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【940】海面下事情が導く実効方角の羅針盤 [ビジネス]

 今年は桜の開花も満開も早くて、普通なら桜の見頃に合わせた催しが時期外れになってしまう!と大騒ぎもしてるんだろうけど、幸か不幸かその催し自体が休止しているので静かなものだ。
 このコロナ禍は身近かつ切実なぶん、表現がちょっとアレだが解りやすくて良い機会なので、ここぞとばかりに解説を入れておくとしよう。

 日本国組織の自我の意向をよく汲んで、『その通り』を心掛けるべきだ。
 人間が成す社会組織においては、過去に何度も『一部の人間ごときの支配力』の幻想にとらわれた愚か者どもが、組織全体に対して自分ら都合の稼働イメージを強要しようとして、全滅の結果に終わっている。そうじゃなく、誰も逆らえない組織の自我の意向を察知して、それを大前提に解法を考えるのである。

 自然界では幼く非力だったり、怪我をして弱ったりした個体を見つけると、ハイエナやハゲタカ、そこらの街ナカだとカラスなんかが、早々に遠巻きにして捕食のチャンスを狙い始める。
 人類文明社会においても、なかなか国際統率の枠組みが明確に決まりにくい国交領域、つまり何となくの各々国力バランスで押し引きする『国家間の実効支配のせめぎ合い』のような雰囲気が見え隠れするようなシーンにおいては、弱った国家はすかさず狙われる。
 この自爆テロ非国民犯罪者政権は、日本国内の箱庭ウチワ向けに国家の仕組みを悪用して我を通すばかりで、基幹産業の維持発展および創り込みを怠けて日本国の国際競争力をすっかり衰退させてしまった。更にはそのなりゆきで最終手段として残った観光立国としての経済資源までもが、コロナ禍の不遇で雲散霧消した結果が現状である。
 ここまでの緊急事態に直面してなお、何か新たな生存手段を死に物狂いで模索するでもなく、やはりというかコロナ対応までも、国力回復を二の次にして、上級国民のカネとラクとトクの特待コース新設ネタにしかしようとしないのだから、あっちからこっちから狙われても仕方ないだろう。

 海上保安庁や自衛隊の現場最前線の職員さんたちは、時に銃口を向けられながら命懸けで国境の離島の所有権を維持している訳だが、いっぽう出口の見えない経済苦境の一般空間に暮らす殆どの日本人たちにとっては、そんな国政のイチ業域なんぞ『とてもそれどころではなくなって』しまっている。もちろん万が一侵略されでもしたら、現政権を徹底して非難はするんだろうけれど。
 このところ大陸からの武装艦艇が国境離島の近海をしつこくうろついたり、半島が終わった話を際限なく蒸し返してきたり、これ見よがしに飛び道具の試し撃ちなんかまでやってくる背景には、この自爆テロ非国民犯罪者政権が『押せば倒れる』と見越した勝算があるはずだ。
 いわゆる『負けの込んだ』おかしな空気が漂い始める前に、このひ弱な内弁慶の無能政権を早く殺処分にかからねばならない。豊かに閉じた日本列島の庇護にあやかることなく、厳しい生存確率の淘汰をくぐり抜けてきた大陸や半島は、日本列島の社会組織に宿る基礎体力・免疫力の残量を窺っているのだろう。

 …で、話を冒頭に戻して、今タイムリーなところで例の『緊急事態宣言』を考える。
 端的に、もう1億2千万人日本社会の自我は、『こんなもの要らんだろ』というのが本音になってきているはずなのだ。私なんぞが改めてここで述べるまでもなく、もうみんな肌で感じていると思う。
 少なくとも日本人が日本国内で暮らす限り、この新型コロナ感染症は別格の死病として恐怖する必要などなくなっており、むしろ発生都度の迅速な早期対応体制を固める方針こそ、いま求められている政策である。みんなそう実感している。

 多少は進歩して今は地域別に緊急事態宣言の発動がなされているが、上記のようなコロナ観が普及している事実を前提にして足元の社会組織の稼働操作を決めないと、まずナニを勧告・指示しようが大衆の心に響かず誰もついて来ず、発散フェードアウトの結末にしか行き得ない。
 そのまま困惑していては、今度は『地域行政が、ダメを判ってるのに無駄なコトばかり抜かすので、もうシカト』という殺伐不毛な組織風土が蔓延してしまう。行政とのコミュニケーション意識が手応えを失ってしまうのだ。興味も関係も無い、どこか誰かの知らないハナシというやつで、こうなると再び響くことは難しい。
 行政から市場店舗への時短営業の協力願いなんかも、本当に譲れない客観性根拠に基づいて必要なのであれば、それを強力一斉に公共発信しながら厳格に発動しないと狙いの効果は得られない。給付金おいくらの問題ではない。
 組織の自我が、言われて素直に理解して納得して、だからガチ我がコトの目的意識で取り組んで、現実の効果を肌で感じて響くからこそ社会が動く。ここがあやふやだと今そこそこ上手く行っているように見えているところも、国政と同レベルのひんしゅくデマ空回りに沈むなりゆきとなるだろう。

 極端なハナシ『いま外出完全禁止の全店舗一斉閉鎖をやれば、新型コロナ・ウィルス感染現象が明日抑制できる』という真実があったとしても、人間の社会組織の自我がそれを理解して正確に行動に反映させられないのなら、その方策は使えないのだ。組織運営とはそういうモノ、腹を括らねばならない。

 本来こんな局面において、政権の都合や医療機関の調整限度など人間の意向で決まるファクターから完全に独立分離系の思考・判断システムとして、理系学術人種で構成する専門家機関が置かれるのが道理である。ドライ&ソリッドな科学の知恵だ。
 だが残念ながら、現状この国の学術領域は政権の違法な強制力にひざまずいて隷従してしまっており、社畜サラリーマンよろしく平気で金看板の貸し出しをする立て看板ノーベル賞みたいな、『要領いいお利巧ちゃん』のカス風土が染み付いてしまっていると見受ける。この世の何より勉強好きで骨太の、正義の頭脳労働者がいないんだよ。
 未だに現象モデルが中途半端な流体計算アニメをタレ流してはマスク信奉の吹聴をやめないし、ワクチンと名がつけば見境なくこの平和な日本人体質を無視して打ちまくろうとする。ありもしない変異種の危機感を裏含みさせるようなデマ解説は野放しだし、永久にコロナ対策を続けるつもりにしか見えない。
 『税金資本で支出した費目』を無限に積み上げ、政権に従順を誓う上級国民の暴利ビジネス資源にでもするのかね。接待は横行し続けるし、消費税率は上がり、汚く無駄な公務が肥大するばかりだ。

 そうそう、ワクチンも最近いろいろネガティブ情報が漏れ出て来たもんだと眺めてたら、今度は経口薬=飲み薬だって?
 いや、普通ウィルス感染症のワクチンって、無毒・弱毒化したウィルス株を人為的に投与して、本人が持ち合わせる自然耐性の働きで免疫力を構築しようとするもんだろ?
 注射せずにウィルス株を飲むとなると、せいぜいアンプルにストロー突込んでチュー…あたりにしかならないんだが、生物の消化器系の処理パワーをナメてはいけない。
 当然あっという間に御食事もろとも胃酸で消化されるのがオチだ。喰いモンの経路なんだからしょうがないじゃん。
 逆に錠剤だったりするのなら、一体どんなケミカル効力成分が入ってんだそれ?

