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【949】自由な過密スケジュールと不自由な余暇の想い出 [ビジネス]

 今年もゴールデンウィークを迎えた。
 前回も述べた通り丸一年もかけてこんなもんかとも思うのだけれど、逆に何だかんだで日本社会の組織の自我が感染症に蝕まれて健康状態を失っているのではないから、それだけでまずは身ひとつ大丈夫ってことだよな。一部感染症にやられちゃってる人たちには少々申し訳ないハナシだが、『組織』を考える統計的視点で、大局の日本社会は十分に無事と見受けられる。
 各自で頑張って治してよく静養して、また元気に合流してきていただきたい。

 いろいろあるけど、何より壊れてなくて元気を出そうと思えば出せる人間の集団でいられる限り、まあ組織生命体としては『人生山あり谷あり』のちょっとした『谷』ってことで、歩き方・登り方次第で済むと私は思っている。

 高度経済成長期の頃のこの時期は『飛び石連休』であり、決して一連の長期休暇ではなかったことを思い出すのだ。
 天皇誕生日4月29日、憲法記念日5月3日、子供の日5月5日が休日なので、半ドンの土曜日と一日休みの日曜日がうまく間を埋めるカレンダー廻りになると、特別なラクチン感のある一週間が成立する年があった。裏返せば、大したことない年も結構な頻度だったんだよな。
 メーデー5月1日は会社員のお父さんにとって組合のイベントなんかもあったりするので決してただの休日ではなかったはずだが、日常の働き詰めモードから解放される特別な一日だった人もそれなりにいたはずだ。まあ昔も今も関係ない人が多くて、割と平日なんだけど。
 当時は週休二日でなんかなかったし、土曜日もそんなにきっちりお昼で仕事を切り上げる習慣でもなかったし、そんな週末も国民の休日と重なったら翌・月曜日が振替休日になるなんてこともなかったから、カレンダーが噛み合うと確かに約一週間のんびりした有難い安堵が日本社会に漂ったものだ。

 まだまだ一般家庭では、海外はおろか国内でさえ泊りがけで旅行に繰り出すことは珍しい時代だったため、ちょいとお父さんの気楽な流しモードの一週間に、日帰りで遊園地に行ったりデパートに買い物に出たりもして、子供たちも家族イベントの非日常な行楽にありつくことができた。
 思えばあの時代、それを当たり前として日本社会は素朴に実直に働き続けていたんだよな。単純にそのぶんだけでも、高度経済成長期の日本の国力に今より遥かに生産力があったのは道理なのだ。
 今日は休んで遊んで、また明日は学校行って、そのまた明後日はもう土曜日なんだー、何しようか。日が伸びた夕方、自宅前の通りの見慣れた景色がどこか自由な解放感に突き抜けているようで、今も大好きな佇まいの記憶である。

 これが確か平成になる頃、日本国としての記念的事実は無いが『三連休を設定すること』そのものを目的として5月4日も休日となった…んじゃなかったっけ。ちょうど日本社会が成長一辺倒から充実と余裕に舵を切った時期でもあったし、好況下で大きな工場を持つ企業などは製造ラインの停止・再稼働を刻む非効率もあったため、どうせなら丸一週間を長期休暇にしてしまう風潮が拡がったのだろう。

 過去のこの時期の記憶を呼び戻すに、休むにしても普段が日常生活テンコ盛りの状態だったが故まさに『骨休め』の大事なひとときであり、当時の日本人ならば、今般のような勿体ない時間の浪費をなされるがまま許すようなことになっていただろうか…と、ふと思った。
 少なくとも去年・今年に関しては、不本意な無条件の稼働停止でぽっかり空いた時間が過ぎて行く『不自由な空白』のイメージが強く、これだったら昭和時代の飛び石連休ぐらいの方がきっとみんな狙って楽しんで鋭気を養い、元気を取り戻して日常に帰って行けた、あるいは帰って行けるような気がする。まだ健康で元気を残している日本社会の稼働力は、生産稼働スケジュールの拘束を最小限にでも解かれて自由に羽を伸ばれせば当面十分なのではないか。そして考え、確かめ、国家運営に反映させる。
 そっちの建設的休息モードが叶えば、老いて病的に歪んだ国政工作なんぞバイ菌の雑音にする勢いで、1億2千万人日本社会の自我が思い描く、元気で賑やかな本来ニッポン自画像に向かって社会の空気が動き出す。呆然と制止されている場合ではない。

