もサッカーも、かつて日本社会全体の空気を揺るがしたあの熱狂など見る影も無い。
 『みんなで共有するものがそれしか無かった時代』の記憶が、日本社会の自我から消えたのである。これだけビジネス収穫率のつらくなっている現代日本社会で、今日から向こう1年内の五輪の残骸なんぞに、何の収益性があるというのか。

 ちょっと前に、1年延期でなんと追加費用が3千億円もかかる、そのうちIOCが『たったの』300億を『負担する検討をする』などと、どこからともなく聞こえたような聞こえなかったような。

 問答無用でよかろう。今すぐ中止を決心すべきだ。

 若い人がスポーツに精出して得るところは本当に大きいのだが、『スポーツには直接生産性が無い』という宿命には観念しておく必要があると思う。直接に生産性がない以上、間接の部分を時の経済空間に合わせて自分で構築しないと、人生を賭けたチャレンジが叶わない。
 そっち方面を志す人は、周辺事情まで含めて将来構想を固めておくことを勧める。直接生産性が無いからには、ちょっと語弊があるが、誰かの直接生産力の余剰ぶん=社会における生産力の流動ぶんをアテにして、経済を通じて都合し合って生きていく選択になる。

 こないだ公務員の定年引上げが世論の大反対で一旦はつまずいたワケだが【849】、『2022年度から上級国民・還暦公務員特待の5年遊んでボロ儲け老後優遇制度=軽減税率』の仕込みはその前に、勝手に決まったことになったままだ【851】
 計算上は、この優遇制度に御案内する予定だった上級国民が行き場を失くし、そのぶん優遇制度の席となるムダ公務ポストが人待ちで空くという不整合状態になっている。ならば自爆テロ非国民犯罪者政権が、公務員定年引上げを何とか成功させるまで、おあずけ状態で事態は凍結するのだろうか?

 今までの流れを見れば判るだろう。現状を放置していては、日本社会は丸々底下げ的に、余暇を失い金銭的な余裕も失うことになる【578】【581】

 元気溌剌とドラスティックな動きを絶やさないアクティブ気性の社会組織は、次々と世代交代を繰り返しながら時代に適応し進化するものだ。日本国の役所組織は、この観点で致命的な欠陥を抱えているのだが、その話はいずれ回を改めて扱うことにしよう。

 安心してフェアに燃焼し切れもしないステージでやる競技や試合に、天井知らずの経費を積み上げる意味など無かろう。挑戦する当事者たちには確かに気の毒きわまりないが、ここで規模縮小とやらで強行して、日本国にとってスポーツ興行が『不真面目な大損害の既成事実』になってしまっては本末転倒ではないのか。
 あっちもこっちも厳しい時期だが、生き抜いて直さなければ先は無い。御幸運を!
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【869】賢い独裁者の効率的パワハラ権力 [ビジネス]

 もう末期症状と呼ぶにも適切かどうか迷うような、惨憺たる状況になってきた。
 何がどうモメるのか考えたくもないし、考えても無駄だ。こんな状態で遊びに行くカネくれてやるっつったって、それ結局は自分で背負って払って解決させる税金が資本だぞ?
 遊びに行ったら行ったであれからこれから百倍めんどくさい不愉快な制約だらけで何しに行ったのかもよく解らんだろうし、その挙句に間違えてウィルス感染もらって重症化でもした日にゃ目も当てられんぞ。
 こうなると一概には責めるに責められないばっくれキャンセルも増えそうだし、つまるところ観光・宿泊業界は手間もコストも被害甚大じゃねえの?

 日常の職場でよく言われる『仕事の発散』が同時多発しており、国政に組織運営の業務体系としてのシステム作動が成立していないのだ。断片的な作業指示が前後左右まったく同期しないまま、とにかく政権が『やる』と言った利権行使は、言ったからには『やる』の強制力アピール、これ以上の内容は発信されていない。
 ガイキチ強権発動をめくら撃ちする政府に、遂に付き合い切れなくなった各業界から、拒否拒絶の反応が返ってくるようになり始めた。当たりナシ総はずれ・捨て駒草野球チームの自爆テロ非国民犯罪者政権、いよいよ自己崩壊フェーズである。

 個人も組織も、目前の物事の処置をどう実行していくかの判断には、複数の選択肢があったり正解に幅があったりするのが普通だ。例えばとりあえず精一杯やった結果、部品毎のばらつきの最大値同士が出遭ってしまった組み合わせにおいて、品検の基準値からちょびっとだけ足が出るような行きがかりになったとしよう。

 これが部品同士の相互干渉の問題だったりするとキホン『死んでもやり直し』、何故なら部品と部品が物理的に当たるんだから必ずナニガシか壊れてくる、あるいは最悪最初から当たって組み付けられない訳で、その組み合わせが発生率何%になるのかはともかく、それが起こり得ないように直しておかないと量産に移行できない。
 一方モノや音色にもよるが、これが機械作動音の音圧レベル=dB値だったりすると『若干の基準未達だが許容とする』判断があり得る。
 ユーザーはこっちの社内基準値を知った上で騒音計を向けながら製品を使う訳じゃなし、但しもちろん品検に基準値が定められている以上はそれ相応の理由があるのだから、そこを理解し見切った上でのこととなるのだが、この場は特例扱いにしてGO判定としそれ以上の工数・コストを投じない。騒音クレームが出たら救急隊を一日飛ばして一品対応の遮音材追加の必殺技チカラ技でいくか…とまあ、こんな感じかな。
 全ては『限られた原資をもって我等が組織の運営を良好に保つため』なのだ。
 部品を当たらなくするためでもない。騒音計の針の指示値を守るためでもない。

 こんな時『自分の担当領域はちゃんとやってるんだから修正の余地ナシ』的な主張と共に、その部位にまつわる法規や設計基準を片っ端からひっぱりだして見せに来るアホや、『もし何かあっても自分に責任は一切ナシ』的な被害妄想と共に、自分本位の開発経緯のまとめ資料なんぞ作って空想引責問題における護身を固め始めるバカというのは、実は結構フツーにいる…というか枚挙に暇が無い。
 いつも省工数・省コストに追われるサラリーマン技術者にはあるある話であり、特に機能デバイスのくくりや、性能項目のくくりで責任範囲を設定し分業する組織では、いわゆるセクショナリズムの現実的損害としてこれが起こる。
 まあ本人たちが夢中なのは解らんでもないのだが、製品を買う立場のユーザーから見ればひたすら無駄で愚かなウチワ揉めに過ぎないワケだ。いいからさっさと意志統率して、そのぶん納期と値段を下げてくれやと。

