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【1259】二系統同時ブートの過熱OS消費電力 [ビジネス]

 今度は四国で地震か、人間界のタイムスケール的には最近続いてる感じだなあ。
 風光明媚な四万十川流域を含んでおり、四国らしく急峻で尾根と谷の入り組んだ複雑な斜面の印象が記憶に残る、宿毛(すくも)や中村の地名が見える。皆さんどうかお大事に【1178】

 NHK朝ドラ『虎に翼』が序盤からハイペースで波乱続きだ。
 お馴染みの、物理的にも精神的にも現代風に隅々まで清潔感の行き届いた世界であり、陰湿で貧相な旧態ニッポン精神文化をすすぎ落とした人間模様が少しばかり気になる造りではあるが、とりあえず観やすい。

 今度はトラちゃんちに嫁入りした親友のハナちゃんが悩み始めたか。
 家庭から一歩外へ出た『社会』での男女の扱いの差もいろいろあったのだけれど、そういう場はいわゆる『オトコ社会』ってことでひと通り決まっていて、これに対して戸別の家庭内は全面的にオンナに預けられ任され丸投げされていた。

 この『外はオトコ、内はオンナ』の対照的な生活構造は、まず夫婦二人がいてその間に男の子ができて、その男の子がヨメをもらって家庭の一員として連れ込む。ここから始まる。
 こうして二世代目の夫婦二人もその家庭に同居し、世代違いの夫婦二組・合計4人を基本構成として一家のくくりの骨格が完成するのだ。ここが今回のポイントである。

 なおこれ以外は大した問題ではなく、例えば最初の夫婦に二人目以降の男の子ができたり、あるいは女の子もできたりしたところで、まあ派生事実とされ場当たり的に処理された。

 さてオトコが平日仕事に出払ったあとの家庭空間を、最初の夫婦のカミさんと、その息子のヨメという、血のつながらないオンナ二人で切り盛りすることになる。一致するはずのないオンナ二人の『意識』『主観』『自我』が、狭い家一軒の生存空間に閉じ込められ、お互いがお互いの窮屈になりながら逃げ場を失う構図になるのは宿命である。
 ハナちゃんは猪爪家の家庭空間を仕切る大御所・トラちゃんママに、少なくとも現時点ではどうにかこうにか迎合できているようだが、これが高度経済成長期の時代においては『ヨメ・シュウトメの確執』という相容れない永遠の真理の対立構図として、日本社会の定番テーマになるほどの常識であった。

 息子ヨメが二十歳前~20代前半で嫁入りしてきて以降、実に数十年にわたる閉空間での日常的な軋轢ゆえ、一生をかけた悩みになるほど深刻だが解決策のない、女性として誰もが背負い込んでいる根深い社会問題という位置付けだったと記憶している。

 私が子供時代の高度経済成長期には既にテレビが全世帯に普及していて、日中とくに午後イチ以降夕方前までの時間帯は、圧倒的に専業主婦の視聴者を狙った番組構成となっていた。
 この時間枠の、報道でもなく教養でもなく映画でもなくドキュメンタリーでもなく…のユルいニーズに合わせ、庶民に知名度のある有名人の面々が世間話風に漫談する番組が起案され『ワイドショー』と呼ばれ始めたと思うのだが、そこで『ヨメ・シュウトメの確執』が格好の定番ネタのひとつとなった…はずである。私自身は春・夏・冬の長期休暇でもない限り、その時間に在宅していないし新聞のラテ欄でしか知らん【1210】
 まあ日本社会の全てがそういうテイで動いていた。とにかく平日日中のテレビって、男の子にはほんっとに観るもんなくて困ったんだよ。

 それこそオンナ同士で怨念絡みのような精神戦を繰り広げる再現ドラマだとか、そんな内容で視聴率を争うくらいだったから、チマタの主婦の精神状態の平均値は総じて安穏でなかった時代なのだろう。
 今はすっかり見聞きしなくなったが、息子世代が一軒家を新規購入して別居する『核家族化』が進んでくると、今度は息子ヨメの立場からは『家付き、車付き、ババ抜き』こそ理想の好条件だとする荒んだ幸福論も提唱され、そんなものが笑って普通に語られていたのである。ひっでえなあ。
 そう、ここでたびたび繰り返しているが、高度経済成長期というのは今の時代から見て決して『日本社会が元気いっぱい働き、輝かしく豊かに突き進む理想郷の時空間』だったのではない。

 お行儀を守って貞淑なヨメに収まるハナちゃんと、その内なる負担に気付いたトラちゃん義母シュウトメはどう折り合っていくのだろうか。
 『平和な家庭組織で幸せな生活を送りたい』という永遠一元の目的は正しいのだが、個々人で閉じる『意識』『主観』『自我』は誰とも一致するものではないため、共存するには大なり小なり必ずそこに抑制が必要となる【84】
 だからこそ、お互いの『意識』『主観』『自我』をありのまま率直に情報化して、コミュニケーションの場にまず挙げて、双方の噛み合う抑制マップをどうするか現実的な処置を決めねばならない。
 『腹を割る』という日本語はこの『ありのまま率直』を指すのだと私は思っている。

 ここまで理解して、かなりの壮絶なる過去を吐露した男役ちゃんなのだが、この手のとっつきにくい系ぼっちタイプには結構見どころのある好人物が多いのだ。
 少なくとも本人的には共鳴点も確かめずに馴れ合わない理由をちゃんと持っていて、無難なだけの無駄な付き合いを良しとしない判断力を確立しており、少々の不穏な空気にも動じず率直に意味のあるコミュニケーションを相手に持ち掛ける、誠実な心掛けが完成されている証拠であろう。
 自分の『意識』『主観』『自我』をもって正確にコミュニケーションできたのなら、相手の受容なり反発なりを刈り取って次を決めれば良いだけであり、このプロセスさえ成立すれば何らのやりにくさも不信感も起こり得ない。
 それどころかインドア引きこもりでもサブカル没入ぼっちでも、本人思うままに『意識』『主観』『自我』を解放して生きているぶん、よっぽど直接的かつ健康的に会話ができる気がする。思慮深くてハナシの解る面白いヒト、多いよ。

 社会空間を共有する個々人が、各自の自由ナル『意識』『主観』『自我』を率直に折り合わせるため、法律という『情報』が目安として設置されているのだ。
 今季朝ドラ『虎に翼』は始まったばかりだが、まだまだ凝ったキャラ設定が続出してきそうな予感がするぞ。
 ではお手元の文字列がハッピーな有効打でありますよう。その通信にグッドラック!
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