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【874】経済効果一本勝負、稼げるサブカルvs稼げないサブカル [ビジネス]

 今日8月9日は長崎の原爆記念日である。広島は訪れたことがあるが、長崎はまだ一度も見たことが無く、いつか行ってみたい。
 同じ原爆だが、ウランを用いた広島『リトルボーイ』とプルトニウムを用いた長崎『ファットマン』の違いがあり、また犠牲者数に代表される被爆被害の規模にかなり差があるためか、出回っている情報量として長崎の方が随分と控え目な感じである。何か特別な真相でもあるのだろうか?

 さて、日本の組織は効率が悪いハナシにちょっと戻る。つい自分個人や自組織の本来目的がお留守になりがちな反面、自然発生するウチワ寄合意識のダラダラ申し合わせに引きずられて、意味のない無駄なママゴト式の立ち回りばかりに執心してしまうというアレだ。

 先に、いきなりの予言…は言い過ぎか、推測でいいや、そこから始めてみよう。
 数年後、今を振り返って『コロナ・バブル』なる新語が普及しているのではないか。

 昭和終焉~平成初期の元祖バブル期にカネ循環ループの消費面を暴走させ、行きつくところまで行きついた結果、一旦は『その時代の常識感覚での破綻に打ちひしがれた』日本経済であった。
 これをもって日本国の主幹産業力のメイン・エンジンは停止し、二度と火が入ることなく遊休設備のまま老朽化の一途を辿って今がある。その周辺で、止まった国力のメンテがてら再始動の可能性を軽く探ろうとしたり、使える部位だけ切り出して他に転用しようとする試みはちょくちょくあったが、現れては消え現れては消えで結局それらもひとつとしてモノにならなかった。
 高度経済成長期、憧れだった舶来技術に追い付き追い越し、世界中からその先進性と高品質で讃えられるまでに磨き上げられたメイド・イン・ジャパンの生産力は、その挫折感から立ち直れず復活を志す気力も奮い起こせず、自己保存のための動力源の手入れを諦めて放棄してしまったのだと思う。
 そのうちアジア新興国の成長期が訪れ、強力な勤労モチベーションを備えた破格の労働力が世界を席巻し、先進国家間が自由市場を互いに開放し合う基本趣向の、いわゆる資本主義経済の富の辻褄が世界一斉に破綻した。バブル崩壊後の我が日本は、国力としての産業力を再開発しようにも、その土壌となる経済空間から全面的に干上がってしまい、改善の希望がすっかり失われたのである。

 もう20年近く前、『日本は観光立国で行くしか道が無い』という議論を交わした記憶がある。かつての『働きすぎエコノミック・アニマル』の称号を再び手にするには、そもそも質も量も人材不足が絶望的なレベルにまで落ちている一方、当時すでに漫画・アニメ・服飾ティーン文化から”Cool Japan””KAWAII”のようなバーチャル領域の価値概念に、国際イメージとしての日本の国家像が移行しつつあった。
 『国営漫画喫茶』の超絶どあほ痴呆プランが懐かしいが、時代がズレていて今じゃなくて本当に良かったと思う。まだ日本社会の『オトナ度』がどうにか間に合っていたんだろうな。
 海外に面白がられてこのサブカル文化領域の認知度も上がって、確かに関連ビジネスで動くカネの額=経済効果も予想外の規模で顕れてきていた時代ではある。だが、だからってこんな一般性の無いもん国家事業でやるとか抜かすなっての。小学生の夏休み企画発想コンテストじゃあるまいし。