 自分の実体験まで含めて思い知っているのだが、上記のように通るところ折れるところがすんなり合意できるくらいなら誰も苦労はしない。登場人物の全員が『自分こそ組織のために、担当職域で最大限に良心的な仕事をしている』と真顔で言い切る精神風土があってさえ、この内部損失モードは発生してしまうものなのである。
 だから、この気概いっぱいの衝突の場に無能フヌケの管理職が紛れ込むと、みんなの業務パワーに圧倒され恐れをなして責任を負った断言ができなくなるのだし【53】、その流れでフラストレーションの頂点に達した組織がつい『何でもかんでも、ただ決めてくれるジャッジマン』に我を失い熱狂して、大失敗したりもするのである【541】

 こんな意志と意志が交錯する環境のもと、関係者全員の満足とは言わないまでも納得ぐらいの収まりは保証しつつ、みんなで共有する最適解の原型を一本に束ねて方向付け、現実の解釈として疑いの出ない判断根拠で裏付けていくこと。
 これが業務遂行力の『リーダーシップ』の具体的な姿=健全な組織における『権力』の本質的な意味ではないかと思っている。
 例えば技術職なら、信頼されたリーダーが責任を負って『ここは寸法相性の部品選別でばらつきを吸収する訳にいかないので、そもそも当たらないように設変しよう』『クレームは発生都度対応で何とかなる、但し騒音基準設定の経緯を徹底的に洗って欲しい』など、全員共有の最適解のため特定の相手に具体的な作業内容を提示する指示命令行為がそれにあたる。ま、これが唯一の理想像だとは言わないし、こんなに美しく収拾がつくこともまずないのだけれど。

 自分の思い通り言った通りにみんなのコトを独断式に決められるだとか、自由自在ときに強制的に他の誰かを動かせるなんぞ、権力でも何でもない。ただの人並み以下、勘違い個人の王様ゲーム的思い上がりに過ぎない。『強いチカラ』にならない。
 相手の気持ちに逆らって何かを強要した途端、そこで内部損失が発生し組織稼働の効率が低下し、組織力のアウトプットが落ちて生存競争に勝てなくなるからだ。

 世間一般で『非効率な組織を効率化したい』と嘆くマネジメントの問題は、基本このくらいの次元からハナシが始まるのが普通である。若い人たちには、社会の生産性組織はこのくらいの問題にいつも悩みつつ、原資を投入し利潤を刈り取りながら、経済社会の一端で生き抜くための押し引きをやっていることを先に知っておいて欲しい。その日本経済を丸ごと底上げで元気いっぱいの大騒ぎにするのがガチの課題である。

 普通だと到底起こり得ないレベルでバカな大人組織の崩壊が見えてきているからには、まだダメになっていない若年層の皆さんに、今のうちに『コッチ側の視点に来てもらっておけないか』と思いついた。
 誰がどこでリーダーになるもならないも、みんな各々の立場から合理的に協力して生き抜く心づもりがない限り、日本社会全体として組織力が発揮できない。
 どなたも的確な行動の選択で、先を御一緒できますように。ではグッドラック!
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【868】ブランド保証付き虚言癖の世論支持率 [ビジネス]

 まずは取り急ぎ、サイト異変の御報告から。
 前回の更新をアップして程なく、ここの管理画面を開こうとすると
  『(二重三角にびっくりマーク)接続がプライベートではありません。』
の警告が画面中央にでかでかと出た。その時のURL欄の表示はこんな感じ。
  『セキュリティ保護なし https(ここに二重線)://sso.ss-blog.jp/account…』

 警告文の下にはこんな解説文およびその詳細がついていた。
  『攻撃者が、sso.ss-blog.jpから個人情報(パスワード、メッセージ、クレジットカードなど)を盗み取ろうとしている可能性があります。NET::ERR_CERT_DATE_INVALID』
  『このサーバーはsso.ss-blog.jpであることを証明できませんでした。セキュリティ証明書が最終日で有効期限切れになっています。構成に誤りがあるか、接続が攻撃者によって妨害されている可能性があります。コンピューターのクロックは現在2020年7月17日金曜日に設定されています。これが正しくないと思われる場合は、システムクロックを修正してからこのページを更新してください。』

 や、こりゃ参ったね。次回の更新はフツーにやれるのかなあ。

 …と、備忘がてらここまでざっと書き落として、いざ今日になってみたら勝手に元に戻っていたので、何だか知らんが解決である。こういうナゾの通信事故、ちょくちょくあるんだよな。大陸や半島じゃあるまいし、言論の自由が保障された安心安全の先進国ニッポンでは気にすることもないか、まあ良かった♪
 もちろんここは中止する予定など無く、いつも通りちょっと覗きにおいでいただければ、このペースでエンタメ世間話の思考ネタを用意してお待ちしております。

 さて前置きはこのへんにして、たまには海外ニュースの雑談から始めてみるかな。
 個人だかチームだか知らないが、東京にもネズミの絵を残したという海外の有名な落書き屋ブランド、ヤツがロンドンの地下鉄で作品製作中(?)とかいう触れ込みのあの動画、何だかおかしくない?
 いや、マスク礼賛に執心する日本政府が小細工してアレを撮らせたなんてゆめゆめ言わないんだけどさ、人が乗る電車の内装面にあの下品なスプレー垂れだらだらで落書きするのは、ヤツが作風に籠める品性として『あり得ない』流儀に見えて仕方ない。
 ぱっと見で汚ねーよ、ただのメーワクだ。そりゃ即刻に消去がフツーでしょ。
 まあ別にヤツの絵を特段に上手いとも凄いとも御洒落だとも思わないし、メッセージ性にいたく感銘を受けている訳でもないので、たかが私の頭の中で『あー思ってたよりセンスねえ野郎だったんだな』ってことになるかならないか程度の関心事である。くだらなくて失礼しました。

 で、そのネズミくんがおどろおどろしく吐き出していた、汚らしく飛び散る咳の飛沫つながりで日本国内にハナシを移すのだが、世界最速のスパコン『富嶽』による世にも有難い解析結果とやらの、例のCFDアニメの件にも触れておこう。急に見なくなった気がするんだけど、アレどこいったの?
 せっかく役立たずの『専門家会議』とやらを解散したとかで節目つけたものの、今度は『専門分科会』だなんて似たようなタイトル掲げて、黒縁ミイラのキャリーオーバーを見た時点で悪い予感はしたんだけど、待てど暮らせどあのCFDアニメには誰も意気揚々と『専門的な』解説入れてくれねえんじゃねえかよ。
 いやさあ、今般のウィルス感染症の解明と対策にガチで役立ってくれなきゃ、どこのお偉いナンタラ先生みたいな肩書だけ掃き溜めたところで、やっぱり役立たずの烏合の衆にしかならないんだけどさ。これ、またしてものまたしてもで、税金資本の法外な報酬でおかしなことになったりしてねえだろうな?