 ま、まずは毎年デタラメが過ぎる花見の大騒ぎはちょいと自粛するとして、第4波とやらの国策リスク煽動はさっさと過去のモノにしてしまうのが賢明なんでしょうな。ここまで書いておいてナンだが、まだ『さっぱり』とは言わないまでも新型コロナ・ウィルスは『わからない』のであり、だが国政の底なしの不真面目さに1億2千万人日本国組織の自我が、その解明を待たずに堪忍袋の緒を切らしてしまった。それが真相だ。
 この先、時短営業の段階的な緩和などが進むにつれ社会での大衆の対面交錯が増え、感染者数の推移としては上向くのが当然であり、だから我々日本国民の課題は、協力し合って自分たちの暮らしのスケールから冷静で的確な模索を心掛けることなのだ…と理解しよう。
 早く元の日常の経済活動ペースに戻りたい、そのためにコロナ騒ぎを抑えたい。
 皆さん本気でしょ?ならシマって行きましょうぜ、引き続き御幸運を!
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【939】文明創成期が辿る偶然のけもの道 [ビジネス]

 話が他に展開して、帰って来れなくならないうちに。
 自分の記憶にストックされている記録ファイル群をただひとまとめにして、それが筋の通った有用情報だと根拠も無く一方的に定義づける。その有用性が現実に検証されるアタリ偶然を経て、生物は知的な能力向上により生存確率を上げていく。
 これって、梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』そのものではないか【260】【261】
 2011年5月大阪吹田の万博会場で開催されていた『ウメサオタダオ展』でその存在を知り、直感で内容を確信して読んだ本なのだが、私の理解は以下の通りである。恐らく的を外してはいないと思う。

 まず遭遇した現実を片っ端から京大式カードに書き落とす。このカードは、見出しをつけてカテゴリー別に分類保管する。
 自分が何か課題に直面したら、それに関与しそうなカテゴリーのカード群を引張り出してきて、目の前にばさっと拡げて俯瞰する。ざくざくと混ぜたり、ざあーっと並べ替えたりしながら眺めていく。
 『何となくつながってモノになりそう』と直感したカードを拾い上げて、ホッチキスで打ってつなげる。改めてそれを眺めながら『使えるストーリー性を持った一連の論理的シナリオ』を作る。

 なんと。私が10年かけて、身体をここまで壊して何年か越しでようやく気付いた情報研鑽の原理を、日常生活で編み出したノウハウとして方法論化までやっておられたのかー!やっと気付いたわい。
 ぐあ。私にとっては『天才』としか呼びようがない。凄すぎて悔しくも何ともない。

 人類がコンピューターを作り出す決定的要件となった文明アイテムとして、二進法がよく挙げられるのは御存知だろう。
 『あるorない』のゼロイチ判定のみで完結する極限シンプルな情報形式ゆえ、有無さえ間違えなければ内容の劣化なく受け渡しやお引越しが可能である。
 『最新高度文明が編み出した機械技術のブレークスルー』みたいなイメージでみんな最初考えていたんだけど、実はいろいろ判ってくると、それって生命の歴史をかけて積み上げてきた自然界の情報伝達原理そのものでしかなかったのかも…ってのが現状到達点だ。

 人間が暮らしていて、生活の必要にかられて『数』の概念が生まれ、両手の指が合わせて10本なので十進法が生まれた。ここのつまでは9種類の『数字』による一対一対応の表記となり、もうひとつ加わった事実をもって、『指の数よりも上位の、人間の両手ひとりぶん』を現わす『十の位』なるケタの概念が発明されたのだ。
 ここに『ゼロ』という大発明が成されて初めて、『10=ちょうど人間ひとりぶんだが、二人目の指に対応する数量は無い』という階層表記が可能となったのである。長らく人類はこの十進法で便利してきた。
 ジャイアント・パンダは人間でいう親指の付根の母指球に大きな指状の突起があり、あたかも六本指のような前足なのだそうで、それを使って笹を握って食っているのだという。もし彼等が数字を発明したならば、あとふたつ人間には見たことも無い象形文字的な数字(?)を加えて、十二進法の数学体系を作り上げたのかも知れない。
 …あれれ?時計や暦の十二進性って何なんでしょうね。干支にパンダは見当たらんが…

 まあいいや、そんな人間の十進法でケタの概念が発明され、じゃあおいくつをもって一桁アップだってことにするのか、他の数でもいけるはずじゃん…ってことで『ナン進法』という思考ネタが生まれた。その中でも、二進法にすればゼロイチ判別さえできれば一切劣化しない数値情報が成立するぞと。
 そして、加減乗除の数学的規則性で扱う数値や演算のみならず、画像から音声からチマタに溢れるいろんな情報を工夫してゼロイチ数値データとして表現できれば、機械くんの処理速度でもっていろんな情報伝達や記録が可能になるという利用法が考え出され、さまざまなモノに応用されて今日に到る。
 数を発明し、十進法に始まるケタ表記を発明し、二進法を発明し、それを数以外の概念にまで応用することまで思いついて、現代社会の高速大容量情報処理が叶うようになった。

 だがこの到達点は、実は数十億年の生命の歴史を通して自然が作り上げた生物の情報処理システムと、本質的には同じ原理だったりするのではないか…と私は考えているワケだ。検証されてないし、今は検証のしようが無いので仮説に過ぎないんだけどさ。
 これが当たってたとして…ということにはなるんだけど、数を発明したヤツも、十進法を発明したヤツも、二進法を発明したヤツも、人類史上のどこかに絶対いるはずで、こういった『大自然・森羅万象の大原則』を人間の思考成果として翻訳(?)するヤツこそ『天才』だとする言い方はできる気がする。
 その時その場は恐らく本人も『大自然・森羅万象の大原則』との絡みには気付きもせず、しかしこれまた恐らく、完全な偶然に終わらない何かのきっかけが本人の中で作用して、人間どもが『文明』と呼ぶ情報空間におけるガチの実用アイテムが転がり出るのではないかなあ。

 さて、上記のような経緯で生み出された技術体系を『ケタ=digit(ディジット)』なるアイテムで代表して『デジタル=digital』という言葉が作られ、つまり『デジタル技術』と表現するようになった。
 このデジタル技術の本質は数十億年に及ぶ生命の歴史が生んだ偶然の産物、誰か人間が発明し設計した創作物ではないのだろう。生命体が最も効率的に生存確率を上げた必然の結果として、地球上の時空間の展開を司ってきたのであり、これまで過去の人類の目には触れず思考の対象にもならなかっただけだ。この雄大な地球生命体の大原則に逆らう身の程知らずの目的意識は、ありとあらゆる齟齬と失敗を呼び起こす。

 『デジタル庁』って、たかが人間ごときの国家組織の役所風情が、ナニするんだ?

 きちんと拾い上げられて思考操作のステージに乗せられるところに、記録ファイルの存在意義がある。それらがナウ遭遇している現実とリアルタイムで整合させられるから、瞬間瞬間の『意識』『感情』も発生する。
 更にそれら記録ファイルは日々の脳のデフラグ処理にかかりながら、ウラ画面式に本人に宿るもうひとつの別人格が、機械的に思い込みストーリーを偶発させる材料にもなっているのだ。だから生物は、人間は、デジタル情報処理を採用しここまでに進化した。デジタル技術活用方針の基本コンセプトはこれだろう。

 現状の組織生命体・日本国がここまで弱った原因のひとつに『生命力も無いのに威張りたがり、食い物でも栄養でもないカネを欲しがる』という、人間特有の異様な欲求があると思う。これをもう少し脳科学的に分析できれば、多少は何かマシになるのかな。

 日本国に、自己保存・生存本能と無関係な負担を生む悪性新生物=癌細胞の機能アイテムを『また』『これ以上』くっつけさせてはならないのである。生き残りを賭けて健全に頑張る皆さま方、引き続きグッドラック!
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【938】ジブンの容器の具備要件 [ビジネス]

