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【1224】迷惑系ドリーマーが担いだエンタメ市場の屋台骨 [ビジネス]

 NHK朝ドラ『ブギウギ』で描かれる戦中エンタメ業界の社会環境については、気になるっちゃ気になるんだが、この私も当時のことはほんの一部から伝え聞いたに過ぎないので、あんまりこだわる資格も無い。
 弟子兼付き人の座を獲得した小夜は、東京の芸能事務所に単身転がり込んできて鈴子の身辺に出没するようになり居着いてしまった流れだし、熱心な鈴子ファンの愛助学生といえば、鈴子の名古屋巡業の楽屋に面会に押し掛けての馴れ初めなのだが、今の若い人たちってこういうシーンはどのくらいの距離感で観るものなのだろうか。

 実はかなり最近まで我々昭和世代は、現実に憧れのヒト御本人に対面して、運が良ければちょっとしたファンサービスにもあやかれたのだ。さすがに最新カラーテレビの歌謡番組で盛んに見かけたヒデキやらピンクレディーなんかは、スケジュール的にもセキュリティ的にも当時のうちから半径数メートル以内に接近NGだったとは思うけれど。
 その頃の年齢で私は一介のインドア工作少年だったため、実態は知る由も無い。

 特に平成以降、不穏な動機を抱えた不心得者が特別な場所に乗り込んできて凶悪な事件を起こす事例が散発し、今ではまず刃傷沙汰の犯罪防止という観点から、企画運営機能スペースを厳しく一般社会空間と隔離するのが常識となっている。大衆に紛れて、殺傷目的まで腹に隠して近寄って来られるとなると、そりゃどんなに他の大多数のファンにサービスしてあげたくても、隔離する他ないだろう。

 またエンタメパフォーマンス系の興業において、その場なりに発生する実質ビジネス勘定も冷静に酌まないまま、無計画に著作権や肖像権などの概念と言論を暴走させるに任せてしまったことも、業界ぐるみでファンサービス領域の管理を幼稚でデタラメなものにしてしまった一因になっていると思う。
 もっとも今どき視野に見えている全員がスマホ持ってて、誰か一人にでも写真撮られた途端一斉配信でばら撒かれる事態も普通にあるとなると、もう古き良き時代の古き良き理由で一般人と同じ空間で振舞えるとも思えない。油断も隙も無い時代になったものである。

 若かりしころ私自身が超絶・激ウザの倒錯型ジブン世界没入患者だったワケだが、昭和末期から平成初期にかけては、まだまだ楽器好きの演奏好きのどヘタ横好きは『やらしときゃいい入れ込み人種』として日本社会に野放しで増殖中であり、ステージ上の神さまの使用機材や演奏技能に果てしない憧れこそ抱くものの、捻じれて迷い込んだような愛情やイミフの社会問題を起爆させたいなどの歪んだ動機とはすっかり無縁だった。
 そもそも楽器やってるヤツが夢中になるような音楽は、テレビやFMで聴いて気楽に楽しめるとか、心地よいBGMで会話の邪魔にならないとか、そんな世間一般のマトモな目的意識の人たちからすればカルトに凝り過ぎていてよく解らないし価値も無い。
 そんな変態音楽、レコードもCDもビデオも普通には売ってないし、いちいち鳴らすにも音響機材から楽器からカネはかかるわ場所は取るわ音出すとそれだけでうるさいわ、わざわざに関わろうとも思わないような足枷だらけのオタク趣味だったから、必然のなりゆきとしてのマイナーな社会的立ち位置ではあったものよ。

 まあこんな自虐的なカタチで狭く閉じた世界だったため、割と業界全体でファンとの敷居を下げて、むしろ好意的に応援の姿勢で一般客を迎えていた時代である。
 イベントや展示会では会場スタッフさんにこっそり交渉して舞台裏に入れてもらい、憧れの神さまに挨拶してお邪魔の御都合を伺い、握手して会話してサインをもらって、それだけに終わらず、ほんの数分ながら稽古をつけてもらえたりもした。中にはそういうファン接点を好まないヒトもいるという話はあって、ぞんざいな対応をされたという声も聞いたことはあるが、私は幸運にもそっちのケースには遭遇したことがない。