 因みに、例のCFDアニメが飛沫感染の危険性予測でも何でもない計算過程の映像だったとしたら、あれだけ世にばら撒かれていた以上は、あれを不用意に垂れ流したバカどもの謝罪と抱き合わせで、それを訂正する社会規模の解説が必要だぞ。万が一、と一応つけておくが、本当にそんなマスコミ総出の国家的フェイク報道詐欺みたいな実態になっていて、今それを知って専門分科会とやらが黙り込んでいるなら、ナニからナニまで丸ごと言い逃れのできない隠蔽工作ってことになる。
 『コイツらは示し合わせて隠しゴトをするし、ウソをつく』、これが専門分科会とやらのメンバー全員の動かぬ本性なのだろうか?
 この心配が現実にでもなった日にゃ世も末だ、理系文明の存在意義の崩壊だよ。

 前回の更新以降も、残念ながらウィルス感染確認数は増え続けている。
 検査件数の母数増、つまり網が大きくなったがために採れ高が増えたぶんは間違いなく効いているが、これはこれでナウ感染確認数の瞬間値が増えるだけで社会的な実害デメリットは無い。よって、表現が少々アレだが、感染確認数が増えたくらいで一喜一憂したりせず、まずはデータを積み上げるのが先だ。現実を正確に観察しないと、適切な分析手法を選んで現象を把握しにかかることができない。
 挙がってくる感染確認数の推移グラフを素材にして、そこに数学的な処理を施し、何らかの規則性が見出せるかを試行錯誤する。もっとも完全な闇雲から当てずっぽう無作為を試していくのではなく、『組織内の個体に、一定確率で何らかの現象が伝播していく』となると試すコンセプトの定番候補はあるものなのだ。
 だいたいにでも規則性が掴めて、既知の現象モデルをエイヤとでも適用して今後の推測と対応の作戦が立てられるなら、ひとまずはその路線でアタリvsハズレを見極めるフェーズに移行できる。あ、もちろんメがあるエイヤでない限りは、じっと我慢の子になって観察に徹するのですぞ。いつか統計の話題もやりたいねえ。

 今わざわざに『コロナ疎開』という感染モードの質的変化点を人為操作で新規発生させると、必然的に悪い事にしかならない。詳細メカニズムはともかく感染拡大の現象モデルが確実に変わるのだから、感染確認数データに一律の規則性を見出す作業に対しては外乱にしかならず、つまり対応操作の作戦も決めにくくなるし、どんな試行操作に対しても、それが感染者数の増減に顕れる『効き』の感度が落ちてしまう。
 いや、こんなややこしいハナシをする以前に、僻地で『コロナ疎開』による感染が拡大したら、行った方も迎えた方も命懸けの面倒になるのは言うまでもない【840】

 まさに自爆テロ非国民犯罪者政権の御時世である。但し。
 どこの気の狂ったボケ老人がナニを抜かそうが、我々1億2千万人の個々人は、自分自身の行動を自分自身で選択することができる。法治国家・日本国はまだこの領域で正常を維持できている。
 だとすると『みんな深く考えずにおトクに遊びに行ってるから』という日本人DNA的に気の狂った動機を、自身の行動の選択にどう反映するかは、我々日本国民ひとりひとりの意思決定が負う問題だと思う。

 あれもこれも、周囲に流されておいて世のせい他人のせいでは済まない。日本人は『自力を効かせて生き抜く』という目的意識を、この機会に獲得しておくべきだ。
 ピンチ・イズ・チャンスは、チャンスを狙わなければただのピンチだ。御幸運を!
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【867】ストリーキング応援リーグの戦線離脱届 [ビジネス]

 新型コロナ・ウィルス感染の再拡大が本格化するのかしないのか、見極めがムツカシイ局面になってきた。
 発症の自覚で顕在化して感染確認される件数はともかく、検査して陽性反応で感染確認される件数の方は、検査実施の母数が大幅に増えたぶん単純にその比率で増加しているはずだが、そういった検出事情の違いによるものなのか、本当に感染拡大が再び勢いづいているのか。
 残念ながら当面のところは判らない。
 ただ『日本社会という巨大な組織生命体は、元気に生きてゴキゲンでいたい』という組織の自我の真理に照らして、『まだ健康回復を確信して走り出すには勝算低すぎにつき、今は安静モードにしておく』のが賢明である。
 ま、言うまでもなく周知の事実、御覧の通りといったところか。

 日本国内の幸運な動向として『死んだり動けなくなったりしなけりゃ当面は良し』が通用するのだから、この当面における現状把握を精度よく詰めるのが喫緊の課題だ。感染再拡大の急襲とくに重症化ケースの検出には最大限の注意を払いつつ、現状の生活ペースを固守して感染者の統計データの傾向を注視するのが現実解となる。
 それをまず言い切っておいて、だ。

 特に若い人たち、結果に対して自己責任で腹くくれるんなら、もう戻せるところから普通の生活に戻していったら?
 大人たちは『みんなやってるから』そのテイを演じているだけで『どうせみんなでそうなるだけ』のハナシってことで、日本社会がどうなろうが本心では興味ないんだし、『コロナごっこ』のくっだらないママゴト遊びに間違えて本気出すバカを気にしたところで、ただの持ち出し損の御節介でオシマイだぞ。
 大人いわゆる社会人がコトに真剣に向き合ってないんだから、若年層は若年層の理屈で自分たちの行動規範を決めていけば良い。
 試したいコトも叶えたい夢も勝手に枯らした大人どもが、この期に及んでなお『カネが欲しい』『トクをしたい』『無難にラクしたい』みたいな性根で、悪いと心の底で判っておきながら、正論を装って実効性の無い、つまり無駄なアッチの世界の禅問答にばかりに時間スッてるワケだろ?
 あなたがたが巻き添えを喰らう必要なんか無い。良いと思ったこと、好きだと思ったこと、やりたいと思ったこと、どんどんチャレンジして前に進めばよろしい。バカな大人はバカなんだから、わざわざに余計な議論が拡がっちまうような頭の悪い絡み方になんないよう、ソツなくかわしていきな。

 随分と前からここで論じている内容だが、『組織全体』という意思決定の最大スケールの自我を前に、その部分集合の自我単位は絶対に逆らえない。政府も、警察も、裁判所も、完全無欠のスーパースター独裁者も、である。この大原則には、合理的も非合理的も、法治も人治も、善も悪も一切関係なく、組織の自我がこうだといったらこう、あらゆる内包の小集団の自我はひとたまりもなく呑み込まれる。
 少々の人数に慕われる偉人や善人が正しいことを叫んでも、全員どんなに道理が立たないことなのか痛感していても、それを上回って社会組織の自我が『コイツは魔女で、社会的損害を解消するため殺処分が必要だってことにする』と判断してしまったら、あるいは『地球が偉大なる不動の中心であり、他の全ては付帯アイテムに過ぎないってことにする』と断定してしまったら、その組織に人間たちが起こす物事は決まってしまうのだ【712】【821】
 いずれその『社会組織の自我』当事者が新たな知見を積み重ね、その認識を自ら改めるまで。