 残念ながらステロイド離脱に関しては、整理して全貌を語るにはまだ少々早すぎるので置いておくのだが、とりあえず好調・不調の山谷に翻弄されつつ、自他の誰から見ても『私は私』である。やはり人格というものは、反応速度や稼働ペースでなくストックされている情報が主体なのだろう。

 だがここで『主観』つまり現時点リアルタイム進行中で『ああ、ジブンだなあ。ジブンがいるなあ』と認識し、『ジブンが五感で現実世界を捉え、ジブンでものを考えている』というこの『ジブン』ってナンなのよ?という問題に手がついていない。『ジブン』のアクティブ性の部分とでもいうか。
 少なくとも死んじゃったら『ジブン』は消滅すると思われ、当の『ジブン』には自分が消えた後のことが想像つかないので、『死後の世界』『天国と地獄』みたいな、主観を継続して経験し続ける時空間の概念が生まれたのだろう。う~ん、『ジブン』って何なんでしょうね。

 可能性としてあり得ると思うのは、昨今普及が進んでいるドライブレコーダーのように、いつも数十秒ぶんの記録をどんどん上書きし続けていて、衝突の衝撃など何かきっかけを受けて、新規記録を一旦停止するとともに、直前の記録にファイナライズをかけているのではないかという仮説である【730】
 例えば『飛んでくるボールを受ける』という動作を経験し記憶している私にとって、目前の現実として本当にボールが飛んできたとして、その映像をリアルタイムで私の脳内記憶ストックと整合させる作業が進行しているはずである。そしてその正否が判定されながら記憶されているはずである。
 これが『意識的動作』であり、本人固有の情報ストックに呼応して起こる『意識』なる現象の正体なのではないだろうか。『ジブン』なのではないだろうか。結構なんだかなあ的な感は漂うが。

 話が飛んで申し訳ないのだが、動画サイトでカマキリがスズメバチと格闘して、両方のカマと遂には頭部まで喰い切られてしまう一部始終を見たのである。
 カマキリといえば、後ろ四本脚を四角錐のように四方に踏ん張って、上体を垂直に立てファイティングポーズで構える定番の姿勢が思い浮かぶのだが、驚いたのは、カマと頭を落とされて枝一本のようになった上体を尚も立て、やはりそこから下のファイティングポーズは生きて変わらないことである。
 更には上体まで失い四本脚と羽根から後ろだけになったカマキリが、その姿でスズメバチに喰いつかれて普通に大暴れで抵抗する画像も見た。このケースでも頭部を失って残った身体部分は『やる気満々』で明らかに抵抗しており、もはや食い物を見て捕まえて食うことが不可能になっている以上は長くは持たないのだろうが、それでも逆にそれまでは健常時と何ら変わらない反応で動き回るのではないかと想像される。
 身体構造を大規模に欠損した昆虫がすぐに完全に絶命して動きを止めることはないだろうとは思っていたけれど、ここまで目的性を感じさせる稼働力を残しているとは思わなかった。驚きである。

 昆虫には脳らしきものが見当たらず、『神経節』と呼ばれる通信索の集積部がところどころ見られるだけなのだという【770】
 僅かな空気の揺れを感知して逃げるとか【608】、死闘して捕食するとか、ある機能的な一連の動作の具体的なアクションが、全て反射動作として神経節の各々に分配ローカル設置で完結しており、例えばカマキリの頭なんかは視覚映像と噛みついて摂食するだけの機能デバイスとして備わっているのではないだろうか。
 昆虫の複眼なんか、見る限りせいぜいフォトダイオードが密集しているような構造だろうから、まああれだけ殆ど360度全方位に向けられた一面の無数の画素のうち、迫り来る対象物の陰で黒塗りされる画素エリアがどんな形状と動きなのか…みたいな光学式の点描で見る視覚映像なんだろうけれど、そういった素朴な現実世界の把握情報に、お決まり定番のツーカー反射動作で応える足やら羽根やらのムーブメント群が組み合わさって虫一匹になっておると。そんなアッセンブリー集結構造が、『地球上で最も成功している動物型生命』だということなのかも知れない。

 人間で言えば、モノが飛んできて思わず目をつぶるような無意識の反射動作の組み合わせが、昆虫たちの動きの全てだということになる。恐らく彼等に『ジブン』は無い。考えないし、遊ばない。
 裏返せば、カマキリのあちこちに結線してUSBケーブルの引き出し線で外付けハードディスクに繋いで、何秒かのインターバル毎に拾えて来た信号をファイル化してやれば、このカマキリは日々過ごした出来事の記録ファイルを蓄積していき『ジブン』を形成し、賢いヤツになったり間抜けなヤツになったり、優しいヤツになったりイケズなヤツになったりしてくるのではないだろうか。まるで『真っ白な心の赤ちゃんが、人生を歩み始める』ように。
 もうちょっと凝った造り込みをして、ドラレコ式の常時録り捨て短期記録機能が加わると、リアルタイムで様々に揺れ動く『気分』や『感情』みたいなものまで生まれてくる…と、こういう順番になりそうだな。普通にニンゲンやってると、まず気分や感情で人生を過ごしつつ、記憶を蓄積していくように感じるけど。

 いや、そこまでSF的な動物実験の想定をせずとも、例えばアリンコの巣があったとして、ある方向にはいつも食い物があり、別のある方向にはいつも殺虫剤が撒かれていたとする。アリたち個々は場当たり反射動作のみで動いている訳だ。
 触角同士の接触通信なのか、あるいはフェロモンなる通信物質の書き置き痕跡なのかはともかく、巣のコロニー全体としては『こっちに行くと食い物がある』『あっちに行くと死ぬ』みたいな記録が残るワケで、これはアリの巣コロニー=組織生命体として、遭遇した現実の記憶を経て『こっちは好きなので行きたいvsあっちは嫌いなので行かない』という好き嫌いの性格に育ったことにならないだろうか。意識は、記憶が形作る。

 前回から続けて何でこんなことを気にしたのかというと、アリもカマキリも人間も、会社も役所も国家も、『組織』であり『生命体』である。だとすると『意識』が宿っていて『生存本能』もあり、その強弱もあるはずだと考えた。その原理は、どのようにして発生するのだろうと思ったのだ。

 …しまった、カマキリの話でこんなに分量を使ってしまった。でも一度はどこかで紹介しておきたいし、紹介するならこれ以上は端折れない気もしているから仕方ないか。今回はこのへんで。
 動画サイトを開くと、私が興味を持って見そうな動画クリップをずらりと並べた待ち画面になるワケだが、こやつ何の判定基準で私にスズメバチとカマキリの格闘を陳列してきたのだろう?
 もしかして、私がこういう思考を巡らす視聴者だと見抜いていたなら、そのプログラムには結構なレベルの『ジブン』がいて、こんな私の人間性へのアプローチ方策を判断しているような気もするのだが。

 緊急事態宣言とやらはなぜ解除するのかもしないのかも不明だし、『ワクチン』のラベルさえ貼ってあれば『効果アリ、税金資本で購入の価値アリ』として酢でも醤油でも注射しようかという勢いの今日この頃である。
 こういうことを『我々社会組織のため』と口先だけ抜かして自滅したがる一部のニンゲンという生物を眺めるに、なるほど昆虫族のカマキリの方が『情報的に高度な作動で、圧倒的に生存確率が高そう』という印象を受けるのは私だけだろうか?

