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【891】『日本史を守る会』より早期退場勧告 [ビジネス]

 う~ん、予想はしてたけど、ひと月待たずに完全崩壊か。ここまで無能とは…
 まあ取り巻き連中も肌で感じてはいたんだろうけど、見事にやっちまったねえ。

 アレからコレから、ナニからナニまで、『失敗しかしない』ポクちゃんリーダーXの世襲のガキだったが、周りはもうどんだけ壊れて歩くたびギイギイ軋もうが、しゃべるたび耳から焦げ臭い煙が上がろうが、それこそ寿命が尽きて動かなくなったら背中にモップの柄を通してくくりつけ、死体をムリヤリ立たせてでも一番ピエロの座に据え置いて使い倒したかったんだよ。
 あんなのでも一応、古電球に比べりゃ『いた』という存在感が懐かしいもんな。

 いま日本には内閣総理大臣がいない。『国政』なるものの姿がぽっかり無に帰して、誰々が国をどう運営していこうとしているのか、薄らぼんやりとでも見えている日本国民は一人もいないと思う。
 取り急ぎ作動がフリーズせずに反応することを最優先して、オウム返しに多少でも色付けた音声操作カーナビ程度の簡単な会話AIを用意し、トトロか何かを3Dデータに起こして連動させてやれば、今より遥かに国内外に向けて存在感を発信する『ニッポン内閣総理大臣・実効版』が実現する。

 まあ古電球以下の実に全数、そもそも政治家としての人格も意志も思考も無い前時代式・欲トク双六競争のコマが群れただけの集団だから、どこにどいつがどんな役目で収まってるのか曖昧になってしまった途端、当然双六ボード上で大きいサイコロの目を恵んでくれそうな影の実力者(?)の指令のままに、ありとあらゆる捨て身の下民制圧プログラムを我先にと実行してくる。
 プログラムを仕込んで放つ方としては、あからさまにボロ過ぎて次々と国民に摘発され、百にひとつも当たらないのは承知の上だが、使い捨て前提で歩留まりも気にせず乱れ撃ちすれば、幾つかは手が回る前に強行突破できるはず。現実的な狙いはそんなところだと思う。

 あーあ、だから言わんこっちゃない、使い物になりもしない古電球が早々から致命的なヘタ打つのは確定的だったんだから、与党連は社会の空気の風向きに素直に従って解散決めとけば、こんなグダグダの自爆でオウンゴールの失点重ねることもなかったのに…
 無駄に数だけ群れて一体どんだけアタマ悪いんだ、つい同情しちまうじゃねえかよ。

 ところで大事なハナシだと思うので、前回の話題の続きを。
 日本社会の良識文化として運用してきた効率的『必要十分』な明文化基準が、この迷惑な劣化版・自爆テロ非国民犯罪者政権によって『文字に書かれていなければ、どんな好き勝手な解釈もできる』という壊し方をされてしまうと、法律から個人契約まで、あらゆる日本語の書面が本来機能を失うのだ。
 具体的には、あり得ない『あほの曲解』を無限に予想して、死ぬほどどうでもいい禁止事項をずらりと列挙せねばならない。それをいくつ並べようが、文字に書き落としていないコトについては、それを理由にいつ組織風土犯罪者が破壊工作を仕掛けてくるかわかったものではない。
 そして実際仕掛けられたら、組織が健全性を保つため誠実な対応に徹すれば徹するほど、クソほど手間とコストをかけて何の生産性も無い内部損失の論争に組織力を費やさねばならないのだ。ようやく落ち着けたその後には、再発防止のため、またひとつくっだらない禁止事項の記載が追加されることになる。
 こうなってしまったら、せっかく社会的な取り決めとしての日本語情報が整理されたはずの文書なのに、その大半が読んで理解するに値しない無意味な文字列で占められてしまう。いずれは本当に必要な大事な内容事項まで巻き添えにして、丸ごと『情報』でなくなってしまうのだ。知的財産としての価値は、普通に読んで誰もが自然に理解して、実用的に使えるからこそのものであることを忘れてはならない。

 漠然とした人間の内的な意識世界を『法律』『規約』『契約』など条文の情報形式で具現化し、社会組織を成す人々の間で共有し維持運用していくにあたって、『日本語』こそ日本人が暮らす日本社会に無くてはならない『日本の心』としての文明である。
 その『日本の心』が設定した『任命』の定義を歪めて壊す犯罪行為は、『日本語を介して日本社会を切り盛りしてきた日本人の理性』を否定する、我等が日本国への敵対的挑発であり、こんなものビタ一文でも認めたら、どこに何を決めようが安心できない、文字通りの『無法の社会』が到来する。
 我々日本国民は、この地で日本語を交わしつつ日本国という国家組織体として歴史を重ねたいのであれば、この劣化版・自爆テロ非国民犯罪者政権を根こそぎ炙り出して残らず消去する必要がある。

 因みにだが、ここで発信者と受信者が日本語を交わして取り決めをした、その共有の事実を『唯一性のある現品現物で残す』ために押印の文化が開発され定着したのは言うまでもない。
 単純に『ハンコをなくす』という引き算操作は、取り決めをしたその時その場では押印の作業プロセスがなくなったぶん僅かに省力・省工数のメリットがあるのだろうが、文面だけ残ってもその情報を交わした人間の特定ができなくなれば、通信記録として何の意味も成さなくなる。これはデメリットの一言では済まされず、全てが場当たりのやり散らかしで放置されては日本社会が破滅して文字通りオシマイだ。
 いま古電球や便所タワシあたりがドサクサ紛れに押し切ろうとしている押印廃止の動きには、『支配階級がやっちまったコトには反論せず従うもんだ』と過去の追跡調査の手段を物理的に抹消する魂胆が明らかであり、我々日本国民は一丸となって徹底阻止し廃止に追い込むべきものだと断言する。

 多種多様な人種・文化が移住・移動しながら交錯を繰り返してきた欧米では、社会の常識的な備品として印鑑を普及させることも叶わないし、身ひとつの本人がおのれの記憶とともに自身の個性としての筆跡を残すサインの方が定着したのであろう。それはそれでひとつの考え方であり、日本式の印鑑とは一長一短として対照させ、適宜に参考にするべきものなのだと思う。

 まあいいや、最初のとっかかりとして『学術会議』とやらの直近3~5年間の議事録を全て公開させるところから始めるのが良いと思う。まずどんな議事録が残っているのか、イチ国民として確認したい。
 その会議の運営責任者が『そこに残された記載内容にて的確である』と押印しているはずであり、仮に押印を廃止してサインになっていたならそれはそれで構わないが、いずれにせよ運営責任者は1億2千万人日本国組織の自我がその妥当性を信用して納得するまで対応し切ることになる。だからこそ押印やめてサインでも良いんだよな。

 あらら、イマイチ切れが悪いが分量の都合で今回はこのへんで。
 橋下政権以降の大阪府市政において、そりゃ役所仕事の定型業務としての押印プロセスが職員たちに面倒がられた例はたくさんあるんだろうが、要職ポストの誰かの発言が『言った、言わない』『答えろ、答えない』のボロい押し引きになったことがあったろうか。
 この国政の惨状および、大阪府市政が維新政権以前の昔のままだったら今頃は…の想像まで含めて、このたび大阪都構想の住民投票に向き合う姿勢を、日本人全員で考える局面に来ているのだと思う。
 政治はアナログだデジタルだなどという情報形式の問題事象ではなく、組織を動かす人間の質=人格の信頼度と能力の問題なのだ。では引き続き、グッドラック!
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