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【878】情報ゴージャス生活のオンライン満足度カタログ [ビジネス]

 まだあっつい暑いので続きを。日本の第一次産業回帰を試せるかという話だ。
 経済学的・情報学的に、割と真面目な裏付けがあるつもりの思い付きなのである。

 今春以降、何かにつけオンライン化が促進されたは良いが、何となく『これってホントにリアル事象に置き換わり切って解決してるんだっけ?後から種明かしで致命的なツケ払いが来て途方に暮れたりはしないんだっけ?』的な雲と組み合うような不安な空転感に苛まれる毎日が続いている。
 もう何年も前の元々から『いちいち職場に人が集結して、わざわざやってることってナンなのだろう』という視点の効率向上意識はあり、そのうち一定数が、実は業務処理にあたっての会話や会議ぐらいしかないんじゃなかろうかという結論に達して、その気のあるところはテレワークの実用トライアルを始めていた。
 職場という空間は、つまるところ組織員同士の情報伝達の場であって、そりゃ一緒にいる・いないで良いコト悪いコト列挙していけばキリはないけれど、作業プロセスの進捗が成立するだけの情報処理さえ叶うなら検討開始はそれで必要十分、これを強行し他を合わせ込むコンセプトで業務改革をやって勝ち目はあるはず。この理屈は確かにその通りであり、だからこそ少なくとも現時点では、それなりに成功例も散見されるということなのだろう。

 白状してしまうと、どの業域・業態・作業項目に対して、何をもって業務オンライン化・テレワーク推進をやって良いのかの適用要件は、私自身さっぱり方法論化できていない。
 一応オンラインでもリアル対面でも等価に作用するモノといえば、真っ先に『情報』というキーワードが思い当たる。音声でも画像でも、言語でも静止画・動画でも構わない、通信機器を介して受け取った人間たちに狙いの反応動作が起こせるなら、その業務フェーズはオンライン化OKのはずである。みんなイマイチ心もとないのは、仕事を始めとする普段の日常生活モロモロにおいて、書面や会話でさらっと交わして深く考えもせずヨシとしている情報以外に、潜在的な深さでの通信や無形の記録がバカにならないレベルで効いてそうな雰囲気が強すぎるってことなのだろう。

 いざこんなことにでもならなければ現状踏襲で続いていたものを、こんなことになってしまったので結構なリスクや不都合には目をつぶって、エイヤとトライアル強行から入るより他なかった。で、一旦やっちまったら、とりあえずテレワーク化を織り込んだ作業で勤務時間が埋まってはしまったものの、決してそれで従来相当の業務が自然に流れる訳でもなくギクシャクするし、その当面緊急導入のテレワークで片付かない積み置きがどんどん溜まるばかりだし…
 飲食・宿泊関連などいきなり営業活動そのものが阻害されている業域でなくとも、このあたりが皆さんあるあるヤバヤバの実情なのではないかと察する。

 ならばコロナ騒ぎの動向に目を光らせ、いち早く以前のまんまにすかさず戻すのかというと、やはりオンラインで節約できる交通費と移動のための拘束時間の凄さは魅力的過ぎるのだ。通勤も出張も、蓋を開けてみれば全て膨大なムダ習慣だった…と結論付けるのはちょっと違うんだろうけれど、今般のコロナ騒ぎのビフォーvsアフターで交通費支出の費用対効果に関しては、間違いなく判定基準がドラスティックに変わるんだろうなあ。移動時空間好きとしては心穏やかでなかったりして。

 ポイントとなるのは、『必然リアル』なのではなかろうか。
 現物現場のリアルでなければ無いも同然。リアルでこそなけなしの価値があるモノ、リアルでないとマジどうしようもないモノ、他ではガチに代用が効かないモノって何だろう?

 これがまあ、おのれを生かす衣食住だというのが前回のハナシなのだが、思い出してみれば高度経済成長期の子供時代、『モノを買う』という行為はかなり特別なイベントであった。
 恐らくどの家庭も日々の食事の支度で商店街や市場に買い出しに行くのがせいぜい【104】、我々子供はいま手元にある物品を徹底的に使い倒し、そこらへんに落ちている物体を道具に転用し、まさに原始人テイストの人類文明起源っぷりで生活時間を過ごしていたものである。楽しかったんだけどさ。
 そんな大都会のど真ん中での暮らしって、直接の自給でどうしても手に入らない食材を、必要にかられてカネ流通を交えて調達する暮らしだったのだ【246】
 カネ経済の素朴な原理が日本全国の家庭生活を支えていたのであり、外食なんぞ世界の外側の『あってはならない非日常的な理不尽』の出来事であった。

 カネとはつまり、社会での流通価値をナニガシか金額に換算して、その金額相当に作用するものと情報化しただけの紙切れと金属片である【38】
 これで済んでいるうちは、人間が生きて暮らすための必然リアル生活アイテムの総量に、キホン国内市場の日本円総額が釣り合って出回って、流通していたワケだ。だが必然リアル生活アイテムを直接生産する第一次産業から、第二次以降の産業領域のボリュームが増すにつれ、その増分としての生産力に釣り合わせる形で、日本社会に日本円が追加投入されていった。
 この第二次以降の産業の生産品は煮ても焼いても食えないから、そこの従事者はまずカネ=価値情報としての収穫を刈り取って、経済市場の仕組みを通して第一次産業の生産品を買って来て、煮て食うことになっていたと。ここまではまあよかった。
 
 だが所詮『カネは情報でしかない』ため、遂には何と釣り合わせるでもなく、どこで採算を合致させるでもなく、思いつくままの無節操に社会に放つことができてしまう。
 だからこんな感染症の流行で社会組織が丸ごと動けなくなっている真最中なのに、議員・公務員のボーナス支給だとか、世間一般の遊興旅費のバラ撒き政策だとか、明らかに勘定の合わない国家政策が横行するような日本国になってしまったのだ。
 人間の経済社会を『必然リアルを忘れたカネ事象主体の情報あそび』にした結果の、この日本経済の体たらくがあるのだから、この機会に日本列島の生来生産力をできるだけ『情報あそび』から引き離して必然リアルの第一次産業に回帰させれば、何か良いコトありそうな未来のきっかけが見えてくるんじゃないか。そう思ったのである。

 で、『情報あそび』でやらかした後始末は『情報あそび』で埋めるんだよ。
 そう、カジノIRだ。これはこれで面白い知恵の使いどころがわんさか待ってるぞ。

 田舎に住むと、あっちからこっちから、何だかしらいっぱいモノもらうんだよな。友好的で善良な人間でいることさえ心掛ければ、カネなんか大して無くても意外と行けるんじゃないだろうか。そういう必然リアル基軸の感覚を、日本国内に社会的規模で起こせないかと思った。
 この先を生き抜くなら、今般喰らってやられた流儀とは違えた方向性で生存空間を探す。一応、常套コンセプトだと思うので御一考を。では引き続き、グッドラック!
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