 マトモな日本人の皆さんは、マトモな組織生命体・日本国の生存を賭けて、高度情報的・理知的に生きましょうぜ。たかが人間がでっち上げた組織表において、中枢部機能がどこだと図示されていようが、最後は生存に有効な記憶ファイルに従って、明るく元気に動く生命体が生き残る。ではグッドラック!
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【937】新天地拡がる人生ウラ画面チェンジの操作手順 [ビジネス]

 間もなくステロイド依存体質を自覚し、すぱん!と断薬してから8年4ヵ月となる。
 まだ完全に元通りになれていない訳だが、もう見かけはまるっきり常人なので適宜のお出掛けは自由だし、動くのが辛い程の苦痛や倦怠感と戦うことからも解放された。これだけかけて、ここまで来た。

 さすがは私、『球体式戦略思考術<1>』【381】で仮説を立てた通りであり、離脱過程の核心は身体の深部に達してきているようだ。そもそも危険なのでやめろと言われる完全断薬に踏み切り、そのままヤク断ちをこれだけ長期に続けている事例は殆ど見かけないのだが、それでも『この人やめたのかな~』と見受けられる情報においては、例外なく『最後はいつ、どう終わったのかよく判らない』とされている。
 実にその通りと思われ、今の私も自分のどこがどうなっているのか自己診断モニターがいかれてしまっていて詳細不明だ。絶好調も絶不調も、いわゆる酔っ払いのシラフ自己申告みたいなものだろうから、もう少し自己観察してから振り返って分析しないと意味が無い。よし、とにかく先を急ごう。

 やはり身体の深部ででも離脱が進んでいる以上、新調され代謝された結果の廃棄物が体表面まで透過・貫通して上がってくるためと思われるが、特に夜になると肌が粉を吹いて痒みが急速に強まる。
 もう酷い荒れも傷口も無くなっているがやはり大変に煩わしく、なるほど知識が無ければこの段階でつい何かクスリに頼ってしまい、だから知らず知らずに薬物依存に足を踏み入れてしまうんだろうな。別にステロイド離脱でなくとも、何か体内でまとまった代謝があるとこの症状が出るんではないかなあ。御注意を、そしてお大事に。

 そのまま根性で我慢していても失敗しかしないだろうし、ついつい引掻いてしまってせっかく改善中なのに再悪化させかねないから手を打ちたいところだが、実はなかなかの特効薬がある。
 寝てしまうのだ。本当に睡眠にまで落ちる必要は無い。

 交感神経優位と副交感神経優位の交代によるものだと思うのだが、痒い時には寝床で目を閉じてしまうとキホンこの痒みは収まる。
 私のケースでは、昨年いっぱい=満8年あたりまでは、小さいながらも首や顔廻りに点在する傷がチリッ!…カリカリッ…!と感電するような尖った痒みを発してしまい、安静モードでなかなか落ち着けず、これは時に引搔きながらひたすら耐えるしかなかった。つらさを引きずる時期が長く続いたものだが、それを抜け切るとこうして寝て抑え込める段階がやってくる。今しんどい思いをしている方、頑張ってください。

 さて、こんなことを繰り返していて不思議な事実に気が付いたのである。
 例えば私は『空が青いから地下鉄で鍾乳洞へ行こう』という台詞に始まる理性大崩壊のトンデモ夢ワールドについて紹介しているが【692】【693】、この夢の内容を、今こうして起きて作文している状態から思い出そうとしても、なかなか上手く思い出せない。
 だが、痒み抑制のためエイヤと寝にかかると、痒みが退いていくとともに、これまで夢に見た内容を辿ろうとする試みに応えて、次々と夢の記憶が蘇ってくるのである。
 夢の記憶は入眠時を狙って思い出しにかかるのが、圧倒的に報われるのだ。夢の中の空間世界を地図に描き起こしたり、印象的と感じた夢の景色を絵画にしたいと思う方は【700】、ぜひお試しを。

 私という人間の身体ハードウェアがひとつあって、起きている時と寝ている時で、二系統の人格プログラムでそれぞれにブートされているのではないだろうか。『人間とは便利なもので、脳みそは寝ている間に勝手に考えてくれている』とする数学者先生の教え【629】の本質はこれではないだろうか。だからこそ、多重人格症のような不思議な不具合モードも起こり得るのではないだろうか。
 快調の時の私は能天気バタンキュー族の典型らしく、雑魚寝なんかすると寝つきの悪さに悩んでいる連中からは、呆れられながらも大層羨ましがられたものだ。ものの数秒も持たず、次の一息がもう寝息になっている勢いなのだという。
 ということは、これまたこんな境遇にでもならなければ、私はこの事実に一生気付けなかった。確かに快調に生きている人間に、いちいちこんなことを知覚するメリットは無い。

 『空が青いから地下鉄で鍾乳洞に行こう』の一件では、夢とは『覚醒時に遭遇した事実の記憶ファイルをランダムに拾ってひとまとめにし、一方的にそれがストーリー因果の理屈でつながっていると決めつけるだけ』【693】と推察しているが、コレかなりイイ線を突いている感じである。
 生物は、起きて動き回って偶然に遭遇した出来事を記憶する。一度食糧の獲得に成功したなら再びそれを試す方が生存率が上がるし、一度危機回避できたなら同じ想定で危険予知した方が生存率が上がる。
 睡眠時のブートプログラムは、現実に遭遇して記憶した映像や音声の断片ファイルを拾い上げ、ストレージ機能部にデフラグをかけながら保管するとともに、レビュー中にそれらをデタラメに結びつけては、まるで筋の通ったストーリーであるかのような心象をまとわせ夢にする。こういうことではないだろうか。
 そんな『筋が通っている』という仮説信念的な心象の一連情報群が、現実世界の森羅万象・物理法則と偶然うまく嚙み合った時、それが実体験の検証を経て『知恵』『文明』『理論』のような、この世で一般性をもって通用する理性情報体系となる。そう考えられはしまいか。
 プレゼのトレーナーなど人材の能力開発の仕事で『思い込みの壁』を超える手助けをする体験は何度もしているが【601】【652】、その理由こそ我々人間に、いや恐らくは生物全てに宿る『筋道でっちあげの仮説作成機能』なのではないかと思う。なるほどしっかりしたヤツが苦労しがちなはずだよ、やれやれ。

 だとすると、まず五感を通して得た記憶ファイルがあり、それをランダム連結しては現実世界でのトライアルに回すところまでで、我々人間が『意識』と呼んでいるものの基本構造は叶うのではなかろうか。
 断片ファイルのランダム連結を見ては、『筋が通っている』と思い込むような傾向を持つ者が生命の歴史の中で生き残ってきた。自分の目前の現実を、その筋道に沿ったトライアルで押し通して意図通りを見出せたなら、それは嬉しいコト楽しいコトとして検知され、一連の結果がまた記憶ファイルに残る。
 覚醒時に遭遇した現実を記憶して、それをランダムに拾い、試行する。これだけ揃えて件数と回数を積んでスクロールしまくれば、そいつは『意識』を持つに値する振舞いを見せる可能性はあると思う。
 つまり『意識』の実体化には大容量ストレージがかなり決定的に寄与しており、だから記憶デバイス=大脳を発達させた動物にどうやらそれっぽい特性が強く顕れるのであり、だとすると現存コンピューターの記憶機能をもって『人格』の再現は可能なのであり【509】、そのデータとしての保存や転送の可能性まで見えてくる【559】
 私は8年4ヵ月かけて身体ハードウェアを新調し、新しい方にデータお引越しで『意識』をアップロードしているだけなのではないか。そして人工知能”Tay”はツイッターから莫大な数の単語を拾い、作文という創意作業をトライして、アクセス数で自己評価しながら一定の傾向の情報処理パターンを構築し、我々人類が『人種差別』と評する意識を生み出していたのかも知れない。アレ殺しちゃったんだっけ?【434】

