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【935】10年目の危機離脱シンフォニー [ビジネス]

 3.11東日本大震災、あれから10年が経ったのか。早いものである。
 先週末のNHKスペシャル『津波避難~何が生死を分けたのか』という番組で、津波に襲われた町の住民の避難行動について調査し、CGを交えて解説していたのが非常に興味深い内容だった。

 かつて経験のないレベルだけに、今さっき大地震という現象に見舞われたのかどうなのかからあやふやで、恐る恐る周囲の景色を観察しながら屋外に出て来て呆然とする人が多かった光景に見受けた。地震のような突発性の不意討ち災害においては、大勢が危機回避をしようとしてパニック現象を起こすとか、何かを求めてグレース現象を起こすとかではなく【907】【908】、そうなる手前、大衆が我を取り戻して何か行動の動機を起こそうと思うまでのフェーズに時間がかかるんだろうな。
 突然の出来事に目を回した組織生命体が正気に戻るにあたり、逃げ出すとか生活必需品をまとめるとか、次の行動に身をさばけるような物理的条件の空間がたまたまあって、それで意図通り本当にさばける現実がついてきた時、事故も起こさず大勢が被災対応の行動を開始できる。

 NHKスペシャルの事例では、次なる『津波の来襲』にいち早く意識が向いた少数の住民たちから、近隣に聞こえるよう大声でその旨を伝えて回ったのだという。その声を聞いた他の住民たちはその情報を自発的に拡散リピートし、結局その町内一帯は津波を被ったにも関わらず、千数百人いて8割が避難を済ませていたのこと。
 気象災害などは比較的リードタイムがある場合も多いのだが、避難対象者に対して『マスメディアなどで通知するまでは叶うが、それを受け取った人間が実際の避難行動になかなか腰を上げない』という問題が常につきまとう。『相手が個人対個人として自分の人格を特定して来ていない通信に対して、受信者はなかなか素直・真面目に反応できない』という面倒な『人格フラグ検知フィルター』が人間にはあり、これが数ある防災システムの重大なネックポイントになっていると私は考えている。

 テレワークだオンライン会議だという時代になって、例えばディスプレイの向こうで友達が『そこに居たら危ないよ、これこれこういう場所にお逃げなさい』と言ってくれたとして、確かにテレビやラジオの緊急避難喚起の速報よりは効くはずだ。だが世のオンライン会議通信網に一斉避難情報の通知システムを介入させて、会議中にテレビと同じような緊急避難速報テロップが画面に割り込んできたとして、友達の声と同等の反応率があるとは思えない。
 げに人間というのは、意識や直感というのは、人の心というのは、何事にも等しく率直になれない厄介なものなのである。上記ふたつの境界はどこにあるのだろう?

 3.11東日本大震災の津波の話に戻って、いち早く迫る危険を意識して大衆の避難行動を先導する人々を指して『率先避難者』という言葉を使っていた。早期に動き出したがゆえ現状認識に基づいて落ち着いた判断ができたこともあってか、最初の避難所がまだ十分な標高ではないとして、更に高い所を目指して声を掛け合い、住民たちは移動していったのだという。
 当時の避難者へのインタビューを聞いていて『ここを離れてもっと高い所へ!と誘導する声が、その時はすとん!と入ってきた』という発言が印象深い。
 決して老若男女の全員に津波の危険性の認識があり、各々の避難所の安全性の本質的な違いまで理解されていたとは思えない。ちょいと表現がアレだが面白いことに、面と向かって筋道立てて話しかけられた訳でもないのに、途中の面倒なプロセスを一気にかっ飛ばして実感され確信され納得され、実にダイレクトに大勢の避難行動につながっているのである。
 避難住民たちの間に拡がる空気=避難住民の大衆組織の自我が、最初の避難所に漂う不安を共有し、より高い場所にある避難所に到達してようやく安心したのだ。まるで『形態共鳴』を思わせる【482】、その展開がよく伝わってきた話しぶりであった。

 では10年前の震災を離れて、今般の新型コロナ感染について考えてみよう。
 まず医療機関や地元経済の破綻を避けるべく自治体毎の事情に即した社会稼働の行政操作が重要であることを、再度繰り返しておく。その判断を軽んじる意図にはくれぐれも繋げないでいただきたい。

 いま新規感染者数が下げ止まりだの何だの耳にするのだが、ではいくつになったら『もう十分に下げ切った』と判定し次の行動に移るのだろうか。地域にもよるが、歓楽街の時短営業がなかなか徹底せず、特に街ナカの人出がじわじわ増えてきているのは、地元の大衆の心=その地の組織の自我が身に迫る危険を肌で感じていないからであろう。
 言ってしまえば、日本国内ではワクチン接種なんぞまだ全然に普及していなくて、でもそれで変異種とやらで今さら日本人がバッタバッタと重症化して命を落とし始めているのでもなく、下げ止まったかどうかはともかく、それでもうここまで新規感染者数の推移は下がったんだよ、自然な傾向として。それが現実だ。
 既に結構な量のワクチンがあちこちダブついてるんだろうし、どうせ掃けないし、新規購入なんか即刻打ち止めにして様子を見るのが普通の…というか必然の感覚だろう。

 ほんっと、つくづく専門家だの分科会だのってナンなんだよ?
 時短営業の事業者さんたちにもっとカネ配れだと?何の専門なんだオマエら?

 日本社会の自我は、不正で遊んでばかりの国政崩壊・日本円経済崩壊の危機の方の実感を固め始めており、本来なら国家組織の運営を預かるたったひとつの立場にある国政スタッフ業域を、もうシカトで見放しにかかっている。
 反省する気もなければ、真面目にやる気も起きないみたいだしな。このままだと、いずれ国民は国家組織を維持するための負荷分担に協力しなくなるだろう。
 時短営業にしても自宅待機にしても、いざ1億2千万人大衆がその気で絶縁を決心し、自爆テロ非国民犯罪者政権に三下り半を叩きつけて断罪祭りの共鳴発動に乗り出したら、もう誰も手を付けられない。

 新型コロナ・ウィルスの凶悪変異種や第4波なんかより、現時点ありもしないその架空のリスクを殊更に吹聴して、日本経済復調・財務健全化の現実課題から遠ざかろうとする世論操作の方がよっぽど危険だ。

 『パーッと行こうと万札をばら撒く町会長さんに目を付けられると嫌がらせされて怖いので、周囲のみんなが逃げ始めるまでは黙っておこぼれに与っときます』なんてお互い牽制し合っていたら、会社からお店から、孫子の代まで全員で心中ですぞ。
 失うまで解らない幸福なら失って学べば良いけれど、後悔の支払額は負からない。どうか御予算の範囲内に収まりますよう、ではグッドラック!
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