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【810】マスコミ培養装置の純粋真実供給プラント [ビジネス]

 さすがに忘年会シーズンは終わったかな。いよいよ年内最後の更新につき、とりあえずにでもお尻が切れ良く収まるように、例によって結論から始めてみよう。

 前回述べた通り、社会における情報流通の構造イメージを変える時期に来ている。
 既に時代に合わなくなっている古い情報流通モデルを捨て、次世代モデルの新構想でアタリを勝ち取ったヤツが生き残る。

 日本社会の若年層にはSNS文化を主とする高速大容量通信がかなりの末端まで普及しつつあり、これに伴ってマス・コミュニケーションの概念は消滅の局面にある。
 誰もが携帯電話を持つようになる一方で街から公衆電話が消えていったのは、単なる通話機能が目的事象であって、携帯電話の利便性が圧倒的優位にあったからだが、今般のコミュニケーション・フェーズの淘汰現象は事情が違う。高度情報化社会の『次を勝ち残る生存要件の有無』こそが運命の分かれ道なのだ。

 それは『情報信頼性』つまり発信者と受信者の間で、情報コンテンツの意味する真実が合致しているという保証である。もう何度も話題にしているから改めての解説は必要あるまい。
 現実に即しており、みんなが正しい見解だと思う情報だけが流通する反面、そう思われなければどこにどう発信しようが宙に消えてオシマイ。法律として主張しようが、実質的に1億2千万人組織には容赦なく無視される。
 『誰それに発言権がある』という表現が死語になった。強いて言えば、『受信して取り合うに値する有用な情報を発信した者にだけ、結果として発言権が付いてくる』時代になったのだ。
 法治国家を守りたければ、法律なる情報の信頼性を、行使する側が進んで保証して通用させねばならない。

 我々昭和世代が社会の授業で習った『高度情報化社会』は、マス・コミュニケーション技術の発達による大衆の一律一斉反応がその本質であった。
 それまで文書情報の物理的移動および肉声の到達範囲が限界だった情報流通経路が、ラジオやテレビなどによる不特定多数向けの定点広域配信という新モードを得たことにより、『情報発信者の人格信頼性が実感できないまま、流された情報をみんなが何となく共有している』という形態に移行した。
 当初は、どこで誰に受信されるのか判らないが故に、どこの誰に対しても恥ずかしくないレベルで常識的な社会性・正当性をかっちり保証する、そんな信頼度の高い情報がマスコミ発信されていたのである。少なくとも、そうでなければならないという建前が社会一般の共通認識となっていた。
 昭和の時代、マスコミ関係者というだけで一目置く風習、素人がマスコミに出るというだけで内から外から準備万端で取り繕う風習があったのは、このあたりに理由があるのだと思っている。だがそこで発信する情報が信頼されなくなった以上、全ては過去の記憶でしかない。

 ここで年末につきくだらない柔らかネタを突込んでおこう。
 『うる星やつら』『めぞん一刻』など連載漫画のヒットで有名な高橋留美子さんが、少年サンデーにデビューした時の単発読切り『勝手なやつら』のエピソード、1978年の作品だ。
 まあ全体の雰囲気は、あの真剣悪人不在・ドタバタ乱痴気騒ぎの賑やかな世界そのままなワケだが、新聞配達員の主人公少年がひょんな行きがかりで宇宙人だと誤解され、新聞で『東京にUFO着陸、これが宇宙人だ!!』と報じられるくだりがある。
 彼は科学技術庁に捕えられ、更には防衛庁長官の策略により体内に超小型核爆弾を埋め込まれるとばっちりまで喰らうのだが、この時の会話がなかなかに興味深い。

 『これも地球人類の平和の為です!!』 『しかしコイツ見れば見るほど人間ソックリだな』
 『新聞に宇宙人と書いてあるからには宇宙人です!!』 『なるほど然り』

 日本国のサイエンス系知的総合力を管理する役所と、国際社会どころか地球外からの侵略に対する危機管理を担う立場になっている役所のトップ同士が、迷わず全宇宙の運命決定役としての重大決断を下しているのだ。
 これはギャグ漫画であり、真顔で分析して是非を論じるべきやりとりではない。だが、マスコミ発信が真実として信頼され、重大行政課題の迅速な意思決定に直結している1シーンとして、頭の隅には置いておきたい。

 『そこにいるだけで嬉しい楽しい組織』においては、財務の現状や市場動向、中長期戦略などが関係者周知されているままに信頼できる判断根拠となり、能力相応に適任と認められた役職ポストがえいと決めたら、みんな全面の信頼を寄せてその結論に従うはずだ。本来、理想的作動が叶ってみんな適切に役割分担しながら活き活きと帰属している組織の運営の実情って、案外のマジでこんな感じになるのではないだろうか?
 例えばあなたが、家族や友人と旅行先で御当地観光スポットを選ぶ時や、外食でメニュー選定をする時などはまさにこんな感じであり、まず嫌な心理的負担の記憶を残すような失敗は無いだろうし、仮に失敗しても挽回のリベンジ機会を前向きに考えているはずである。そう、旅行も外食も行くだけで嬉しいし楽しい。

 例えば夢洲人工島ラボの一角で、『ウソと隠し事が皆無のエリア』を試してみたいのだ。
 そこで発現するありとあらゆる事実が、そこで暮らす人々に確認されるがままに共有情報として、マスメディアにアップされたらどうなるのだろうか。僅かでも公共性アリと居住者本人が認識したら、最新技術によりデスノート方式で記録された情報が【472】、どんどんテレビ放映され街角の電子掲示板に表示されるのである。
 但し、『ここではウソや隠し事をしなくて済む』『何をやっても怒られない罰されない』という解放感と、『何を白状しても必ず許してもらえる』『みんな仲良しなのでウソつきたくない隠したくない』という仲間意識が徹底されている必要があろう。

 この環境下で、人々はスマホから目を離して、スマホより迅速で正直なマスコミ情報の受動受信に時間を割くようになるのだろうか?

 実験エリア内での被験者の精神環境を維持するためホストメンバーであらかじめ何割かを埋めておき、残りにゲスト被験者を迎える方式にする必要はあるんだろうな。どんな人選で、どんな事業のある、どんな生活形態が良さそうか具体案までは考えていないが、思い切り非・日常的な未来生活感はぜひ欲しい。
 あとベーシック・インカムを導入して、自分だけカネをがめてトクした優越感にほくそ笑む…みたいな邪念を元から絶っておかなければならない。

 …あ、完全に失敗しました。もちろん高度情報化社会の進化フェーズの話はこれで終わりではありません。
 例年にないくらい酷い中途半端な切れの悪さだが、悪しからず。皆さま良いお年を~♪
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