 ここで恒例の横道に入り込んでしまうのだけれど、世を生きる人間ひとりとしての独立完結性の自覚にDNAレベルでハンディキャップを負う日本人は、個々人なりの渡世スキルの自己開発モチベーションが根本的に甘いため、ある意味大人げない現実逃避とも言えるバーチャル志向が、いち早く成年層に向かって拡がっていったのではないかと考えている。
 グローバル高度情報化の大波がこの後から世界を覆っていく順番となったため、むしろ現実とかけ離れることを目的とした、現実感の無い日本製バーチャル・コンテンツが一歩先に完成度を上げて待っていたところへ、その受容メンタリティ時空間が急拡大してついてくる形で、とにもかくにも21世紀ニッポン文化がポピュラーになったという因果も見出せるように思う。震源地・日本社会にとっての”Cool Japan”も”KAWAII”も、それらに向けられる海外からの興味の動機に対して、元祖に宿る次元違いの幼さ未熟さを感じてしまうのだ。
 海外の成人社会人は、リアル社会運営を生きる実生活意識で覗きに来る。サブカルチャーつまり副生活としてのバーチャル文化を、面白がって覗きに来る。これを迎える当の日本人は、実はリアル社会運営に早々に行き詰まっていて、こんなものばかりが雑草繁茂の如く充実した結果、なりゆきで海外目線から見て本気モードのレベルにまでなってたんです…みたいな。  
 だからこそ、こんなサブカルを歴史回顧や伝統様式が重んじられる空間に場違いに持ち込んで文化価値を主張したり、いわんや計画的な国家事業として税金資本で取り組むようなものでは無いと思う。

 いかん、また失敗した。横道が長すぎである。
 ともあれ、そんなこんなで飾り気無く働いて腕を磨き、世界中の人々の実生活を支え発展させる物品をこの世の一番に仕立てて自由市場に送り出そうという目的意識が、今世紀に入って日本社会からすっかりと消え失せてしまったのだ。
 かくして、日本国内で何かあるたびに『タイヘンな事態なのだから税金を投じた国家事業で対応しよう』と騒ぐのが国政の定番になってしまっている。
 だが前世紀に衰弱し切ってしまったこの日本国の生産力が抱えているのは、『人間の理性が構築した経済の概念』の範疇では到底あり得ない、人知を超えた莫大な負債だけだ。最初から資金など無く借金しかないのに『税金を投じた国家事業』もナニもあったものではない。
 だがカネは、物理的に刷れば現実の紙切れとして手に入る。目前の、物理的には。

 冒頭の未来経済ワードを再確認しておこう。いずれ『コロナ・バブル』が語られる。

 半ば言いがかり風に集中攻撃になって心苦しいのだが、ここでまた文系の『経済学』なる学術領域が一体ナンの役に立っているのか考えてしまうのだ。
 『資本主義』『共産主義』なんかの基礎概念を、せいぜい高校までに習う範囲で理解した、それ以上のマトモな学術体系を見た記憶があんまり無い。なんでこんなもん、使えもしないのに国公立大学の学部に置いてたりするんだっけ?
 資本主義も共産主義も、今や素のスッピン基礎概念のまま一目瞭然に現実作動している事例が無いのは納得するが、チマタの経済番組やビジネス書で浮いては消える当代流の経済学って、どれも浮世離れした勝手な絵空事コンセプトを『口先語ってるだけ』で、すべからく最初から現実との整合性論議も現実諸問題への適用検討も無策カラッポの、ただの空論遊びにしか見えないと言ったら怒られるだろうか。
 いや偉そうに腹立てるほど人並み以上の知恵があるなら、そして文系・経済学を究める社会層が実在するなら、いいからまず自爆テロ非国民犯罪者政権が『また』1兆何千億負債を積み足すだとかいう閣議決定とやらを、強制停止させられない理由が判らない。何の抵抗もしない性根が理解できない。

 子供たち若者たちには盛大勉強して人生で使える『チカラ』を身に付けて欲しい。
 だが多少マシなガッコ出たとか、見てくれ仰々しいだけの学者の看板ぶら下げたとか、その程度ではリアル生存競争でクズの役にも立たないという事実もよく見憶えておいて欲しい。知識という情報は大切だが、それだけで終わっては、現実に作用するチカラにならない。
 そこまで判って効くチカラまで手に入れて、世のため人のため存在意義のある『学力』なのだ。バカで無能な大人どもの惨めな失敗を見抜いて超えて、直していくんですぞ。では引き続き、御幸運を!
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