 そうだ、例によって横道のウンチクを押し込んでおくと、そんな原理の史実ゆえのことなのだろうが、かの魔女狩りの時代には『男の魔女』も存在したという。『社会不安をもたらした張本人』なる容疑をひっかぶせる標的にするのに、確かに性別は必要条件ではない。

 …で、本題に戻って、いま1億2千万人日本社会組織の自我が、
  『もうウィルス騒ぎはそこそこで良いんじゃね?マジには怖くない感じだし』
と思い始めた。見限られた、関心を切られたんだよ。もう止められない。

 古電球は、税金ばら撒いて旅費を恵んでやるから、みんなでコロナ疎開しろやと勧告したワケだろ?感染確認数が今以上もっと増えたところで政府がその方針なんだから、もういいじゃん。東京だけどうたらとかカンケーねえよ、オワリだオワリ【840】
 どうせこの事業の裏で『また』『既に』汚職が横行しててそっちの都合なんだろうさ、みんな知ってるぜ。そりゃ陽性判定でもばっくれ蒸発が面倒無いしラクだよな。

 理に反するデタラメ放言を組織の指示命令系に乗せて発信しても、実は本心からのことではなく、組織内のあちこちから道理に即した反対勢力が持ち上がって最終的には大怪我をしないで済む。裸の王様はナニをどう踏み外しても王様なりの尊厳と威光の形式は保たれながら、組織内の有能な実動部隊が結局はうまくやってくれるので、威張るだけ威張って自分優位の態度を貫き、後の引責問題をウヤムヤにしてしまう限りは、組織の実力をアテにし甘ったれて居座り続けることができるのだ。
 みんな揃って思考停止で無条件に群れ合う日本式組織は、無能な震源地が惰性でタレ流す無意味な日本語情報に、仲間意識ルーチンの無限再生ループが際限なく応え続けてしまうという特異なエラーモードの弱点を持つ。間違いでこれをやっている段階を過ぎ、遂に『裸の王様』は不正目的の確信犯演目にまでなって今に到る【345】
 『賢者にしか見えない織物でどれだけ自主的に騒ぎを拡げられるかコンペ』の賞品は、無駄に過ごした時間のぶんだけ進行したおのれの汚らしい老化現象への後悔と諦めだよ。若い子たちはゼッタイ絡むんじゃねえぞ。

 ここまで理解して、各地でばらつきはあるが、都道府県など自治体の代表者たちの言動をしっかり確認しておこう。
 あなたがたがいま暮らしているその場所も、電気や水道がひかれ道路も整備されていて、治安が保たれ万一の時には救急車も消防車も来てくれる。具体的には、そんな暮らしの現場の維持管理に関わる職員さんたちの指示命令系のトップであり、責任者の立場でもある人たちだ。
 若いあなたがたは、嫌でも間もなくそれらの現場に立ち、更には指示命令を下す側に立つ年齢を迎える。指示命令というのは、発信した通りに人さまが動くから機能することを理解して、そうなるためには受信した人さまが『情報の通りに動こう』と判断して実行してくれる必要があることを理解して、その上で、いま自治体の代表者たちのコトバの前に、御自身の行動を決めていただきたい。

 そう、日本の組織は効率が悪いのだ【858】【862】
 未知の感染性病原体が日本国民の健康を脅かし、それが社会規模に拡がって経済活動を停滞させているのが問題のはずなのに、どいつもこいつも今いったい何の話をしている?
 まず生き抜いて、効率の悪い組織を直して、ようやく反撃の作戦が立つ。面倒な気もするが、明確な目的があれば前進し、いずれ効率も上がる。明確に持つべき目的事象はこっちだろう。
 近道は無いし、そんなものを選んではいけない。では引き続き、グッドラック!
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【866】『奇跡の島』滝行の正気回顧タイム [ビジネス]

 相変わらず大雨の被害が続いており、現時点の日本の経済シーンのみならず社会総観規模の長期ダメージが心配だ。
 私自身、これまでの人生で特段に風水害の厳しい地域に住んだ経験は無く、実際家屋の浸水被害や自家用車の水没など喰らったことも一度として無い。所詮はそんな立場の感覚でしかないのだが、10年ちょっと前あたりから『台風でもないのに』『ただの(?)集中豪雨で』甚大な被害が出るニュースが段付きで急増し、それがそのまま常態化してしまったような、そんな直感的な記憶のイメージがある。

 これがイメージ通りの災害記録でぴたり裏付けられるかどうかは置いといて、その10年ちょっと前に私の頭の中で象徴的になっている本州西端付近の事例においては、割と新しい高齢者福祉施設が土石流に襲われ、そのあと何件か同様の施設が類似の被災をするケースが続いたのである。
 高齢者福祉施設の受け入れ枠が絶対的に不足して問題になっていた時期であり、シルバープランだったかシルバープロジェクトだったかいう福祉政策のもと、その手の施設を新設するにあたり確か経費の半額を国が補助して、残り半額のその半分を都道府県だっけか自治体が補助して、まだ他にもいくつか補助が出たとかで、最終的には総経費に対してごく少額の手持ち資金でスタートアップできたという話だった。
 この資本調達環境下で、当時すでにニッポン終身雇用に見切りをつけ潤沢な市場に活路を見出そうとしたチャレンジャーたちがもちろん現れており、彼等がそこそこまとまった広さの用地をお手頃価格で準備するとなると、土石流災害に関わる地元経験知が避けがちな扇状地=裏山を控えた周縁斜面ゾーンが、必然的に多くなっていたという背景があったとか。
 ここに、地元の災害特性は昔から変わっていないのに、日本社会の文明領域での運営の失敗=高齢化および市場の経済力不足により、当のしくじった日本人が勝手にうろたえて自分らで長らく育んできた判断基準を度外視し、その必然のなりゆきとして被災した…という残念な構図が見えてくる。

 いつもの横道に入り込むと、そういえばこのころ行き場のない高齢者の介護や孤独死にまつわる話題が盛んにマスコミで特集されていたんじゃなかったっけ。当時の世相でも税金ばらまき体質は相変わらずという感じだが、それにしても発生している問題にシンプルかつダイレクトに、つまり汚職や無駄な付帯公務の余地をあまり感じさせない、こんな高齢化対応の政策が採られていた事実が懐かしい。
 漠然とした印象として『急増した高齢者をどうしよう?と浮足立った現役世代の姿』が記憶に残っている。日本社会組織の自我がまだ『自分は現役世代』『高齢者層を何とかする』というスタンスで国家運営の諸業務に取り組めていた時代であり、今はそのへんが丸々老いて腐って『自分は高齢者世代』『先を考えず我を通してやり散らかし、他人に処置させる』に変質してしまっていると思う。

