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【938】ジブンの容器の具備要件 [ビジネス]

 残念ながらステロイド離脱に関しては、整理して全貌を語るにはまだ少々早すぎるので置いておくのだが、とりあえず好調・不調の山谷に翻弄されつつ、自他の誰から見ても『私は私』である。やはり人格というものは、反応速度や稼働ペースでなくストックされている情報が主体なのだろう。

 だがここで『主観』つまり現時点リアルタイム進行中で『ああ、ジブンだなあ。ジブンがいるなあ』と認識し、『ジブンが五感で現実世界を捉え、ジブンでものを考えている』というこの『ジブン』ってナンなのよ?という問題に手がついていない。『ジブン』のアクティブ性の部分とでもいうか。
 少なくとも死んじゃったら『ジブン』は消滅すると思われ、当の『ジブン』には自分が消えた後のことが想像つかないので、『死後の世界』『天国と地獄』みたいな、主観を継続して経験し続ける時空間の概念が生まれたのだろう。う~ん、『ジブン』って何なんでしょうね。

 可能性としてあり得ると思うのは、昨今普及が進んでいるドライブレコーダーのように、いつも数十秒ぶんの記録をどんどん上書きし続けていて、衝突の衝撃など何かきっかけを受けて、新規記録を一旦停止するとともに、直前の記録にファイナライズをかけているのではないかという仮説である【730】
 例えば『飛んでくるボールを受ける』という動作を経験し記憶している私にとって、目前の現実として本当にボールが飛んできたとして、その映像をリアルタイムで私の脳内記憶ストックと整合させる作業が進行しているはずである。そしてその正否が判定されながら記憶されているはずである。
 これが『意識的動作』であり、本人固有の情報ストックに呼応して起こる『意識』なる現象の正体なのではないだろうか。『ジブン』なのではないだろうか。結構なんだかなあ的な感は漂うが。

 話が飛んで申し訳ないのだが、動画サイトでカマキリがスズメバチと格闘して、両方のカマと遂には頭部まで喰い切られてしまう一部始終を見たのである。
 カマキリといえば、後ろ四本脚を四角錐のように四方に踏ん張って、上体を垂直に立てファイティングポーズで構える定番の姿勢が思い浮かぶのだが、驚いたのは、カマと頭を落とされて枝一本のようになった上体を尚も立て、やはりそこから下のファイティングポーズは生きて変わらないことである。
 更には上体まで失い四本脚と羽根から後ろだけになったカマキリが、その姿でスズメバチに喰いつかれて普通に大暴れで抵抗する画像も見た。このケースでも頭部を失って残った身体部分は『やる気満々』で明らかに抵抗しており、もはや食い物を見て捕まえて食うことが不可能になっている以上は長くは持たないのだろうが、それでも逆にそれまでは健常時と何ら変わらない反応で動き回るのではないかと想像される。
 身体構造を大規模に欠損した昆虫がすぐに完全に絶命して動きを止めることはないだろうとは思っていたけれど、ここまで目的性を感じさせる稼働力を残しているとは思わなかった。驚きである。

 昆虫には脳らしきものが見当たらず、『神経節』と呼ばれる通信索の集積部がところどころ見られるだけなのだという【770】
 僅かな空気の揺れを感知して逃げるとか【608】、死闘して捕食するとか、ある機能的な一連の動作の具体的なアクションが、全て反射動作として神経節の各々に分配ローカル設置で完結しており、例えばカマキリの頭なんかは視覚映像と噛みついて摂食するだけの機能デバイスとして備わっているのではないだろうか。
 昆虫の複眼なんか、見る限りせいぜいフォトダイオードが密集しているような構造だろうから、まああれだけ殆ど360度全方位に向けられた一面の無数の画素のうち、迫り来る対象物の陰で黒塗りされる画素エリアがどんな形状と動きなのか…みたいな光学式の点描で見る視覚映像なんだろうけれど、そういった素朴な現実世界の把握情報に、お決まり定番のツーカー反射動作で応える足やら羽根やらのムーブメント群が組み合わさって虫一匹になっておると。そんなアッセンブリー集結構造が、『地球上で最も成功している動物型生命』だということなのかも知れない。