 うわー、あっちもこっちも袋小路の堂々巡り感ばかり漂うので、たまには違った方向からアプローチする道でも考えてみよう、このままじゃ私の残りの人生の時間が足りなさ過ぎる…と、久し振りに脳科学系のトピックをやったら分量の加減がはずれまくってしまった。こんなとこで切るつもりなかったのに。
 まあいいや、今回はここまで。人間が日常を生きていて、そっくりそのままの自分自身を模した漫画キャラクター型意識クンが『やる気』を出したり失くしたりして人間の稼働が決まるのではない。日常生活そのままにテーマや登場人物だけ入れ換えて、『夢』という仮想現実ショーを観ているのでもない。

 まだまだ我々は深く注視しない先入観に引きずられたまま、人間の生体稼働というものを勘違いし過ぎているのではないかと思う。
 うまく行かない世の中だけれど、あっと驚く冗談みたいな改善代が真横に拡がっていたりしたら愉快なんだけどねえ。ハイ今夜は良い夢を。ではグッドラック!
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【936】駄々っ子へのプレゼントは保証書なしの時限爆弾 [ビジネス]

 つけこまれちゃったよな、決めにかからないから。五輪のワクチンの件だ。
 どことも事前調整なしの頭越しグローバル宣言で行かれちまったんだって?
 ここの読者層の質の高さに当て込んで、まずは直球の現状解釈から始めますか。

 この期に及んで、日本国は五輪中止の決心も、その意向も表明していない。
 本来の国際スポーツ祭典としてのクォリティを保った開催は早々に不可能であることが自明だったから、要は『中止になられると困る』という本来目的ではない、しかもよこしまな都合が、異常な強権として日本国内ではたらいて、だから中止を決める張本人になれる人間もいなかった。誰でも判るよ。
 この手の『中止できない都合』がおおっぴらに公言して通るモノであるはずもないがゆえ、『もともと2020年を目指してきた選手たちの成果機会喪失』その他もろもろ、大義名分に使えそうな口実アイテムを片っ端から隠れ蓑にして、中止の決断をできないしないで避け続けて今がある。
 まあ国際スポーツ祭典にしては参加してくる国が少なすぎて実質的には中止相当にしかなりようがないんだが、それでも世界中が目を点にして呆れる中『コロナ禍でこんなに見劣りする内容だけど、予定通りの国際スポーツ祭典なんだいっ』と一方的に言い放ってケツをまくるつもりの奴等がまだぽろぽろいる。だから中止を決められない。

 そう、悪いのはコロナ。
 万人が幸せになるはずの五輪が、コロナでコケただけ。コロナさえ無ければ。

…と、そんな浅はかな筋書きにふたマス先からパシッと桂馬を打たれた感じだな。

 コロナが悪いんなら、ウチからワクチン提供するじゃん。
 日本人に限っては大した感染事情でもないようだけど、海外からヒトを入れて五輪大会やりたいんだろ?
 ワクチン提供して判断任すから、お宅んちで国内外交えて自責で打てば良い。
 ウチのワクチンを疑う連中も多いけど、そんなこと言ってる場合でもないはずだ。あっちから何千万、こっちから何億を引張ってくるなんてナウ夢中で吹聴してるんだろ、全部税金資本の国務にすることを前提にして。おあつらえ向きでしょうが。
 この国際危機下の五輪を控えたお宅らに、解決の決定打を提供するってんだ。
 世界を前に中止せずに来て、お宅んちの独断で今さらNO GOの理屈は無かろうよ。

 こんな感じだろうかね。
 日本国の要求値として大陸ワクチン接種を強要するのなら、特に欧米諸国からの来訪希望者は大幅に減少すると思われる。『日本は大会を強引に開催するため、信頼性が十分な安心をもって納得されていない医療処置を、人体実験ばりに他国民に強要した』という、いかにも非人道的なネガティブ印象が残ることになる。
 大会準備の異常なコスト高騰や、その後の運営方針のすったもんだは、国際スポーツ祭典であるがゆえ世界各国の一般大衆に広く報じられているはずだから、日本という国における人権意識の不穏なカネ絡みの不透明さが意識されるようになれば、以前のような海外からの多くの渡航観光客はもう期待できない。

 では頑なに大陸ワクチンを否定したらどうなるかというと、『切羽詰まった国際大会に対する大国の開催支援申し出を、ロクな医学的根拠も無く拒絶した』と、これまた非科学的・非文明的な評判をひっかぶるなりゆきが待っている。
 新型コロナの危険性が高く、少々のリスクを負ってでもナニガシか手が打ちたくて仕方ない他国でさえ、国政としても庶民感情としても、大陸ワクチンは安心して自分の身体に投与できるものとしてなかなか受け容れられていない。
 だがこの日本国では、それこそ自然のなりゆき任せで手間もコストもかけず復調を期待することさえ現実的には叶うのに、わざわざにありもしない危機意識を煽り立てて、国民の税金でワクチンを買い込もうとする国政ばかりが目に付くのである。

 まさか日本国がここまで五輪大会の強行開催にしがみつくとも読んでなかったのだろうが、とにかく強行するっていうんなら、そりゃあ不人気な大陸ワクチンの大ラッキーな活用先として国際デモンストレーションで売り込むのが当然だろう。実効力が正直どうあれ、結果不問で『国際大会の現実的な支援策を率先した』という事実実績の方は確実に刈り取れる。
 これを日本国が拒否るには、何よりも『大陸ワクチンNG』の医学的な客観根拠が必要だ。でもその役目を担うのは、せいぜい黒縁ミイラや立て看板ノーベル賞あたりにしかならないってことだろ?
 つまり日本国は、国際社会の公衆の面前にて、正当な根拠を理解されながら大陸ワクチンを断れない。見透かされちゃったね。

 古電球に便所タワシ以下、たかがフヌケと無能とあほの巣窟たる自爆テロ非国民犯罪者政権を寄り切りさえすれば、1億2千万人日本国組織の外交政策が決まったことになるとなれば、当然ここは狙いどころである。

…と行き詰ったまま長文論述をフェードアウトさせるのもナンなので結論まで出すが、まず大陸ワクチンの導入は断らねばならない。日本国の理不尽さ・いい加減さは目立つが、ホントにその通りなんだし観念するしかない。
 大陸ワクチンでない欧米ワクチンでさえ、大騒ぎして現時点いくつ本当に日本に到着しているのかはともかく、いま日本国内で散々にダブついているはず。副作用はキホン避けられないから、今後も五月雨式に報告事例が上がって来て、ダブついたワクチンはますます掃けが悪くなって、そのまま廃棄処分を迎える結末が決定的である。
 仮に大陸ワクチンがタダだったとしても、後始末が一筋縄で行かないような得体の知れない医療廃棄物を増やすようなことは許されない。どんな医療も粗末にはできない。

 今夏は海外来訪者を一切締め出すところまでは公言しているから、あとは大会競技参加の選手やチームまで失う覚悟を決めて『五輪看板の国体特別回』とする諦めまでつければよろしい。
 これでようやく『今夏の大会で大陸ワクチンは不要です』、その一言が成立する。

 今夏だとまだ、海外渡航者を迎え入れるとその層でコロナ感染が拡がってしまい、やたら面倒な事態を引き起こす危険が残るから、とにかくシャットダウンの処置は正しい。逆にここまで決まったのだから、今夏およびそれ以降の日本社会の作業負担は徹底して最小限に留め、できるだけ活力を温存して一刻も早い反転攻勢を狙う方の作戦を固める必要がある。
 国際的な視点で見る日本国のすがたの体裁として、1億2千万人が信じ合い、協力し合って、国事を建設的・発展的に進められているか。全員で考え直す時期だと思う。
 内弁慶でどんなに威張り散らし箱庭の中で横車を押し切っても、そんな内情を外から観察される国家同士のお付き合いでは、ひ弱な個体同士がドングリの背比べで内乱する弱小カモ国家に過ぎないのだ。