 さてハナシを戻して、上記事例と相前後して東海地方も甚大な洪水被害に見舞われた。こちらについては、私は現地に行ったことも現物を見たこともないのだけれど、小学校のころ社会で習った『輪中(わじゅう)』という言葉が出てきたので強く印象に残っている。
 そう、頻発する水害から生活を守るため堤防で囲った集落=輪中が地域固有の社会形態として定着している…という、アレである。ずっと木曽川・長良川などの中州に形成される特例と思い込んでいたのだが、もっと広域的に他の場所にも、河川の中州以外にも輪中が存在するらしい。
 小学生の私はコトバだけ覚えてテストの解答欄に『輪中』と書いてマルもらって終わっているはずだが、実はひとつひとつの輪中別に農地・居住地その他を揃えて輪中堤で囲い、このコロニーがイチ社会組織の単位となる暮らしがあったことを聞いて、改めて組織論的な観点で認識し直したのだ。そうか、そっちが社会科で取り上げる本質なんだよな。
 島国根性ならぬ『輪中根性』というコトバもあり、つまり小さく限られた輪中での集団文化の維持および結束力が強固な反面、よそ者に対して排他的になりがちな精神文化を指す。

 堤防が切れて大きな浸水被害を出した地域について調べてみると、頃合をよく見切った昔の住民の知恵というか、実は『何年かに一度は堤防が切れてもやむなし』を前提にした低湿地向きの土地利用がなされていたことが判明した…みたいな、こちらもやはり利便性なり地価なり昨今ならではの都合で、地元の歴史が受け継いできた防災意識が風化して失敗した事例があったそうだ。古くからの住民がいる地域は、なるほど水に浸からなかったのだという。

 古い輪中堤は交通網の急発達により邪魔者扱いされ、殆どが取り払われて新しい堤防に造り替えられているらしいのだが、たまたま一部残っていた輪中堤が当該地域を水害から守っている事例も確認されている。そこに時代の流れに逆らって古い輪中堤が残されたのは、単なる輪中根性によるものなのか、現地の被災特性を見抜いて敢えて残したものなのか…今の時代となっては確定できなかったとのこと。
 最後の最後、肝心な詰めがはっきりせず可能性までで終わっているのだが、これは本来目的もあやふやなまま理屈抜きに小集団のウチワ慣習に固執する日本人DNAが輪中根性となり、この日本列島のその地で平和に暮らしを紡いできた『日本の暮らし』の実証例として、私の心に刻まれている。
 皮肉なことにニッポン同調気質がフル回転し、全国狂乱モードでカネだ儲けだ土地開発だと誰も止められないまま物理的にも経済的にも日本社会の辻褄を崩壊させてしまう中、偏屈で依怙地な『小集団社会の矮小な慣習』が、ある意味その地の守り神として働いたのだ。

 交通網の機能向上や経済生活の改善という目的で合理性を追求するなら、古く時代に合わなくなった社会構造は未練なく捨てて刷新するのが正解となる。だが悠久の歴史を紡ぐ日本列島の時空間を動かぬ前提にして、被災せず真に安心安全な日常を送るという目的で合理性を追求するなら、古来の構造の起源的メリットをよく研究し理解して尊重し、他を潔く二の次にまわす判断力が必要だ。
 もっとも近年、何十年にもわたる旧来からの住民までが被災するシーンは増えているように見受け、これについては、たかが数百年程度の時間スケールでは、まだまだ日本人の文明生活が日本列島の自然に関する知見を十分蓄え切れていないと考えるべきなのかも知れない。
 いずれにせよ『絶対に失いたくないモノ』『最悪あきらめがつくモノ』の線引きをびしっと決めて、その目的を冷徹に追求する心掛けが必要になっているのだと思う【825】

 どこまで知ってのコトだったかは別にして、少なくとも事実として庶民生活も政治もリスクを冒して利便・利潤を優先してしまった以上、もう闇雲に『イノチが大事、イノチが絶対』の勝手都合は通らないと腹をくくるべきなのだ。
 とにかく今は疲弊した被災地がどうにか危険な時間をやり過ごすのが最優先であり、そのために本当に必要な実行動の要件を、公共通信網が真面目に社会に情報共有させる心掛けが大切だと思う。

 生きて暮らすうちには山あり谷ありいろいろある。旗色悪い時にゃやられるし、やられるからには傷も負うし痛いさ。だからどうした、死んでコト切れなければ良い。
 そこを乗り切って巻き返すから違う展開が来るのだ。では引き続き、御幸運を!
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【865】シロート名人招聘の無観客オンライン授業 [ビジネス]

 感染確認数が再増加となるや、もうあれからこれから情報がメチャクチャに放たれて、えらいことになってきたなあ。まあ高度情報化社会なんだし、そんなもんか。
 そのへん全部まとめて総括すると、まだわからないコトはわからないんだし、特命を受けた研究職でもないのなら、建設的な共同アクションに繋がらないハナシは見捨て聞き捨てにしておけばよろしい。
 対応の体制は整えてある、ならば腹くくって慎重に勝負を賭けるのが次の一手だ。

 ポイントは『日本社会という巨大な組織生命体は、元気に生きてゴキゲンでいたい』という組織の自我の真理が存在することである。そう、日本社会は感染防止アイテムで完全無欠に武装したいのでもなければ、バラ撒き支援金をたくさん欲しいのでもない。
 早く社会組織として生命活動を再開しないと、死ぬ。それを回避したいのだ。
 もう端っこが崩れ始めており、これが組織規模になる前に阻止せねばならない。
 これは日本人という生き物の集団に自然に顕れる方向性=1億2千万人組織の自我の本能が持つ自律指向性として揺るがない…と信じたい。

 たかが公的評価や地位権限の社会文明概念ごときに照らして、どんな理屈で賢いことになっている奴等が、どれだけ偉く万能とされる立場から細工を仕込もうが無力、全ては組織の自我の本能にあえなく寄り切られる。
 如何なる操作を加えれば本能に沿った自然な組織稼働に乗っかって、文明構造体の日本社会として経済活動面の再活性化が実現するのか。

 まず組織の深層心理に則って、良いコトが起こるような目的事象を考え出すこと。
 次に、組織内にその自発的な方向性を普及させるような情報を発信すること。
 みんなが受け止めて共感し、即刻かつ継続して取り組めるアクションに具現化しようとするような、そんなコンセプトを感じる情報こそ、しっかり拾って、各自がココロに留め工夫を凝らす価値のある情報なのだ。

 ま、人間ばらつくものなので『マスクしたくて仕方ない人』はマスクの情報を漁ってとっかえひっかえ顔の上でカビ育てるも良し、『他人と距離を置きたい人』は手当たり次第に目前の他人から逃げ出すも良し。
 どこでどんな情報が飛び交おうが負からない真実として、ワクチン開発には年単位の時間がかかるのだから【833】、これは科学教養系の時事ニュースとしてその進捗を追うにとどめるしかない。どうせ作りかけのサンプル薬をそこらの個人が手に入れて、不用意にばら撒くなんてのは無理だろうし、『感染検査や新薬開発を語り合いたい人』は、あっちこっちひっくり返して漫談のネタを集めれば日々持て余しているヒマは十分に潰せる量だと思う。趣味の合う者同士、自己完結で気を紛らわせるのは自由だ。

 それにしてもでちょいと余談を挟んでおくと、いつだったか『この検査は感度が良すぎて、僅かでもウィルスがいると引掛かってしまう』という、驚愕のインチキ解説を語る『専門家』を見かけて唖然とした。
 いや、それってさあ、感度の高い検査が目的通りウィルス検出してるだけだろ?

