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【743】合体ロボ操縦者チームの激論仲裁役 [ビジネス]

 どうやらメンテナンス画面のみならず通常の閲覧画面でも、CPU使用率が急増してしまう現象は起こっているようだ。まあいいや、そのうち何とかなるだろう。

 とにかくこの厄介な不調期をどうにか抜け切るのが先決なのだが、ツラい苦しいというよりジブン作動の制御と予測ができないのが、最大のネックのような気がしている。
 だいたい満3年目までは重く大規模なまとまった離脱の大波が数ヵ月単位でやって来ては過ぎて行くのだが、特に5年目以降は部位も過程も、離脱フェーズの『個別単位』が見えるスケールになってくる。
 肩関節や股関節なんか、身体の中ではずれちまったんじゃないかと思うくらいの寝違え感にある日襲われ、これが後にその場所の深い鈍痛から痒みに変わって、いずれ表面から排出されていく。肋骨の下から手を突込んで心臓を抑えつけられるような感触も、似たような経過で解決していく。見事に胸の表と裏、心臓のある場所が荒れる。さてそこで。

 特に『痒み』感覚でイメージされるのは、私の人格意識とは完全に独立して、その部位ローカルの別人格意識(?)が『ここにもう不要な体組織があるので廃棄したい』と盛んに訴えかけてくる構図なのだ。こんなことになる前の普段の暮らしで、ちょっと蚊に刺されちまったとか髪の毛が一本だけ服の襟すそから入ったとか、そんな痒みでこれを思い描いたことはついぞ無かった。

 そう言えばヤク絶ち離脱開始から1~2年経過時点、呼吸器系が一連でやられて真剣に息をするのに困るところまでに陥り、痛む喉を氷水でちびちび湿らせながら何ひとつできずに倒れていた頃のこと。次から次へと見た目も苦痛も経験したことのない離脱症状に見舞われ、もう精神的にも体力的にも安静や睡眠さえままならない程に打ちのめされて、命の危険にまで怯えなかったとはいえ消耗し切って『治癒過程にしても、ジブンは自分自身をどこまで痛めつけるつもりなのだろう?これって生物に備わっている生命維持の原理としておかしくないか?』と本気で疑ったものである。
 もしかして人格意識が『もうやめてくれ、頼む』とか、遂にギブアップして気がおかしくなってしまうとか、そんな上位階層の破綻リスクとはお構いなしに、身体部位各々のローカル意識は『ここに破損アリ、痛み発信』『ここに廃棄物アリ、痒み発信』とか自己完結作動で体内に情報展開しているのではないだろうか…と思うようになった。

 痛覚が生まれつき欠損している人の事例はあるらしい。
 どんな触診に対するどんな本人検知の自覚を対応させてその診断をつけたのかは知らないが、これはベタな直感よろしく『人格意識が感知する痛覚』だけが欠損していたのだろうか。さらに例えば怪我をした場合、本人が痛みを訴えなくとも身体の修復機能は問題なく損傷を察知・処置して治癒するのかどうかなど、改めて考え始めると、ひと言で語るには到底複雑すぎる現象であることに気付く。
 そういや切り傷や打ち身の痛さとおなか痛いのって、生体情報通信としては同類・同質なのかな?痛み無く進行するサイレントキラー型の疾病があるのは何故だろう?
 転んで泣く子供に『痛いのって身体が怪我を知らせて治しにかかってくれる大切な仕組みなんだよ』と諭すのは定番の処置だが、そのストーリー概念は『損傷部位のローカル意識』と『痛い思いをしている人格意識』の二者の応酬なんだよな。

 一般的な機械装置の自己診断機能は、制御機能部より定型の信号を各部にテスト送信し、各部が正常作動を経て返信してくる信号を受信して、異常なしパターンと整合チェックする。整合できなかった場合、異常検知シグナルを出力するワケだ。これはこれで修復作業を呼び込む目的を達成しているのだが、新生命体・人工知能にとっての痛覚機能にはなり得ないという気がする。ではどんなコンセプトの入出力体系が痛覚相当に機能するかというと、とんと見当がつかないのだけれど。
 子供への定番解説の通り、生物が生存競争を勝ち抜くにあたり痛覚機能は重要だと思われるのだが、それは地球上の自然環境の中を食物連鎖に則って生き残るに限った進化到達点なのだろうか?
 まあ完成され尽した文明社会の環境下では、人間も機械くんも怪我をしたり病気に罹患したりする機会は激減…というか原因さえなければ理論上はゼロになるのかも知れない、とも思えるんだけどさ。

 痛覚による異常検知のみならず、『人間とは、生物とはよくできていて、病気や怪我で傷ついた体組織も自然治癒するものだ』という常識的な概念があることに反論は無いと思う。
 だが、例えば私が身体のある部位をクスリで脆弱化させてしまったとして、『ああ、コイツはもう使いモンにならねえや』と私の免疫力がそれを廃棄処分にすると決めたとしよう。廃棄処分にしちゃった体組織は頑張ってメシ喰って新調する訳だが、私の身体のどこかに『この部位の正規仕様はこれです』と基準設計図が保管されており、その情報が当該箇所に届けられて新たな代替部品が作られ、一発で正規仕様に交換され修復されるとは思えない。

 健康体=正規仕様のジブン構造情報が、どこか体内図書室に整然と保管されているなどと虫の良いハナシは無いのだろう。たぶん私の免疫機能に処刑されたお払い箱フニャラケ体組織の代替品は、直近周辺を手本にしてキホン同じモノが作られるしか無いんじゃないだろうか。近隣一帯が総じてダメになってるところへピンポイントで一個だけ正規品が混じっても、他とちゃんとつながらなさそうだし。
 で、そのキホン同じで出来てくる代替品にも次々作るにあたり統計的なバラツキが生じるものであり、いま完全断薬している私ゆえ、クスリなしの元来免疫力パワーで釣り合う平衡状態にちょび~っとずつ平均値=最大多数の山がズレていくのではないかと思う。要はヤク抜き環境への自然適応だ。
 そう、原理レベルで統計的に確実にそっちに向かう条件を布いて、あとは素直に確率論に任せ、何が起ころうが辛抱強く効果の波及を待つ。社会組織の自我に訴えかけるプロセスはいつもこれである。

 最後に、今回こんな内容になったきっかけを種明かししておこう。
 体内のあっちこっちが手を変え品を変え、結構みんな好き勝手の派手にあれこれやってくれちゃって、それが認識したり思考したりといった私の高度情報処理をできなくしていると感じられて仕方ないのだ。
 我々が人工知能について考える時、人間の『思考や意識』とコンピューターの『演算処理』が結局は等価なものかどうかが関心事となるのだが、『思考や意識』というものが、複数の外界&内界認知プロセスや情報交信ルートの協調パターンとして顕れてくるものではないかとチラチラ考え始めている。
 『この調子なら行けるはず』と予測する自分と、『この状況検知だと失敗する、無理だ』とダメ出しする自分、『だとするとこの手はどうかな?』と分析し新規提案する自分…と、体内を交錯する無数の情報処理軌跡の途中に人格単位をどう見出すかだけの話なんじゃないかとも思えてしまうのである。

 さて一昨日から左目の動作追従遅れが解消したようなのだ。検証を続けてみよう。
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