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【838】老人ホーム彩るマンドラド花壇の合成肥料 [ビジネス]

 ウィルスの概念が人類社会に普及したのは意外と最近のことで、実はほんの二十世紀初頭のことである。私の祖父が1899年=十九世紀最後の生まれだし、ライト兄弟が初めて動力飛行したのはその後の二十世紀に入ってからのことだ。うわー、ついこないだじゃねえかよ。

 これらに先立つ十九世紀後半、あの教科書で習うパスツールやコッホが細菌学を確立した。例えばペスト菌、コレラ菌、結核菌などは細菌つまり微生物であり、人間の目には見えないくらい小さいながらもイチ個体完結型の、人間が定義する『生物』である。ちゃんとメシ食ってエネルギーを得て、ナニガシか物理的なりケミカルなりの生体稼働をやってフンまで出している。生まれてきて死ぬ。
 一方ウィルスはただの情報メディアで、生物としての実作動領域は宿主の本来機能を乗っ取る形で世を渡っており、メシも食わないし生まれるも死ぬもない【228】
 ドアノブ付着や空中浮遊で『ウィルスの生存時間は何時間』みたいな話をしているのを時折見かけるが、一体どこの誰が、どんな独自概念に基づいて流している情報なのだろうか。覚えやすい行動規範を世間に拡めたいにしても、非科学的な誤情報の類では決して感染拡大の抑止にはつながらない。

 十九世紀の当時、研究者たちが改良を重ねた『細菌濾過機』で除去し切れない病原体の存在が確認されていた。それを解明する研究が後にウィルスの発見に繋がるのである。
 まだ今般のコロナ・ウィルスの感染形態が明らかになっていないため迂闊なことは言えないが、やはりウィルスである以上、たかがマスクによる呼気・吸気の濾過だけで感染を抑止する効果はあまりにも小さいはず。マスクは社会で肝心な実働部隊となる医療機関に、必需消耗品として最優先で供給すべきだ。素性も何もわからない相手には、専門層の対応実績で人類としての知見を積むことが急がれる。

 実質効果も甚だ怪しい『一般大衆の気分の問題』が、文明社会に既存するマスクの需要・供給の仕組みにたまたま噛み合ってしまったがために、本来文明社会がそこに擁する人々の健康管理のために置いた専門機関の目的作動を脅かす。ふうん、ハマるも困るも全部人間の勝手じゃん。
 なるほどこんな視点でも、ウィルスは『致死性病原体』なる情報メディアに始まり、文明社会なる組織生命体の元来作動を乗っ取って、宿主を失調させながら自己複製を促進させているのであろう。

 子供のころ読んだ『スペースアドベンチャー・コブラ』のエピソードを思い出す。
 そう、あの左手にサイコガンを仕込んだ男が主人公の有名なSF漫画である。シーズン毎にひとつずつ語られるストーリーの中に、『マンドラド』という植物にまつわる回があるのだ。
 面白いし是非どこかで読んでいただきたいので詳細は伏せておくが、人間の物欲を利用して繁殖する風媒花ならぬ『欲媒花』とでも呼ぶべきもので、当時その発想力のインパクトに感服した私にとって大のお気に入りの一話となった。
 そんな私は後に大人になって、企業や自治体や国家など人間が作る社会組織において、発現した事象が人間の認知特性を通して情報化され、その情報が通信メディアを媒体として『時に率直に、時に歪曲されて』伝播してゆき、さまざまに特徴的な連鎖反応を見せることに気づき始める。これが『社会現象』という言葉の本質的な意味なのではないかと思うまで成長するに到った。

 今般の世界的なウィルス性肺炎の流行も、そこに生きる人々の生来的な民族性や、歴史的背景に基づく国家の統治特性や、ナウ目立つ場で象徴的な情報発信をする立場の人員の性向など配慮しながら、感染データ公表値とその元になっているはずの事実を見極めて現状把握を進める必要があるのだろう。また大衆には『形態共鳴』【482】や『視覚映像のDNAフィードバック』【559】のような潜在的な作用が隠れている可能性も、頭の隅で勘定に入れておいて間違いは無い。
 要は『よくよく有効ファクターとその効果を見極めつつ、それで見切れているなどとは思い上がらず、慎重に組織の御機嫌を探りながら操作を投じる』、各国のこの心得が結果出力の数字とニュース映像に表れる時だと思うのだ。
 ウィルスはカネやトクのために自己複製を繰り返しているのでもなければ、人類を敵視して押し引き攻防戦を挑んでいるのでもない。人類はまずウィルス性感染症から素朴に命を守り、文明社会の系を外乱トリガーで自滅させない、このふたつの目的意識を再確認しておかねばなるまい。

 あっという間に感染拡大し失業率が跳ね上がった北米だが、これに随分と先立って銃が売れまくっていた社会風潮が記憶に新しい。あの広大な国土で生活に行き詰まった暴漢に狙われたとして、警察など理屈で整った社会保障があっても、その助けが来るまで丸腰ではとても身を守る現実解にならないってことだろうな。
 その昔テキサス州のヒューストンからダラスあたりまで一緒に仕事をしてまわった現地人スタッフが、車のセンターコンソールに拳銃を常備していたのを思い出す。女性でも扱いやすいとされる小型軽量のお手軽タイプ?などではなく、ずっしり重いフルサイズの6連装リボルバーであった。
 私の見た限り、護身銃を携帯する習慣は中南米と接する南部地方に多めな感じだ。歴史上の植民地文化あるところに麻薬のウラ社会あり、麻薬の流通空間あるところに身の危険あり…という図式なのかなあと、小学生時代の自衛隊基地キャンプ以来ひさしぶりに手にした拳銃の重さを確かめたものである【309】
 南部の土地柄については面白いことをいろいろ思い出したので、またいつか落ち着いたら改めて取り上げよう。とにかく北米では社会稼働を腕ずくで拘束した上で、もう今この瞬間を抑えるためだけの、だがやむなき即効性の現実解として一人10万円の生活費を支給せざるを得ないということなのだ。まあそれなりの妥当性は感じられるワケで。

 今まだまだ薄ら安穏平和な日本社会は緊縮に徹する決心すらできず、ダメノマスクだの世帯毎30万円ばら撒きだの、世界中から指差して笑われるような、フェイクニュース以下の粗悪ジャンク情報ばかりが汚ならしい老人の口々で交わされている。
 同じウィルス=同一内容の情報メディアを突込まれても、元来機能を提供する宿主が『あほの巣窟』だと、こんなみっともない壊れ方にしかならないということか。

 高齢化ニッポンの老衰した醜い欲望を媒体に日本国じゅう蔓延したウィルス性疾病は、世にも珍しい、いかにも非・生物学的でいかにも非・経済的な、意味不明の奇妙に捻じれた人工病理現象となって日本列島全土を席巻している。
 もしこの日本国がこのまま力尽きたとして、後に日本列島に上陸し累々と全滅した日本人の屍を目の当たりにした外国人は、その特異すぎる欲のバトンを再び拾い上げて感染のループを受け継ぐのだろうか?
 それともシュール過ぎる不可解さを鼻で笑って足元に捨ててオシマイだろうか?
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