 そこで洩らさず陽性が検出された上で、仮にそんなものがあったとしてだが、被験者本人の発症や他人への感染などイケナイ現象を起こすに到るまでに、程度問題の議論があるんならあるってことじゃないの?
 もっとも被験者からサンプリングした検体を見て、ウィルス密度?活性度?が検査時点でどの程度だったにしても、被験者本人については『感染間違いなし』以外の事実情報は固めようがないはずなのだ。
 おいおい、少し迷って『ちょっとぐらいなら大丈夫♪』とか言いそうな専門家とは参ったね。表現の自由が保障された幸せな日本社会ゆえ、病理学的な専門知識は持ち合わせなくとも『論理的に成立し得ない言論』を検出し、そこに語られる情報の質を見抜いて適宜受け流す一般教養の分別が、受信ユーザー側に広く求められる時代なのである。

 まあいいや。
 いま日本国民の大多数が、つまり日本社会組織の自我が、一番に関心を持っていて、真剣に個人パワーを集結して現実の組織力で動かして改善の事実を味わいたいのは、初期ダメージもさることながら、全開作動でそこからのリカバリー営業もできないで抑え込まれている経済活動空間の処置だろう。
 3月には『消費税率を下げる』というフレーズが普通に語られ始めており、実際それを特設テーマにしたマスコミ企画も散見された。ここで取り上げて、少し言及したのが3月19日にアップした【833】の頃のことであり、だが僅か1週間後の【835】時点では、箝口令が布かれて一斉に鳴りを潜めてしまっていることが判る。
 国家安全法の言論統制が国際的非難の的ってどこの国のコトだっけ?海外でいいの?

 梅雨の大雨は繰り返し各地を襲っており、深刻な被害を出している。
 今こうして外を見ながらテキスティングしているこの部屋や家、いつ何どきの急用にも不安なく控えてくれている愛車、これらが一瞬に泥水に呑まれ流され瓦礫となって消えるなんて考えられない。もう一度揃え直すには、どれほどの資金と手間と時間と、自分自身の精神力・体力が必要になることやら。
 ここ数日でそれが逃げられない現実になった人々が、そう遠くもない距離の範囲に何人も実在する。みんな住み慣れた家に居れなくなって、生活物資も失くして、避難所での生活を強いられている。どうか御大事になさってください。

 そんな避難所で大規模の集団感染を起こし、輸送手段の届かない場所で医療機関のキャパシティを超えてしまうようなパニック事態が本気で心配されるならもちろん別のハナシだが、そうでないなら、当面の目的は被災者の負担をできる限り軽く少なくして、まずは長雨をやり過ごすことだ。

 本来目的を忘れた的外れの『コロナごっこ』を、いい大人が見境なしの一律適用として呑気に漫談していて済む時期なんぞ、とうの昔に過ぎ去っている。
 それよりも早く1億2千万人組織の生産稼働を回復しないと、独立国家としての組織の自己管理に人種DNAレベルでハンディキャップを抱えた我が日本国は、あっという間に外からのチカラずく支配の餌食にされてしまうだろう。内弁慶が泣いて違法性を訴えて騒いだところで、取り合う他国がいなければそれっきりである。
 資本主義社会の作動原理が行き詰まれば、北米は『英雄的立場の国際交流』を国益カウントするよりも、自国内の辻褄管理を死守するだけで手いっぱいになるはずだ。何だかんだで北米は、資源と生産力と市場と国防が、全て自己完結できる規模で十分揃うため、その気になれば、それは実現してしまう。
 もっと言うと、人種のるつぼ3億強・北米国民の過半数に達する超巨大組織の自我があって、現トランプ政権は、今それなりの支持を得ながらキホンその方向に北米国家を動かし、既にいくつか実績も積んできているのだ。

 返すがえす、景況的にも自然災害的にも満身創痍の日本社会が、つまり日本人1億2千万人組織が、高齢化したとはいえ一応マトモに命を繋ぎたいという自己保存本能を残していたとして、マジの本気に目的意識をもって今すべきことは何なのだろうか。
 『コロナごっこ』でウチワ囲いを固める仲良しグループの輪にどうしても入りたい日本人のままでいるのか、自己判断と自己責任でおのれの信念と目標を決める世界標準に歩み寄る一歩を踏み出すか。
 この日常風景がいずれを反映するのか眺めつつ、皆さま引き続きの御幸運を!
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【864】仲良きことは、リスキーかな [ビジネス]

 新型コロナ・ウィルス新規感染者の確認数が再び増えてきたようだ。困った話だがそうなる時にはそうなるのだから仕方ない。
 ただ最初の感染拡大で『気にしない』ではとても済まない致死率だったものが、随分と命の心配までは及ばない雰囲気になっているように見える。この数ヶ月で何がどう変わってそんな違いが出てきているのかはよく解らないが、有難いことに、深刻な後遺症もあまり問題にはなっていないようだ。

 裏返して、よく解らんのだが初戦の頃に比べれば危険は減っていそうだと考える。
 ここ数回を使って述べた内容を思い出していただきたい。我々の目的は何だろう?

 普段の生活、いや生業の採算ペースを失ってまで、ウィルス感染対策を優先した不便な暮らし向きに甘んじている。端的に、これを元に戻したいのだ。

 何故そこまでウィルス感染対策が絶対的になっているのかというと、感染し発症すると命に関わる危険性があるとされるからだ。死んでしまっては元も子もない。
 逆に、感染して発症したにしても、大した後遺症も無く、何年も臥せって暮らす闘病期間も無く、超高額の新薬投与も必要なく収まってくれるなら、そっちの道を選ぶ解法があるということだ。
 まだ病理学的に解明され切っていないのでいい加減なことは言えないのだが、それにしてもここまで来たら、もう未感染者を永遠に感染機会ゼロのまま守り切るという道は捨てる決断をすべきではないか。少なくとも日本人の致死率を見るに、幸運にもその決断が可能として客観的に認められる段階にあると思う。
 未感染者は検出され次第に宇宙服着て外出することにでもして、完全無欠の予防ワクチンが開発されるまで生活空間のあちこちに無菌室を置くとでもいうのか?あり得ない。

 目前の症状にどう対応するのか決められないまま、後から後から駆け込んできた患者が苦しみながら積み上がっていくばかり。こうして医療機関が処置できるペースを遥かに上回るスピードで感染と発症が拡大するから、社会が大混乱し、社会の自我が浮足立って社会不安が嵩むのである。