 孔子・孟子の教えや儒教思想など日本史を立派に支えてきた社会運営コンセプトには、大陸や半島起源のものが案外と多い。
 広大な地続きの大地に莫大な人数が生まれ落ち、時に血で血を洗う争いの歴史を重ね、人間なる生物が社会組織を成して平和に暮らすための方法論が、長い長い時間をかけて構築された。こんな厳し過ぎる大陸の競争環境では、いったん構築はされたものの、なかなか安定して続いて定着させることができなかったその理想像が、偶然に孤立した豊かな日本列島においてのみ奇跡的に永続したのではないだろうか【404】

 現代に到って、今更こんなところで我等が日本国が大陸に『うまく転がされてしまう』のは、日本列島が大陸から分離形成される以前にまで時間を巻き戻して、極東の人類史が試行錯誤を経て作り上げてきた社会組織文明の、あまりに愚かで恩知らずな放棄だと思うのである。
 我々日本人は、日本列島をもっと大切に信じて守るべきだ。ではグッドラック!
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【935】10年目の危機離脱シンフォニー [ビジネス]

 3.11東日本大震災、あれから10年が経ったのか。早いものである。
 先週末のNHKスペシャル『津波避難~何が生死を分けたのか』という番組で、津波に襲われた町の住民の避難行動について調査し、CGを交えて解説していたのが非常に興味深い内容だった。

 かつて経験のないレベルだけに、今さっき大地震という現象に見舞われたのかどうなのかからあやふやで、恐る恐る周囲の景色を観察しながら屋外に出て来て呆然とする人が多かった光景に見受けた。地震のような突発性の不意討ち災害においては、大勢が危機回避をしようとしてパニック現象を起こすとか、何かを求めてグレース現象を起こすとかではなく【907】【908】、そうなる手前、大衆が我を取り戻して何か行動の動機を起こそうと思うまでのフェーズに時間がかかるんだろうな。
 突然の出来事に目を回した組織生命体が正気に戻るにあたり、逃げ出すとか生活必需品をまとめるとか、次の行動に身をさばけるような物理的条件の空間がたまたまあって、それで意図通り本当にさばける現実がついてきた時、事故も起こさず大勢が被災対応の行動を開始できる。

 NHKスペシャルの事例では、次なる『津波の来襲』にいち早く意識が向いた少数の住民たちから、近隣に聞こえるよう大声でその旨を伝えて回ったのだという。その声を聞いた他の住民たちはその情報を自発的に拡散リピートし、結局その町内一帯は津波を被ったにも関わらず、千数百人いて8割が避難を済ませていたのこと。
 気象災害などは比較的リードタイムがある場合も多いのだが、避難対象者に対して『マスメディアなどで通知するまでは叶うが、それを受け取った人間が実際の避難行動になかなか腰を上げない』という問題が常につきまとう。『相手が個人対個人として自分の人格を特定して来ていない通信に対して、受信者はなかなか素直・真面目に反応できない』という面倒な『人格フラグ検知フィルター』が人間にはあり、これが数ある防災システムの重大なネックポイントになっていると私は考えている。

 テレワークだオンライン会議だという時代になって、例えばディスプレイの向こうで友達が『そこに居たら危ないよ、これこれこういう場所にお逃げなさい』と言ってくれたとして、確かにテレビやラジオの緊急避難喚起の速報よりは効くはずだ。だが世のオンライン会議通信網に一斉避難情報の通知システムを介入させて、会議中にテレビと同じような緊急避難速報テロップが画面に割り込んできたとして、友達の声と同等の反応率があるとは思えない。
 げに人間というのは、意識や直感というのは、人の心というのは、何事にも等しく率直になれない厄介なものなのである。上記ふたつの境界はどこにあるのだろう?

 3.11東日本大震災の津波の話に戻って、いち早く迫る危険を意識して大衆の避難行動を先導する人々を指して『率先避難者』という言葉を使っていた。早期に動き出したがゆえ現状認識に基づいて落ち着いた判断ができたこともあってか、最初の避難所がまだ十分な標高ではないとして、更に高い所を目指して声を掛け合い、住民たちは移動していったのだという。
 当時の避難者へのインタビューを聞いていて『ここを離れてもっと高い所へ!と誘導する声が、その時はすとん!と入ってきた』という発言が印象深い。
 決して老若男女の全員に津波の危険性の認識があり、各々の避難所の安全性の本質的な違いまで理解されていたとは思えない。ちょいと表現がアレだが面白いことに、面と向かって筋道立てて話しかけられた訳でもないのに、途中の面倒なプロセスを一気にかっ飛ばして実感され確信され納得され、実にダイレクトに大勢の避難行動につながっているのである。
 避難住民たちの間に拡がる空気=避難住民の大衆組織の自我が、最初の避難所に漂う不安を共有し、より高い場所にある避難所に到達してようやく安心したのだ。まるで『形態共鳴』を思わせる【482】、その展開がよく伝わってきた話しぶりであった。

 では10年前の震災を離れて、今般の新型コロナ感染について考えてみよう。
 まず医療機関や地元経済の破綻を避けるべく自治体毎の事情に即した社会稼働の行政操作が重要であることを、再度繰り返しておく。その判断を軽んじる意図にはくれぐれも繋げないでいただきたい。

 いま新規感染者数が下げ止まりだの何だの耳にするのだが、ではいくつになったら『もう十分に下げ切った』と判定し次の行動に移るのだろうか。地域にもよるが、歓楽街の時短営業がなかなか徹底せず、特に街ナカの人出がじわじわ増えてきているのは、地元の大衆の心=その地の組織の自我が身に迫る危険を肌で感じていないからであろう。
 言ってしまえば、日本国内ではワクチン接種なんぞまだ全然に普及していなくて、でもそれで変異種とやらで今さら日本人がバッタバッタと重症化して命を落とし始めているのでもなく、下げ止まったかどうかはともかく、それでもうここまで新規感染者数の推移は下がったんだよ、自然な傾向として。それが現実だ。
 既に結構な量のワクチンがあちこちダブついてるんだろうし、どうせ掃けないし、新規購入なんか即刻打ち止めにして様子を見るのが普通の…というか必然の感覚だろう。

 ほんっと、つくづく専門家だの分科会だのってナンなんだよ?
 時短営業の事業者さんたちにもっとカネ配れだと?何の専門なんだオマエら?

 日本社会の自我は、不正で遊んでばかりの国政崩壊・日本円経済崩壊の危機の方の実感を固め始めており、本来なら国家組織の運営を預かるたったひとつの立場にある国政スタッフ業域を、もうシカトで見放しにかかっている。
 反省する気もなければ、真面目にやる気も起きないみたいだしな。このままだと、いずれ国民は国家組織を維持するための負荷分担に協力しなくなるだろう。
 時短営業にしても自宅待機にしても、いざ1億2千万人大衆がその気で絶縁を決心し、自爆テロ非国民犯罪者政権に三下り半を叩きつけて断罪祭りの共鳴発動に乗り出したら、もう誰も手を付けられない。

 新型コロナ・ウィルスの凶悪変異種や第4波なんかより、現時点ありもしないその架空のリスクを殊更に吹聴して、日本経済復調・財務健全化の現実課題から遠ざかろうとする世論操作の方がよっぽど危険だ。

 『パーッと行こうと万札をばら撒く町会長さんに目を付けられると嫌がらせされて怖いので、周囲のみんなが逃げ始めるまでは黙っておこぼれに与っときます』なんてお互い牽制し合っていたら、会社からお店から、孫子の代まで全員で心中ですぞ。
 失うまで解らない幸福なら失って学べば良いけれど、後悔の支払額は負からない。どうか御予算の範囲内に収まりますよう、ではグッドラック!
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【934】ババ引きチキンレースの1億2千万席アリーナ [ビジネス]

