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【950】忠犬密会企画のパーティ招集暗号 [ビジネス]

 うん、まあ日本国民の総意で日本社会組織が動き、それに呼応した現象が起こって検知され確認されるんだよ。その現象が時に直接の現実、時に仕立てられた情報として我々日本国民の目に触れる。それらを測るひとつの尺度として、コロナ新規感染者確認数だとか死亡者数だとかがあるワケだ。

 まあいいじゃん。まずはみんなで見てようよ。それ以上、言うことは無い。
 何だかんだで結構みんな自粛してくれてるんじゃねえの?これなら上々だろう。
 『法的拘束力はともかく、仲間がそう決めたから』と積極的に同調してくれる連中がいて、一方『皆がそうしてるから』と日本式思考停止的に同調してくれる連中もいて、そして昨年のうちはまだ本当に病理リスクを認識していたものの、今年は『明らかにガチの病理リスクなど無いのが明らかなもとで、この政策にどんな反応が出るのか』を試しにかかっている連中がちゃんといる。それで結構だと思う。
 もう昨年の今ごろ並に『未知の致死性病原体』としての病理リスクに心底怯えて、それを根拠に社会動向をハラハラ切々と見ている日本人など一人もいないだろう。

 ちょっと前に『役所の職員が、大勢で深夜まで飲み食いしたのがバレる』という事態がやたら連続した時期があったのを、皆さん憶えておいでだと思う。
 全く現実性の無い未完成の行動指示としてだけの国政方針が二転三転して放たれ、そのデタラメっぷりにより社会生活の現場を前に次々と発生する混乱や軋轢を、もう確信犯として『窓口のザコ責任で何とかしろや』と押し付けられ続けた実務層の連中が、遂にキレたのではないかと思ったものだ。

 たんびにその飲み食いの場にいた管理職なんかが主犯格扱いされ『更迭』などと、わざわざの仰々しい処分もされていたけれど、真相は知らない。
 そう言えばこれらに先立って、いっくらクチ酸っぱく注意喚起してもあほの国会議員どもが、都心で飲み歩いて遊んでいる現場を雑誌屋に写真撮られて抑えられていたものだ【923】【927】【932】
 まず最初にこれはこれで、社会の運営側が『自分らで布いた規制を自分らで破っている』という心掛け及びお行儀系の常識の無いこととして、まあ非難もされて当然ではある。ああ、なってないねと。

 当時、既に公共情報なるモノが到底見るに堪えなくなってきていた時期なので、もしかすると私の個人的な認識不足もあるのかも知れないと断るが、それにしてもそんな『柔らか系の非難』に終始するばかりで、すべからく本来的な理系視点の追及議論がスルーされていたように見受けていた。肝心の感染対策の事後処置が何もない。
 どこまで当事者どもが自覚していたのかは怪しいが、あのあたりで『コロナ死ぬ死ぬ』国政構想は、自滅の引金を完全に引き切っていたのではないかと思う。

 いやさあ、ホントに『コロナ死ぬ死ぬ』で医療現場が破綻の危機に瀕したり、効くか効かんかも判らん間に合わせの薬物注射をメクラ滅法で打たねばならなかったりするくらいなら、出席者の感染有無の確認管理もせずに都心の一角で秘密裏に行われた『死の宴会』の事後対応が、たかが叱責や降格ごときで済むワケがないのである。

 事実確認まで含め捕捉された『死の宴会』の現場同席者は一人残らず、そしてそいつら全員の行動履歴を徹底追跡して、まあどこまでが軽微でどこからが濃厚かは知らんが、とにかく接触者もすべからく専用調査棟に数週間は監禁・隔離して、これでもかというくらいまで未感染を確認した上で、事後発症の可能性まで考慮して完全ひも付きで、元の職場に戻す。もちろん毎日何回かは体調の報告を課す。
 致死性の凶悪な感染性病原体が蔓延する社会において、明らかに感染促進の機会を持った者たちが発生してしまったとして、そこからの感染拡大を食い止める手段はこれしかない。去年クルーズ船でやった、まさにアレだよ。知らねえ訳じゃねえだろ?
 別に謝ってもらわなくたって構わないハナシだし、逆に謝ったり反省したりで済むハナシでもない。そんなママゴト関係ねえんだよ、どあほ。
 何にも影響ないことをきっちり確認した上で、今ごろ蒸し返してスマンね。