 現時点で打てる対策を要点集中的に配備し、発症してくる人数を効率的な定型プロセスで洩れなくさばくことができるならば、それが当面の現実解だろう。これまた幸運なことに、新規感染者の再増加が確認されているのは今のところ首都圏と大阪など大都市だけ、しかも既にその方向性をもって感染者の検出と医療機関の整備強化が進められている。
 また、自分が未感染者だったとして新規感染するにしても、体力に余裕を持たせるべく意識して負荷を低めに保って構えておいて、症状が出たら出たで早期の段階で治療に転がり込む。個々人も最大限に分担して、医療機関の稼働ペースを分散するのだ。ちょっとハナシが上手すぎるけれど。

 もっとも、日本人もこれだけ大勢いるんだから、どんなにコンディションを整えようが感染したが最後、発症して重症化し命を落とすという人たちも一定数いるはず、それは確かにその通りだろう。
 だが、だとするといずれ感染がいきわたって当人の順番を迎えた時点で、どのみち助からない。個別なりゆきにできる限りの手は打つとして、後の経過は運を天に任せるしかない。
 冷酷非道な発言なのは判っている。だが業界=社会組織規模の経済的な困窮で、自分や家族の生命あるいは人生の岐路で極めて危険な局面に立たされている日本人がたくさんいる。ついこないだまで、ごく普通に日本社会で活動し、組織力としての日本経済を支えていた人たちだ。
 日本社会組織が生き残る目的に照らして、こっちの領域が優先だろう。

 ちょっと話が飛ぶけれど、今年またしても、この7月早々に豪雨災害が発生してしまった。単純増加で毎年日本中の住宅地にブルーシートが増えており、その下には一瞬にして何百万単位の家財を失った人々が生活している。真面目に暮らしてきて、いきなりの酷い目に遭って、頑張る気力も削がれて打ちひしがれている人も少なからずいるんだろうが、それでも自分の取り分だけ奪ったり盗んだりせず、仲間意識の規律に準じて大人しく暮らしている。皆さま、どうかお大事に。
 この状況下で、その程度の損害額ならひと月ふた月で埋め合わせられるほどの税金を注ぎ込まれた国会議員どもが、あんだけ群れて、たかが消費税率を5%に引き下げることもできないのは何故だろう?

 日本国は、日本社会は、昨年までの、いやもっともっと以前の、産業が盛んで、煩わしい行動の制約も受けずにみんな元気に動き回って、賑やかに暮らす国家組織運営を実現したいのではないのか。
 そのために有効なコト無効なコト、全然関係なくて損害にしかならないコト、日本人たちは本当に判別できていて、本当に目的の実現のために取捨選択して、自らの実行動に反映させているのだろうか。
 これ、冗談抜きの真剣になれない限り、日本国はどんな資産ダメージを喰らっても『まあ騒ぐヤツは騒いで、取れるヤツは取って、何となくそれっきりでいいじゃん。どうせみんな余裕綽々って暮らし向きでもないんだし』みたいな、負のフツー意識・仲間意識でお互い見て見ぬふりをし合う『新型ニッポン社会常識』から抜け出せなくなるぞ。

 『理想そのままにうまく行かないのが現実だ』という台詞はよく聞くし正しい。
 だが、のっけからアタマのおかしいエラー作動しかしないできないで始まり、ダメを判ってそこを各自が自力で行動選択せず気が狂った会話で申し合わせてしまい、結局は集団丸ごとが破綻を承知しながら、組織力としてダラダラ無意味なことにばかり時間を浪費して憂鬱に沈没していく。そういうハナシじゃないだろうよ。
 目的事象に対してぴたりハマる業務スキルと精神力を備えた人材がいないだとか、せっかく有能な人材に恵まれたのに目標値が純度高く共有できず成果が出ないとか、そんなマトモかつ実は人間として普通の課題にぶち当たる前に、日本人というのは人種固有の重いハンディキャップを背負っているのである。

 日本人が動かぬ現実を『動かない』と認めて受け入れるその判定基準は、他国の精神文化に照らして全くの意味不明だと断じてあながちハズレではない。『世の中そんなもん』ではなく、『そんなもん』なのは日本社会だけなのだ。
 おっと日本社会『だけ』じゃないか、ビミョーに日本海挟んで大陸や半島にも共通項はあるんだよな。各々カラーは違うのだけれど、理不尽を押し切る方・理不尽に押し切られる方の両方に『合理性よりつい人治性に向きがちな、組織の自我のDNAメンタリティ』が潜在しているように感じられる。
 だから欧米人から見て、日本列島も大陸も半島も十把一絡げでおんなじ人種カテゴリー枠に括られちゃうワケだよ。たかが日本人の内向き自意識ごときで正当性を確信して、大陸や半島を指差して批判したところで、国際標準視点では目クソ鼻クソ小競り合い程度のウザい心象に終わっているのが実態だと思うけどね。

 他国にとっての、我が日本国の交流する価値とは何なのか、我々日本国民で考えて狙いを定めて強化を急がねばならなくなって久しい。だが経済市場のカネ廻りが底なしに低迷する反面、巨額が動くハナシが目立つのは汚職と失政ばかりだ。
 今日の東京都知事選がニッポン仲間意識を国力に昇華するための1ステップになるように、東京都民の皆さんはちゃんと選挙に行きましょう。『政治なんか解らない』ではなく、今この瞬間からギリ20時までじっくり考えて結論を出す時間はありますぞ。

 できるところから、実行!では東京都も、タイヘンな被災地も、皆さま御幸運を!
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【863】内乱サイバー犯罪ツールは2位じゃダメ [ビジネス]

 北米でマスクするしないの論争が起こってるってホントなのかねえ?
 日常生活シーンでの感染防止力の程度はみんな常識的に理解してるんだし、そんなもの、するヤツはする、しないヤツはしないで最初から決着してて、まあ個人的にマスク狂信する物好きがそこらに喰ってかかることがあったとして、せいぜい街頭のいさかいレベルという位置付けでオワリだと思うんだが。

 街に出ると、梅雨の蒸し暑さの中マスクの装着率は日に日に下がっている。
 当たり前だ、不衛生の不健康もいいところで、よく健康増進や日常生活の豆知識を扱うような番組がお得意の、綿棒でちょいとこすってシャーレの培地でカビを生やす実験でもやってみろよ。シャーレにわざわざ寒天なんか張らなくても、外したマスクを入れてすぐに蓋をして、人間の体温で何時間か置けば、目視できる結果は捕まるんじゃないかな。
 興味ある人はジップロック付きのビニール袋に外したてのマスク入れて、針で呼吸穴いくつか開けて、電気製品の上にでも置いといたら?不快で煩わしいマスクと決別する心が一瞬に固まるだろう。