 いま時点で五輪大会の開催を現実視している人が世界中に何人いるだろう?
 あのシンボルマークの看板を貼り付けて正式な五輪だと主張することは、現場の標準作業として可能は可能だが、いくら一部の人間の都合で主張だけしてみても、国際社会組織の自我がそれを認めなければオシマイである。

 今さら言ってもしょうがないんだが、元々が丸ごと中止するか、規模縮小など手を尽くして、どうにかやれたとして2年延期にして来年の夏にしかなり得ないのは判っていたワケで【837】、単にそれを国際社会に向けて自分の口で言い切る責任感のあるヤツがどこにもいなかっただけ…という、何ともお粗末な理由によりこの現状がある。
 今夏、世界大会としての開催形態はもう世界中の選手たちの境遇からして不可能であり、ローカル大会にしても観客およびメディア動員に国際色は顕れようがないし、第一コロナ感染の被害度が日本に比べて遥かに深刻な他国においては、自国社会の建て直しに手一杯で五輪どころではなかろう。

 何しろ従来確認されていないウィルスに起因する感染症なので、不用意な油断で侮る訳には行かないのだけれど、それにしても億単位人数の母集団が見せる現状の傾向からして、この日本国ではインフルエンザなど馴染みのある感染症と同じケタで被害や対策の規模を捉えて良さそうな幸運がある。
 早々に日本国内の社会稼働をほぼほぼ元通りのペースにまで持ち直させてそれを宣言し、他国の感染事情に日本から合わせに行く形で五輪大会の善後策を主導していけたし、そうすべきであった。
 やれ大会開催の決定権がどこそこの誰それにあるとかないとかの問題ではない。
 新型コロナ感染症の被害が最も軽微で、つまり臨機応変に物事を切り回す活力を残しており、それがたまたま国際マターのホスト地を引き受けている日本国であるとならば、本来率先して万事を落ち着け、グローバルなイベントマネジメント能力を世に示す展開を選ぶのが、賢い外交戦略というものだろう。

 前々からのことではあるが、特にここ最近の日本国政で気になるのは尽々『責任を取らない』姿勢への徹底ぶり・執着ぶりである。何だかんだで昔は集中砲火を浴び、追い込まれて逃げ切れなくなって、時に『なんで私が…』と天を呪い恨み言を呟きながらも、観念して『責任をひっかぶって失脚する』パターンが多かった。だが昨今は違う。

 例えば世襲のガキは国会の応酬で幼稚な激情の勢いに任せて、場当たり反論のためだけの真っ赤なウソに口を滑らせ、のちの真相追及で完全に虚偽答弁の事実関係まで暴かれているのに、政権ぐるみ組織ぐるみでそれを頑として認めず、遂には人を殺してまで隠蔽工作を続けシラを切り通した。その隠蔽工作も、もうコトの経緯顛末の記録の存在まで明らかなのに、今なお遺族の声を聞こえぬふりで全てがとぼけられたままである。
 何かの拍子にリーダーポストに就いて、調子の良い間は散々に人気者を気取り高圧的・支配的に幅を利かせる一方、ちょっとしくじると逃げるために言い訳にもならないようなウソ八百で蓋をして、場を凍り付かせたまま延々と風化を待つだけの戦法が常套手段になってしまったのだ。ここに『何かの拍子にでもリーダーポストに座っちゃったんだから、これが自分の運命なのだ』という覚悟は無い。

 日本国民の暮らす一般社会の生活現場では、容疑者否認のまま行政処分が下されるケースもそれなりの件数発生しているはずだが、こと国家運営のスタッフ業域での出来事となると全く話が違い、我々下民層からは上級国民擁護の特別措置とも映る『容疑者否認=見逃し放置』が定番となっている。

 民主主義法治国家の完成されたプロセスとして『全員が揺るぎない物証で確信できる判決が得られない限り、その供述をウソとは決めつけないし、よって罰しない』という理屈を徹底するのは、ある意味立派に見えるっちゃ立派に見えるが、だからって大嘘つきの虚偽答弁まで真実と等価扱いにしてしまっては、社会組織が下すべき措置が永遠に決まらなくなる。
 現状、日本社会の最大の問題は、自爆テロ非国民犯罪者政権の仲間ウチにまんまと取り入った上級国民は、政権一体で結託する『特別な組織力』により、どんなに逸脱した反社会的行為もやり散らかしで法的措置にかからないというところにある。
 例の学術会議なんか良い例だが、あからさまな違法行為でさえ、法治国家としての措置検討にグズって手を付けないという機能不全まで起こしているのは御存知の通りだ。

 昭和の時代だったら『ああ、あんとき税金で花見やってたネコババ野郎か。てめえなんぞに100万出されても、ウチにゃ向こう百年一滴も売る酒はねえよ』みたいな、『お互いさまお陰さまで持ち合う世間さまを裏切った、不心得者への断罪』の社会通念は普通にあった。
 個人が社会生活を送るにあたっては、法的措置よりこっちの方が遥かに重く厳しいと思われ、だからこそその後もこの日本社会の一角で暮らしていくつもりの限りは、公衆の面前で引責の節目をつけておかないと、カタチだけでも人並を自称してマトモに生きていけなかったんではなかろうか。

 かつてなら誰も疑問なく当然の因果応報として普及していた、そんな規律違反に対する社会組織からの風当たりが、いわゆる『ゆとり教育』の時代から異質の読解をされるようになったと思う。
 日常生活での社会的断罪を個人スケールで執行すると、『人を傷つける心無い前時代型のイジメ行為』みたいな解釈の方が、社会道徳=大衆の心のあるべき姿として声高に叫ばれるようになってきたのである。これは確かに、人命に関わるような重罪を犯してからの更生を不当に難しくしない配慮なんかとしては、あながち的外れではないのだが…
 戦後復興から高度経済成長を我先にと争い、温厚な共存意識が疎かになっていた当時の日本国は『見境なく優しい=イイ加減に甘くヌルい日本社会』を嬉しいコト楽しいコトと勘違いしたのだ。

 要はオオヤケの立場にいてどれだけ大衆の心を卑しく裏切っても、そのポストを降りれば、人畜無害の顔を付けて平然と暮らせる日本社会になってしまったのである。
 これが日本社会に生きる成年社会人一般の規律マインドを大きく損ね、その結果、日本人は『組織の民』にありながら自国社会の組織運営を他人事としてしか意識できない、無道徳で仲間甲斐の無い精神文化の『烏合の衆』に変質したのではないだろうか。

 上級国民がいい気になって、大衆の心との約束事を勝手な解釈で悪用し、大衆が日々生きる経済力を無断で好き放題に使い捨てていて、そこを天災に襲われて苦境に陥ったんだろ?
 いま1億2千万人日本国民にとって、上級国民は同じ組織に暮らす仲間ではない。

 最後に余談。元五輪がらみの某・卓球選手ののハナシだ。くだらないったらない。
 いかにもの若い人のヨタ話なんだし、いい大人の成人社会人は取り合いなさんな。
 どこまでホントなのかはともかく、『なんで今頃こんなスキャンダルが?』と聞えよがしに大騒ぎするのは、スポーツ界ナンタラ協会のドンだとか、烏合マスコミだとか、焦点ずらし・世論攪乱の目的がある政権ウチワの連中だけにやらせておいて間違いは無いと思うよ。

 よりにもよって、コロナ被害が一番小さくて、大会主催の実質責任が一番重大な我国だけなんだよな、実効コロナ対策にも、五輪大会の運営判断にも、一向にマジメになれない国ってのはさ。
 特に首都圏の皆さん、本当に大変だと思うけれど、着実に反撃準備に徹しながら生き抜きましょう。引き続き、御幸運を!
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【933】テクノロジー恩知らずの罪状空気感 [ビジネス]

