SSブログ

【1240】踊るジュラシックパークの最新ステップ [ビジネス]

 第一話の冒頭シーン反復から『東京ブギウギ』の舞台フルコーラスで先週が終了。
 NHK朝ドラに絡んで、またちょっと横道トピックを思い出したので消化しておく。

 ドラマのタイトル『ブギウギ』とは楽曲構造のスタイルを指すコトバであり、音楽やってる人には『中抜き三連符基調で、疾走感フィール気味の曲調』と言えばイメージは固まると思う。
 ワン・ツー・スリー・フォー、スクタ・スクタ・スクタ・スクタ…と進むのが三連符。
 その真ん中を抜くので、スッタ・スッタ・スッタ・スッタ…というリズムになる。因みに、つよぽん先生の『スリー・ツー・ワン・ゼロ!』は実用例を聞いたことがない。

 多くの人が『これはスキップするときのリズムだ』と言われて、ハイハイそうねと合点できるはずだ。厳密にいうと朝ドラ主題歌『ブギウギ』も『東京ブギウギ』も、スキップするには少々速すぎるのだけれど。
 時折うまくスキップできない人を見かけることがあるが、あれは『運動神経』なる謎の素質がイマイチ人並でないとか、そういう問題ではない。自分のこなすべき動作の要件が整理できておらず、手足の何をどう制御するのか決めて実行できていないだけのことである。具体的な解説から始めてしまおう。

 まず片足で立ってみる。ぐらつくようなら何かを手でつかんでも結構だ。
 そのまま立っている片足で『よっ!』とジャンプして着地する。
 『よっ』で飛んで『と』で着地。着地して一旦オシマイで全然構わない。

 誰もが『スキップは連続動作だ』と直感的にイメージしており、それは間違いないのだが、気が早やって『次に滑らかに続く動きとは何なのか』を理解しないままテキトーにデタラメをやってしまうので、現実の物理的動作にスムーズに噛み合わなくなり、連続性が破綻してしまうのだ。
 運動神経云々よりも『苦手意識』だとか『食わず嫌い』の心象が主原因だと思う。

 さて片足ジャンプで着地に成功したら、足を換える。ゆっくりで良い。
 しっかり反対の足で立てたら、また『よっ』で飛んで『と』で着地。
 着地したら、また足を換える。そのうち両手を空けて直立で試して欲しい。

 あとは足を換えるのにかける時間を詰めていけば、感覚がつかめてくると思う。
 足を換えるとき一歩踏み出すようにすれば前進できるようになるだろう。

 よっと・よっと・よっと・よっと…と片足ジャンプが左右交互につながって感じられるようになってくれば、スキップの完成である。ポイントは『落ち着いて左右片側ずつの動作単位を確定し、次に連続させていく順番で取り組む』というところにある【214】

 なお、この動作リズムを楽譜にすると上記の『中抜き三連符』になるという関係にあり、三連符を杓子定規に記譜すると譜面が『3』だらけになってウザいので、音楽やってる人種の間では三連符指定の書き込みを省略した上で『これはハネた感じでお願い!』という言い方で済ます方策が広く流通している。

 ところでこんな話にしても前回の論点でしつこく繰り返すなら、今の時代にマッド博士がいて人間の頭と両足を物理的に切り離し、無線接続にして両足を探査機に乗せ月面まで連れて行ったとすると、まず頭と両足の感覚と制御は人間ひとり相当につながっているのだから『記号接地』状態のはずだ。
 だが頭でジャンプを思い立ってから実際に足が地面を蹴るまで1.3秒、飛び上がった足が着地してからそれを検知するまで1.3秒、これではとてもスキップの練習ができない。

 だが、今度はバラバラ切断前の元通りの人間につなぎ直して、生まれ持っての頭から足まで体内の有線接続回路でスキップの練習をするにしても、発信された情報が受信側に届くまでの経路で、間違いなくゼロでない時間がナニガシか掛かっている現実を忘れてはならない。
 太古の巨大首長竜くんたちは、末端から頭までの所要時間が結構な時間遅れになったというハナシもあるから【1041】、ディプロドクスやブラキオサウルスなんかは生体脳神経通信の速度限界が主要因でスキップできないことになる。生体情報処理の作動速度などその程度のものなのだ。