 何だかここ数日、烏合マスコミがマスク推奨の吹聴を繰り返している場面にやたら出遭う。なるほど、ダメノマスクが実に今もってなお届かない世帯をまだ相当数残していて、この押し売りラストスパートを走り切るまでの間、どうにかしてマスクの着用価値があるってことにしてるつもりなんだろうかね。
 もう日本社会のあちこちで散発しているのかも知れないが、そろそろダメノマスク配布期間中に、よりにもよってダメノマスクを着用したがために健康被害を訴える事例が隠し切れなくなるぞ。
 そりゃ顔の上でカビ育てて胞子を肺に直接吸い込んでるんだもん、フツーで済むと思う方がどうかしている。煙草一日ひと箱の方が遥かに健康的なんじゃないか。

 ついでの横道で少々過去のハナシを蒸し返しておくと、人が咳をした噴流の数値解析アニメがスーパーコンピューター『富嶽』の成果だと報じられているワケだが。
 …いや、コンピューターなんだから計算ジョブ出せば『1+1=』でもやってくれるはずだけどさ。あんなもん最新のスパコンにやらしたのかマジで?ちゃんと動くかどうか立ち上げ初期の試運転かな?
 ちょい先に板一枚の障害物ぐらいはあるにしても大したことない噴流の素直な拡散過程、さぞかし計算時間は短かったことだろう。

 マスクの機能は一声『感染者が目前の他人を飛沫感染させない』ところまでだ。
 咳に含まれる飛沫のモデルを水と同じ比重1の完全球体とし、その直径をいくつにするのか知らないけど、その粒子がひとつひとつ咳の気流からの力を受けてどう動くのか、せめてこのぐらいの計算はやらないと『咳による飛沫感染経路のシミュレーション』にはならないし、まあそれだったらスパコンを使う価値も出てくるような計算量にもなりそうな気がする。

 例えば集塵バッグを無くして一世を風靡した英・有名家電メーカーの掃除機だが、あれは吸気を円筒内壁に沿った高速旋回流にしてゴミを比重差で遠心分離する原理で作られている。もし吸い込んだゴミやチリが気流と均質になって運動するなら、空気と分離されずにそのまま排気に乗って大気放出されてしまい、掃除どころかゴミ散らかし機にしかならない。
 技術的な洞察の詳細はすっ飛ばすけれど、あれは内部の流れを測定するのも超困難だし、数値解析の結果を頼りに試行錯誤するにもさっぱり当たらんだろうし、恐らくセンスのある開発者が命中したアタマの中で設計を模索しながら、腕利きの試作屋が的確なブツを起こし、お掃除で吸い込むモノたちをうまく再現した実験を散々繰り返して『アタリ』を見つけ、製品化が実現したのではないかと見受ける。
 遠心分離の原理そのものは珍しくないが、量販掃除機の集塵バッグ無くすのにそんなもん応用するのは、徒労の解ナシに終わるリスクが高すぎるからやめとけと言わなかった会社が凄い。

 人間の咳に話題を戻して、目に見えないほど微小な水滴が空中に放たれ、あっという間に水分が蒸発してナニがどう残るのかも知らないが、その過程が精度高く再現された計算結果だという解説が本来もっとも大事な核心部分であり、専門家でも有識者でも結構なので、そのあたりを是非聞きたい。
 返すがえす、私には汎用CFDソフトもしくはそれと大差ないモノで、気流を仮想粒子の光点およびその軌跡のアニメにして画像を描かせただけにしか見えない。
 世界に誇る最高速スパコンの演算能力をいきなり『眉唾サイエンス』に使っては、冗談抜きでバチが当たるぞ。こんな時、容赦なく巻き起こる現実を正確に理解し活用し、文系人種がつい屈してしまうような人間の不安定性を跳ね返すチカラを持っているからこそ、理系人種は社会で信用されるのだから。

 烏合マスコミどもがビジュアル効果を目当てに、どこもかしこもバカみたいに同じ数値計算アニメを流そうとするのは解らんでもないが、あのデータの提供元は奴等に一体どんな説明をつけて配信しているのだろう?
 公共に流されるのを知って説明不足でこんな画像だけばら撒いて、おもらい雛壇の乞食どもがあるコトないコト嘘っぱち並べ立てるダシになってるのを平然と眺めているなら、理系人種として風上にも置けないデマ煽動野郎であり許し難い。研究職や技術職を名乗るに値しないただのパシリ世論工作員が、科学の合理性を隠れ蓑にして仕込んだ極めて悪質な政治犯罪である。
 『法律』という人工概念の決まり事を根拠に裁かれる『犯罪』よりも、『人類の英知』の悪用として断然タチの悪い理性・社会性の逸脱行為だと思う。

 香港でついに国家安全法とやらが施行され、組織vs組織の物理的な衝突や強引な武力制圧の様子を、我々日本人は外から見ている。だが最初から異を唱えることもせず、無関心を決め込み不本意に甘んじて活力を失くしていくだけの日本人および日本社会が、彼等と比べてどのくらい人間が成す社会組織としてマトモなのか、特に前途ある若年層の皆さんはよく考えていただきたい。

 平日昼下がりのホームセンターで点々と立ち位置を指定されながら、普通なら列にもならない人数のその順番待ちの列のどこかから、『これ、何メートル離れたところからナニがどう変わるの?』と雑談する声が聞こえてきた。
 大勢集まって押しくら饅頭で飲めや歌えの大騒ぎ…まですりゃ、そりゃ誰か感染してればうつるんだろうが、透明シート越しのレジ会話やテーブルを隔てての談笑ごときに感染を恐れる必要がないことは、もう認識するのが自然な段階であろう。いわんや汗と唾液を吸って通気性の落ちた不潔なマスクを顔に貼り付け、その培養物を一生懸命に繰り返し吸引するなど今この瞬間からやめるべきだ。

 世に言う『ちゃんとした世間さまの人々が』『明らかにおかしいのを解って』『みんなしてるから』『しろと書いてあるから』『しないと白い目で見られるから』、自分の健康を害しつつ何となくマスクする。こんなことでもなければ改めて考えもしなかった、日本人DNAの深層ビハインド要因の姿である。
 日本社会はこの情けない惨状を顧みて『優れた一面ともなる日本人の民族性であり、高齢化時代を迎えてむしろ今それが致死性の劣化ファクターになっており、それを再認識して今は一旦きっぱりやめる』判断を下すことができるだろうか。
 そして、こんな百害あって一利なしの災いをばら撒いておいて、その汚職で税金をがめるネタにまでしている自爆テロ非国民犯罪者政権に、税金資本の高額ボーナスではなく、なりゆき任せのニッポン仲間意識を断ち切る三下り半で代えて叩きつけることができるだろうか。

 まだウィルス感染は終息し切っておらず、反撃に転じられないまま日本経済は低迷に甘んじる他ない。
 とにかく生き抜いて、現状を修正して、改善が叶う。引き続き、御幸運を!
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