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【876】大事な想い出と重大な不始末の処置プラン [ビジネス]

 今年も終戦記念日を迎えた。昭和20(1945)年から数えて75年も経つのか。
 あと数年で戦中生まれの年齢が日本人の平均寿命に到達する。『ここまで調べ上げて記録を残したんだから、もう十分な節目でしょ』なんてことには決してならない訳だが、それでも大東亜戦争の日本国の記憶はギリのギリ、できる限りの目いっぱいまで浚えておくべきなのだ。『正しい情報』として。

 誤解を恐れずに述べるなら、私は犠牲が出てしまった結果事象を指して『失敗』『過ち』とは判定しない人間である。避けられない犠牲というのは必ず存在するものだと思っている。
 個人も組織も、まず生きていて遭遇する現実は、全て新規性のある初体験と私は腹を括っているのだ。痛い目を見た辛い記憶があったとして、初回には無かった『痛い目を見てまで見知っている』という先入観をもって次の現実に立ち向かわねばならない。新たな対局モードとして作用するだけ、だから賢くなっておかねばならない。

 先に少々バチあたりな(?)横道をやっておくなら、我々世代は親やセン公の世代から、結構な頻度で『所詮オマエらは戦争を知らないから』とデカい顔をされて辟易している。どんな形ででも、やはり戦争というのは辛く厳しい体験として、問答無用で我々認識しているので、特に子供の年齢では漠然と理不尽な思いをしながらも、その時点で言い返す言葉を失ったものだ。同年代の皆さんあるあるだろう。
 だが私は成長し知識を重ねるにつれ考えを変え、他人を説得する筋道にちょっと行き詰まるたんび、水戸黄門の印籠代わりに軽々しくこんな言い草を被せてくるような連中は、逆に一発黙らせてやらないとためにならないと思うようになった。
 『戦争体験がタイヘンだったことは理解する。だが今はそれを根拠に持ち出すような会話ではない。戦争体験は重要だが未来永劫にわたる人類万能の知見でもないし、よもや自己鍛錬の目的をもってアナタから進んで戦争に身を投じ、その逆境に堪え抜いたものでもないだろう』
 まあ調子に乗ってイイ大人が物事きちんと筋を通さずに済まそうとするような場面では、結構ガツンと鼻っ柱をへし折ってやるのに有効な説諭である。あ、戦争体験が人類として貴重な記憶であることは間違いないので、濫用や悪用はしないように。

 産業革命により、大衆を一斉に手なずけ得る先進文明の利器がいち早くこの世に出現したことをもって、欧米列強が競って世界中を自国の統治下に収めようと競う国際世相が広まった。そしてそこで、まず収められる側でなく収める側でいるために、近代産業を輸入し模倣し独自に急発達させる必要があった。収める側グループのお尻の先にでもどうにかしがみついたなら、今度は近隣の極東諸国を従えて、独自の一大勢力圏を確立する必要があった。
 人権の概念の完成度がまだまだ低かった時代、欧米列強の傘下に収まるということは、日本国組織の国家単位としての主体性・独自性が失われ、どこか他国に支配され利用される立場に甘んじることを意味する。当時の日本国はこれをよしとせず、普通めにはどう見ても貧弱だったはずの国力を振り絞って結集し、見かけカマかけまで総動員し、その国際的効力を盛り盛りに膨らます工夫をして、生き残りをかけ欧米列強に対抗したのである。

 この『国力結集』という至上目的に対して、まるで夢物語のような架空の大本営ポジティブ情報を日本社会に暴走させ、それで盛れて効果まで実際刈り取れたぶんまでは良かったが、特に大戦末期には、率直な敗色の現状把握と冷徹な判断から逃避する方向性のデメリットが圧倒的となっていった【458】

 私の子供時代あの偉そうだった大人たちは、今日チマタに放たれる情報が描くバーチャル日本社会を毎日見聞きしながら、いま自分らが戦時中に喰らったどんな勇ましい苦労話に自慢げに涙しているのだろうか。戦争は体験者毎に様々な視点から語られるものだとは思うが、単に自身の個人的記憶の御苦労カウント得点数で博識を主張するようなメンタリティは百害あって一利なし。黙ってもらって結構である。

 さてこのあたりから本題に戻ってくるのだけれど、御存知の通り大東亜戦争は甚大な多数の犠牲者を出して、日本国の無条件降伏で幕を下ろした。日本人個々人も、その過半数が成す日本国組織の自我も、『これでは勝てない。降伏するしかない』と決心したから、そうなったのだ。

 何故そんな決心をしたかというと、『とても勝ち目が無い』と他ならぬ自分自身の本心が認識するだけの情報を受信し納得したためである。何もなければ勝ちを求めていつまでも戦い続ける。
 ナニガシか情報が流れ、それを受信し、真実として理解し、『勝てないので負けよう』と観念し納得して、初めて日本国の無条件降伏による終戦が現実のものとなった。このプロセスを忘れてはならない。

 どんな情報をどこから受信したのかは人それぞれだろうが、当時の記録をいま見る限り、かなりあれこれと複数多数の回路があったようだ。
 御贔屓さま方の相当数の反感を買うことまで覚悟で述べるなら、私は、東京大空襲も広島・長崎の原爆も、連合国が『戦争を終わらせるためにやった』とする理屈には一理あると認めている。事前に空襲を予告するビラが撒かれている事実などもあり、彼等に無駄に余計な犠牲者を出さない配慮は、それなりにはあったと思われる。
 戦争被災者御本人の苦痛や無念は他人には計り知れないものゆえ、仕方なかったなどとはゆめゆめ言えないが、そんな数々の被災の事実なくして、いつ日本国は無条件降伏を決心できたろうか。

 個々人の理解力や認識が幅広くばらつく大規模組織において、『結局のところ現実を喰らわないと、実感をもって現状認識できないケース』というのは意外と多い。
 被害を未然に回避しようとして、必死に自組織内に情報発信し周知を図ったところで、それが過半数に響かず無駄な内部損失となるばかりなら、エイヤと一蓮托生に腹を括って現実との衝突に向き合う方が最適解。世の中そんなものだと思う。そこに必ず犠牲は出るし、必要なことなのである。

 組織レベルで起こった後の出来事に『失敗』『過ち』のレッテルを貼り、上手くやれば避けられたはずだが、それをできなかった誰それが悪い…みたいな論法で、謝罪行為での処置をいじりまわすコンセプトには全く賛同できない。
 『上手くやれば』というのなら、事前にどんな情報発信をして、何人の受信者がどれだけそれを発信意図通りに理解し、各々どんな行動を採れば上手くいったというのだ。現実には絶対にあり得ない仮想のタラレバ論理の、永久に答の出ないムダ議論である。

 そんな日本国組織が当時を意思決定して進んだ先に、我々が生きる今の日本がある。
 戦没者の方々には果てしない感謝あるのみ、ビタ一文の失礼があってはならない。
 だが広島と長崎の原爆式典の挨拶文が、あろうことかコピペ共用の使い回しだった。
 私は現代に生きる一人の日本国民として、どうしても許す気になれない。
 お盆だし烈火を抑え込んで、今回はこれにて。
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