 やっぱ『記号接地』ってコトバは、言語情報としては存在するけれど、明確な定義が現実になって対応するかというと随分と怪しい。たまたまヒトの神経伝達が時間遅れを感じさせない程度に短いから、これを『接地=仲介プロセス皆無の別格な神秘タッチ』として特別視してるだけなんじゃないのかなあ。
 …あ、しまった!そもそもマッド博士が人間の足だけ月面に連れて行ったとして、現地の引力でスキップしようとしても絶対うまく行かないのか。いや、くだらない横道の連鎖はこのへんでやめておこう。

 予定外にスペースを割いてしまったので、残りを別の小ネタで埋める。
 以前、目をつぶると絵柄としては何だかよく判らない漠然とした明滅感のような視覚受像が感じられると述べたが【1228】、目をつぶって創作でも回想でも構わないので、絵柄も色彩も具体的に完成された視野映像を見ることのできる方はおられるだろうか。
 私はいくら頑張ってもワケわからん明滅感のヤミ世界しか見えず、そこにドラえもんもスヌーピーも、日本の国旗の日の丸さえも、再現カラー画像で見ることができない。

 なのにドラえもんやスヌーピーや日の丸どころか、アリでもカマキリでも蛙でも文鳥でも、ゼロ戦でも、C62でも、戦艦大和でさえも、一目見てその瞬間にそれと判別できるし、あっちからこっちから自在に視点を変えてソラで漫画を描き、それっぽく見える程度の正確さで着色まで可能である。何故だ?
 視覚入力にまつわる情報処理と記録のプロセスって一体どうなってるのだろう?

 夢のシーンには、くっきり青空を背にした白亜の豪邸や、真っ暗な夜空を走る虹色の閃光など、明確な形状と色彩のイメージで刻まれた記憶が確かにある。夢に登場する事物は、どう考えても実在し得ない、出遭って自分の目で見ることなど叶わないモノが少なからずあり、故にそれらは私の記憶ストレージからただ呼び出されただけの過去履歴の画像ではない。
 つまり夢の中では、網膜像をリアルタイム検知しての視野映像に相当する入力が、創作の画像データを作り上げた上で起こっていて、朝起きた時点でそれが記憶に残っているということになる。むしろ過去の実体験の記憶より鮮烈ビジュアルなくらいだ。

 覚醒状態で目をつぶって記憶を辿り、想い出の光景を検索しようとしても、その試みの努力が届かないところに視覚画像ショットあるいは動画クリップ形式の記録ファイルがしまい込まれている。だから自力で再現して見ようとしても見えない。
 いっぽう眼前の現実をまず見て具体的な網膜像が入力されてしまえば、想い出がそれに一致するかどうかの合否判定はできる。想い出の形状や色彩を詳細に特定するデータはちゃんと記録され、保存されているのだ。
 さらには朝ドラが『らんまん』の頃に一度考察している通り、その思い出データの断片群を輪郭だけの無着色の『線図』とも整合して、元の現実がどんなだったかを再現できるんだよな【1170】

 恐らく言語や図式やそれに近いロジカル情報単位として『細長い』『四方に拡がっている』などなどチェックリスト形式の判別プログラムが組まれているであろうことと、もうひとつは『眩しい光』『目の覚めるような赤』を見た時の、視覚入力以外の他の連鎖反応が検索タグになって抱き合わせで記憶されており、今リアルタイムで映っている網膜像に、それらを適用してマルバツ式判定で整合性採点するような演算処理が走っているのではないかと考えている。あああ~わかりにくい文章だなあ。

 子供の頃はインパクトの強い視覚入力があると、目をつぶってもその画像が見えてしまい困ったものだが【54】、のちに大人になるにつれ視覚情報処理のフローチャートが変化したということになる。画像ファイルは重くてストレージ負荷が高すぎるので、ロジカル要点ファイルでの記録に切り換えていくんじゃないのかね。

 30億年生命の歴史で高度情報生物の進化の枝をここまで伸ばしてきた原動力は、体内流通情報のデジタル化と、通信・保存の飽くなき軽量化・高速化志向だったのではないかと思うのである。
 ではスキップで頭も身体もほぐしましょうか。軽やかに速やかにグッドラック!
nice!(13)  コメント(0) 

nice! 13

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。