 現時点で日本国に到着しちまってる新型コロナのワクチンがあったなら、もうまとめて開封前に他国に譲るべきである。どうせ本当にいくつかあるんだとして、この日本国内では殆ど誰も積極的には打とうとしないから、思いっきり行先を失ってダブついていることと思われる。
 そもそも不活性ウィルスを培養床で増産するなど要は生体系の薬剤だから、キホンどんなに厳重に温度管理をしたところで、たいした消費期限のモノではない。おまけにものの見事の心配的中で、冷凍保存設備のトラブルによる多数規模の品質棄損事故まで起こしており、このぶんを他国で必要とする人々に接種できていたら、どんなに良かったことだろう…みたいなコトにもなっている。国際レベルの迷惑失政である。
 宇宙戦艦ヤマトが波動エンジンを起動するにあたっては、全世界がヤマトにエネルギーを送ってくれたものだ。世界共通の脅威に対して、地球人類は助け合い力を合わせて課題に立ち向かう常識を知らんのか。

 税金資本でのワクチン買い付け件数ばかり狂ったように便所タワシが口頭だけ積み上げて吹聴し、どこまで現物が本当に来るのか知らないが、どうにか現物が届いたら届いたで、あとは各自治体に丸投げして地域在住の日本国民に遅滞なく打って回れと。そんないい加減な放言が、医療政策として実効機能するワケねえだろが。
 せめてまず『どうしてもワクチンが必要です、無いと生きていけません』とする国民の声の実数をちゃんと数えてからのハナシだろ、どあほ。
 これ、全国自治体の首長以下、日本国民の生活現場の側に立つ人たちには、もう余計な損害を積み足させないよう、便所タワシを突き詰めて黙らせなければならない。

 本来、地元毎のコロナ感染および経済ダメージ事情に即した独自判断を、知事階層で機動性高く切り回しながら処置すべき事態なのであり、そんな日本社会の組織構成の実態に対応した意思決定の業務プロセスが現存しないところに問題の本質がある。
 1億2千万人日本国民=日本国組織の自我が、いま他ならぬ現状日本国の現物を見てそれを実感として確信している以上、『法律により、全国一律を対象とした決定権が国政にある』みたいなハナシは、あったとして所詮は過去に法律条文として書き落とされただけの一時性の日本語情報に過ぎない。修正すべき文章、実質それだけのことである。
 日本社会の自我が自然に求め、自然に問題意識を抱き、自然に流れに従い、自然にそっちに向かうのは、『各自治体の首長主導による現場ダイレクトの行政コンセプト』の方針であろう。

 前時代式チカラ関係を今なお箱庭ウチワ世界で頷き合って、そこの少数都合の決め事が神通力をもって『下民どもが仕方なくにでも従うべき天上の指令』として日本社会に通用するものと勘違いしている奴等が、まだしつこく生き残って…いや死に損なっている。
 このところ顕著に、1億2千万人日本国民の総意から『日本社会の政治』が意図的に別世界にされ、いいように1億2千万人日本国民がこの自爆テロ非国民犯罪者政権のカネ儲けや遊びゴトに利用されていた姿が露わになってきているので、おいおい相応の反応が返ってくるとは思うけれど。

 いいだろうか。結局のところ組織全体の行動は、大衆の心=組織の自我に従う。
 法律に従うのではない。法律なんぞ『組織の自我としてこうしよう』という日本語情報を、一定のプロセスで書き記した文章に過ぎない。法治国家とはそんなものだ。
 小細工をして、大衆の心に反する内容を法律文言に仕込み、その法律を根拠に私利私欲の横車を押したりすると、いずれその小細工を仕掛けた犯人に、組織の自我が処分を下す結末となる。古今東西、人類の歴史が例外なく繰り返してきた展開である。

 おっとっと、半端な分量になりおったなあ。似たようなハナシばかり続いているので、久し振りに携帯電話でも話題にしてみるかな。
 長らく愛用してきたガラケーを私は今も使っているワケだが【20】、今もってこれしかなかったが故に、本格的に物事が行き詰って困った経験はただの一度も無い。つまり十分にこれで足りている。
 だが今のバッテリーパックに死なれたら、新品を代替で買うことはできなさそうだ。

 世襲のガキの頃から引き続いて古電球も、携帯料金の値下げを断続的に口走っては、通信業界の各社が様子見い見いでお互い牽制し合いながら、一応値下げになると言えなくもないような料金プランを五月雨式に提示して並べ、お流れになっていたように思う。すべからく短時間の通話とSMSだけで生きているユーザーにとっては、ロクな興味もないもんで、いい加減な認識ですまん。

 ちょくちょく『オマエ一体いつになったらスマホに換えるんだよ?』の勧誘広告が届くのだけれど、どお~もその気になれないんだよなあ。大体ガラケーであろうがスマホであろうが、相手と会話する以上にいちいち手に取ってしみじみ向き合うような時間がほとんど無いもんだから、裏返せばこのレベルの通信以上の機能は私にとって全て無駄になってしまう。
 手元に届く広告を見る限り、単純な一般ユースの値下げ…と見せかけて(?)実は最小限の実用領域を割り込み、結局は使ってみたら上乗せ料金が嵩みそうな、限定条件だらけのヤツと、5Gなる激ムダ大容量化のアッチの世界のヤツ…の選択肢が二大潮流になっているような気もするのだが、とにかく現状日本の携帯電話は後者、意味なしオーバースペックの高額プランが目立つと思う。昔『ガラパゴス』ってあんなに騒いだのに。
 う~ん、私ももう50代の中間地点を過ぎたし、ここはひとつ高齢者向けシルバー契約みたいなやつを考えた方が現実的なのかなあ。

 そもそも凝った動画や音声のコンテンツがあったとして、たかがスマホ画面の視野とイヤフォン音声なんだから、通信の情報密度をどれだけ上げようが五感で得る満足度はそこで頭打ちのはずである。
 ならば今どき我々世代から見れば、あり得ないほど驚愕のくっそ重いファイルを保存するとか、そういうことをする作業時間が短くなるだとか、実質メリットはその程度のものだろう。たぶん。

 そこら一般にある家電なんかに目を移してみて御覧なさい。これだけ電子制御の技術が向上したのに、空調の設定温度が0.1度刻みになることもなければ、タイマーの設定時刻が秒刻みになることもない。ユーザーニーズの常識的な分解能まで満たした後の技術力の向上は、小型軽量化や価格引き下げの方に活かされるのが一般的であり正常な方向性なのである。
 携帯料金論争の煽動操作が持ち上がるたび、各国の携帯料金を横並び比較するサラリーマン痴呆漫談には枚挙に暇がなくなるのだが、本来こういった人間工学的なニーズ限界や社会的な技術背景まで含めた解説がまずあって、更に携帯通信ユースのお国事情まできっちり社会学・情報学的な視点で吟味されて初めて、日本国民が聞こうと思う話のネタになるのではなかろうか。

 特に5Gなんぞ、大容量化に伴うコスト高騰を口実にして税金資本を介入させることにより、『社会通信網の国営化』という大陸追随式の中央管理体制を布こうとする悪政が懸念される【817】
 こんなものユーザー不在のまま企画のうちに倒すのが正解である。むしろ携帯料金のみならず、消費税率の5%以下への引き下げが経済立て直しの必須課題だろうがよ。

 う~ん、マンネリ論調を脱却しようとしたら中途半端な内容になってしまった。
 まあいいや、ともあれ新型コロナの感染事情の移り変わりとともに、日本社会の大衆意識に動きが出て来ますように。
 旧態依然を正し、自然な流れに適応して生き残りましょうぜ、では御幸運を!
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