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【1223】銃後グルメ旅行プランのタイムマシン予約サイト [ビジネス]

 もう師走も中盤に突入、過去3年に続いて今年も寝正月の憂き目を見るのかどうかはまだ定かでないが、やっぱり寒い季節になると脱ステの症状は悪化するもんなのかね。今年は11月のうちにびっくりするくらい寒くなったあと異様にあったかい日も続いて今になるが、検証結果としては『寒くなると悪化するというジンクスはアタリ』である。

 まだ不動のお地蔵さん状態が続いていてもどかしい。猛烈な痒みは次々と擦り剝いたような痛みに変わり、ぼろぼろ皮が剝けてきて昔の冷蔵庫の霜付きのようになる。抑制を解かれた私の免疫力に伸び代がある限り、伸びて回復したぶん旧来の体組織を叩き壊すのだからしょうがない。
 痒くて痛いのも大概だが、擦過傷のように痛むだけあって表皮が剥がれた部分は点々と濡れ傷になっているようで、そのため水に浸した衣服を着せられているかのような冷たさで凍えそうだ。

 これこの通り、私の身体は私の感覚への思いやりなんぞ微塵も持ち合わせていない。ただただ自己免疫力と釣り合う体組織構成に到達するまで、備わった機能のままに突走る。こりゃもうしばらく動くに動けんわい、大人しく事態の進展を待つとするか。

 手近な話題を見繕うとなると、やはりNHK連ドラ『ブギウギ』ってことになるのか。
 もちろん私も戦時中を生きた訳ではないので見て来たようなことは書けないのだが、全体的に一般社会への鬼気迫る戦意鼓舞政策が随分とソフトな感じで、物資の不足もそこまで切迫していない描写になっていると見受ける。
 これはこれでドラマのテーマ背景としては十分に目的を果たしているということなのだろうが、戦中派が『言論統制により自由に発言することが許されなかった』『とにかくモノが無かった』と表現する生活の荒み方の実情がどんなものだったのか、まずは興味を覚えて九段下の昭和館を訪れるきっかけにしていただければ良いのかな…と思って観ている。年末年始に行ってみてはいかがでしょうか。

 『ブギウギ』劇中では1943(昭和18)年没の山本五十六元帥の国葬シーンが登場し、風呂屋の金属製看板が軍事供出させられてもいたから、戦局が悪化の一方を辿る時期に十分かかっていると思われる。
 日本国内でも暮らし向きに地域性があったはずなのはもちろん、劇中当時の正確な時代考証を逐一綿密にやっていくのも難しいとは思われるのだが、それにしても楽団が移動する汽車は空いていて快適そうだし、宿泊先の食事は貧相ながら量もそこそこあって酒も出ていて、戦争中の食うや食わずの生活苦らしきものが殆ど見受けられない。

 当時の汽車はとにかく混雑していたそうで、さすがに東南アジアや南米みたく列車の天井にまで人が乗っていたという話は聞いたことがないが、客車出入口のステップにまで人が立ち車外側の取っ手にしがみついて乗るのはお馴染みの光景だったという。
 白い米なんか滅多に見たこともなく配給券と交換して手にするのは僅かな雑穀と芋ばかり、誰もが始終腹をすかしていて…というか激しく飢えていて、弁当を持っていても周囲に人目のある車内で大っぴらに広げたりはとてもできない空間だったそうだ。たまたま握り飯を恵んでもらった者がいて、かぶりつく前に溢れ出す唾液で握り飯が崩れていくのを目の当たりにしたという話さえある。

 『大東亜戦争』を『ブギウギ』舞台の日常生活の時間軸に当てて整理してみよう。

 1937(昭和12)年に日中戦争とも呼ばれる『日華事変』が勃発、これは主に欧米列強に極東が植民地化されないよう中国大陸に統治権を拡大しようとした日本国と、その認識が希薄なまま統治されることに抵抗した中国との衝突である。
 この初期段階で日本は首尾よく統治権を大陸に拡大できており、最近ではすっかり聞かなくなったが左巻き自虐史観で商売するガイキチ非国民によれば『凶悪な日本が朴訥な中国を侵略した』とする由縁である。
 欧米列強にしてみれば、大人しく属国の立場に収まらず極東で独自勢力を結集・構築しようとする日本国の勢いは早期にくじいて弱体化させてしまいたい一方であり、故にどんどん日本国への諸国外交の風当たりは強くなっていった。

 六郎くんの訃報が届いたのはこの段階のことであり、ギバちゃん親父が『戦争に勝っているのに、六郎は死んだのか』と納得できない様子で飲んだくれていたのはこのためだ。
 このころ遥か欧州でもドイツのポーランド侵攻に端を発する戦争状態が拡大しており、そこで利害一致の成立を見た日本・ドイツ・イタリアが1940(昭和15)年に『日独伊三国同盟』で結集、ぶっちゃけ残り全部を敵に回す『第二次世界大戦』の構図が出来上がることになる。

 こうしてますます米英はじめ国際社会の多数派から孤立させられ、国力の近代化と増強を妨害された日本国は、遂に1941(昭和16)年に米軍・ハワイ真珠湾基地を奇襲する形で北米に宣戦布告し『太平洋戦争』が始まった。
 これが本当に日本の奇襲作戦だったのか連合軍の巧妙な策略による誘い込みだったのかはともかく、既に戦争を4年も続けた日本国にとっては『圧倒的勝利』の象徴的事実をもって、とにかく早く決着宣言したかったことには想像に難くない。
 『太平洋戦争』開戦早々には太平洋対岸=北米西海岸にまで潜水艦による先制攻撃を成功させた日本軍だが継続的な優位は保てず、翌1942(昭和17)年ミッドウェー海戦が事実上のターニングポイントとなり日本は劣勢に転ずる。

 これと相前後して、同1942年に北米は初の日本本土空襲を敢行した。
 もともと艦上機でもなかったB-25爆撃機を半ば強引に日本近海から空母ホーネットで洋上発進させ、東京上空を空襲で通過したあと中国大陸の連合国陣地に着陸させ破棄するという『持てる者』ならではの太っ腹な使い捨て作戦で、日本国本土に直接の武力行使をやって見せたのであった。
 やはり戦争というのはどんな国にとっても国力負担が深刻であり、一旦戦争が始まってしまうと自国組織の生命力の限界を横目に駆け引きせねばならないということだ。軍事力に関わる国政は、いざそれが現実稼働し始めてからのコトの行方まで現実的に考えられない限り、ただの無駄遣いにしかならないと知っておかなくてはならない。

 今どきもう現役世代ではなくなっている人たちだけれど、戦中派世代の精神文化として『成金』『儲け主義』なる経済マインド形態の概念があり、せっかく正当な実力もあって成功しているのに、過剰な権力意識や贅沢をわざわざに誇示して、無駄に反感を買ったりそれが元で失脚していく失敗例が散見される。
 これを不思議がる我々戦後世代を前に、決して守銭奴の極悪人とも思えない戦中派のおっちゃんが『僕らの深層心理に刻み込まれた物欲は、理性でどうしようもないくらい深く激しくて消えないんだよ』と語る理由が、かつて実際に存在したということなのだ。記号接地していない私には実感できないのだけれど。

 今一度、民謡『ふるさと』を歌い直して聞き直して、考えてみよう。
 自分が、日本人が、今の時代に本当に欲しいのはカネなのか?スマホなのか?
 インバウンド再来の理由を身ひとつで考察するその若い思考力に、グッドラック!
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