 人間で言えば、モノが飛んできて思わず目をつぶるような無意識の反射動作の組み合わせが、昆虫たちの動きの全てだということになる。恐らく彼等に『ジブン』は無い。考えないし、遊ばない。
 裏返せば、カマキリのあちこちに結線してUSBケーブルの引き出し線で外付けハードディスクに繋いで、何秒かのインターバル毎に拾えて来た信号をファイル化してやれば、このカマキリは日々過ごした出来事の記録ファイルを蓄積していき『ジブン』を形成し、賢いヤツになったり間抜けなヤツになったり、優しいヤツになったりイケズなヤツになったりしてくるのではないだろうか。まるで『真っ白な心の赤ちゃんが、人生を歩み始める』ように。
 もうちょっと凝った造り込みをして、ドラレコ式の常時録り捨て短期記録機能が加わると、リアルタイムで様々に揺れ動く『気分』や『感情』みたいなものまで生まれてくる…と、こういう順番になりそうだな。普通にニンゲンやってると、まず気分や感情で人生を過ごしつつ、記憶を蓄積していくように感じるけど。

 いや、そこまでSF的な動物実験の想定をせずとも、例えばアリンコの巣があったとして、ある方向にはいつも食い物があり、別のある方向にはいつも殺虫剤が撒かれていたとする。アリたち個々は場当たり反射動作のみで動いている訳だ。
 触角同士の接触通信なのか、あるいはフェロモンなる通信物質の書き置き痕跡なのかはともかく、巣のコロニー全体としては『こっちに行くと食い物がある』『あっちに行くと死ぬ』みたいな記録が残るワケで、これはアリの巣コロニー=組織生命体として、遭遇した現実の記憶を経て『こっちは好きなので行きたいvsあっちは嫌いなので行かない』という好き嫌いの性格に育ったことにならないだろうか。意識は、記憶が形作る。

 前回から続けて何でこんなことを気にしたのかというと、アリもカマキリも人間も、会社も役所も国家も、『組織』であり『生命体』である。だとすると『意識』が宿っていて『生存本能』もあり、その強弱もあるはずだと考えた。その原理は、どのようにして発生するのだろうと思ったのだ。

 …しまった、カマキリの話でこんなに分量を使ってしまった。でも一度はどこかで紹介しておきたいし、紹介するならこれ以上は端折れない気もしているから仕方ないか。今回はこのへんで。
 動画サイトを開くと、私が興味を持って見そうな動画クリップをずらりと並べた待ち画面になるワケだが、こやつ何の判定基準で私にスズメバチとカマキリの格闘を陳列してきたのだろう?
 もしかして、私がこういう思考を巡らす視聴者だと見抜いていたなら、そのプログラムには結構なレベルの『ジブン』がいて、こんな私の人間性へのアプローチ方策を判断しているような気もするのだが。

 緊急事態宣言とやらはなぜ解除するのかもしないのかも不明だし、『ワクチン』のラベルさえ貼ってあれば『効果アリ、税金資本で購入の価値アリ』として酢でも醤油でも注射しようかという勢いの今日この頃である。
 こういうことを『我々社会組織のため』と口先だけ抜かして自滅したがる一部のニンゲンという生物を眺めるに、なるほど昆虫族のカマキリの方が『情報的に高度な作動で、圧倒的に生存確率が高そう』という印象を受けるのは私だけだろうか?

 マトモな日本人の皆さんは、マトモな組織生命体・日本国の生存を賭けて、高度情報的・理知的に生きましょうぜ。たかが人間がでっち上げた組織表において、中枢部機能がどこだと図示されていようが、最後は生存に有効な記憶ファイルに従って、明るく元気に動く生命体が生き残る。ではグッドラック!
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