 『死の宴会』に興じた国会議員や公務員どもが、次々と高熱にうなされ激しく咳き込みながら順に絶命していき、それに続いてそいつらとの接触由来と疑われる都心発の重篤患者の散発が報じられ始めたなら、自爆テロ非国民犯罪者政権にとって言い逃れのできない『不見識と油断の殺人的不祥事』ということになる。ならば。
 『現・与党政権は、もうオシマイだ…』
 そんな殺気立った恐怖感と引責の課題意識が国会と中央役所を席巻し、それこそみっともない限りの『卑怯卑劣な責任逃れ』がバレバレであっても、国民目線で見て明らかな実効対応策があの時ナニか動いていたなら、実は1億2千万人日本社会の見る目は多少なりとも違っていたはずなのだ。
 だが現実は、人事的な処分と通り一遍の謝罪劇だけで、本当に済ませてしまった。

 この程度の先読みが、理屈として関係者の誰の頭の中にも無かったとは思えない。国会議員は票集めを絶対に失敗できない人気商売だし、公務員は自分の人事評価に人畜無害の注記コメントでさえ一文字もつけたくない世界に暮らしている【942】
 つまり自粛期間とやらのストイック生活宣言が何か腹積もりのあるタテマエならタテマエであったとして、『正しいワタシは、心からそのつもり』を演じ切る忠誠心を、せめて自分らウチワ箱庭に向かってだけでも最低限保証しないと、社会的生命線を失うことになるのだ。
 どんな持ちネタであれ自分ピン勝負の生存スキルとして、一般社会に応えられる腕自慢を何か持っているタイプなら良いんだが、大抵はそうでないから『票集めイノチ』や『なりゆき人事評価イノチ』で生きているワケで、故に『自分都合を通用させてもらえる世界で、決め込んだタテマエ演劇に全精力を賭け執着する』というパターンが、このテの人種の指向性の基本形となる。
 そこに生きる人種の基本形がそうならば、その人種が成す組織の過半数がその特性を有することになり、つまりそこに顕れる『組織の自我』もその傾向を持つ。まあ旧来政党の数々も名だたる役所も、まさに御覧の通りと言ったところか。

 だが、バレるバレないはともかく『死の宴会』なんぞの開催を決行している段階で、最初から『コロナ死ぬ死ぬによる日本社会の全停止』の操作コマンドを出している発信元に対して、アピールMAXの忠誠で一番乗りに応えて生き延びようとする動機が微塵も認められない。
 さしずめ国会議員なら『あーあ、この政権体制、完全にダメだわ』、役所なら『こんな国政の実務措置なんぞ請けられるワケねーだろが』みたいな、尽々やってられない現状放棄の空気の蔓延が感じられる。だからこそ、その後かなり締め上げたり揉み消したりに念を入れたと見えて、割かしぴたりと収まった雰囲気なんだよな。
 だが一連の出来事を眺めていた1億2千万人日本社会の自我は、もうこの空気を十二分に吸った。

 例年行楽で賑わうゴールデンウィークが、日本社会の我慢の示し合わせで静かなものになっているのは去年も今年も同じ。しかし去年は『本当に死ぬかも知れない』という切迫した恐怖感が大きな要因であったのに対して、今年はそうではない。

 まあ来週が明けてナニガシかの事態が明らかになったら、その原因がどんなもので、だからその先をどうするのかよく検証することにして、今は妙な吹き込みの無い『素の日本列島の空気』を、胸一杯に吸っておくのがよろしかろう。そもそも、こんなことにでもならなきゃ『何もしない』時間を心穏やかに過ごせる空気でもなかったのが、不況に低迷を続ける日本社会だったのだから。
 ゆっくり待つのが最短最速の作戦だったりする時もある。力を抜いてグッドラック!
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