 確かに日本民族の特殊性を当然視しない、グローバル視点での感染症対策を忘れ去る訳にはいかないし、いま半端なレベルで油断して、爆発的な感染再拡大まではないにしても、いつまでもだらだら無視できない感染トラブルの社会ダメージと対応残務を引きずりながら後悔する流れは避けたい。
 ゆえに前回述べた通り、日本社会の特別損失を抑えてバシッと見える効果を出すには良いタイミングだから、我々各自で感染抑制の機運を効果的に解釈して、メリハリつけてケツを限って真面目に実行するのが賢明だとは思う。

 のちにその効果代を測定・確認するにあたり、『明確な理由となる変化点も見当たらないまま』大阪ばかりが新規感染確認の最多数になり続けている原因の究明と併せて、このへん連日タレ流してる自称専門家の奴等から、結果見解の確実なところを刈り取ればよかろう。
 先にクギを刺しておくが、使い古しが過ぎる思い付き憶測ネタ・変異種も、ドタバタしただけの蔓延防止措置の地域毎期間バラツキも、大阪中心のこの全国激増ペースの推定原因には到底なり得ない。真の原因は、必ず他にある。

 まあいいや、社会生活の現場最前線を切り回す各地の首長さんたちの意図をしっかり酌んで、きっちりニッポン社会人のチームワークでまずはハッキリ見える結果をきっちり出しましょうや。こういうのは組織の皆で協力してやるものであって、首長さん一人が孤立奮闘するものではない。
 むやみに動き回らず交錯せず、いっぱい食ってよく寝て過ごすだけでも協力的な姿勢ってことになるんだから、ムツカシイ話でもなかろうし。もうたくさんと思うなら、アゴ上げずにもうひと頑張りだ。

 返すがえす、もし本当に命に関わる重大な死病が、次々と日本社会組織の生命力を食い潰して来ているのであれば、この日本列島の生活空間はもっと恐怖に怯えたおどろおどろしい空気でいっぱいになり、サラリーマン番組がわざわざ煽らなくても誰も自宅から出ようとなんかしない。
 『我々日本国はビョーキだ死ぬ死ぬ、何でもいいから税金で注射打て打て』などと繰り返し狂気を吹き込んでくる異常な世論操作こそ、日本社会の体力を奪い健全な稼働を狂わせる最悪の感染性病原体に他ならない。
 このゴールデンウィークを機に、ひとつ残らずこの日本社会の情報流通網から駆逐し撲滅を図るのが、喫緊の重要な国民的課題なのではないかと思う。

 『今日の新規感染者数、コレコレ人だと確認されました』
 『今日はナニナニ人が死亡したと発表されました』
 それがまた『死亡したのは二十代の男性だということで…』っておい、お宅らニュースにしちゃ文体がもってまわり過ぎの曖昧過ぎじゃねえの?そういうのは実況の報道とは言わんぞフツー。
 なんで『確認された』『発表された』の伝聞フェーズでばかりバラ撒くんだよ?
 『コレコレ人が新規感染しました』『ナニナニ人が死亡しました』と直言しない理由はいったい何だ?

 ま、みんな気付いてるだろうし誰もテレビなんぞ見てないだろうし、私もいちいち確かめずにテキトーに書いてるんだが、今はもう直ってるのならスマン。ともかくあんなんじゃ取り合えないって。
 我々が目指すのは、この空白な時間の先にあるかつての元気な喜怒哀楽の賑わいだ。
 その頃この時間が懐かしくなるのかどうかは判らないが、とりあえずグッドラック!
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