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【808】人生起動の合い言葉、『ここはどこ?私は誰?』 [ビジネス]

 もうクリスマスかよ。今年はうんざりするほど早々からジングルベル、ジングルベルが耳についた感じがあんまりしない、それ故に『あれ、もう?』という思いなのだが、何か騒ぎ方のトレンドが変わったのだろうか。

 前回の『忘年会スルー』が反応鋭かったのでもう少し。
 そう、キホン今それやって過ごす生活に、耐えがたい不満を抱えていて今にも逃げ出したいとか、他にどうしても進みたい次の将来ステージを描いているとかでもなければ、一日の時間割24時間が埋まった時点でそれが現実解にハマって確定する。別にスマホ会話に限らずとも、人間の日常生活ってそんなもんでしょうが。
 無駄なモメごとを発生させない程度のコミュニケーションを幾つか手早く取り繕ったら、気心知れた間柄の会話を好きなだけ楽しんで、時には全くの別世界でなりたい自分になり思うまま試したいままに振舞う。手の平に収まる通信デバイスひとつで、次々とこれらの次元を乗り換えながら暮らすのだとすると、確かに時間がいくらあっても足りないだろう。
 これで日常生活ペースが完成されているとして、そこからわざわざに新規対応を発生させるようなイレギュラーな拘束スケジュールを突込まれると、どんな心境になるだろうか。

 まず何よりも『いつもやっていることができなくなる』という引き算で始まり、そこへ大金持ちでもないのに余所行き額のカネ拠出が伴うとなると、『そこまでして一体どんな特別なメリットがあるのか』の判定がシビアになるのは当然だろう。
 それこそ他にやりたいこと・やることがロクすっぽない惰性ポンコツ昭和世代が、徒労感に苛まれながら日々を過ごす職場空間の次元から抜け出せず抜け出さず、そもそものストレス根源たる仕事上の人間関係を引きずったまま、場だけ飲み屋に移して発散方向に形式転換することで『年を忘れる』と題した企画なんか、若者たちに共感の余地など皆無なのではなかろうか。
 この季節、新橋駅前のSL広場でネクタイを鉢巻きにして『オレたちが日本をここまでにしたんだぁ~』みたいにクダまいてる昭和くたびれサラリーマンの姿がテレビに映ってたりするけれど、逃げ出したくても逃げられない、たったひとつのコミュニケーション空間でそんなになるまで自分に負担をかけ、飲み潰れて生存意欲を繋ぎ留めるかのような世界観で絡まれても会話が噛む道理は無いのだ。お前みたいなのが日本をこんなにしちまったんだよ、いいから無事にお家に帰んな。
 並走する多次元空間を生きる若者たちが我々世代との接点に使うのは、専用に設定したコミュニケーション枠ひとつとそこ用の自分でしかない。これは生業を軽視しているだとか、我々世代に対して壁を立てているとかの問題ではなく、そもそも多層多次元フェーズのマルチタスク式で生きる当代流人類のコミュニケーション生態が、世の中の出来事にただ対応すると自然とこうなるだけなのである。

 前回の異常老人の例だが、目的機能別・人生多次元化の概念が理解できず、たったひとつのリアル世界に本心の唯一の自分がいるものと勝手に昭和式モデルを他人の人生観の前提に置き、そこに支配欲というボロい動機に任せて相手の生き甲斐の核心に関わる重大情報を漁ろうとするから、キモいしゲスいのだ。
 唯一リアル世界で、唯一自分をすり減らし切り売りするしか手段を持たなかったオッサン世代は、嫌々の渋々にもこの世代共通一本道に適応する方策を身に付けた。
 その唯一自分が納得いくまで世間を戦って勝ち抜いた結果の実践格闘術ならまだいいが、プライドを捨てた事なかれ主義で調子を合わせるだけのフヌケ言いなり渡世術なんぞ、たった一度の人生の時間を無駄に浪費する以上の意味はどこにもない。
 今の若者たちにとっては並走する多次元人生のほんの一面、調整して最小化してしまえば済むようなもの、オッサン基準の情けないお疲れ人生観に自分勝手な絶対価値を主張して、命懸けレベルにまで重要化して同調してくれったって、そりゃ無理だろうよ。

 ところで、もう軽く5年以上前のことなのだが、いわゆるマネジメント系の自己啓発セミナーで、ちょっとしたゲームおよびその結果を題材にしてのグループワークみたいな形式の催しに首を突込んだ時のことである。
 冒頭にネームプレートが配られ、『今日ここで皆さんが名乗るニックネームを書いて、付けてください』から全てが始まった。
 別にネット通信でやってる訳でもないのに、真ん前相手のリアル対面会話で、他ならぬ自分のニックネームをわざわざに決めて、その第一人称をもって、もちろん盛りも削りもせず普通に自己紹介する感覚には正直面喰らったものである。てっきり後半に何かあっと驚く仕掛けがあってその布石になっているものと思い込んでおり、あれよあれよという間にそのまま終了を迎えて、何の刈り取りも無くネームプレートを回収された時には半ば呆然としてしまった。
 い、い、意味ワカランよ…
 すぐ他人を見下す性格の悪い私は、『自己アイデンティティをマスキングすれば自然な人格で振舞いやすいとでも、どこかの社会心理学で聞き覚えたんだろうな。カタチだけポン付けしてもダメなんだがなあ』などと批判的な解釈で振り返ったりもしたりして。

 …これ、もしかして今の若年世代はネット上もリアルもなく、コミュニケーション空間に応じてそこ用の自分を設定するところから始める社会性起動フォーマットみたいなものを持ってるんじゃなかろうか。そう思うようになったのである。

 あちゃーこの話題、最低もう一回はやんなきゃダメっぽいボリュームになりやがったな。
 まあいいや、こういうことにまず考え及ぶところから『忘年会スルー』への本質的対処は始まるのだ。昭和世代が各自抱えているモノ発散したいモノを5分プレゼにでもして、若年層世代に『自分はコレをぶちまけるから、忘年会においでませ!』と訴えかけてみるがよろしい。
 そんなことをして生きてきたから、日本社会がこんなに無法の経済劣化崩壊国家にまで堕ちぶれたのである。

 腹据えて『今後こうやって直しますので、若い人たち一緒に遊んでください』で締めくくり、それを来年ガチに実行して若年層に信用してもらえたなら、忘年会はともかく多少マシなアカウントで会話を始めてもらえるんじゃねえの?
 年内稼働最終週の起死回生をかけた忘年会チャレンジ、各位の健闘を祈る。
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