 今はもう廃止されているかも知れないが、かつてはブルーノートなど名のある格式きっちりした?ライブハウスでも、ステージに上がる演奏者たちが、恐らくはファンサービスとして意図的に、客席空間に顔をチラチラ覗かせていたものである。というか、もっと濃い『出待ち』という定番の慣習があった。

 現在のブルーノートは少し離れたところから場所を移転しており、昔は青山の交差点から骨董通りに入って真直ぐ根津美術館に向かう途中のところに面していたと思う。
 どっかの駅ナカのグッズショップみたいな手狭な店舗に入ると、その外観の通りにTシャツやマグカップなんかが所狭しと並んでいて、その奥に受付カウンターがあった。
 そんなエントランスのフロア一角から地下に階段が延びており、実際に客席テーブルで飲食しつつステージ・パフォーマンスを楽しむのは地下一階のライブハウスだった…と思うぞ、確か。

 夜の公演時間に先立って午後2時頃からだっけかお店の玄関前で客席選択権の整理券が配られるのだが、もちろん狙い目の視点で座れるよう早い番号が欲しい。そんなヤツが何人も集まってくるのだから、人気アーティストの公演日ともなると朝のかなり早い時間から、整理券待ちの列が伸び始める。
 まあ大体は同じモノを目当てに集まった同じ人種だから、列の両隣で雑談するにも不自由はしないのだが、今どき個人的に好きな音楽でああいう濃厚な情報交換のできる場所って無くなった気がするなあ。整理券を確保したら、やっと食事に散っていける。

 ディープなお楽しみは当日の公演終了後に客も半分以上掃けた頃で、目前に繰り広げられた圧巻イリュージョンに夢も冷めやらぬ興奮状態のまま、なおもさっさと帰らず、地上エントランスもしくはその周辺にダベり続けるのである。一応おぼろげに大丈夫な周辺環境だったとは思うのだが、どのくらい近所迷惑だったのだろうか。
 とにかく、滞在ホテルに戻る普段着の出演者たちが、地下からの階段を上がってきて玄関前に横付けされたマイクロバスに乗り込むので、その途中をつかまえるのだ。

 周囲はライバルだらけだし、スマホどころかデジカメも無い時代だったから、音楽仲間たちとチーム体制を組み、まずオレが足止めするから、ここでアナタがサインもらって一緒に写真撮って、よしシャッター役はワタシの方で引き受けた…などと手分けして、散々なことをいろんな大御所たちに付き合わせてしまったものである。やらされる方も自分のリリースしたCDだったり自分名義モデルの楽器だったりするので、やはり外回り営業の一環というか、図々しい要求にも快く応じてくれたのだけれど。
 正真正銘の世界的実力者、掛け値なしの超一流、夢中で齧りつくCDやVHSで聴くその現物に触れた実体験というのは、間違いなく私の人生に効きまくっている。整理券の奪取からターゲットへの突撃アタックまで丸一日、仲間たちとお互い誘い合って作戦をサポートしたりされたり、青山ブルーノートにまつわる想い出はいろいろと深いのだ。

 コトほどかように、昔のステージ周辺事情は本当に楽しかったものだが、今では恐らく標準規則化されているのか、ファンサービスの機会を確保するにも定型かつ計画的で、公演終了後にきちんとテーブルを用意してファン一同は順番待ちの列を作ってサインはひとつだけ、みたいなことになっているようだ。時代相応にやむなしとはいえ、ステージに向ける情熱の解決方策としては、形式的かつ希薄になっている感が否めない。
 『高嶺の花』ばかりでなくなり『御近所さん』レベルの周辺層にも拡大されたとも言われる芸能ステージだが、ファンが同じ空気を吸いに行けるような距離感においても、今は手ごわくも無感情に相互交流を隔絶する透明バリアが張られている感じがする。

 通信機器の発達による時代変遷はあるのだろうが、それにしても昨今の『目立ちたかった』とする動機は、ナニのテーマ設定で、誰に対して、どんな心象で目立ちたいのか、それで自分の何が満たされて嬉しいと思うものなのか、理解に苦しむ。
 難しい時代だが、パフォーマンスが展開する場は特別な時空であり、パフォーマーは特別な存在でありつつ、観衆と心底のコミュニケーションが通じて響いてこそのものなんじゃないですかね。

 ステージに上がるも観るも、いつもそれで幸せになれる人であっていただきたい。
 大歓声とともに未来のスポットライトを浴びるアナタの夢と決意に、グッドラック!
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